低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第95話 歯の裏側

 保守通路は、緩やかに上っていた。

 

 ロックは、壁の低い位置へ残された文字を拾いながら進んだ。

 

 何度も曲がる。

 

 途中には、閉ざされた扉もあった。

 

 取っ手へ触れず、その前を通り過ぎる。

 

 調べたい気持ちはある。

 

 だが、今は帰り道を探している。

 

 知らない部屋を一つ開けるたびに、その中から戻る道まで考えなければならなくなる。

 

 まず、外へ出る。

 

 ロックは肩紐を握り直した。

 

     ◇

 

 壁の奥から聞こえていた音が、少しずつ遠ざかっていた。

 

 代わりに、自分の靴音がはっきりと返ってくる。

 

 角を曲がったところで、頬へ冷たいものが触れた。

 

 風だった。

 

 ロックは止まった。

 

 灯りを持つ手を下げ、顔を上げる。

 

 通路の奥から、空気が動いている。

 

 外へ近づいたのか。

 

 別の広い場所へ繋がっているだけか。

 

 それでも、今までにはなかった変化だった。

 

 ロックは歩幅を小さくした。

 

 出口が近いと思った時ほど、足元を見なくなる。

 

 崩れた床で、もう十分に思い知っていた。

 

     ◇

 

 通路の突き当たりに、上りの段があった。

 

 階段というより、壁へ沿って刻まれた足掛かりに近い。

 

 両側には、握るための窪みが並んでいる。

 

 ロックは鞄を身体へ寄せた。

 

 先に棒を差し入れ、上を確かめる。

 

 天井には、四角い板が嵌まっていた。

 

 板の端から、細く空気が流れ込んでいる。

 

 取っ手はない。

 

 代わりに、足掛かりの横へ短い梃子が突き出していた。

 

 ロックは、すぐには動かさなかった。

 

 根元を見る。

 

 梃子から伸びた金属の棒が、壁の溝へ入り、頭上の板へ続いている。

 

 床を動かしていた設備の音とは繋がっていないようだった。

 

 板を開くための物だろう。

 

 そう考え、周囲の文字を探した。

 

 非常開口。

 

 その下に、開く方向が刻まれている。

 

 ロックは梃子を握った。

 

     ◇

 

 動かなかった。

 

 少し力を加える。

 

 根元で、細かな錆が落ちた。

 

 ロックは手を止めた。

 

 折ってしまえば、出口らしい場所の下で立ち尽くすことになる。

 

 道具袋を開き、金属の棒が動く隙間から、固まった汚れを取り除く。

 

 指の届かないところは、細い道具を使った。

 

 それから、梃子を押す。

 

 僅かに動いた。

 

 戻す。

 

 もう一度。

 

 少しずつ、動く幅を増やす。

 

 頭上で、何かが擦れた。

 

 ロックは足掛かりから離れた。

 

 板の縁から、砂と埃が降ってくる。

 

 やがて、四角い板が傾いた。

 

 冷たい空気が、顔へ流れ込んだ。

 

     ◇

 

 開いた隙間の向こうは、暗かった。

 

 ロックは灯りを先へ出した。

 

 石の壁。

 

 すぐ近くに、大きな曲面がある。

 

 何なのか、初めは分からなかった。

 

 もう少し上がり、横を覗く。

 

 その向こうに、見覚えのある空間が広がっていた。

 

 巨大な「口」。

 

 自分が通ってきた入口だ。

 

 目の前の曲面は、歯の裏側だった。

 

「……こんなところに」

 

 声が漏れた。

 

 正面から入った時には、歯と歯の間や、その奥ばかり見ていた。

 

 壁際の高い位置にある開口部は、石の陰へ隠れている。

 

 こちらから灯りを出さなければ、下から見上げても気づきにくかった。

 

 ロックは足場を確かめ、外へ身体を出した。

 

     ◇

 

 細い段が、歯の裏側へ沿って続いていた。

 

 入口の床よりは高い。

 

 しかし、降りられない高さではない。

 

 縄を掛けるためらしい石の穴もある。

 

 ロックは棒で内側を探り、欠けや動きがないか確かめた。

 

 縄を通す。

 

 引く。

 

 身体を預ける。

 

 今度は、降りる先が見えていた。

 

 乾いた石の床。

 

 登ってくる生き物も、流れる液体もない。

 

 ロックは静かに足を下ろした。

 

 靴底が床へついた時、ようやく息を吐いた。

 

     ◇

 

 すぐには、座らなかった。

 

 入口の外まで戻り、周囲を確かめる。

 

 それから、荷物を下ろした。

 

 肩が痛い。

 

 落ちた時に擦った部分だ。

 

 服を少しずらすと、皮膚が赤くなっていた。

 

 傷は深くない。

 

 腕も動く。

 

 ロックは手当てを済ませ、水を飲んだ。

 

 飲み込んでから、手の震えが収まっていることに気づいた。

 

 帰ってきた。

 

 そう思えたのは、それからだった。

 

     ◇

 

 手帳を膝へ広げる。

 

 最初に描いた下り坂の図へ、今日通った道を加えた。

 

 広い部屋の壁沿いにある段。

 

 保守通路の入口。

 

 崩れた床。

 

 その下の排液路と、点検扉。

 

 さらに、反対側へ上がる階段。

 

 最後に、歯の裏へ出る通路を繋ぐ。

 

 書き終えると、ロックは指で線を辿った。

 

 次も、同じところから入る必要はない。

 

 壁を登る生き物へ肉を食わせ、足場を渡り、錠を開ける。

 

 その手順を、毎回繰り返さずに済む。

 

 歯の裏から入れば、保守通路へ直接出られる。

 

 崩れた床の、向こう側へ。

 

 ロックは図の一角へ、丸をつけた。

 

 ここが、次の入口になる。

 

     ◇

 

 頭上の開口部を見上げた。

 

 縄は、まだ下がっている。

 

 残しておけば、誰かに気づかれるかもしれない。

 

 魔物に触られることもある。

 

 ロックは縄を回収した。

 

 次に使う分を確かめ、帰路で迷わないよう、周囲の石の形を描き写す。

 

 歯の欠け。

 壁の継ぎ目。

 開口部の位置。

 

 遠目に目立つ印をつける必要はない。

 

 自分が、次に見つけられればいい。

 

 ただ、開いた板をどうするかは迷った。

 

 内側の梃子で開けたため、閉じれば外から開けられるか分からない。

 

 ロックはもう一度、開口部へ上がった。

 

     ◇

 

 板の外側には、石の継ぎ目に紛れるように、小さな蓋があった。

 

 爪だけでは開かない。

 

 道具を差し込み、ゆっくりと持ち上げる。

 

 中に、錠穴が見えた。

 

 ロックは鍵の輪を取り出した。

 

 三本を、順に試す。

 

 一本が入った。

 

 回すと、板を押さえる金具が動いた。

 

 外から開くための仕組みも、残っている。

 

 ロックは鍵を戻し、蓋を閉じた。

 

 これなら、入口を開けたままにせずに済む。

 

 内側へ入り、板を閉じる手順を確かめる。

 

 再び開け、外からも動かしてみる。

 

 重かったが、二度目は最初ほど苦労しなかった。

 

 ロックはようやく、板を閉じた。

 

     ◇

 

 宿へ戻った時には、腹が空いていた。

 

 荷物を部屋へ置く前に、食事を頼む。

 

 肉を見て、少し笑った。

 

 今日は、自分より先に食わせた相手がいる。

 

 そのおかげで、下の部屋へ入れた。

 

 もっとも、その後に床を踏み抜いたのは、自分の不手際だった。

 

 器を空にし、部屋へ上がる。

 

 扉を閉めてから、今日持ち帰った物を並べた。

 

 採取した液体。

 

 壁の跡を収めた容器。

 

 三本の鍵。

 

 職員の遺体の傍にあった、平たい容器。

 

 大きな宝物はない。

 

 だが、次に入る道は手に入った。

 

     ◇

 

 ロックは平たい容器を、灯りの下へ置いた。

 

 漏れた様子はない。

 

 蓋も、固く閉じている。

 

 表面の汚れを乾いた布で払い、文字を少しずつ読んだ。

 

 洗浄。

 

 その下にも、細かな文字が続いていた。

 

 使い方だろうか。

 

 ロックは自分で蓋を開けず、文字だけを書き写した。

 

 魔術師ギルドへ持っていけば、読める者がいる。

 

 ただし、見つけた場所をどこまで話すかは、考えなければならなかった。

 

 あの施設を、まだ不用意に知られたくはない。

 

 それでも、中身を知らない薬品を自分へ使うつもりはなかった。

 

 ロックは容器を包み直した。

 

     ◇

 

 最後に、次の探索の覚え書きを作った。

 

 入口は、歯の裏側。

 

 崩れた床へは近づかない。

 

 下の点検扉は、使うなら流れのない時に。

 

 透明な生き物は複数いる。

 

 肉は、足を止めさせる役に立つ。

 

 そこまで書き、ペンを止めた。

 

 次に調べる場所も、決まっている。

 

 崩れた床より先へ続く保守通路。

 

 そして、最初に見つけた器材庫。

 

 鍵が合うかどうかも、確かめたい。

 

 ロックは手帳を閉じた。

 

 今日、通れなかった道がある。

 

 代わりに、通れる道も一つ増えた。

 

 次は、そこから先へ進める。

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