本作だけでも面白いですが、前作『こよみミッドナイト』と合わせて読むと倍面白いので、ぜひ読んでいってください。
大幅に加筆修正したので再投稿です。
戦場ヶ原との電話を終えた僕は、夜の街に繰り出した。
寝静まった街は静寂に包まれており、僕の靴音だけが響いて、それが心地良い。
月明かりに照らされる道を行きつつ、ときどき顔を赤くし、ときどき頬を緩ませて……一人で百面相をしている様は、怪異も裸足で逃げ出す不審者っぷりだ。
まだまだ肌寒く感じる夜風も、今日ばかりは湯だった頭を冷やすのにはちょうど良かった。
戦場ヶ原のセリフを何度もリフレインしつつ、孤独を楽しんでいたところで、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「神原、こんなところで会うなんて奇遇じゃないか」
「む、その声は阿良々木先輩?一日の終わりに阿良々木先輩とお会いできるとは、今日という日は実に贅沢な幕引きだ。だが、寧ろ阿良々木先輩こそどうしてこんな所に……って、そうか、先輩のご自宅はこの辺りだったな」
「ああ、目が冴えてしまってな。せっかくだから優雅に散歩でも洒落こもうと思ったんだ。で、お前の方は……ランニングの帰りか?」
「流石は阿良々木先輩だ。シャーロック・ホームズも舌を巻く慧眼だな。仰る通り、クールダウンも兼ねて歩いて帰る途中だったのだ。というのも……」
まあ、そうだろうな、という格好だった。
半袖ハーフパンツに、ランニングシューズ。若干汗ばんでいる様子だし、違ったら吃驚するところだ。
問題は、なぜこんなにも遅い時間に、というところだが……
先程の戦場ヶ原との電話で、ヒントというか答えを得ていた僕は得意げに神原の言葉を遮った。
「まてまて、当ててやろう。普段はもう少し早い時間にトレーニングしているお前がなぜこんな夜更けに、だろう?ズバリ、コーヒーを飲んで眠れない、だ」
「阿良々木先輩にかかればこの私など、人体解剖図の如く一片の秘密も残らないのだろうな。私としては今すぐ兜どころか衣服まで脱ぎ捨て、先輩への敬意を示したいところだ」
当たりらしい。
ちょっとズルいかな、と思わなくもないが、最近どうにも舐められがちなので、威厳を示すためなら手段を選んでいられない。
「どうだ、お見通しだろう」
思わず気分を良くした僕だったが、
「うん、まあ、全然違うのだが」
「違うのかよ!」
次の一言で完璧に地に叩き落とされた。
なんだったんだよ、さっきの持ち上げっぷりは。ロッククライミングの最中に命綱を外された気分だ。
あれだけ祭り上げられてから否定されると、普通に外すより何倍も恥ずかしい。
嫌がらせなら100点満点の手腕だが、こいつはこれを天然でやっているのだから恐れ入る。
戦場ヶ原とはまた違った方向で気が抜けないのだから、まったくタチが悪い後輩である。
「秘蔵の愛読書を嗜んでいたら身体が火照ってしまってな、走って鎮めていたのだ」
「あけっぴろげにするな、そんな話」
「まさか、阿良々木先輩に隠し事をするなど忠臣が主君を欺くにも等しい不忠だ」
事情だか痴情だか知らないが、後輩のそんな話なんか聞きたくない。
夢を見ていたつもりはないけれど、お前といい、戦場ヶ原といい、尽く女性への憧れを壊してくれるな……
この先輩にしてこの後輩あり、仲が良くて何よりだよ本当に。
痴女だろうがなんだろうが、忠臣なら僕の気持ちを慮ってくれ。
恥じらいを持て、恥じらいを。
「──ともかく、そういう事なら丁度良かった。せっかくだから送っていくよ」
話が乗ってきたところだが、突っ立っているのもなんだしな。送るついでに、もう少し歩くとしよう。一石二鳥というやつだ。
デリカシーの無さは置いといて、可愛い後輩、それも女性をこの夜道に一人で帰らせるなんて阿良々木暦の名が廃る。
……多分、神原のほうが強いのは置いておくとして。
最近は忍に血を飲ませていないし、僕の吸血鬼性といえば、切り傷がすぐに治るくらいまでには落ちている。本気でやり合えば左腕を使うまでもなく僕が負けるだろうが、まあそれはそれ、これはこれ。
このまま「ハイ、サヨウナラ」は紳士としてどうなのかという話だ。
「なんと慈悲深い。衆生済度の志とは、阿良々木先輩のためにあるような言葉だな」
「要するに菩薩って言いたいのか?夜道を送るくらいで大袈裟なやつだ」
以前から思っていたが、やっぱりこの後輩、僕を買い被り過ぎるきらいがある。神原とはそれなりに気安い関係を築けているとは思うが、どうにもむず痒い。
本心で言っているのはわかっているが、それだけに器の小さい僕では持て余してしまう。
近いうちに、僕の情けなさっぷりを余すことなく見せつけてやる必要があるな。
いや、ついさっきも見せたばっかりだが……
とまあ、そんなこんなで、ようやく神原家に向かって歩みを進めるのだった。
「──私の事情はそんなところだが、阿良々木先輩こそどうしたというのだ」
歩き出したのも束の間、そう言ってこちらを窺う神原の表情は、少し真面目なものだった。
……そうか、僕が『眠れない』と言うと、そういった文脈を帯びるのか。 これは失態だったな。要らない心配をかけてしまったようだ。
「いや、お前が心配するような話じゃないよ。単に戦場ヶ原と電話してたら機を逃したってだけだ」
重くなりかけた空気を払拭すべく、雑談のあらましを語って聞かせた。
もちろん、オチは伏せたが。 別に話してもよかったが、戦場ヶ原が恥ずかしがるだろうからな……
断じて、僕が恥ずかしいからではない。
「なるほど、それでコーヒー、か。推理を外すなどらしくないと思ったが、そういう背景があったのだな」
「そんなわけで、お前の話題も出たりしたんだが、正直、お前がコーヒーを趣味にしてるなんて意外だったよ」
「ははは、そうだろうな。私も我がことながら、らしくないと思っているぞ」
「ふうん、そうなのか。──それでも続けたのは、やっぱり戦場ヶ原の?」
以前、らしくないと言っていた、天体観測と同じく。
「そうだな。戦場ヶ原先輩の言う通り、始まりは喫茶店めぐりに誘って貰ったことだ」
「まあ、戦場ヶ原先輩は飽きっぽいから、結局数回行ったきりだったが」
「他にも気移りする度にあれこれ誘われたものの、結局長続きしなくてな。当時の私は、なんだこの人とか思ったりしたものだ」
やれやれ、とでも言いたげな口ぶりだが、言葉の裏には喜びの感情が透けて見えている。
きっと、大切な思い出なのだろう。
「コーヒーに限らず、戦場ヶ原先輩は私の世界を広げてくれた偉大なる先輩なのだ」
「もちろん、当時からバスケは楽しんでいたのだがな、やはりどうしても強迫観念が付いて回っていたことは否めなかった。そんな折に、私に新たな趣味との出会いをくれた──当然、戦場ヶ原先輩にそんな意図などなかったことは承知しているが、それでも感謝の念は絶えない」
「…………」
「それに、戦場ヶ原先輩がいなければ、百合も薔薇も知ることはなかったのだからな」
「感動を返してくれ」
この上ない蛇足だった。
いい話だったのに、なぜオチをつけようとするんだ。せっかく柄にもなく、『友情っていいな』などと感傷に浸っていたというのに……
余韻が台無しだ。僕のこの行き場のない感情はどうすればいいんだよ。
百合と薔薇って、要はGLとBLだろうが。なんでコーヒーと同列に並べてやがる。
カテゴリがおかしいだろうが。お前の部屋じゃないんだぞ。
世界だけ広げてくれればよかったものを、余計な扉まで開いてしまったらしい。
「何を言うか。世界の半分は異性なのだから、とはよく言われる言説だが、裏を返せば半数は同性ということなのだぞ。そちらに興味を向けないのは勿体ないにも程があるだろう」
「僕はノーマルで十分だ」
「食わず嫌いは良くないな。以前も話したが、私とて元は文学少女だったのだぞ。切っ掛けがどうであれ、身体を動かす楽しさを知れたのは僥倖だったと思う」
住めば都、ということだろうか。
……理屈はわかるけどさあ。
戦場ヶ原との思い出とか、今の神原を形作ったものと、百合や薔薇を同じ棚に並べてほしくないんだけど。なんというか、ネタに走ったように聞こえてしまう気がする。
──いや、本人がそれでいいなら、僕がとやかく言う問題ではあるまい。
神原は、そういうものまで含めて大切にするやつなのだから。
それよりも、もうひとつの疑問を解消する方が先決だ。
「そういえば、戦場ヶ原が抑えていないジャンルも読んでいるんだったな。お爺ちゃんかお婆ちゃんが相当な読書家なのか?」
ちょくちょく世話になっている二人を思い浮かべる。
あの二人なら文学好きでも不思議じゃないと思ったのだが──
「二人の影響もないではないのだが、大半は母だろうな。私の部屋の蔵書の殆どは母が遺したものだ」
──迂闊だったらしい。
神原の家庭事情を思えば、そういった答えが返ってくることも想定できそうなものだった。
次の一手を考えるべくチラリと横顔を見るが、気負った様子はない。神原からしてみれば、腫れ物に触るような扱いをされる方が迷惑なのかもしれない。
だから僕は、
「お母さんが、ね。遺伝というやつなのか?」
と、普通に続けることにした。まあ、間違いではないだろう。
「どうだろうな。今も昔も読書は好きだが、外遊びに馴染めなかったから、家にあった本を読んでいた、という側面も無きにしも非ずなのだ。だから遺伝かと問われると答えに窮するな」
「あの戦場ヶ原ですら未読の作品を抵抗なく受け入れていた時点で、素質ありだと思うけれど」
「そうだな。私の部屋のラインナップからして、母が変わり者だったことは間違いない。口癖──座右の銘と言ってもいいか。どちらにせよ年端もいかない子供に言って聞かせるには少々強い言葉だった」
「『薬になれなきゃ毒になれ。でなきゃあんたはただの水だ』と。今となっては真意もわからないがな」
「神原──」
どう反応していいかわからず、掛ける言葉を探していた僕だったが、再び口を開いたところで神原の家に着いてしまった。
「送ってくれてありがとう、阿良々木先輩。折角だから、お礼も兼ねてコーヒーを貰っていってくれないか」
「いいのか?」
戦場ヶ原曰く、高級ではなく高品質らしいが、それでも相応の値段がするとも言っていた。ちょっと送っていったくらいで貰うのは気が引けてしまう。
「遠慮はいらん。私とて貰い物なのだ。この間お爺ちゃんが本家に顔を出したときに持って帰ってきてな。やたらと量があるから私だけだと悪くしてしまうのだ」
なるほど、そういう事情もあるのか。
祖父母の二人は飲まないらしいし、固辞するのも逆に悪いだろう。
「そうか、なら遠慮なく頂くとするよ」
そう言うと、神原は顔を綻ばせた。
早速、明日のティータイムにでも淹れるとしよう。
「直ぐに持ってくる。少し待っていてくれ」
程なくして、小袋を抱えて戻ってきた。
「ブラジル産だ。本当なら戦場ヶ原先輩と同じイルガチェフェを勧めたいところだが、阿良々木先輩はあまりコーヒーを嗜まれないみたいだからな。最初から奇抜なのもどうかと思って、勝手ながらオーソドックスなものにしてみた。味は保証するぞ」
細かいところで心配りが光る。
こういった部分は、素直に見習いたいものだ。
「ありがとう、神原。感想はまた明日」
礼を言って背を向けたところで、神原の独り言が耳に入った。
「ふむ、それにしても阿良々木先輩をこうも夜更かしさせるとは、戦場ヶ原先輩の作戦も上手くいったのだな」
……この後輩、とても気になることを言っていないか?
背を向けたばかりだが、これは聞き流して帰れない。未処理の爆弾を放置できるほど、僕の肝は据わっていないのだ。
「なにが?」
「いやなに、大したことではないのだがな。つい先日、『阿良々木くんと長電話してみたいのだけれど、どうすればいいかしら』などと相談を受けたものだから、戦場ヶ原先輩も随分と丸くなったのだなと」
「……」
「それで、丁度コーヒーを持て余していたから、コーヒーを口実にすればいいのではないかと提案をしたら、『流石は神原ね、採用よ』と浮ついていてな」
「…………」
「正直言って失敗すると思っていたのだが、杞憂だったようで何よりだ」
「……………………」
数秒、遅れて理解した。そして──
──はあああ!?知ってたのかよ!!
思いっきり羞恥に悶えることになった。
というか、神原、お前仕掛人側だったのかよ!さっき雑談の内容ぼかした意味ないじゃねーか!
そうだよな、初デートでキスしたことも全っ部筒抜けだったもんな!この二人がツーカーなの忘れてたわ!!
今日だけで、僕はいったい何回恥をかいた? 戦場ヶ原の前でも、神原の前でもイキって、カッコつけて、恥を上塗りすぎてもはやミルフィーユになってるだろ。
穴があったら入りたい──どころか、恥ずかしさのあまりブラジルまで一直線に掘り進めたい気分だった。
頭を抱える僕を傍目に、神原は呑気に欠伸を噛み殺していた。
「というわけなんだ、阿良々木先輩。改めてありがとう。それではおやすみ。良い夜を」