色褪せた世界、色をくれた宿敵。
極限の静寂で、引き金を引いたお話
――見つけた。
先を行く黄金の背中へ視線を注ぐ。
黄金色の羽根が上下するたび、その向こうに見えていた走路が隠れ、また現れる。周囲では何羽もの競争鳥が互いの進路を奪い合い、巻き上がった白砂が脚元を覆っていた。
それでも自分が追っているものは変わらない。
静かに。
ただ静かに息を潜め、刻を待つ。
――前回もそうだった。
最後の曲がり角へ、競争鳥たちが雪崩れ込む。
先頭には二羽。
その直後に三羽が固まり、後続の進路を塞いでいる。
マヤはそのすぐ後ろ。
そしてブランは、そこからさらに外。
曲がり角へ押し込まれた鳥群は密集し、前の三羽は互いの翼が触れそうなほど近い。内へ寄ろうにも脚を入れる場所がなく、外へ回れば膨らんだ分だけ距離を失う。
『行けぇぇぇ!』
『そこからだ!』
『マヤ、前が開かないぞ!』
黄金の翼はまだ動かない。
前を塞がれている。
だが、脚色が鈍ったわけではない。
黄金の体は前へ突っ込まず、わずかに腰を落としている。鳥群へ無理に嘴を差し込むこともせず、前を走る三羽の間隔が変わるたびに首の向きだけを小さく変えていた。
待っている。
どこかが開くのを。
ブランの瞳が細くなる。
自分の前にも競争鳥がいる。しかも大外。ここから前へ出るには、内を走る黄金より長い距離を駆けなければならない。
それでも、黒い首は動かなかった。
一歩。
また一歩。
白砂を蹴る脚の音が幾重にも重なる。
前の一羽が内へ寄った。
その隣が押されるように外へ動く。
まだ狭い。
黄金も動かない。
さらに一歩。
曲がり角の出口が近づき、前を走る一羽の体が遠心力に引かれた。ほんのわずかに外へ膨らみ、その内側へ、一歩分だけ白砂が覗く。
黄金の肩が沈んだ。
――動く。
マヤの体が沈んだ、次の瞬間。
黄金色の翼が、狭い隙間へ飛び込んだ。
【マヤノアトルガン動いたッ!】
一気に加速する。
一羽。
かわす。
二羽目。
横を抜ける。
三羽目。
その嘴の前へ出る。
『うおおおおおッ!』
『抜けた!』
『マヤが抜けたぞ!』
狭い鳥群の内側を縫うように、黄金の体が前へ出ていく。
進路など決めていない。
前の鳥が外へ寄れば内へ入り、内が閉じれば、その瞬間に生まれた別の空間へ体を滑り込ませる。鳥群の形が変わるたびに走る場所まで変え、ほんの一歩前まで存在しなかった道を次々と拾っていく。
追う側からすれば、厄介極まりない走りだった。
だがブランは、黄金が選んだ道を追わなかった。
黄金が内へ潜ったなら、自分まで同じ隙間へ押し込む必要はない。そこで減速すれば、目の前の背中は遠ざかる。必要なのは同じ場所を走ることではない。
あの黄金を、届かない場所まで行かせないこと。
黒い首が低く沈んだ。
【外からマウラブライアン! ブランも来たッ!】
ドッ――!
黒い脚が白砂を蹴り飛ばす。
内へは入らない。
前の鳥を避けるために減速もしない。
大外。一番長い場所を、ただ速さだけで駆け上がる。
『ブラン来たぁぁぁ!』
『外だ! 外見ろ!』
『全部抜くつもりか!?』
マヤが一羽かわす。
ブランが一羽呑み込む。
マヤが二羽目の前へ出る。
ブランも外から二羽まとめて追い越す。
黄金が内を縫い。
黒が外から呑み込む。
その二羽のさらに後ろでは、曲がり角を抜けた競争鳥たちがそれぞれ空いた走路を求めて横へ広がり始めていた。内を通った鳥は距離を稼ぎ、大外へ振られた鳥は長い脚でその損失を取り返そうとする。
歓声が、二つの色を追って右から左へ流れていく。
全く違う進路。全く違う走り。
なのに。
前へ出た場所は、ほとんど同じだった。
【さぁ、マヤノアトルガン、マウラブライアン、並んだまま、並んだまま直線コースに入りました!】
黄金色の翼が鳥群から飛び出す。
そのすぐ外へ、黒い嘴が並んだ。
マヤの目が横へ動く。
その視線を真正面から受け止める。
黄金の瞳が、ほんの少し大きくなった。
そこに驚きがあったのか。
喜びがあったのか。
ブランには分からない。
知る必要もない。
ようやく。
手の届くところまで来た。
【先頭はマヤノアトルガンか、マヤノアトルガン、マウラブライアン! 二羽の競り合いだ!】
マヤが前へ出る。
半身。
ほんの半身。
ブランの脚が伸びる。
並ぶ。
【その後ろは三羽身、四羽身、五羽身と差が開いていく!】
『マヤァァァァッ!』『ブラン差せぇぇぇぇッ!』
二羽が先頭を争うほど、後続との間に白砂が広がっていく。
三羽身。
四羽身。
さらに後ろ。
観客席から見れば、勝負はもう二羽へ絞られたように見えた。
だが、ブランにとって先頭争いはまだ準備段階に過ぎなかった。
マヤが半身出る。
無理に押し返さない。
次の踏み込みを見る。
黄金の脚が伸び切ったところへ黒い脚を合わせ、失った半身を取り返す。
並ぶ。
今度はブランの嘴がわずかに前へ出た。
だが、そこで脚を使い切ることもしない。
黄金が次の一歩で歩幅を伸ばせば、また黄金が前へ出る。
それでいい。
半身なら届く。
嘴ひとつなら届く。
一歩で戻せる距離にいる限り、獲物はまだ逃げていない。
――射程内。
マヤが少しだけ外へ進路を振った。
黄金の翼が斜めに横切り、黒い嘴の前から消える。
ブランはすぐには追わない。
一歩。
黄金の体が外へ流れる。
もう一歩。
そのまま外へ抜けるなら、次に踏む場所は限られる。
黒い脚が半歩だけ軌道を変えた。
黄金がこちらを振り切ったと思った、その次の瞬間。
死角から黒い嘴がもう一度現れる。
アイツの瞳が見開かれた。
ブランはその表情より先に、黄金の重心が今度は内へ戻ろうとしているのを見ていた。
脚を一本。
内側へ。
黄金が動く、黒も詰める。
【さぁ残り二百ヤルム! マヤノアトルガンか、マウラブライアンか!】
マヤが出る。
ブランが並ぶ。
もう一度マヤが出る。
黒い脚が砂を抉る。
また並ぶ。
【二羽並んだ! 並んだ! まったく並んだッ!】
観客席が揺れる。
『どっちだぁぁぁ!』
『マヤ行けぇぇぇ!』
『ブラン! 獲れぇぇぇ!』
歓声の壁を押し返すように、二羽が直線を駆ける。
アイツの走りには型がない。
一歩を大きく伸ばした直後に、次の一歩をわずかに縮める。そこから再び脚を放り出すように伸ばし、相手の呼吸と歩調をずらしにくる。
速さだけではない。
一定の間隔で追えば、そのたびに黄金が違う場所へいる。
ならば合わせなければいい。
アイツと同じ歩幅で走る必要はない。
黄金が前へ出るたび、その差だけを見る。
半身。詰める。嘴ひとつ。詰める。
一歩分まで開きかけた距離が、次の二歩でまた消える。
マヤがどれだけ走り方を変えても、黒い影はその横から消えなかった。
一歩、また一歩。
二羽の首が伸びる。
ゴール板が近づくにつれ、観客の声は一つの巨大な轟音へ変わっていく。
黄金の脚が最後の砂を蹴る。黒い脚も伸びる。
【マヤノアトルガンか! マウラブライアンか! マヤノアトルガンか! マウラブライアンか!】
嘴が並ぶ。胸が並ぶ。翼が重なる。
【並んだままゴールインッ!!】
二羽がほとんど同時にゴール板を駆け抜けた。
直後、競争場全体が爆発した。
『どっちだ!?』
『マヤだろ!』
『いやブランだ!』
『全然わからん!』
速度を落とした二羽の後ろを、遅れてゴールした鳥たちが次々と通り抜けていく。係員が走路脇から飛び出し、観客席では身を乗り出した者たちが巨大な表示板へ顔を向けていた。
――写真判定。
ブランも表示板を見る。
息は荒い。
胸が上下し、熱を持った脚へ白砂がまとわりついている。
横には黄金。
最後まで射程から外さなかった。
最後の一歩まで届く場所にはいた。
だが。
仕留めた感触はなかった。
表示板が切り替わる。
一着――マヤノアトルガン。
『マヤだぁぁぁぁぁ!!』
観客席から黄金の名が降ってくる。
写真でようやく分かるほどの差。
ほんのわずか。
それでも、前にいたのはマヤだった。
ブランは表示板を見上げたまま、しばらく動かなかった。
腹立たしさはない。
まして、運が悪かったとも思わない。
最後まで捉えていた。
最後まで届く場所にいた。
それでも獲れなかった。
ならば、次はそのわずかな差まで消せばいい。
横から視線を感じた。
黄金の瞳。
勝ったアイツが、こちらを見ている。
ブランもそちらへ向く。
――"俺から逃げ切るか……。楽しみが増えた、次は獲る"
それだけだった。
ただ勝つだけの戦いに興味はなかった。
最初から結果の見えている追走にも、届くと分かっている獲物にも。
欲しかったのは。
最後の一歩まで、獲れるかどうか分からない相手。
追いついても逃げる。
射程へ収めても、次の瞬間には別の場所へいる。
最後まで捕らえ続けて。
それでもなお、写真を見なければ勝敗さえ分からない。
そんな相手を、ずっと待っていた。
色褪せた世界の中、黄金だけが鮮やかに残った。
――そして今。
また、その背中が前にある。
この一撃に。
技も、力も、経験も……すべてを込めよう。
――今日こそは、運すらも味方につけて撃ち落とす!
あの日より多くの足音が周囲を埋めている。
あの日より遥かに大きな歓声が、大空を震わせている。
八羽の競争鳥が勝利だけを目指して、最後の直線へ殺到していた。
『またこの二羽だ!』
『二大飆脚の一騎打ちだぞ!』
黄金の翼と黒い嘴が並ぶ。
「マヤノアトルガンとマウラブライアン! 二羽が並んで直線へ!」
前回と同じ。いや、前回とは違う。今度は最初から分かっている。
「しかし後続も離れない! セルビナスカイ、ウィンダスターオー、サンデーサンドリア、そして大外バストゥークグラス!」
アイツは逃げる。
どれだけ並んでも、どれだけ詰めようとも。
最後まで、必ず逃げようとする。
ならば、最後まで射程へ収めておけばいい。
撃つのはそのあとだ。
「三国の競争鳥が迫ります!」
先頭の二羽だけではなかった。
その後ろではビーナスが前を行く鳥の風を借りながら、細い体を低くして脚を伸ばしている。メテオは中盤で先頭へ立った負担を抱えながらも歩調を乱さず、その紫の翼は今も一定の間隔で白砂の上を揺れていた。
さらにその横では、サリアの漆黒の輪郭が細く鋭くなっていく。
大外、そこだけ地面の響きが違う。
グラスの巨躯が一歩ごとに大量の砂を後方へ弾き飛ばしながら、長いストライドで前との差を削ってくる。
そのさらに後方には、まだ黄金の王者。ラオーの前には何重もの背中が壁になっていた。
そして。
最後方へ沈んだように見えていた蒼い鳥影も、鳥群のどこかへ紛れている。
八羽が最後の直線へ入る。
残り三百ヤルム。
「マヤノアトルガン先頭! マヤノ先頭! マヤノ先頭だッ!!」
「ブライアンも迫ってくる! 迫ってくる!」
先を行く黄金の尾羽が、上下するたびに近づいてくる。
一歩。差が縮む。もう一歩。
黒い嘴が黄金の翼へ届く。
「鋭い矢が翼を掠めたッ! ブランがかわしたか?! このまま自由を撃ち落とせるのか?!」
その瞬間、マヤの脚が伸びた。
「いや、マヤノアトルガン! 一歩も引かないッ!」
黄金が押し返す。
半身。
黒が詰める。
マヤがもう一度脚を伸ばし、今度は外へわずかに進路をずらした。
ブランの真正面から黄金の体が外れる。
だが、前回と同じではない。
今度は黄金が動き始めるより先に、その肩の傾きが見えていた。
外。
ブランは一歩だけ真っ直ぐ踏む。
マヤがもう一歩外へ。
そこで黒い脚が斜めに入る。
距離は広がらない。
黄金が内へ戻れば、ブランも余計な横移動をせず次の一歩で詰める。
二羽の翼が触れそうな距離で飛び交う。
アイツの走りに自分の走りを合わせているわけではない。
どこへ行くかも分からない黄金を追い回しているわけでもない。
動かれた分だけ。
必要な分だけ距離を消す。
それ以上は使わない。
前へ出られる瞬間があっても、まだ出ない。
外から見れば激しい競り合い。
黄金と黒が交互に前へ出る、息もつかせぬ一騎打ち。
その実。
ブランが測り続けているものはたった一つ。
半身。
嘴ひとつ。
一歩。
――まだ射程内。
『マヤァァァッ!』
『ブラン、差せぇぇぇ!』
「外から大きな足音、バストゥークグラスだ!! グラスもきたッ! 大外から跳んできたッ!!」
ズシンッ――!
大地が鳴る。
大外から赤銅の巨体が迫り、一歩ごとに前の鳥を呑み込んでいく。重量を受け止めた白砂が大きく弾け、そのたびに観客席からどよめきが起こった。
「スターオーまだ伸びる!!」
紫の翼が再び光る。
メテオの呼吸はすでに荒い。それでも頭の位置はほとんど上下せず、乱れかけた脚を一歩ごとに揃え直しながら前を追っている。
「サンデーサンドリア負けじと食い下がる!!」
その横からサリア。
漆黒の体から余分な揺れが消え、一本の黒い線のように前へ伸びてくる。
内外から伸びてくる脚。
ぶつかる風圧。
巻き上がった砂。
その中央で、マヤとブランはなお並んでいる。
「一瞬たりとも気が抜けない好勝負!!」
アイツが歩幅を変えた。
一歩目。
大きく。
次を縮める。
黒い脚の入りが、一瞬ずれる。
黄金が前へ出る。
黄金の三歩目が再び伸びた。
呼吸を外された。
だが、ブランはそこで無理に脚を伸ばさない。
黄金が作った不規則な三歩をそのまま追えば、こちらの歩調まで崩れる。
自分の一歩を踏む。
次の一歩。
黄金の速度が一定へ戻る瞬間に、黒い脚が差を詰める。
四歩目。
再び嘴が並んだ。
アイツが一瞬こちらを見る。
その黄金の瞳に何が浮かんだのかは分からない。
だが、次の一手は分かる。
また離しに来る。
――さぁ、次はどうする?
嘴が、少しだけ上がった。
逃げるなら逃げてみろ。
外でも。
内でも。
歩幅を変えても。
射程の外まで行けるなら。
――行けるものなら行ってみろ!
「アルタユオペラオーはまだ後ろ! まだ後ろだ! 進路がない!」
「アルタユはこないのか!? アルタユはどうする?」
その声に合わせるように、鳥群の後方で黄金の飾り羽が揺れた。
ラオーの前にはまだ幾重もの背中がある。右へ動けば一羽が塞ぎ、左には別の翼。王者はそれでも歩調を乱さず、開く場所を探しながら前との差を削っていた。
「もう残り三百ヤルムしかありません!!」
実況が走りを追いかける。
観客席からは、もう誰に向けた歓声なのか聞き分けることさえ難しい。
『マヤ!』
『ブラン!』
『グラス、押し切れ!』
『メテオ、落ちるな!』
『サリア、貫け!』
『ビーナス、もう一度逃げろ!』
何万もの声が重なる。
旗が振られ、拳が上がり、立ち上がった観客が前列へ身を乗り出す。
白砂の走路では、その声に押されるように八羽の間隔が縮まり始めていた。
先行していた二羽へ、後ろから何羽も迫ってくる。
それでもブランが測る距離は変わらない。
黄金の脚。
黄金の肩。
上下する翼。
踏み込む直前にわずかに沈む羽。
アイツがどこへ行くかではない。
アイツがいつ動くか。
その最初の兆しだけを追う。
歓声が遠くなる。何万もの音が消えたわけではない。
走路ではグラスが大地を鳴らし、メテオの脚が白砂を刻み、サリアの鋭い踏み込みがその間を割っている。
それでも、黒い狩人の中で。必要な音だけが残っていく。
――ああ、そうだ。あの時と同じだ。
黄金の脚が白砂を踏む音。
その呼吸。
そして。
自分との距離。
――まだだ。
今なら並べる。
だが、ここで前へ出ても仕留めたことにはならない。
アイツはまた来る。
前回。
ゴール板のその先まで。
最後まで逃げ切ったように。
――まだ早い。まだ刻を待て……。
「ティルナノーグもまだうし……いないッ、消えたッ! どこいったぁ!?」
観客席がどよめいた。
『消えた!?』『どこだ!』『走路から出たのか!?』
それまで鳥群の後ろへ沈んでいた蒼い羽毛が、視線を切ったほんのわずかな間に見えなくなっていた。
外からでは分からない。
鳥影と鳥影の間。巻き上がる砂。重なる翼。
そのどこかを通っていた淡い青が。
次の瞬間。
マヤのさらに内側で、霧から滲み出すように形を結ぶ。
――ティルナノーグ。
「内だ! 内側からティルナノーグ! マヤノアトルガンのさらに内側から伸びてくる!」
「いったいどこから抜けてきた!?」
蒼い幻影が内を滑る。
観客席が再び爆発する。
マヤのすぐ横。
これまでいなかった場所へ突然現れた青。
黄金の瞳が動いた。ほんの一瞬。
内へ、ティルナノーグへと。
その動きは小さかった。首を振ったわけではない。
体勢も崩れていない。脚も止まらない。
おそらくアイツ自身にも、何かが変わったという感覚などない。
だが。
ずっと黄金だけを捉えてきた瞳には。
それまで一度もなかったものが見えた。
アイツの視線が内へ流れた瞬間。
次の一歩へ入るはずだった肩が、ほんのわずかに遅れて沈む。
黄金の脚が白砂へ触れる位置が。
半歩にも満たないほど。
ずれた。
――隙。
ブランは体を、わずかに前へ寄せる。
しかし。
まだ。
踏み込まない。
――だが、俺の間合いに近づいた。
黄金の瞳はすぐに戻った。
黄金の首が真正面へ戻り、次の一歩ではもう元の走りへ戻ろうとしている。
黒い嘴もその横へ戻る。
隙を見つけたからといって、そこで飛びつけばいいわけではない。
撃てる。と、仕留められる。
同じではない。
――焦るな……まだ早い。
マヤが伸びる。
ブランが並ぶ。
黄金が外へ。
黒がその差を消す。
ティルは内。
蒼い翼が音もなく前を狙い、その外側では二大飆脚がなお互いの嘴を並べている。
走路全体がわずかに横へ広がった。後続にも道が生まれる。
それまで他の鳥の背後へ隠れていた灰白の体がわずかに横へ動く。
メテオも沈まない。
サリアも落ちない。
グラスは、大外から一歩ごとにその巨体を前へ運び続けている。
八羽が再び一つへ集まり始める。
残り百ヤルム。
塞がれていた黄金の王者の前で。
道が開いた。
『いけッ、ラオーッ!!』
ここでビーナスが風の後ろから飛び出した。
「ここでセルビナスカイ! ……スカイがきたッ、ここにきて再加速だッ! スリップストリームから抜け出した! まだ諦めていないぞぉ!」
背後から気配が、一気に近づく。
「アルタユきたッ!」「届くのかッ?!」
一羽を抜く。
「アルタユきたッ!」「ここからッ?!」
さらに一羽。
「アルタユきたッ!」「本当にッッ?!」
実況席の二人が同時に身を乗り出す。
「「あの位置から届くのかぁぁぁぁ!!」」
黄金の光が、一気に差を削る。
一歩が大きい。
だが乱れていない。
開いた場所へ正確に脚を入れ、前の一羽を抜くたびに、次の道へそのまま体を運んでいく。
内からティル。
中央にマヤとブラン。
その後ろからビーナス。
三国のメテオ、サリア、グラス。
そして、そのすべてを縫うようにラオーが迫る。
八羽の翼が近づく。
風圧がぶつかる。
巻き上げられた砂が、競争鳥たちの脚を白く霞ませた。
ゴール板はもう目の前。
それでも。
二羽の間だけは、何も変わらない。
「譲らない! 譲らない! マヤノとブライアンがまったく譲らない!!」
「誰が抜ける! 誰が抜ける! 誰が抜けるんだッ!!」
ティルが現れた、あの一瞬。
黄金の歩調に生まれた、ほんのわずかな綻び。
すぐに消えた。
外から見れば、もう何も残っていない。
アイツ自身も同じ速さで走っている。
だが。
脚を使うタイミングが。
ほんの少しだけ変わった。
最後に伸ばすはずだった一歩。
そのために残していたものを。
ほんのわずか。
早くなっている。
――焦るな。
まだ撃てない。
ここまで待った。
ここまで射程から逃がさなかった。
ならば。
最後の最後まで、わずかでも俺の間合いに近づける。
十ヤルム。
「マヤが逃げ切るか?! ブランが差し切るか?!」
黄金が前。
黒が横。
外ではグラスの巨体が迫り。
内からティルの蒼。
ビーナスが風を掴み。
メテオとサリアも脚を伸ばす。
その間を。
ラオーの黄金が呑み込もうとしている。
五ヤルム。
「アルタユきたッ!グラスも伸びてくるッ!一塊で突っ込んできたぁぁぁぁぁ!!」
嘴が並ぶ。翼が重なる。脚が白砂を蹴り上げる。
八羽が、ほとんど一つの塊になる。
もう後はない。
黄金の脚が沈む。
最後の一歩。
その入りが前回よりも、ほんのわずかだけ。
浅い。
――来た…。
それまで低く保っていた黒い体が、初めて大きく伸びた。
溜めていた脚を最後の白砂へ叩き込む。
ここまで黄金を逃がさなかった脚。
何度変えられた進路にも対応した技。
不規則な歩幅を追い切った経験。
最後まで残していた力。
――待っていた、この瞬間を。
胸が並ぶ。
翼が重なる。
アイツが最後の伸びをみせる。
黄金の翼がさらに前へ出ようとする。自由の翼は最後まで飛翔する。
あの時、超えられなかった翼に向けて。
すべてを込める。極限まで狭まった世界で。
深海の狩人が。
――"撃ち落とすッ! 今ここでッ!!"――
ドッ――!! 引き金を引いた。
黒い脚が白砂を爆ぜさせた。
七羽の気配が一斉に押し寄せる。
それでも最後の一線。
ほんのわずか。
羽根一枚にも満たない差だけ。
黒い嘴が、先に黄金を撃ち抜いた。
「大接戦だぁぁぁぁぁ――」
――ドゴォォォォーン!!
色とりどりの花火が、ゴール板の上で弾けた。
「……気の早い祝砲が鳴り響いたぁぁぁ!」
『誰だ!?』
『マヤか!?』
『ブランだろ!』
『アルタユも来てるぞ!』
『グラスもいた!』
『全然見えなかった!』
八羽がゴール板を駆け抜ける。
遅れて巻き上がった白砂が、走路の向こうへ流れていく。
観客席では誰も座らない。
実況席の二人も立ったまま、今しがた八羽が通過したゴール板を見つめている。
ブランは速度を落とした。
肺が熱い。呼吸のたびに胸が大きく上下する。
最後の一歩へ叩き込んだ脚には、もう何も残っていない。
だが。
横にはまだ。
黄金がいる。
マヤもこちらを見た。
ほんの一瞬。
二羽の視線が交わる。
ブランは何も言わない。
マヤの黄金の嘴も、まだ笑ってはいない。
――写真判定中。
表示板を見上げる、前回と同じ。
また、二羽で答えを待つ。
長い、長い待ち時間。
競争場へ少しずつ音が戻ってくる。
『ブランだろ!』
『いやマヤだ!』
『アルタユじゃないのか!?』
『八羽全部並んでたぞ!』
観客たちが互いに違う名前を叫ぶ。
ゴール前の映像が表示板へ映し出されるたびに、歓声と悲鳴が交互に上がった。
ブランは、ただ結果を待つ。
あの引き金に、すべてを使った。
残したものは何もない。
だが。
獲った。
――表示板の文字が消えた。
観客のざわめきが、競争場の奥から奥へと引いていく。
実況席から息を吸い込む音。
「判定が出ました! 一着、マウラブライアン! 二着――」
『『『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』』』
二着の名が歓声に消える。
『ブランだぁぁぁぁ!!』
『狩人が獲ったぞ!』
『マヤを差したぁぁぁ!』
『二大飆脚、今度はブランだ!!』
黒き狩人の名が競争場を埋め尽くす。
それでもブランは翼を大きく広げない。
鳴き声も上げない。
表示板を一度だけ見上げる。
そして。
歩き出す。
すぐ横にいる黄金へ。
マヤの前を。
何事もなかったように静かに横切る。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで止まった。
嘴の端が。
ほんのわずかに上がった。
さっきまでと同じ。
派手な仕草はない。
けれど。
前回とは立っている場所が違う。
あの日。
黄金が先に表示板へ刻まれた。
今日は……。
マヤの黄金の羽根が、ぶわっと膨らんだ。
嘴が開く。
閉じる。
もう一度開く。
――"あぁぁぁ! 負けたぁ!"――
――"悔しい悔しいく〜や〜し〜い〜!"
黄金が地団駄を踏んでいる。
――"むぅぅぅ、次はぜっっったい、負けない!"
瞳が細くなる。
次。
そうだ、それでいい。
またその翼で飛ぶがいい。どこまでも。何度でも。
今日と同じように。
最後まで勝つか負けるか分からない場所まで。飛ぶがいい。
色褪せた世界にも、まだ黄金がある。
なら。
次も楽しめる。
ブランは再び前を向いた。
数万の歓声が降り注ぐ。
花火の煙が競争場の空へ薄く流れていく。
その中で。
深海の狩人は、ただ勝負の答えだけを置いた。
――"俺が獲った! それだけだ"――
(=゚ω゚)ノ お待たせしました。ブラン推しの方、おめでとうございます!
おみごと! マウラブライアン、型がなく予測不能でどこまでも自由な「黄金の翼」を執念の一撃が捉えました!
言葉で語るは無粋!といった感じのブランがカッコイイですね。