振り返るとあいつがいる、いつの間にか隣に来る。
数万の歓声が彼方へ消え去る、世界で一番速くて静かな場所のお話
――来たね。
背後から迫る足音を聞いた瞬間、マヤは笑った。
振り返らなくても分かる。
あいつだ。
――前回もそうだった。
最後の曲がり角へ、競争鳥たちが雪崩れ込む。
先頭には二羽。
その直後に三羽が固まり、後続の進路を塞いでいる。
マヤはそのすぐ後ろ。
黄金色の羽根を揺らしながら、前を走る鳥たちの間を覗いていた。
『行けぇぇぇ!』
『そこからだ!』
『マヤ、前が開かないぞ!』
開いていない。内も。外も。
前には三羽の背中。
無理に割り込めば接触する。
外へ振れば、その分だけ距離を失う。
けれど、マヤは焦らなかった。
脚を溜めたまま、前だけを見る。
一歩。
一歩。
一歩。
――まだ。
前の一羽が内へ寄る。
隣の一羽が、それに合わせて外へ動く。
まだ狭い。
まだ通れない。
――まだだ。
曲がり角の出口。
前を走る一羽が、遠心力に押されるようにほんのわずか外へ膨らんだ。
たった一歩。
ほんの一歩分だけ。
その内側。
黄金色の瞳が細くなる。
――そこっ!
マヤの体が沈んだ、次の瞬間。
黄金色の翼が、狭い隙間へ飛び込んだ。
【マヤノアトルガン動いたッ!】
一気に加速する。
一羽。
かわす。
二羽目。
横を抜ける。
三羽目。
その嘴の前へ出る。
『うおおおおおッ!』
『抜けた!』
『マヤが抜けたぞ!』
狭い鳥群の内側を縫うように、黄金の体が前へ出ていく。
進路など決めていない。
空いた場所へ飛び込む。
前が閉じれば横へ。
横が塞がれば、その一歩前へ。
走路そのものが、マヤの足元で次々と形を変えていく。
その姿を。
さらに外から、一羽の黒い競争鳥が見ていた。
マウラブライアン。
マヤよりさらに後ろ。
しかも大外。
距離だけを見れば、明らかに不利だった。
だが。
青い瞳は、一度も黄金の翼から離れていない。
マヤが動いた。
ならば。
獲物は、そこだ。黒い首が低く沈む。
【外からマウラブライアン!ブランも来たッ!】
ドッ――!
黒い脚が砂を蹴り飛ばした。
内へは入らない。
前の鳥を避けるために減速もしない。
大外。一番長い場所を、ただ速さだけで駆け上がる。
『ブラン来たぁぁぁ!』
『外だ! 外見ろ!』
『全部抜くつもりか!?』
マヤが一羽かわす。
ブランが一羽呑み込む。
マヤが二羽目の前へ出る。
ブランも外から二羽まとめて追い越す。
黄金が内を縫い。
黒が外から呑み込む。
歓声が、二つの色を追って右から左へ流れていく。
全く違う進路。全く違う走り。
なのに。
前へ出た場所は、ほとんど同じだった。
【さぁ、マヤノアトルガン、マウラブライアン、並んだまま、並んだまま直線コースに入りました!】
黄金色の翼が鳥群から飛び出す。
そのすぐ外に黒い嘴が並ぶ。
マヤの目が横へ動く。
いた!やっぱり!
ブランの視線も感じる。
青い瞳が、まっすぐマヤを捉えている。
【先頭はマヤノアトルガンか、マヤノアトルガン、マウラブライアン! 二羽の競り合いだ!】
マヤが前へ出る。
半身。
ほんの半身。
ブランの脚が伸びる。
並ぶ。
【その後ろは三羽身、四羽身、五羽身と差が開いていく!】
『マヤァァァァッ!』『ブラン差せぇぇぇぇッ!』
後ろなど。
二羽にはもう関係なかった。
マヤが走る。
ブランが追う。
マヤが前へ出る。
ブランが並ぶ。
またマヤ。
またブラン。
黄金。
黒。
黄金。
黒。
二羽の嘴が、交互に前へ出る。
――しつこいなぁ!
マヤが少しだけ外へ進路を振る。
黒い影が一瞬、視界から消える。
――よしっ。
だが、次の瞬間。
死角から黒い嘴がもう一度現れた。
――また来た!
ブランは離れない。
何度前へ出ても。
何度振り切ろうとしても。
気がつけば、また横にいる。
【さぁ残り二百ヤルム! マヤノアトルガンか、マウラブライアンか!】
マヤが出る。
ブランが並ぶ。
もう一度マヤ。
黒い脚が砂を抉る。
また並ぶ。
【二羽並んだ! 並んだ! まったく並んだッ!】
観客席が揺れる。
『どっちだぁぁぁ!』
『マヤ行けぇぇぇ!』
『ブラン! 獲れぇぇぇ!』
もう他の鳥の足音は聞こえない。
観客の声さえ遠い。
マヤの視界にあるのは、隣を走る黒い羽根だけ。
ブランの視界にあるのも、逃げ続ける黄金の翼だけ。
マヤが走る。ブランが追う。
マヤが逃げる。ブランが詰める。
何度前へ出ても、何度離そうとしても。
黒い影が消えない。
一歩、また一歩。
二羽の首が伸びる。
ゴール板が近づくにつれ、観客の声は一つの巨大な轟音へ変わっていく。
黄金の脚が最後の砂を蹴る。黒い脚も伸びる。
【マヤノアトルガンか! マウラブライアンか! マヤノアトルガンか! マウラブライアンか!】
嘴が並ぶ。胸が並ぶ。翼が重なる。
【並んだままゴールインッ!!】
二羽がほとんど同時にゴール板を駆け抜けた。
歓声が爆発する。
『どっちだ!?』
『マヤだろ!』
『いやブランだ!』
『全然わからん!』
マヤは速度を落としながら、横を見る。
ブランもいる。
まだ、すぐそこに。
ゴールしたというのに、最後まで振り切れなかった。
――写真判定。
長い時間ではなかったはずなのに。
マヤには妙に長く感じられた。
やがて。
表示板に名前が出る。
一着――マヤノアトルガン。
『マヤだぁぁぁぁぁ!!』
歓声が上がる。
勝った。
確かに。
僕が勝った、ほんのわずか。
写真でようやく分かるほどの差で。
横を見る。
ブランも表示板を見ていた。
悔しそうでもない、暴れるでもない。
俯きもしない。
ただ。
青い瞳をマヤへ向けてきた。
――"俺から逃げ切るか……。楽しみが増えた、次は獲る"
それだけ。
まるで今日の勝負が終わったと思っていない。
負けたくせに、次は自分が獲ると。
当然のような顔をしている。
マヤは嘴を尖らせた。
――な~んか、勝った気がしなかったんだよねぇ。
そして今、今日もまたあいつが来た。
背後から迫っていた黒い影が、また黄金の翼へ並ぼうとしている。
一歩、もう一歩。
あの日と同じ青い瞳が、マヤを捉える。
マヤの嘴が、楽しそうに上がった。
――今度こそ決着をつけてやる!
『またこの二羽だ!』
『二大飆脚の一騎打ちだぞ!』
黒い嘴が、黄金の翼へ並ぶ。
ブラン。
あの日と同じ。
何度離しても、どこへ動いても。
気がつけば横にいる。
「マヤノアトルガンとマウラブライアン! 二羽が並んで直線へ!」
「しかし後続も離れない! セルビナスカイ、ウィンダスターオー、サンデーサンドリア、そして大外バストゥークグラス!」
「三国の競争鳥が迫ります!」
後ろから、いくつもの足音が迫る。
重い音。
鋭い音。
風を切る音。
けれど。
マヤは見ない。
あいつが来る。
それだけで十分だった。
ブランの鋭い視線も、まっすぐこちらを見ている。
――やっぱり。
――今日もマヤなんだ?
嘴が、少しだけ上がった。
八羽が最後の直線へ入る。
残り三百ヤルム。
「マヤノアトルガン先頭! マヤノ先頭! マヤノ先頭だッ!!」
「ブライアンも迫ってくる! 迫ってくる!」
ブランの嘴がわずかに前へ出る。
「鋭い矢が翼を掠めたッ! ブランがかわしたか?! このまま自由を撃ち落とせるのか?!」
――させないよ!
マヤの脚が伸びる。
「いや、マヤノアトルガン! 一歩も引かないッ!」
押し返す。
黄金と黒。
二羽の翼が触れそうな距離で飛び交う。
マヤが前へ。
ブランが並ぶ。
半身。
消える。
嘴ひとつ。
消える。
前へ出たと思えば。
また横。
――ほんっと、しつこい!でもまだ行ける!
少し外へ。
黄金の翼が、黒い視線からずれる。
一歩。
今度は内へ。
ブランの前から進路を消す。
――どう?
黒い影が遅れる。
ほんの一瞬。
けれど。
次の一歩には、もう死角から青い瞳が現れた。
――うわ、もう来た!
『マヤァァァッ!』
『ブラン、差せぇぇぇ!』
「外から大きな足音、バストゥークグラスだ!! グラスもきたッ! 大外から跳んできたッ!!」
大地が悲鳴を上げる。
「スターオーまだ伸びる!!」
紫の翼が再び光る。
「サンデーサンドリア負けじと食い下がる!!」
漆黒の翼が、再び鋭さを増していく。
「一瞬たりとも気が抜けない好勝負!!」
後ろから何かが来ている。
知っている。
分かっている。
でも。
今は、どうでもいい。
マヤが見るのは一羽だけ。
黒。
青い瞳。
低く沈んだ首。
自分の翼を狙い続ける、しつこい狩人。
――ほらほら。
――僕についてこれる?
歩幅を変える。
一歩目を大きく。
二歩目を小さく。
三歩目でまた伸ばす。
ブランの呼吸を外すための、不規則な三歩。
黒い嘴が、わずかに下がる。
――よし!
マヤが前へ出る。
だが、四歩目。
ブランが合わせてきた。
また横。
――もぉぉぉ!
悔しい。
でも、楽しい。
どうしても、こいつだけは。
何をしても離れてくれない。
「アルタユオペラオーはまだ後ろ! まだ後ろだ! 進路がない!」
「アルタユはこないのか!? アルタユはどうする?」
「もう残り三百ヤルムしかありません!!」
歓声が膨れ上がる。
『マヤ!』
『ブラン!』
『グラス、押し切れ!』
『メテオ、落ちるな!』
『サリア、貫け!』
『ビーナス、もう一度逃げろ!』
名前が飛び交う、何万もの声。
けれど。
マヤには、もうほとんど聞こえていなかった。
足音が一つ、呼吸が一つ。
横を走る黒い翼が一つ。
世界は騒がしいはずなのに。
ここだけは、妙に静かだった。
――前と同じだ。
前回も。
最後には、こいつの音しか聞こえなくなった。
なら。
今度は、最後まで。
最後の最後まで、こいつだけ見て走ればいい。
「ティルナノーグもまだうし……いないッ、消えたッ! どこいったぁ!?」
観客席がどよめく。
『消えた!?』『どこだ!』『走路から出たのか!?』
マヤの耳にも、その異変は入った。
何かが消えた。何かが動く。内側。気配。
次の瞬間。
マヤのさらに内。
淡い青が、霧の中から滲み出すように姿を結んだ。
――ティルナノーグ。
「内だ! 内側からティルナノーグ! マヤノアトルガンのさらに内側から伸びてくる!」
「いったいどこから抜けてきた!?」
蒼い幻影が、マヤの内へ滑り込む。
分かっている。
内から来た。
普通なら、見る。
どこまで来るのか。
自分へ並ぶのか。
進路を塞ぐのか。
ほんの一瞬でも、確認する。
――でも。
マヤの瞳は動かなかった、視界の端に青を置いたまま。
真正面。
そして。
すぐ横。
黒い翼だけを捉え続ける。
――知らない。
――今は君じゃない。
ティルがいる。
他の鳥も来ている。
分かっている。
それでも、今日決着をつける相手は。
最初から、一羽しかいない。
マヤの脚が、もう一歩伸びた。
ブランも来る。
ぴたりと、また並ぶ。
――そうそう。
――それでいいんだよ!
ティルが内へ伸びる。
ブランが外から詰める。
鳥群が動く。
一瞬だけ、走路の形が変わった。
マヤは変えない。
見る相手も、走る相手も。
何ひとつ、変えなかった。
残り百ヤルム。
『いけッ、ラオーッ!!』
背後で大地が弾けた。
黄金の王者が来る。
ビーナスも動く。
「ここでセルビナスカイ! ……スカイがきたッ、ここにきて再加速だッ! スリップストリームから抜け出した! まだ諦めていないぞぉ!」
背後から気配が、一気に近づく。
「アルタユきたッ!」「届くのかッ?!」
一羽。
「アルタユきたッ!」「ここからッ?!」
さらに一羽。
「アルタユきたッ!」「本当にッッ?!」
二人の実況の声が裏返る。
「「あの位置から届くのかぁぁぁぁ!!」」
それでも。
マヤはブランを見る。
ブランもマヤを見る。
前回と同じ。
いや、違う。
後ろから迫っている。
内にもいる、外にもいる。
全員が、勝ちに来ている。
それでも。
二羽の間だけは、何も変わらない。
「譲らない! 譲らない! マヤノとブライアンがまったく譲らない!!」
「誰が抜ける! 誰が抜ける! 誰が抜けるんだッ!!」
ゴール板が迫る。
十ヤルム。
「マヤが逃げ切るか?! ブランが差し切るか?!」
黒い嘴が来る。
――また。
半身。
並ぶ。
五ヤルム。
「アルタユきたッ!グラスも伸びてくるッ!一塊で突っ込んできたぁぁぁぁぁ!!」
八羽の嘴が並ぶ。翼が重なる。白砂が爆ぜる。
ブランが来る。
外から。
いつものように。
最後まで、食らいついてくる。
――前回も。
――前回もこうだった。
前へ出た。
並ばれた。
また出た。
また並ばれた。
そして。
ほんのわずかの差でマヤが勝った。
でも。
勝った気がしなかった。
なら、今日はもう一歩。
今度は、あと一歩。
こいつより、前へ!
――"まだ飛べる! フィナーレを飾るのはこの僕だ!"――
最後の一完歩。
黄金の脚が白砂を蹴り抜く。
ブランの脚も伸びる。
黒い嘴が迫る。
それでも、マヤは見ている。
最後まで、ブランだけを。
天衣無縫が飛ぶ。
ほんのわずか。
羽根一枚にも満たない。
その差だけ。
自由の翼が、狩人より前へ出た。
「大接戦だぁぁぁぁぁ――」
――ドゴォォォォーン!!
色とりどりの花火が、ゴール板の上で弾けた。
「……気の早い祝砲が鳴り響いたぁぁぁ!」
『誰だ!?』
『マヤか!?』
『ブランだろ!』
『アルタユも来てるぞ!』
『全然見えなかった!』
八羽がゴール板を駆け抜ける。
マヤは速度を落とす。
荒い息。
熱い脚。
全身が重い。
なのに。
真っ先に探したのは、表示板ではなかった。
横。
黒い羽。
いた。
ブランもこちらを見た。
マヤの嘴が。ゆっくり。上がる。
隠す気なんてない。
勝ったかどうかも、まだ発表されていない。
それでも。
マヤの全身が言っていた。
――どう?
――今度はマヤでしょ?
ブランの青い瞳が細くなる。
まだだ。
写真判定だ。
そう言いたそうな顔。
マヤはますます楽しそうに笑った。
――写真判定中。
表示板を見上げる、前回と同じ。
また、二羽で答えを待つ。
長い、長い待ち時間。
だけど、今度のマヤは。
なぜだか、前回よりずっと気分がよかった。
――表示板の文字が消えた。
観客のざわめきが、競争場の奥から奥へと引いていく。
実況席から息を吸い込む音。
「判定が出ました! 一着、マヤノアトルガン! 二着――」
『『『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』』』
二着の名が歓声に消える。
『マヤだぁぁぁ!!』
『自由の翼が取ったぞ!』
『一番人気だ!』
『最後までブランを押さえたぁぁぁ!』
マヤの黄金の翼が、大きく開く。
観客席へ。
大歓声へ。
けれど、その前にもう一度だけ。
ブランを見る。
にやにや。
今度はもう、判定も出た。
文句なし、僕の勝ち。
ほら。
どう?
ブランの嘴が、ほんのわずかに歪む。
青い瞳がマヤを睨む。
平静な顔、いつもの顔。
そのはずだった。
――"俺が二度も獲り逃がすか……。次こそ逃さん! さて、鍛えなおしだ"――
低い声、静かな言葉。青い瞳はもう次を見始めている。
でも、マヤには分かった。
――あ。
――悔しがってる。
黄金の嘴が、さらに上がった。
遠くなるブランの姿。
その姿を見て。
ようやく。
ようやく。
マヤは心の底から満足した。
前回とは違う。
今度はちゃんと、僕の勝ちだ。
そして。
観客席へ向き直る。
黄金の翼を、いっぱいに広げた。
――"ありがとう! さぁ、グランドフィナーレだ!"――
(=゚ω゚)ノ お待たせしました。マヤ推しの方、おめでとうございます!二大飆脚のライバル対決ついに決着です。
おみごと! マヤノアトルガン、迫りくる執念のスナイパーを華麗に捌ききって勝利を飾りました!
ブラン相手に納得のいく勝利が得られてニッコニコのマヤがかわいいですね。