低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第96話 使う者のための道具

「これは、身体へ塗る物ではありません」

 

 クラウゼは、書き写された文字を指で押さえた。

 

 ロックの前には、遺跡から持ち帰った平たい容器がある。

 

 表面には、薄く汚れが残っていた。

 

「洗浄、と読めたんですが」

 

「その前後も読まなければ、用途を取り違えますよ」

 

 クラウゼは紙を引き寄せ、文字の並びを書き直した。

 

「器具の洗浄後に使う物です。表面へ薄く塗り、腐食を防ぐためのものらしいですね」

 

 ロックは容器を見た。

 

 あの場所で働いていた者が、腰へ下げていた品だ。

 

 役に立つかもしれないと思って持ち帰ったが、自分の身体を守る薬ではなかった。

 

「装備には使えますか?」

 

「まず、中身が残っているかを調べましょう。それから、現在も同じ性質を保っているかです」

 

 ロックは頷いた。

 

 古代王国の品だから、何でも優れている。

 

 そう考えて使うには、危険な物が多すぎた。

 

     ◇

 

 蓋を開けるところは、担当の男へ任せた。

 

 ロックは少し離れて見ている。

 

 金具が外され、蓋が持ち上がる。

 

 中には、薄く黄ばんだものが残っていた。

 

 液体ではない。

 

 油を固く練ったようなものだった。

 

「乾き切ってはいないな」

 

 男は道具の先へ僅かに取り、皿へ移した。

 

 それから、ロックを見た。

 

「容器ごと置いていけ。試してみる」

 

「全部ですか?」

 

「小分けして、中身が変わったら困るだろう」

 

「……分かりました」

 

 惜しい気はした。

 

 だが、分からないまま持ち歩いても、使う踏ん切りがつかない。

 

 ロックは容器を預けると、その代わりに、表面へ刻まれていた文字を全て書き写させてもらった。

 

     ◇

 

 次に遺跡へ入る時、ロックは正面の下り坂へ向かわなかった。

 

 巨大な歯の陰へ回り、頭上を確かめる。

 

 外からは、ただの石の継ぎ目に見えた。

 

 前に描いた図と、欠けた歯の形を見比べる。

 

 間違いない。

 

 縄を掛けて上がり、小さな蓋を開いた。

 

 鍵を入れる。

 

 回す。

 

 金具が動いた。

 

 ロックは板を持ち上げ、隙間へ灯りを入れた。

 

 乾いた足掛かり。

 

 その下へ続く保守通路。

 

 帰り道を知っている入口から入るだけで、気分が違った。

 

     ◇

 

 下へ降りると、ロックは先に鍵を確かめた。

 

 内側の梃子は動く。

 

 板も、開けられる。

 

 それから通路へ印を残し、歩き始めた。

 

 崩れた床は、進む方向とは反対にある。

 

 今いる側から、排液路へ降りる階段も確かめた。

 

 扉の向こうでは、水音がしていた。

 

 閂は、そのままにする。

 

 今日は、下へ降りる必要がない。

 

 ロックは通路の奥へ向かった。

 

     ◇

 

 先へ進むと、壁に大きな図が刻まれていた。

 

 ロックは灯りを近づけた。

 

 丸い区画。

 

 幾つも並ぶ線。

 

 その間を繋ぐ細い道。

 

 今まで自分が歩いたところと、形が似ている。

 

 広い部屋と、その壁沿いの通路。

 

 下へ続く排液路。

 

 入口近くへ戻る、細い枝道。

 

 全てを描いた地図ではない。

 

 設備の位置と、それを確かめる場所を示した図のようだった。

 

 ロックは手帳を開いた。

 

 自分の図と照らし合わせ、分かるところから写していく。

 

 そこへ、四角い印が一つあった。

 

 隣の文字を読む。

 

「器材庫……」

 

 最初に見つけた場所とは、別らしい。

 

 ロックは現在地を確かめた。

 

 この先の曲がり角を越えたところ。

 

 今日はこちらを調べられる。

 

     ◇

 

 扉は、すぐに見つかった。

 

 低い天井の下に、幅の広い戸がある。

 

 下端は床より少し高く、手前には細い溝が切られていた。

 

 液体が流れ込まないための造りかもしれない。

 

 ロックは扉の周囲を調べた。

 

 枠に傷はない。

 

 鍵穴も塞がっていなかった。

 

 三本のうち、まだ使っていない鍵を入れる。

 

 回った。

 

 思ったより軽い手応えだった。

 

 ロックは扉の脇へ寄り、少しだけ開いた。

 

 空気が動く。

 

 埃と、古い油の匂い。

 

 中から何かが出てくる様子はなかった。

 

     ◇

 

 棚が並んでいた。

 

 壁には、柄の長い道具。

 

 床には、口を閉じた容器。

 

 天井近くには、滑車と、巻かれた縄らしいものが見える。

 

 ロックは入口から順に確かめた。

 

 人影はない。

 

 骨もない。

 

 棚の下へ灯りを差し入れる。

 

 何も動かなかった。

 

 床を棒で探りながら、一歩入る。

 

 その時、靴の下で何かが砕けた。

 

 ロックは動きを止めた。

 

 灯りを下げる。

 

 薄い革の欠片だった。

 

 棚から垂れていた何かが、長い年月のうちに崩れ落ちたらしい。

 

     ◇

 

 最初に目についたのは、前掛けだった。

 

 厚い布か、革のような素材。

 

 肩から吊るし、身体の前を覆う形をしている。

 

 その横には、長い手袋もあった。

 

 ロックは顔を近づけたが、手では触れなかった。

 

 前掛けの端は、すでに裂けている。

 

 手袋も、指の曲がるところに細かなひびがあった。

 

 形が残っていても、着て動けば崩れるかもしれない。

 

「……そう、うまくはいかないか」

 

 だが、無駄ではなかった。

 

 手袋は手首で終わっていない。

 

 前掛けも、胸だけを覆うものではない。

 

 この場所で働く者が、どこまで身を守っていたのか。

 

 それは分かった。

 

 ロックは形を描き写した。

 

     ◇

 

 棚の下段には、蓋を閉じた箱があった。

 

 開く前に、表面の文字を読む。

 

 補修用具。

 

 留め金を外し、蓋を持ち上げた。

 

 中には、金属の小さな部品が並んでいる。

 

 輪。

 留め具。

 短い鉤。

 

 その横へ、薄い板が何枚も重ねてあった。

 

 ロックは一枚を取り上げた。

 

 曲げず、縁を確かめる。

 

 柔らかな素材を挟んで留めるための物らしい。

 

 布や革へ直接穴を開けずに、別の物を固定できる。

 

 ロックは、靴の上へ掛ける覆いを思い浮かべた。

 

 濡れたら外す。

 

 傷めば取り替える。

 

 道具を見ていると、作れそうな形が少しずつ浮かんできた。

 

     ◇

 

 柄の長い道具には、用途の札がついていた。

 

 引っ掛けるもの。

 

 掻き寄せるもの。

 

 平たい先端で、床の物を剥がすもの。

 

 ロックは、その一本の前で止まった。

 

 鉤の先が二つに分かれている。

 

 狭い隙間へ差し込み、引くための形だった。

 

 下の排液路にあった格子。

 

 あそこへ引っ掛かった物を、取り除くための道具ではないだろうか。

 

 流れが止まるたび、誰かが直接降りて掃除していたとは限らない。

 

 ロックは柄を持ち上げた。

 

 重い。

 

 だが、腐った木のように撓むことはなかった。

 

 先端と柄の継ぎ目を確かめる。

 

 緩みはない。

 

 これなら、持ち帰って調べられる。

 

     ◇

 

 奥の棚には、平たい容器が幾つも並んでいた。

 

 ロックは足を止めた。

 

 遺体の傍で拾った物と、似ている。

 

 一つずつ、文字を読む。

 

 同じ用途の物もあれば、違う物もある。

 

 容器の形だけで、中身を決めてはいけない。

 

 薬品庫で教わったことが、ここでも役に立った。

 

 ロックは蓋を開けなかった。

 

 文字を写し、容器の外側を調べる。

 

 漏れた跡のない物を、一つだけ選んだ。

 

 包んで、ほかの品から分ける。

 

 無限のバッグへ収める前に、もう一度、蓋と金具を確かめた。

 

 最初に拾った物と比べられる。

 

 中身が使えるなら、それから残りを運べばいい。

 

     ◇

 

 部屋を出る時、ロックは棚を振り返った。

 

 持ち帰るのは、容器一つ。

 

 補修用具を少し。

 

 柄の長い鉤。

 

 それから、道具や防護具の形を書いた手帳。

 

 袋へ入れられるからといって、何でも持ち出すわけにはいかなかった。

 

 ここで使うことになる物もある。

 

 元の場所が分からなくなれば、後で自分が困る。

 

 ロックは借りた品と、その置かれていた棚を記した。

 

 扉を閉じ、鍵を掛ける。

 

 今度は、帰り道を探す必要がない。

 

     ◇

 

 通路の図へ戻り、写し残した文字を読んだ。

 

 排液路へ降りる印がある。

 

 器材庫の先には、別の点検箇所。

 

 さらに奥へ、細い線が続いていた。

 

 その途中に、窓のような印が幾つもある。

 

 ロックは指で辿った。

 

 広い部屋を、壁の外側から見て回れるのかもしれない。

 

 透明な生き物のいる床へ降りずに、奥の様子を確かめられる。

 

 そうなら、次に調べる場所は決まる。

 

 ロックは図の続きを写し、手帳を閉じた。

 

     ◇

 

 帰り道、ロックは肩の鞄を持ち直した。

 

 金貨や魔法の剣は、入っていない。

 

 代わりに、使い方を確かめるべき物が増えた。

 

 自分より前に、この場所へ入っていた者たち。

 

 その者たちは、流れる床を見て、濡れた壁へ手をつき、詰まった格子を掃除していた。

 

 そのための道と、道具を残している。

 

 全部が使えるわけではない。

 

 それでも、何も知らずに胃袋の底へ降りるよりは、ずっとましだった。

 

 ロックは歯の裏側の出口へ着いた。

 

 外の空気を吸い、持ち帰った容器へ目を落とす。

 

 抗酸剤をくすねる算段より先に、確かめたいことができた。

 

 この施設を手入れしていた者たちは、何を使って道具を守っていたのか。

 

 その答えが、今度こそ中に残っているかもしれなかった。

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