低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
「これは、身体へ塗る物ではありません」
クラウゼは、書き写された文字を指で押さえた。
ロックの前には、遺跡から持ち帰った平たい容器がある。
表面には、薄く汚れが残っていた。
「洗浄、と読めたんですが」
「その前後も読まなければ、用途を取り違えますよ」
クラウゼは紙を引き寄せ、文字の並びを書き直した。
「器具の洗浄後に使う物です。表面へ薄く塗り、腐食を防ぐためのものらしいですね」
ロックは容器を見た。
あの場所で働いていた者が、腰へ下げていた品だ。
役に立つかもしれないと思って持ち帰ったが、自分の身体を守る薬ではなかった。
「装備には使えますか?」
「まず、中身が残っているかを調べましょう。それから、現在も同じ性質を保っているかです」
ロックは頷いた。
古代王国の品だから、何でも優れている。
そう考えて使うには、危険な物が多すぎた。
◇
蓋を開けるところは、担当の男へ任せた。
ロックは少し離れて見ている。
金具が外され、蓋が持ち上がる。
中には、薄く黄ばんだものが残っていた。
液体ではない。
油を固く練ったようなものだった。
「乾き切ってはいないな」
男は道具の先へ僅かに取り、皿へ移した。
それから、ロックを見た。
「容器ごと置いていけ。試してみる」
「全部ですか?」
「小分けして、中身が変わったら困るだろう」
「……分かりました」
惜しい気はした。
だが、分からないまま持ち歩いても、使う踏ん切りがつかない。
ロックは容器を預けると、その代わりに、表面へ刻まれていた文字を全て書き写させてもらった。
◇
次に遺跡へ入る時、ロックは正面の下り坂へ向かわなかった。
巨大な歯の陰へ回り、頭上を確かめる。
外からは、ただの石の継ぎ目に見えた。
前に描いた図と、欠けた歯の形を見比べる。
間違いない。
縄を掛けて上がり、小さな蓋を開いた。
鍵を入れる。
回す。
金具が動いた。
ロックは板を持ち上げ、隙間へ灯りを入れた。
乾いた足掛かり。
その下へ続く保守通路。
帰り道を知っている入口から入るだけで、気分が違った。
◇
下へ降りると、ロックは先に鍵を確かめた。
内側の梃子は動く。
板も、開けられる。
それから通路へ印を残し、歩き始めた。
崩れた床は、進む方向とは反対にある。
今いる側から、排液路へ降りる階段も確かめた。
扉の向こうでは、水音がしていた。
閂は、そのままにする。
今日は、下へ降りる必要がない。
ロックは通路の奥へ向かった。
◇
先へ進むと、壁に大きな図が刻まれていた。
ロックは灯りを近づけた。
丸い区画。
幾つも並ぶ線。
その間を繋ぐ細い道。
今まで自分が歩いたところと、形が似ている。
広い部屋と、その壁沿いの通路。
下へ続く排液路。
入口近くへ戻る、細い枝道。
全てを描いた地図ではない。
設備の位置と、それを確かめる場所を示した図のようだった。
ロックは手帳を開いた。
自分の図と照らし合わせ、分かるところから写していく。
そこへ、四角い印が一つあった。
隣の文字を読む。
「器材庫……」
最初に見つけた場所とは、別らしい。
ロックは現在地を確かめた。
この先の曲がり角を越えたところ。
今日はこちらを調べられる。
◇
扉は、すぐに見つかった。
低い天井の下に、幅の広い戸がある。
下端は床より少し高く、手前には細い溝が切られていた。
液体が流れ込まないための造りかもしれない。
ロックは扉の周囲を調べた。
枠に傷はない。
鍵穴も塞がっていなかった。
三本のうち、まだ使っていない鍵を入れる。
回った。
思ったより軽い手応えだった。
ロックは扉の脇へ寄り、少しだけ開いた。
空気が動く。
埃と、古い油の匂い。
中から何かが出てくる様子はなかった。
◇
棚が並んでいた。
壁には、柄の長い道具。
床には、口を閉じた容器。
天井近くには、滑車と、巻かれた縄らしいものが見える。
ロックは入口から順に確かめた。
人影はない。
骨もない。
棚の下へ灯りを差し入れる。
何も動かなかった。
床を棒で探りながら、一歩入る。
その時、靴の下で何かが砕けた。
ロックは動きを止めた。
灯りを下げる。
薄い革の欠片だった。
棚から垂れていた何かが、長い年月のうちに崩れ落ちたらしい。
◇
最初に目についたのは、前掛けだった。
厚い布か、革のような素材。
肩から吊るし、身体の前を覆う形をしている。
その横には、長い手袋もあった。
ロックは顔を近づけたが、手では触れなかった。
前掛けの端は、すでに裂けている。
手袋も、指の曲がるところに細かなひびがあった。
形が残っていても、着て動けば崩れるかもしれない。
「……そう、うまくはいかないか」
だが、無駄ではなかった。
手袋は手首で終わっていない。
前掛けも、胸だけを覆うものではない。
この場所で働く者が、どこまで身を守っていたのか。
それは分かった。
ロックは形を描き写した。
◇
棚の下段には、蓋を閉じた箱があった。
開く前に、表面の文字を読む。
補修用具。
留め金を外し、蓋を持ち上げた。
中には、金属の小さな部品が並んでいる。
輪。
留め具。
短い鉤。
その横へ、薄い板が何枚も重ねてあった。
ロックは一枚を取り上げた。
曲げず、縁を確かめる。
柔らかな素材を挟んで留めるための物らしい。
布や革へ直接穴を開けずに、別の物を固定できる。
ロックは、靴の上へ掛ける覆いを思い浮かべた。
濡れたら外す。
傷めば取り替える。
道具を見ていると、作れそうな形が少しずつ浮かんできた。
◇
柄の長い道具には、用途の札がついていた。
引っ掛けるもの。
掻き寄せるもの。
平たい先端で、床の物を剥がすもの。
ロックは、その一本の前で止まった。
鉤の先が二つに分かれている。
狭い隙間へ差し込み、引くための形だった。
下の排液路にあった格子。
あそこへ引っ掛かった物を、取り除くための道具ではないだろうか。
流れが止まるたび、誰かが直接降りて掃除していたとは限らない。
ロックは柄を持ち上げた。
重い。
だが、腐った木のように撓むことはなかった。
先端と柄の継ぎ目を確かめる。
緩みはない。
これなら、持ち帰って調べられる。
◇
奥の棚には、平たい容器が幾つも並んでいた。
ロックは足を止めた。
遺体の傍で拾った物と、似ている。
一つずつ、文字を読む。
同じ用途の物もあれば、違う物もある。
容器の形だけで、中身を決めてはいけない。
薬品庫で教わったことが、ここでも役に立った。
ロックは蓋を開けなかった。
文字を写し、容器の外側を調べる。
漏れた跡のない物を、一つだけ選んだ。
包んで、ほかの品から分ける。
無限のバッグへ収める前に、もう一度、蓋と金具を確かめた。
最初に拾った物と比べられる。
中身が使えるなら、それから残りを運べばいい。
◇
部屋を出る時、ロックは棚を振り返った。
持ち帰るのは、容器一つ。
補修用具を少し。
柄の長い鉤。
それから、道具や防護具の形を書いた手帳。
袋へ入れられるからといって、何でも持ち出すわけにはいかなかった。
ここで使うことになる物もある。
元の場所が分からなくなれば、後で自分が困る。
ロックは借りた品と、その置かれていた棚を記した。
扉を閉じ、鍵を掛ける。
今度は、帰り道を探す必要がない。
◇
通路の図へ戻り、写し残した文字を読んだ。
排液路へ降りる印がある。
器材庫の先には、別の点検箇所。
さらに奥へ、細い線が続いていた。
その途中に、窓のような印が幾つもある。
ロックは指で辿った。
広い部屋を、壁の外側から見て回れるのかもしれない。
透明な生き物のいる床へ降りずに、奥の様子を確かめられる。
そうなら、次に調べる場所は決まる。
ロックは図の続きを写し、手帳を閉じた。
◇
帰り道、ロックは肩の鞄を持ち直した。
金貨や魔法の剣は、入っていない。
代わりに、使い方を確かめるべき物が増えた。
自分より前に、この場所へ入っていた者たち。
その者たちは、流れる床を見て、濡れた壁へ手をつき、詰まった格子を掃除していた。
そのための道と、道具を残している。
全部が使えるわけではない。
それでも、何も知らずに胃袋の底へ降りるよりは、ずっとましだった。
ロックは歯の裏側の出口へ着いた。
外の空気を吸い、持ち帰った容器へ目を落とす。
抗酸剤をくすねる算段より先に、確かめたいことができた。
この施設を手入れしていた者たちは、何を使って道具を守っていたのか。
その答えが、今度こそ中に残っているかもしれなかった。