【完結】開幕!春の祭典、ジュノグランプリ 作:金髪ヒュムさん
潜竜の伏するがごとく、不撓不屈、堅忍質直の瞳。
波打ち際で、すべてを呑み込む潮流のお話。
最後の直線へ入ったとき、アルタユオペラオーの前には、すでに七羽が作り上げた巨大な壁があった。
「マヤノアトルガン先頭! マヤノ先頭! マヤノ先頭だッ!!」
先頭では比翼の片割れが、走路のどこにも縛られない自由な脚で前へ出る。定まった型を持たず、その瞬間に空いた場所へ迷いなく踏み込み、次の一歩ではもう別の場所へ移っている。
「ブライアンも迫ってくる! 迫ってくる!」
その傍には狩人。
周囲にどれほど多くの競走鳥がいようと、黒い一羽の意識は比翼の片割れから離れない。半歩動けば半歩追い、一歩逃げれば一歩詰め、射線が開けば躊躇なく嘴を差し込んでくる。
「鋭い矢が翼を掠めたッ! ブランがかわしたか?! このまま自由を撃ち落とせるのか?!」
狩人が踏み込む。
「いや、マヤノアトルガン! 一歩も引かないッ!」
比翼の片割れが押し返す。
黄金と黒の二羽は、互いの存在だけで走路を狭めながら先頭を争っていた。
ラオーはそこへ割り込もうとはしなかった。
まだ、その時ではない。
「外から大きな足音、バストゥークグラスだ!! グラスもきたッ! 大外から跳んできたッ!!」
大外から赤銅の巨体が迫る。
一歩ごとに白砂を深く穿ち、自らの重ささえ推進力へ変えながら前へ進む姿は、もはや走る競走鳥というより、大地から撃ち出された巨大な砲弾だった。
その砲弾の後方へ、ラオーは自ら黄金の巨体を寄せていた。
八羽の中でも大柄なラオーにとって、他鳥の後ろへ入ったところで身体の大半が風へ晒される。首を下げ、翼を畳んでもなお十分な空気の陰を作れる鳥体を持つのは、自分と並ぶほど大きなグラスくらいしかいない。
だから使う。
ラオーはグラスを抜こうとせず、その巨体が押し退けた空気の中へ自らを収め、正面から受ける抵抗を削りながら脚を温存していく。
だが、利用するのはその背中だけではない。
砲弾が外から飛んでくれば、その射線上にいる者は無視できない。
「スターオーまだ伸びる!!」
紫の一番星が脚を伸ばす。そのすぐ外へ、赤銅の圧力が迫っていた。
「サンデーサンドリア負けじと食い下がる!!」
漆黒の大彗星も引かない。
メテオもサリアも前を目指している。だからこそ、大外から接近するグラスへ不用意に進路を渡すことも、自らの走路を大きく変えることもできない。
ラオーはその二羽へ自分から仕掛ける必要がなかった。
グラスを前へ行かせればいい。
砲弾の巨体そのものが圧力となり、メテオとサリアの走れる範囲を削ってくれる。二羽がグラスへ意識を割けば、その分だけ前方の盤面は狭くなり、逆にグラスを無視して自らの走りを続けても、三羽の距離が詰まればそこには巨大な気流の壁が生まれる。
どちらでもよかった。
ラオーが必要としているのは、誰かを止めることではない。
七羽を、最後に自らが望む形へ置くことだった。
「一瞬たりとも気が抜けない好勝負!!」
先頭には比翼。
その後ろで厄介な風がメテオの背後へ潜り込み、紫の一番星が作る空気の道を借りている。
サリアは鋭くその横へ食い下がり、大外からグラスという砲弾が迫る。
さらに後方へ沈んだ蒼い一羽。
そして、そのすべての後ろに黄金の王者。
「アルタユオペラオーはまだ後ろ! まだ後ろだ! 進路がない!」
実況の言葉に間違いはなかった。
内にはビーナス。
外にはグラス。
前にはサリアとメテオ。
黄金の巨体をそのまま前へ通せるだけの幅など、どこにも存在しない。
だがラオーは、塞がれた自分の前だけを見ているわけではなかった。
グラスの肩越しにサリアとメテオの間隔を測り、そのさらに先では比翼の動きを見続ける。狩人が誰を追うのかなど考える必要もない。あれは比翼の片割れしか撃たない。ならば片割れが動けば、黒も必ず動く。
問題は、何が片割れを動かすか。
ラオーの意識が、鳥群のさらに内側へ向いた。
蒼。
先ほどまで確かにそこにいた。
ティルナノーグ。
姿を追えば見失う。足音を拾おうとしても、グラスや比翼が鳴らす激しい足音の中へ沈んでしまう。だが、姿が見えないことと、存在しないことは同じではない。
残された距離。
鳥群の密度。
前にいる比翼。
そして、ゴールまでの最短距離。
蒼い一羽がここから選ぶなら、外へ回る理由はない。
――内。
ラオーはそこだけを盤面から消さずに残した。
さらに内側には、もう一羽。
セルビナスカイ。
あれだけが厄介だった。
外へ出ると見れば残り、残ると見れば身体の向きを変え、こちらが半歩寄って進路へ圧を掛ければ、その圧そのものを嫌うのではなく、周囲の空気が変わったことへ反応して別の場所へ流れていく。
一度は右を潰した。
厄介な風は左へ揺れた。
ならば左も狭める。
ところが、次の瞬間にはどちらへも行かず、再びメテオの背後へ戻っている。
こちらの意図を読んでいるのかと疑った。
だが違う。
灰白の一羽は、ラオーを見ていない。
見ているのは、もっと別のものだ。
翼が押し出した空気。
巨体が引き寄せる流れ。
鳥と鳥の間を抜けていく、目には見えない何か。
――厄介な風だ。
次にどこへ行くのかを読むことはできまい。
おそらく、あの一羽自身は考えていない。感性のみで反応しているのだろう。
ならば思考を読むのは無駄だ。
ラオーはビーナスの行き先を盤面から外した。
代わりに見るのは、ビーナスが動いたことで変わる空気だけでいい。
灰白は読めなくとも。
風ならば、流れる方向がある。
「アルタユはこないのか!? アルタユはどうする?」
来ないのではない。
まだ、来る形ではない。
大外の砲弾はサリアとメテオへ圧を掛け続けている。比翼は先頭で互いを縛り、狩人は片割れから照準を外さない。厄介な風はメテオの後ろへ留まりながら、こちらの巨大な鳥体が作る流れに反応して小さく位置を変えている。
足りないのはあと一つ。
比翼を動かす先駆けが必要だ。
ラオーは笑みを浮かべる。常ならばアヤツがいた。無二の朋友であり、最大の強敵でもある。
――"ドトゥーリア。そなたならば動いたであろうな。"
「もう残り三百ヤルムしかありません!!」
だが、今ここに朋友はいない。時間もない。
だからといって、今ここで無理に割れば、グラスの風を捨て、サリアとメテオへ自分の存在を晒し、狩人へまでこちらの進出を意識させることになる。
それでは盤面が崩れる。
ラオーはグラスの背後から出ない。
前へ行きたいという本能を抑え込みながら、黄金の巨体を赤銅の空気の陰へ押し込めたまま、七羽の位置が自ら組み上げた形から外れないよう、一歩ずつ正確に脚を運ぶ。
そして。
「ティルナノーグもまだうし……いないッ、消えたッ! どこいったぁ!?」
来た。
観客席から悲鳴にも似た声が上がり、無数の視線が後方へ散っていく。
ラオーは振り返らない。
消えた場所を見る意味はない。
見るべき場所は、現れる場所だけだ。
――"どこかで見ているであろう、そなたの前で無様は晒せぬ。"
最内。
比翼の片割れの、さらに内。
そこへ蒼が入れば。
片割れは動く。片割れが動けば。狩人が撃つ。
そして二羽が動いた裏側が、自分の路になる。
「内だ! 内側からティルナノーグ! マヤノアトルガンのさらに内側から伸びてくる!」
「いったいどこから抜けてきた!?」
蒼い鳥体が現れた。
予想した位置。
ティルが最内を滑り、比翼の片割れへ並びかける。
マヤが反応した。
内から迫る蒼へ引かれるように、黄金色の鳥体がほんのわずか外へ膨らむ。
それだけで十分だった。
狩人が撃つ。
ブランはティルを追わない。
ラオーも追わない。
黒い一羽が見ているのは最後まで比翼の片割れだけであり、片割れが外へ一歩ずれたその瞬間、狩人も同じだけ外へ寄っていく。
二羽が一緒に動いた。
ラオーが待っていたのは、この形だった。
グラスという砲弾が外からサリアとメテオを押さえ、内ではティルが比翼の片割れを動かし、その片割れを狩人が撃つ。比翼が外へ膨らんだことで、これまで幾重にも重なっていた鳥群の中央から、一本だけ圧力の薄い線がゴール方向へ伸びた。
偶然ではない。
ティルを動かしたのはラオーではない。
マヤを直接動かしたのもラオーではない。
だが、蒼がどこへ出るかを残し、比翼の片割れがどう反応するかを見定め、狩人が誰を追うかを最初から切り捨てずに組み込んでいたからこそ、その一歩が動いた瞬間に、七羽の配置はラオーが待っていた形へ変わった。
――道は、最後に開く。
だが。
開いたのは、まだ入口だけだった。
残り百ヤルム。
『いけ……』
アルタユの装束を纏った人物が、手すりを握り締める。
『いけッ、ラオーッ!!』
ラオーはすぐには飛び出さない。
最後までグラスの背後で速度を乗せる。
赤銅の砲弾が押し退ける空気、その中心からほんのわずか内へ身体をずらしながら、先ほど開いた一本の線、その先でぶつかり始める七羽の気流までを一つにつなげていく。
グラスは外から押す。
サリアはその圧力の内側で、細く鋭く前へ斬り込む。
メテオの翼は背後へ長い流れを残し、その流れにはまだ厄介な風が乗っている。
比翼が外へずれたことで中央の圧がほどけ、ティルは最内へ空気をほとんど乱さず滑り込む。
そこへ、自分が入る。
巨大なラオーが中央へ出れば、今度は自らの鳥体が周囲の空気を引き寄せ、押し退け、七羽が作る流れの方向まで変える。
一本の進路だけを見ていたのではない。
ラオーが見ていたのは、その進路の先。
ゴール直前。
七羽が同じ一点へ向かって最大まで脚を伸ばせば、外から押す流れ、前へ抜ける流れ、内へ吸われる流れ、後ろから巻き込む流れが互いにぶつかる。
ぶつかれば、消える。
ほんの一瞬。
誰の風も存在しない場所ができる。
まだ、そこには何もない。
だが。
これまで自ら動かしてきた盤面が崩れなければ、必ず生まれる。
ラオーはその未来の一点を標的に定めた。
首が落ちる。
黄金の巨体が深く沈み、ここまで蓄えてきた力が両脚へ集まる。四肢を飾る純白の羽が一斉に後方へ流れ、グラスの背後で風を借り続けていた巨大な鳥体が、弓を限界まで引き絞ったように縮んだ。
これは、ただ前へ跳ぶための動きではない。
竜の跳躍は。
標的へ向けて放つもの。
狙うのはサリアでもない。
メテオでもない。
比翼でも。
ティルでも。
厄介な風ですらない。
ティルが比翼の片割れを動かし、その片割れを狩人が追ったことで生まれた、鳥群中央を貫く一本の路。
――そこだ。
黄金の脚が白砂を撃ち抜く。
グォン――!
押し潰された砂が円形に爆ぜ、グラスの背後へ収められていた黄金の巨体が、一瞬でその空気の陰から飛び出した。
跳躍。
高く舞うためではない。
標的へ喰らいつくため、黄金の身体そのものを前へ射出する低く長い一跳び。
赤銅の砲弾の横を抜け、開いた中央へ黄金が突き刺さった瞬間、これまでグラスの背後へ隠されていた巨大な気流まで一気に解き放たれ、鳥群の中を流れていた空気の形が大きく変わった。
『ラオーッ!!』
『来たッ!』
『王者が来るぞぉぉぉ!!』
その変化に。
厄介な風が反応する。
「ここでセルビナスカイ! ……スカイがきたッ、ここにきて再加速だッ! スリップストリームから抜け出した! まだ諦めていないぞぉ!」
ビーナスがメテオの背後から飛び出した。
予測した位置ではない。
だが構わない。
あの一羽の動きを当てる必要など、もうなかった。
厄介な風が動けば、そこに新しい空気の流れが生まれる。その流れまで含めて、自ら標的と定めた無空の一点へ収束させればいい。
黄金は止まらない。
「アルタユきたッ!」「届くのかッ?!」
一羽との距離が消える。
ここから先は、もうグラスの風を借りることもできない。正面から叩きつける空気を巨大な胸で受け、そのすべてを押し退けながら、ラオーは自ら作った線の上を一歩ごとに進んでいく。
「アルタユきたッ!」「ここからッ?!」
さらに一羽。
サリアの漆黒が迫る。
メテオの紫が迫る。
外には、ここまで利用してきた砲弾がまだ大地を蹴り続けている。
「アルタユきたッ!」「本当にッッ?!」
実況席の二人が同時に立ち上がった。
「「あの位置から届くのかぁぁぁぁ!!」」
届かせる。
ここまでの読みは、そのためにある。
比翼を争わせたことも。
狩人の執着を利用したことも。
グラスの巨体を盾とし、砲弾としてサリアとメテオへ押しつけたことも。
姿を失ったティルの出現位置を内へ絞ったことも。
厄介な風を読むことを諦め、その代わりに風そのものを読んだことも。
すべては、この最後の百ヤルムを、自分の力だけで奪いに行くため。
先頭では、なお比翼が競り続けている。
「譲らない! 譲らない! マヤノとブライアンがまったく譲らない!!」
比翼の片割れが自由に跳ねれば、狩人がその隙へ嘴を差し込む。内ラチ際では蒼いティルが誰にも捕まらないまま最短の線を滑り、外ではグラスが大地の反発を巨体へ集めてなお伸びている。
メテオも止まらない。
観客席から降り注ぐ子供たちの声を受け、紫の翼が最後の一歩まで前へ伸びる。
サリアの漆黒も研ぎ澄まされていく。
鞘の中で鳴り続けていたものが、いまにも抜き放たれようとしている。
厄介な風も、ラオーが巻き起こした巨大な流れの中でなお自分の走れる場所を探し続けていた。
誰一羽。
落ちない。
誰一羽。
譲らない。
「誰が抜ける! 誰が抜ける! 誰が抜けるんだッ!!」
十ヤルム。
八羽が一つの塊へ変わる。
比翼が前でぶつけ合う風。
砲弾が外から押し込む圧力。
サリアが切り裂く細い流れ。
メテオの翼が後ろへ残す風。
ティルが最内を抜けたことで生じるわずかな吸い込み。
厄介な風が、そのすべての間を縫って新しい流れを作る。
そして。
中央を突き進むラオー自身の巨大な気流。
ここまで意図して積み上げた盤面が、一つの地点へ向けて大きなうねりを生む。
「マヤが逃げ切るか?! ブランが差し切るか?!」
風が消えた。
外から押していた流れと、内へ引かれる流れ。
前へ抜けようとする空気と、後方から巻き上げられた圧力。
七羽が最大まで走ったことで生まれたすべての気流が、ラオーの描いた一点で互いを押し、引き、喰らい合い、ほんの一瞬だけ完全に釣り合う。
誰のものでもない。無空。
紫の翼が、ほんのわずかに揺れた。
――気づいたか。
一番星もまた強者。ここへ来てなお盤面を見るだけの余力を残している。
だが。
ラオーはメテオを見ない。確かめる必要などない。
そして。
もう一つ。
灰白の風が変わった。
これまで右へ左へ、何を考えているのか最後まで掴ませなかった厄介な風が、初めて迷いなく一つの場所へ向かおうとしている。
姿を見なくても分かった。
はっきりとした意識が流れてくる。
勝負を望む風。
――そうか。
来るか、我が路を。
ここまで積み上げた盤面が生んだ一点へ向け、両脚にはとうに跳躍の力が満ちている。あとは標的が完成する、その瞬間を待つだけだった。
ラオーはもう何も読まなかった。あとは王者が征服するのみ。
五ヤルム。
その瞬間。
七羽を使い、七羽の力を削ぐことなく、そのすべてが最大まで伸びた結果として一瞬だけ"力場"が生まれた。
「アルタユきたッ! グラスも伸びてくるッ! 一塊で突っ込んできたぁぁぁぁぁ!!」
灰白の翼が伸びる。
厄介な風が、自分自身の風を作って無空へ飛び込んでくる。
内からはティル。
前には比翼。
外から砲弾。
紫の一番星。
漆黒の大彗星。
七羽すべてが。
それぞれの勝利を携えたまま、同じ白い板へ届こうとしている。
その中央。
黄金の王者が、自ら作り出した路を走る。
もう工夫はいらない。
誰かを動かす必要もない。
風を借りる必要もない。
狩人の執着も。
比翼の動きも。
砲弾の巨体も。
蒼い一羽の最短路も。
厄介な風の気まぐれも。
すべて使い切った。
最後に残っているものは。
アルタユオペラオー自身だけ。
比翼が伸びる。
狩人が撃つ。
ティルが内から差す。
グラスが大地から撃ち出される。
メテオが声を力へ変える。
サリアが最後の刃を抜く。
厄介な風が、誰より早く見つけた無空へ自分の風を吹かせる。
全部来い。
七羽の勝利を。七羽の意志を。この一歩で。
奪い取る。
――"路は開いた。ワタシの勝ちだ"
黄金の巨体が、一息に前へ沈む。巨大な脚が白砂を捉え、全身へ蓄えた力がただ一点、ゴールへ向けて収束する。純白の飾り羽が大きく翻り、征服した路の先――七羽がなお譲らぬ最後の一線へ、頸木を断ち切る戴冠の一閃が揮われた。
黄金の嘴が伸びる。
隣で灰白の嘴が迫る。
内から蒼。
比翼の二羽。
赤銅。
紫。
漆黒。
八つの嘴が、ほとんど同時に白い線へ重なった。
それでも。
最後の最後。
黄金が。
ほんのわずか。
羽根一枚にも満たないほど。
前へ出た。
「大接戦だぁぁぁぁぁ―――」
―――ドゴォォォォーン!!
ゴール板の真上で、巨大な花火が爆ぜた。
「……気の早い祝砲が鳴り響いたぁぁぁ!」
赤、青、緑、黄金。
色とりどりの光が白砂へ降り注ぎ、その下を八羽がほとんど一つの塊となって駆け抜けていく。
比翼の片割れが残したようにも見える。
狩人の嘴が差し切ったようにも。
最内からティルが届いたようにも。
大外からグラスがすべてを押し込んだようにも。
メテオも。
サリアも。
ビーナスも。
そして。
黄金の王者も。
誰一羽として勝利を手放さないまま。
八羽は、ゴール板の向こうへ雪崩れ込んだ。
ゴールを越えた八羽は、そのまま長い直線の先へ駆け抜けていく。
速度を落とし始めても、競争場の熱だけは収まらなかった。
『誰だ!?』
『ラオーじゃないのか!?』
『いや、内だ! ティルが届いてる!』
『マヤだ!』
『ブランも出てたぞ!』
『全然わからん!』
「写真判定です! まだ勝者は分かりません! 皆さん、落ち着いて投票券はまだ捨てないでください!」
実況の声を背に、ラオーはゆっくりと歩調を落とした。
荒い呼吸に合わせ、黄金の胸が大きく上下する。
最後の百ヤルム。
温存してきた力を一滴残らず使い切った両脚には、確かな疲労が残っていた。
それでも、ゴール板を振り返ることはない。
走るべきところは走った。
あとは写真を見る者たちの仕事だ。
係員に導かれるまでもなく、ラオーは競争場を後にし、控室へと戻っていった。
控室には、一羽の競走鳥が待っていた。
ラオーにも劣らぬ堂々とした体躯。
静かに立っているだけだというのに、その視線には他者を退けるような強さがある。
ドトゥーリア。
ラオーが姿を見せると、その鋭い眼差しが黄金の巨体を上から下まで一度だけ確認した。
――"随分と手を焼いていたではないか"
開口一番。
労いでも、結果を気遣う言葉でもなかった。
ラオーは一瞬だけ目を細める。
そして、苦笑した。
――"……否定はできんな"
ドトゥーリアの嘴が、わずかに上がる。
――"出だしに様子を見るのは、貴様の悪い癖だな。さっさと蹴散らせば良いものを"
――"強者と相まみえたのだ。その力、見てみたくなるのは当然だろう?"
悪びれた様子もなく返し、ラオーは身体を休めるように静かに立った。
脳裏へ、先ほどまでの走路が浮かぶ。
自由に走路を跳ね回りながら、最後まで狩人を振り切ろうとした片割れ。
ただ一羽だけを見据え、どこまでも食らいついた黒い狩人。
大地を砲台へ変え、外からすべてを押し込んできた赤銅の巨体。
声を力へ変え、最後の一歩まで落ちなかった紫の一番星。
細く鋭く、最後の最後に刃を抜いた漆黒の大彗星。
姿すら定かにさせぬまま、最内を滑り抜けた蒼い幻影。
そして。
最後まで読み切ることのできなかった、灰白の風。
誰一羽として崩れなかった。
利用した。
動きを読んだ。
盤面へ組み込んだ。
だが、それで力を奪えた鳥など一羽もいない。
最後には七羽すべてが、それぞれの勝利を掴むために最大の脚を伸ばしてきた。
だからこそ。
最後の一歩は、自らの力だけで奪いにいった。
ラオーの口元へ、わずかな笑みが浮かぶ。
――よき勝負であった。
そのとき。
競争場のざわめきが、不意に小さくなった。
控室の外から聞こえていた幾重もの声が引いていく。
場内放送が響く。
「判定が出ました!」
一瞬の静寂。
「一着――アルタユオペラオー! 二着――」
その先は聞こえなかった。
『ウォォォォォォォォォォォッ!!』
巨大な歓声が競争場を揺らした。
アルタユの一角だけではない。
黄金の王者の名を叫ぶ声が、競争場のあちらこちらから湧き上がる。
『ラオーだ!』
『あそこから全部抜いたぞ!』
『王者だ! 黄金の王者だ!!』
『最後に持っていきやがったぁぁぁ!』
厚い壁を越え、控室の中にまで歓声が押し寄せてくる。
だが。
ドトゥーリアは騒がない。
当然のことを聞いたように、鼻を鳴らした。
――"当然の結果よ。この程度で躓いてもらっては、私が困る"
ラオーがドトゥーリアを見る。
その顔には祝福も、安堵もない。
あるのは、いつもと変わらぬ挑戦者の目。
その視線を受けながら、ラオーはもう一度だけ今日の勝負を思う。
七羽は強かった。
己もまた、その全力に王者として応えた。
策を尽くし。
力を尽くし。
最後には、七羽すべてが掴もうとした栄冠を自ら奪い取った。
恥じるところは何もない。
ならば。
もし今日。
あの七羽の中に。
無二の朋友にして、最大の強敵たるこの一羽がいたならば。
あの盤面は。
あの最後の一線は。
果たして、どのような形を見せていたのか。
ラオーは、ほんのわずかに目を細めた。
――"……いや、詮無き事だ。いずれわかる"
答えを想像する必要などない。
いずれ同じ走路へ立てばいい。
その時には。
どちらが強いか。自ずと答えは出る。
ラオーは顔を上げた。
控室の向こうでは、まだ黄金の王者を呼ぶ声が鳴り止まない。
七羽と争った走路。
声を枯らした観客。
競走鳥を送り出した者たち。
そして、この一戦そのもの。
すべてが今、勝者の帰還を待っている。
ラオーは純白の飾り羽を揺らし、歓声の待つ競争場へ向けて歩き出した。
戴冠を告げるためではない。
すでに栄冠は、その脚で奪い取った。
ならば今からすることは、一つだけ。
黄金の王者は堂々と胸を張る。
そして。
競争場のすべてへ告げた。
―― "さぁ、凱旋だ" ――
(=゚ω゚)ノ お待たせしました。ラオー推しの方、おめでとうございます!
王者の力を見せつけた残り100ヤルム、アルタユオペラオーの見事な勝利でした。
そして友でありライバルな謎の競走鳥!いったいナニモノなんだッ!?