低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
地下水道の仕事を終えた翌朝。
ロックは『古代王国の扉』亭の食堂で、冷めかけたスープを前に考え込んでいた。
仕事は終わった。
遺跡から運び出した武具も、すべて盗賊ギルドへ引き渡した。
金も手に入った。
だが、不思議なことに気持ちは浮ついていない。
むしろ、以前より考えることが増えていた。
「食わないのか?」
亭主が声を掛けてくる。
「食べます」
「さっきから匙を持ったまま動いてないぞ」
ロックはスープを一口飲んだ。
ぬるい。
味は悪くないが、考え事をしながら食べるものではなかった。
「金が入ると、何を買えばいいのか分からなくなりますね」
亭主は鼻で笑った。
「金がなければ欲しい物はいくらでも思いつく。金ができると、急に惜しくなる」
「そんなものですか」
「そんなものだ」
亭主は卓を拭きながら続けた。
「使わない金は役に立たん。考えずに使う金はもっと役に立たん」
ロックは匙を置いた。
「じゃあ、どうすればいいです?」
「死なないために使え」
短い答えだった。
だが、それ以上に分かりやすい答えもなかった。
◇ ◇ ◇
朝食を終えたロックは、自分の荷物をすべて寝台の上へ並べた。
剣。
革鎧。
投石紐。
小刀。
火口箱。
縄。
水袋。
油。
携帯食。
どれも使える。
どれも必要だ。
だが、十分かと問われれば違う。
地下水道では、水に濡れた縄が重くなった。
灯りが消えれば、片手が塞がった。
傷薬は持っていたが、取り出すまでに手間取る場所へ入れていた。
荷物を増やせばいいわけではない。
どこへ何を入れるか。
どの順番で使うか。
戦う前に考えておかなければならない。
ロックは荷袋の中身を入れ替えた。
よく使う物は、手を伸ばせば届く場所へ。
濡れて困る物は、油紙で包む。
音の出る物は布を挟む。
縄は一まとめにせず、短く切った物も用意する。
両手を使わずに灯りを持つ方法も必要だった。
「買い物の前に、無駄を減らす方が先か」
誰に聞かせるでもなく呟く。
新しい道具を買っても、扱えなければ荷物になる。
高価な武器を持っても、振るう場面を間違えれば死ぬ。
金で買えるのは道具だけだ。
道具を使う判断までは買えない。
◇ ◇ ◇
昼前。
ロックは王都の職人街を歩いていた。
目当ては武器屋ではない。
革細工師の店だった。
店内には鞄や靴、帯、鞘が並んでいる。
ロックは荷袋を卓へ置いた。
「直せますか?」
職人は荷袋を手に取り、縫い目を確かめた。
「壊れてはいないな」
「使いやすくしたいんです」
「どうしたい?」
ロックは、自分が地下で困ったことを一つずつ説明した。
縄をすぐに出したい。
小物が袋の底へ沈む。
歩くと中身が動く。
片手だけでも道具を取れるようにしたい。
職人は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「新しい物を買うより、こっちを直した方がいい」
「できますか?」
「できる。外側に小袋を付ける。中に仕切りも入れる。肩紐も替えよう」
職人は荷袋を裏返した。
「ただし、何でも付ければいいわけじゃない。引っ掛かる場所が増える」
「地下では困りますね」
「分かってるじゃないか」
職人は少し笑った。
「数日預かる」
「お願いします」
店を出た時、ロックの手元には引換札だけが残った。
新しい武器を買った時ほどの高揚はない。
だが、次の探索では確実に役立つ。
そういう買い物だった。
◇ ◇ ◇
次に向かったのは、盗賊ギルドの地下区画だった。
ヨアヒムは相変わらず帳簿に囲まれている。
「宝石の用意ができた」
卓の上へ、小さな木箱が置かれた。
中には布で包まれた石が幾つか入っている。
派手な首飾りでもなければ、指輪でもない。
加工前の宝石だった。
「思っていたより小さいですね」
「価値を持ち運ぶための物だ。大きさを喜ぶものじゃない」
ヨアヒムは一つずつ取り出した。
「これは王都なら売りやすい。こっちは商人相手。これは国を出る時にも値崩れしにくい」
「全部同じ宝石じゃないんですか?」
「全部同じ物へ替えたら、相場が崩れた時に困る」
ロックは箱の中を見る。
色も形も違う。
ただ小さく軽いだけではない。
売る場所まで考えて選ばれている。
「宿へ預けた金も、そのままでいいのか?」
ヨアヒムが尋ねた。
「しばらくは」
「預けているだけでも金は減るぞ」
「分かっています」
預け料は安くない。
だが、今すぐ大金を使う予定もなかった。
「次の探索に必要な物を揃えたら、残りは考えます」
「何を買う?」
「まだ決めてません」
「金を持つと、急に剣が欲しくなる奴が多い」
「今の剣で困っていません」
「鎧は?」
「今の方が動きやすいです」
ヨアヒムは口元を緩めた。
「なら、しばらくは死なないな」
「買わない方がいいんですか?」
「必要なら買え。欲しいだけなら待て」
ロックは木箱を受け取った。
腰の革袋へは入れない。
服の内側に縫い付けた小袋へ、一つずつ分けて収める。
全部を同じ場所へ入れない。
それも、ヨアヒムから教わったことだった。
◇ ◇ ◇
夕方。
ロックは地下水道へは行かず、王都の外壁近くにある空き地へ向かった。
狩人へ弟子入りしていた頃、よく弓や投石の練習をした場所だ。
枯れ木へ布切れを結び、目印にする。
まず石を投げた。
外れた。
次も外れた。
三度目で布切れの下へ当たった。
遺跡で竜牙兵を倒したからといって、急に腕が上がるわけではない。
相手の動きを利用した。
地形を利用した。
罠へ掛けた。
あれは勝ったのではなく、勝てる形へ持ち込んだのだ。
それでも最後には、自分の手で仕留めなければならない。
ロックは石を拾い直した。
右手で投げる。
左手でも投げる。
距離を変える。
姿勢を変える。
狙う場所を変える。
日が傾いても続けた。
次に遺跡へ入った時、同じ状況になる保証はない。
黒い扉の向こうに何がいるのかも分からない。
だから、できることを増やす。
道具を整える。
金を分ける。
体を動かす。
危険を想像する。
どれも地味だった。
だが、地味な準備を積み重ねた先にしか、生きて戻る道はない。
最後に投げた石が、布切れの結び目へ当たった。
乾いた音が響く。
ロックはそこで練習を終えた。
王都の向こうで、夕日が沈み始めている。
明日も準備をする。
遺跡へ戻るのは、その後だ。
金を得たからこそ、急がない。
それが今のロックにできる、最も贅沢な使い方だった。
今後も、成長は訓練、判断、道具の扱い、人脈の変化として本文へ反映します。