低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第10話 金で買えるもの

 地下水道の仕事を終えた翌朝。

 

 ロックは『古代王国の扉』亭の食堂で、冷めかけたスープを前に考え込んでいた。

 

 仕事は終わった。

 

 遺跡から運び出した武具も、すべて盗賊ギルドへ引き渡した。

 

 金も手に入った。

 

 だが、不思議なことに気持ちは浮ついていない。

 

 むしろ、以前より考えることが増えていた。

 

「食わないのか?」

 

 亭主が声を掛けてくる。

 

「食べます」

 

「さっきから匙を持ったまま動いてないぞ」

 

 ロックはスープを一口飲んだ。

 

 ぬるい。

 

 味は悪くないが、考え事をしながら食べるものではなかった。

 

「金が入ると、何を買えばいいのか分からなくなりますね」

 

 亭主は鼻で笑った。

 

「金がなければ欲しい物はいくらでも思いつく。金ができると、急に惜しくなる」

 

「そんなものですか」

 

「そんなものだ」

 

 亭主は卓を拭きながら続けた。

 

「使わない金は役に立たん。考えずに使う金はもっと役に立たん」

 

 ロックは匙を置いた。

 

「じゃあ、どうすればいいです?」

 

「死なないために使え」

 

 短い答えだった。

 

 だが、それ以上に分かりやすい答えもなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 朝食を終えたロックは、自分の荷物をすべて寝台の上へ並べた。

 

 剣。

 

 革鎧。

 

 投石紐。

 

 小刀。

 

 火口箱。

 

 縄。

 

 水袋。

 

 油。

 

 携帯食。

 

 どれも使える。

 

 どれも必要だ。

 

 だが、十分かと問われれば違う。

 

 地下水道では、水に濡れた縄が重くなった。

 

 灯りが消えれば、片手が塞がった。

 

 傷薬は持っていたが、取り出すまでに手間取る場所へ入れていた。

 

 荷物を増やせばいいわけではない。

 

 どこへ何を入れるか。

 

 どの順番で使うか。

 

 戦う前に考えておかなければならない。

 

 ロックは荷袋の中身を入れ替えた。

 

 よく使う物は、手を伸ばせば届く場所へ。

 

 濡れて困る物は、油紙で包む。

 

 音の出る物は布を挟む。

 

 縄は一まとめにせず、短く切った物も用意する。

 

 両手を使わずに灯りを持つ方法も必要だった。

 

「買い物の前に、無駄を減らす方が先か」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 新しい道具を買っても、扱えなければ荷物になる。

 

 高価な武器を持っても、振るう場面を間違えれば死ぬ。

 

 金で買えるのは道具だけだ。

 

 道具を使う判断までは買えない。

 

◇ ◇ ◇

 

 昼前。

 

 ロックは王都の職人街を歩いていた。

 

 目当ては武器屋ではない。

 

 革細工師の店だった。

 

 店内には鞄や靴、帯、鞘が並んでいる。

 

 ロックは荷袋を卓へ置いた。

 

「直せますか?」

 

 職人は荷袋を手に取り、縫い目を確かめた。

 

「壊れてはいないな」

 

「使いやすくしたいんです」

 

「どうしたい?」

 

 ロックは、自分が地下で困ったことを一つずつ説明した。

 

 縄をすぐに出したい。

 

 小物が袋の底へ沈む。

 

 歩くと中身が動く。

 

 片手だけでも道具を取れるようにしたい。

 

 職人は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。

 

「新しい物を買うより、こっちを直した方がいい」

 

「できますか?」

 

「できる。外側に小袋を付ける。中に仕切りも入れる。肩紐も替えよう」

 

 職人は荷袋を裏返した。

 

「ただし、何でも付ければいいわけじゃない。引っ掛かる場所が増える」

 

「地下では困りますね」

 

「分かってるじゃないか」

 

 職人は少し笑った。

 

「数日預かる」

 

「お願いします」

 

 店を出た時、ロックの手元には引換札だけが残った。

 

 新しい武器を買った時ほどの高揚はない。

 

 だが、次の探索では確実に役立つ。

 

 そういう買い物だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 次に向かったのは、盗賊ギルドの地下区画だった。

 

 ヨアヒムは相変わらず帳簿に囲まれている。

 

「宝石の用意ができた」

 

 卓の上へ、小さな木箱が置かれた。

 

 中には布で包まれた石が幾つか入っている。

 

 派手な首飾りでもなければ、指輪でもない。

 

 加工前の宝石だった。

 

「思っていたより小さいですね」

 

「価値を持ち運ぶための物だ。大きさを喜ぶものじゃない」

 

 ヨアヒムは一つずつ取り出した。

 

「これは王都なら売りやすい。こっちは商人相手。これは国を出る時にも値崩れしにくい」

 

「全部同じ宝石じゃないんですか?」

 

「全部同じ物へ替えたら、相場が崩れた時に困る」

 

 ロックは箱の中を見る。

 

 色も形も違う。

 

 ただ小さく軽いだけではない。

 

 売る場所まで考えて選ばれている。

 

「宿へ預けた金も、そのままでいいのか?」

 

 ヨアヒムが尋ねた。

 

「しばらくは」

 

「預けているだけでも金は減るぞ」

 

「分かっています」

 

 預け料は安くない。

 

 だが、今すぐ大金を使う予定もなかった。

 

「次の探索に必要な物を揃えたら、残りは考えます」

 

「何を買う?」

 

「まだ決めてません」

 

「金を持つと、急に剣が欲しくなる奴が多い」

 

「今の剣で困っていません」

 

「鎧は?」

 

「今の方が動きやすいです」

 

 ヨアヒムは口元を緩めた。

 

「なら、しばらくは死なないな」

 

「買わない方がいいんですか?」

 

「必要なら買え。欲しいだけなら待て」

 

 ロックは木箱を受け取った。

 

 腰の革袋へは入れない。

 

 服の内側に縫い付けた小袋へ、一つずつ分けて収める。

 

 全部を同じ場所へ入れない。

 

 それも、ヨアヒムから教わったことだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夕方。

 

 ロックは地下水道へは行かず、王都の外壁近くにある空き地へ向かった。

 

 狩人へ弟子入りしていた頃、よく弓や投石の練習をした場所だ。

 

 枯れ木へ布切れを結び、目印にする。

 

 まず石を投げた。

 

 外れた。

 

 次も外れた。

 

 三度目で布切れの下へ当たった。

 

 遺跡で竜牙兵を倒したからといって、急に腕が上がるわけではない。

 

 相手の動きを利用した。

 

 地形を利用した。

 

 罠へ掛けた。

 

 あれは勝ったのではなく、勝てる形へ持ち込んだのだ。

 

 それでも最後には、自分の手で仕留めなければならない。

 

 ロックは石を拾い直した。

 

 右手で投げる。

 

 左手でも投げる。

 

 距離を変える。

 

 姿勢を変える。

 

 狙う場所を変える。

 

 日が傾いても続けた。

 

 次に遺跡へ入った時、同じ状況になる保証はない。

 

 黒い扉の向こうに何がいるのかも分からない。

 

 だから、できることを増やす。

 

 道具を整える。

 

 金を分ける。

 

 体を動かす。

 

 危険を想像する。

 

 どれも地味だった。

 

 だが、地味な準備を積み重ねた先にしか、生きて戻る道はない。

 

 最後に投げた石が、布切れの結び目へ当たった。

 

 乾いた音が響く。

 

 ロックはそこで練習を終えた。

 

 王都の向こうで、夕日が沈み始めている。

 

 明日も準備をする。

 

 遺跡へ戻るのは、その後だ。

 

 金を得たからこそ、急がない。

 

 それが今のロックにできる、最も贅沢な使い方だった。

 

今後も、成長は訓練、判断、道具の扱い、人脈の変化として本文へ反映します。

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