【推しの子】もしも星野アイの隣人が天才外科医だったら〜命を救う、その先へ〜 作:ペンギンって可愛いですよね
数日後――。
苺プロダクション。
社内では、まだアクアとルビーの話題が続いていた。
「いやぁ、本当にすごかったねぇ」
「全国一位もだけど、あのインタビューは衝撃だったよ」
そんな会話が交わされる中、事務所の入口が開いた。
「失礼する」
聞き覚えのある低い声に、斉藤壱護が顔を上げる。
「おっ、五反田監督じゃないか」
現れたのは、映画監督の五反田泰志だった。
「久しぶりだな」
「急にどうした?」
壱護がソファを勧めると、五反田は手にしていた封筒をテーブルに置き、腰を下ろした。
「今日は仕事の相談だ」
「仕事?」
「ああ。今話題のアクアを、久しぶりに子役として使いたい」
その言葉に、近くにいたミヤコも顔を向ける。
「アクア君をですか?」
「この前のテレビを見てな。全国一位も驚いたが、何より、あいつの受け答えが気になった」
五反田は腕を組み、あのインタビューを思い返すように目を細めた。
「質問の意図を理解して、相手に伝わる言葉を選んでいた。あれは、ただ勉強ができるだけの子供じゃない」
「まあ、昔から妙に落ち着いたやつだったからな」
五反田の口元に笑みが浮かぶ。
「昔のあいつには、子供らしくない空気があった。それが今、芝居の中でどう出るのか見てみたい」
壱護は少し考えたあと、苦笑した。
「話題に乗っかるのは悪くないが、決めるのはアクア本人だぞ。こっちが勝手に仕事を入れたって、納得しなきゃ首を縦に振らん」
「構わん。断られたらそれまでだ」
五反田はテーブルの封筒を指で軽く叩いた。
「企画と役の説明を持ってきた。まずは、これを見せてやってくれ」
「分かった。本人に渡しておく」
そこで五反田が、思い出したように口を開いた。
「そうだ。あと、ルビーにも声を掛けたいんだが」
「ルビーにも?」
ミヤコが目を丸くする。
「ああ。兄貴とは随分違うだろ、あの子は。表情がよく動くし、人の目を引く明るさがある。芝居に興味があるなら、一度会って話してみたい」
壱護は困ったように頬をかいた。
「ルビーは、まだうちに所属してないぞ」
「えっ、そうなのか?」
「ああ。テレビに出たからって、二人まとめて所属してるわけじゃない」
「あちゃ……そいつは早とちりしたな」
五反田は頭をかき、苦笑する。
「だったら、まずは本人に聞いてみてくれ。所属すること自体は、そっちとしても問題ないんだろ?」
「もちろん、うちは歓迎する。ただ、本人の意向次第だな」
ミヤコも頷いた。
「ルビーちゃんも芸能界には…特にアイドルに興味があるみたいですけど、実際にお仕事をするとなれば、ご家族と相談してからですね」
五反田は何気なく頷き、続けた。
「そりゃそうだ…アイも、その辺りは慎重になるだろうしな」
壱護の手が止まった。
隣にいたミヤコも、笑顔のまま動かなくなる。
一瞬前まで穏やかだった空気が、急に張り詰めた。
「……なんで、そこでアイの名前が出る?」
壱護が低い声で尋ねる。
五反田は二人を見比べ、それから小さく息を吐いた。
「やっぱり、俺が気付いてるとは思ってなかったか」
「何の話だ」
「アクアとルビーの母親が、アイだって話だよ」
ミヤコが息をのんだ。
壱護はすぐには答えなかった。
五反田の表情を探るように見つめてから、事務所の奥へ目を向ける。
「ミヤコ」
「……ええ」
短い呼び掛けだけで意図を察し、ミヤコが応接スペースの扉を閉めた。
その音を待って、壱護が口を開く。
「誰から聞いた?」
「誰からも聞いてない」
「だったら、どうしてそんな話になる」
「仕事柄、人の表情や距離感は見るんでな」
五反田は声を落とした。
「顔が似てるだけなら、そこまで考えなかった。だが、アイがあの二人を見るときの顔と、二人がアイに向ける顔を見てると、ただの事務所の仲間じゃ説明がつかないことがある」
「……それだけか?」
「一つ一つは小さなことだよ。子供が動けば、アイが無意識に目で追う。二人も、何かあるとまずアイの反応を確かめる。そういうのが重なって、もしかしたらと思った」
ミヤコは膝の上で手を握り締めた。
「以前から、気付いていらしたんですか?」
「疑ってはいた。ただ、本人たちに確かめたことはない」
五反田は二人の強張った顔を見て、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「……今ので、確信には変わったがな」
壱護が深く息を吐いた。
「お前な……」
「悪い。だが、これから子供たちの仕事の話をするなら、知らないふりを続けるのも違うと思ってな」
五反田の声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「安心しろ。この話を誰かにするつもりはない。今までもしてない」
「本当だな?」
「ああ。俺が興味あるのは、あいつらがどんな芝居をするかだ。家族の秘密を売ることじゃない」
壱護はしばらく黙っていた。
長い付き合いのある監督だった。
仕事に対して頑固で、面倒なところもある。それでも、子供たちを話題作りの道具として傷つけるような男ではない。
そう分かっていても、すぐに警戒を解ける話ではなかった。
「……本人たちの前で、勝手にその話をするなよ」
「分かってる」
「アイにも、こっちから伝える。それまでは今まで通りにしてくれ」
「ああ」
五反田が頷くと、ミヤコもようやく肩の力を抜いた。
「びっくりしました……。急にアイさんのお名前を出されるんですもの」
「すまん。もう少し切り出し方を考えるべきだったな」
「本当だよ。こっちは心臓に悪い」
壱護が眉間を押さえる。
その様子に五反田は苦笑したものの、すぐに真剣な顔へ戻った。
「だからこそ、今回の話も母親として判断してもらいたい。アイ自身が芸能界の大変さを知ってるんだ。気になることもあるだろう」
「ああ。内容を確認してから、本人たちと話してもらう」
「必要なら俺から説明する。撮影のことも、役のこともな」
ミヤコはテーブルの封筒に視線を落とした。
「ルビーちゃん、喜びそうではありますね。アクア君と一緒にお仕事ができるかもしれないと聞いたら」
「勢いでやるって言いそうなのが、少し怖いがな」
壱護の言葉に、ミヤコが小さく笑う。
「そのときは、ちゃんとお話を聞いてから決めてもらいましょう」
「そうしてくれ。楽しそうだから、だけで受けてもらうには、覚えてもらうこともある」
五反田はそう言って、封筒を壱護の方へ押した。
「アクアにも、ルビーにも、無理はさせなくていい。二人とも断るなら、それで構わん」
「ずいぶん物分かりがいいじゃないか」
「引き受けてくれるなら、もちろん嬉しいがな」
五反田の口元に、監督らしい笑みが戻った。
「成長したアクアと、まだ何も知らないルビーが、カメラの前でどうなるのか。正直、かなり楽しみなんだよ」
壱護は封筒を手に取り、苦笑する。
「期待しすぎるなよ。あの二人は、大人の思い通りには動かんぞ」
「知ってる」
五反田は立ち上がり、扉へ向かう。
その背中へ、壱護がもう一度声を掛けた。
「監督。さっきの話、本当に頼むぞ」
五反田は足を止めた。
振り返った顔に、からかうような色はなかった。
「守るよ。あいつらが安心して芝居をできるようにするのも、大人の仕事だろ」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
ミヤコはしばらく扉を見つめたあと、ぽつりと言った。
「……気付かれていたんですね」
「ああ」
壱護はソファに座り直し、深く背もたれに身体を預けた。
「まったく、油断も隙もない」
そう言いながらも、手にした封筒へ視線を落とす。
まずはアイに話さなければならない。
仕事の依頼と、もう一つ。
あの監督には、思っていた以上に家族の姿が見えていたらしいということを。