低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
保守通路は、緩やかに上っていた。
ロックは、壁の低い位置へ残された文字を拾いながら進んだ。
何度も曲がる。
途中には、閉ざされた扉もあった。
取っ手へ触れず、その前を通り過ぎる。
調べたい気持ちはある。
だが、今は帰り道を探している。
知らない部屋を一つ開けるたびに、その中から戻る道まで考えなければならなくなる。
まず、外へ出る。
ロックは肩紐を握り直した。
◇
壁の奥から聞こえていた音が、少しずつ遠ざかっていた。
代わりに、自分の靴音がはっきりと返ってくる。
角を曲がったところで、頬へ冷たいものが触れた。
風だった。
ロックは止まった。
灯りを持つ手を下げ、顔を上げる。
通路の奥から、空気が動いている。
外へ近づいたのか。
別の広い場所へ繋がっているだけか。
それでも、今までにはなかった変化だった。
ロックは歩幅を小さくした。
出口が近いと思った時ほど、足元を見なくなる。
崩れた床で、もう十分に思い知っていた。
◇
通路の突き当たりに、上りの段があった。
階段というより、壁へ沿って刻まれた足掛かりに近い。
両側には、握るための窪みが並んでいる。
ロックは鞄を身体へ寄せた。
先に棒を差し入れ、上を確かめる。
天井には、四角い板が嵌まっていた。
板の端から、細く空気が流れ込んでいる。
取っ手はない。
代わりに、足掛かりの横へ短い梃子が突き出していた。
ロックは、すぐには動かさなかった。
根元を見る。
梃子から伸びた金属の棒が、壁の溝へ入り、頭上の板へ続いている。
床を動かしていた設備の音とは繋がっていないようだった。
板を開くための物だろう。
そう考え、周囲の文字を探した。
非常開口。
その下に、開く方向が刻まれている。
ロックは梃子を握った。
◇
動かなかった。
少し力を加える。
根元で、細かな錆が落ちた。
ロックは手を止めた。
折ってしまえば、出口らしい場所の下で立ち尽くすことになる。
道具袋を開き、金属の棒が動く隙間から、固まった汚れを取り除く。
指の届かないところは、細い道具を使った。
それから、梃子を押す。
僅かに動いた。
戻す。
もう一度。
少しずつ、動く幅を増やす。
頭上で、何かが擦れた。
ロックは足掛かりから離れた。
板の縁から、砂と埃が降ってくる。
やがて、四角い板が傾いた。
冷たい空気が、顔へ流れ込んだ。
◇
開いた隙間の向こうは、暗かった。
ロックは灯りを先へ出した。
石の壁。
すぐ近くに、大きな曲面がある。
何なのか、初めは分からなかった。
もう少し上がり、横を覗く。
その向こうに、見覚えのある空間が広がっていた。
巨大な「口」。
自分が通ってきた入口だ。
目の前の曲面は、歯の裏側だった。
「……こんなところに」
声が漏れた。
正面から入った時には、歯と歯の間や、その奥ばかり見ていた。
壁際の高い位置にある開口部は、石の陰へ隠れている。
こちらから灯りを出さなければ、下から見上げても気づきにくかった。
ロックは足場を確かめ、外へ身体を出した。
◇
細い段が、歯の裏側へ沿って続いていた。
入口の床よりは高い。
しかし、降りられない高さではない。
縄を掛けるためらしい石の穴もある。
ロックは棒で内側を探り、欠けや動きがないか確かめた。
縄を通す。
引く。
身体を預ける。
今度は、降りる先が見えていた。
乾いた石の床。
登ってくる生き物も、流れる液体もない。
ロックは静かに足を下ろした。
靴底が床へついた時、ようやく息を吐いた。
◇
すぐには、座らなかった。
入口の外まで戻り、周囲を確かめる。
それから、荷物を下ろした。
肩が痛い。
落ちた時に擦った部分だ。
服を少しずらすと、皮膚が赤くなっていた。
傷は深くない。
腕も動く。
ロックは手当てを済ませ、水を飲んだ。
飲み込んでから、手の震えが収まっていることに気づいた。
帰ってきた。
そう思えたのは、それからだった。
◇
手帳を膝へ広げる。
最初に描いた下り坂の図へ、今日通った道を加えた。
広い部屋の壁沿いにある段。
保守通路の入口。
崩れた床。
その下の排液路と、点検扉。
さらに、反対側へ上がる階段。
最後に、歯の裏へ出る通路を繋ぐ。
書き終えると、ロックは指で線を辿った。
次も、同じところから入る必要はない。
壁を登る生き物へ肉を食わせ、足場を渡り、錠を開ける。
その手順を、毎回繰り返さずに済む。
歯の裏から入れば、保守通路へ直接出られる。
崩れた床の、向こう側へ。
ロックは図の一角へ、丸をつけた。
ここが、次の入口になる。
◇
頭上の開口部を見上げた。
縄は、まだ下がっている。
残しておけば、誰かに気づかれるかもしれない。
魔物に触られることもある。
ロックは縄を回収した。
次に使う分を確かめ、帰路で迷わないよう、周囲の石の形を描き写す。
歯の欠け。
壁の継ぎ目。
開口部の位置。
遠目に目立つ印をつける必要はない。
自分が、次に見つけられればいい。
ただ、開いた板をどうするかは迷った。
内側の梃子で開けたため、閉じれば外から開けられるか分からない。
ロックはもう一度、開口部へ上がった。
◇
板の外側には、石の継ぎ目に紛れるように、小さな蓋があった。
爪だけでは開かない。
道具を差し込み、ゆっくりと持ち上げる。
中に、錠穴が見えた。
ロックは鍵の輪を取り出した。
三本を、順に試す。
一本が入った。
回すと、板を押さえる金具が動いた。
外から開くための仕組みも、残っている。
ロックは鍵を戻し、蓋を閉じた。
これなら、入口を開けたままにせずに済む。
内側へ入り、板を閉じる手順を確かめる。
再び開け、外からも動かしてみる。
重かったが、二度目は最初ほど苦労しなかった。
ロックはようやく、板を閉じた。
◇
宿へ戻った時には、腹が空いていた。
荷物を部屋へ置く前に、食事を頼む。
肉を見て、少し笑った。
今日は、自分より先に食わせた相手がいる。
そのおかげで、下の部屋へ入れた。
もっとも、その後に床を踏み抜いたのは、自分の不手際だった。
器を空にし、部屋へ上がる。
扉を閉めてから、今日持ち帰った物を並べた。
採取した液体。
壁の跡を収めた容器。
三本の鍵。
職員の遺体の傍にあった、平たい容器。
大きな宝物はない。
だが、次に入る道は手に入った。
◇
ロックは平たい容器を、灯りの下へ置いた。
漏れた様子はない。
蓋も、固く閉じている。
表面の汚れを乾いた布で払い、文字を少しずつ読んだ。
洗浄。
その下にも、細かな文字が続いていた。
使い方だろうか。
ロックは自分で蓋を開けず、文字だけを書き写した。
魔術師ギルドへ持っていけば、読める者がいる。
ただし、見つけた場所をどこまで話すかは、考えなければならなかった。
あの施設を、まだ不用意に知られたくはない。
それでも、中身を知らない薬品を自分へ使うつもりはなかった。
ロックは容器を包み直した。
◇
最後に、次の探索の覚え書きを作った。
入口は、歯の裏側。
崩れた床へは近づかない。
下の点検扉は、使うなら流れのない時に。
透明な生き物は複数いる。
肉は、足を止めさせる役に立つ。
そこまで書き、ペンを止めた。
次に調べる場所も、決まっている。
崩れた床より先へ続く保守通路。
そして、最初に見つけた器材庫。
鍵が合うかどうかも、確かめたい。
ロックは手帳を閉じた。
今日、通れなかった道がある。
代わりに、通れる道も一つ増えた。
次は、そこから先へ進める。