低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第97話 排液口の向こう

 作業台には、二枚の金属片が並んでいた。

 

 どちらも、遺跡から採ってきた液体へ浸した物だ。

 

 片方は表面が曇り、縁に細かな荒れが出ている。もう片方には、薄く黄ばんだ膜が残っていた。

 

「差は出たぞ」

 

 薬品庫の担当者が、皿をロックの方へ押した。

 

「使えるんですね?」

 

「金物にはな。少なくとも、お前が持ってきた液体に対しては、塗らないより保った。だが、革に塗った方を見ろ」

 

 隣の皿には、折り曲げた革が載っている。

 

 塗剤は、曲げたところで筋になって剥がれていた。

 

 ロックは身を屈めた。剥がれた部分だけ、その下の革が濃く変色している。

 

「手袋や靴には、向きませんか」

 

「そのままではな。元々、動かない器具へ使っていたんだろう。何にでも同じように使える物じゃない」

 

 ロックは頷いた。

 

 これで、身体を丸ごと守れるわけではない。

 

 それでも、鉤や留め具、金属の容器を守れるなら助かる。買った抗酸剤を、全ての道具へ使わずに済む。

 

 担当者は平たい容器の蓋を閉め、ロックへ返した。

 

「残りだ。使う前に汚れを落とせ。塗った後も、剥がれたところがないか確かめろよ」

 

「ありがとうございます。もう一つ、同じ物らしい容器を見つけたんですが、比べてもらえますか?」

 

「持ってこい。札が同じでも、中身まで同じ状態とは限らんからな」

 

 ロックは道具袋から、包んだ容器を取り出した。

 

     ◇

 

 遺跡から持ち帰った鉤は、継ぎ目に少し緩みがあった。

 

 ロックは職人へ直してもらい、柄を握り直した。長く伸ばしても、先端がふらつかない。

 

 そこへ塗剤を薄く延ばす。

 

 剣へ使うのは、まだやめておいた。刃や鞘へ何が起こるか分からない。

 

 まずは、元々この施設で使われていた道具からだ。

 

 塗り終えた鉤を立て掛け、手帳を開く。

 

 歯の裏側の入口。

 

 保守通路。

 

 器材庫。

 

 その先にある点検箇所を、順に辿った。

 

 広い部屋の底へ降りる前に、壁の外側から見ておきたい。見える場所が増えれば、透明な生き物がどこへ集まっているのかも分かるはずだった。

 

 ロックは地図を畳み、必要な物を鞄へ収めた。

 

     ◇

 

 歯の裏側から入った通路は、前に来た時と同じように乾いていた。

 

 ただ、奥から響く音が違った。

 

 低く、長い。

 

 ロックは足を止め、壁へ触れない距離で耳を澄ました。

 

 何かが擦れている。

 

 重い物を、無理に引いているような音だった。

 

 前に聞いた床の動く音には、始まりと終わりがあった。今は、途中で止まり、しばらくしてまた鳴る。

 

 ロックは手帳を開いた。

 

 音がする方角には、排液路の先がある。

 

 そこへ向かう通路を確かめ、灯りを下げて歩き始めた。

 

     ◇

 

 最初の窓から見えた床には、液体が溜まっていた。

 

 前よりも多い。

 

 窪みを繋いでいた細い流れが見えなくなり、石の盛り上がりだけが、水面から背を出している。

 

 ロックは窓の下端へ目を移した。

 

 まだ、そこまでは届いていない。

 

 だが、壁沿いの細い段は、ところどころ濡れていた。

 

 肉を食わせて渡った場所だ。

 

「……あっちから入っていたら、困ったな」

 

 口に出してから、ロックは入口を振り返った。

 

 保守通路が乾いているからといって、この先も同じとは限らない。

 

 窓へ近づきすぎず、次の点検箇所へ向かった。

 

     ◇

 

 通路の突き当たりは、小さな部屋になっていた。

 

 壁際に石の台があり、その上へ金属の枠が並んでいる。

 

 枠の一つには、細い棒が立っていた。

 

 横に目盛りがある。

 

 棒の端は、その途中で小刻みに揺れていた。

 

 ロックは手を触れず、傍の文字を読んだ。

 

 液面。

 

 その下には、刻まれた線と、矢印。

 

 今の棒の位置は、線より上だった。

 

 どうやって動いているのかは分からない。しかし、外の液体が増えていることを示しているのなら、見たものとは合う。

 

 ロックは位置を書き写した。

 

 台の奥には、薄い板を綴じた物が置かれていた。

 

 表紙の文字は、保守記録。

 

 指を掛け、ゆっくりと開く。

 

 紙ではなかった。薄い金属板へ、小さな文字が刻み込まれている。

 

 湿気の多い場所で使うためだろうか。

 

 ロックは灯りを寄せ、読めるところから拾った。

 

     ◇

 

 日付。

 

 担当者の名。

 

 点検した場所と、その状態。

 

 同じ形式の記録が続いていた。

 

 途中から、同じ言葉が何度も現れる。

 

 排液不良。

 

 流入停止。

 

 異物除去。

 

 ロックは前の板へ戻った。

 

 排液が悪くなった時には、先に流入を止めている。その後で、格子や排液口を調べていた。

 

 自分が見た下の通路でも、流れてきた塊が格子へ引っ掛かっていた。

 

 あの時は、肉を食わせた生き物から逃げていたため、取り除く余裕がなかった。

 

 あれが残っているのだろうか。

 

 ロックは記録の図を見た。

 

 場所が違う。

 

 自分の通った点検扉より、さらに下流だった。

 

 図の先には、大きな円と、幾枚もの板を重ねたような印がある。

 

 排出弁。

 

 ロックは文字を指で追った。

 

 液体を溜め、必要な時に先へ送る。

 

 そのための仕組みがあるらしかった。

 

     ◇

 

 部屋の奥には、蓋を閉じた点検口があった。

 

 蓋の中央に輪があり、その脇へ留め金が掛かっている。

 

 ロックは先に、周囲を調べた。

 

 床には、蓋から入口側へ向かう浅い溝が切られていた。その先は壁の小穴へ続いている。

 

 漏れた液体を逃がすためなのかもしれない。

 

 留め金を外す前に、部屋の扉へ戻った。

 

 開く。

 

 通路は乾いている。

 

 入口までの道を頭の中で辿り、荷物を扉の近くへ寄せた。

 

 それから点検口へ戻り、鉤の先で輪を引いた。

 

 蓋が僅かに浮く。

 

 湿った空気が、隙間から上がってきた。

 

 ロックは横へ避け、しばらく待った。

 

 液体は出てこない。

 

 灯りを近づけると、蓋の下には金属の格子があった。

 

 そこから、下を覗ける造りだった。

 

     ◇

 

 排液口が見えた。

 

 広い部屋から集まった液体が、緩やかな渦を巻いている。

 

 その先に、大きな石の輪。

 

 輪の中では、弁らしい板が少し開き、また戻っていた。

 

 低い音が鳴る。

 

 ロックは眉を寄せた。

 

 挟まっている。

 

 板と石の輪の間に、黒ずんだ物があった。

 

 細い繊維を絡ませた、塊のように見える。

 

 流れが押しても、抜けない。

 

 弁が動くたびに形を変え、隙間へ食い込んでいた。

 

 保守記録の言葉が、頭に浮かんだ。

 

 異物除去。

 

 だが、その前には流入停止とあった。

 

 流れを止めずに引けば、詰まっていた液体が一度に抜けるかもしれない。道具ごと持っていかれれば、ロックも格子へ引きつけられる。

 

 鉤を握ったまま、手を止めた。

 

     ◇

 

 しばらく見ていると、塊の端が動いた。

 

 流れに揺れたのではない。

 

 輪の表面へ、薄いものが貼りつくように広がった。

 

 ロックは灯りを少し引いた。

 

 光の角度が変わる。

 

 黒く見えていた塊の周りに、透明な縁が現れた。

 

 その中へ、木片や繊維が幾つも埋まっている。

 

 ロックは息を止めた。

 

 濡れた床へ広がっていたものと、似ている。

 

 しかし、大きさが分からない。

 

 見えているのは、弁に挟まった部分だけだ。その先は、暗い排液口へ続いている。

 

 弁が動いた。

 

 透明な縁が縮み、黒い塊が持ち上がる。

 

 次の瞬間、格子の下へ何かが叩きつけられた。

 

 ロックは反射的に身体を引いた。

 

     ◇

 

 金属が鳴った。

 

 格子の向こうで、濡れた面が膨らんでいる。

 

 ただの塊ではなかった。

 

 その表面に筋が入り、左右へ開いた。

 

 内側には、短い鉤のような突起が幾重にも並んでいる。

 

 ロックは、あの生き物が肉へ被さった時のことを思い出した。

 

 下からは、見えなかった。

 

 今、格子へ押しつけられているのは、その食べる部分なのかもしれない。

 

 濡れた面が格子を擦った。

 

 ロックは鉤を引き戻し、点検口の蓋を落とした。

 

 重い音が部屋へ響く。

 

 留め金を掛ける手が、一度滑った。

 

 掛け直し、輪から離れる。

 

 蓋の下で、何かが擦れた。

 

     ◇

 

 ロックは部屋の入口まで退いた。

 

 追ってくるものはない。

 

 床へ液体が漏れ出す様子もなかった。

 

 それを確かめてから、ようやく息を吐いた。

 

 詰まっている物を、引けばよい。

 

 そう考えていた。

 

 鉤が届くかどうか、もう少し近くで見たくなっていた。

 

 もし差し込んでいたら。

 

 握っていた柄へ目を落とす。

 

 長い道具でも、繋がっているのは自分の手だ。

 

 ロックは鉤を壁へ立て掛け、手帳を開いた。

 

     ◇

 

 排出弁に、何かがいる。

 

 流れてきた屑を抱え込んでいる。

 

 弁の動きへ耐え、隙間を塞いでいる。

 

 そして、上の区画では液体が増えていた。

 

 これが、直接の原因なのだろうか。

 

 断定はできない。

 

 それでも、排液不良と、弁に絡んだ生き物を、別々の出来事として考えるわけにもいかなかった。

 

 ロックは保守記録へ戻った。

 

 最初に読む時とは、探す言葉が変わっていた。

 

 流入を止める場所。

 

 排出弁を固定する方法。

 

 それから、この先へ別の出口があるかどうか。

 

 読みながら、必要な部分を写していく。

 

     ◇

 

 金属板の端へ、小さな図があった。

 

 先ほど見た排出弁と、その上の点検口。

 

 さらに横から、細い線が伸びている。

 

 人が入るための道ではない。

 

 線の先には、器材庫で見た物によく似た、長い道具が描かれていた。

 

 ロックは鉤の先を見た。

 

 使う場所は、上の格子ではなかったらしい。

 

 横から道具を差し込み、弁を塞いだ物を動かすための口がある。

 

 それなら、真上から覗き込まずに済む。

 

 ただし、道具が引かれる危険は残る。

 

 ロックは図の脇へ、縄と書き足した。

 

 道具を落とさないための縄ではない。

 

 引かれた時、自分が手を放せるようにするためだった。

 

     ◇

 

 帰る前に、液面を示す棒を確かめた。

 

 最初に写した位置より、僅かに高い。

 

 ロックは二つの印を見比べた。

 

 このまま増え続けるとは限らない。

 

 だが、次に来た時も保守通路が乾いていると、当てにする気にはなれなかった。

 

 記録を閉じる。

 

 持ち帰りたかったが、作業手順が残る場所からなくしてしまうのも困る。必要な図と文字は、手帳へ写した。

 

 ロックは鉤を担ぎ、部屋を出た。

 

 今度は、調べたい場所が漠然としていない。

 

 流入を止めるところ。

 

 弁を横から調べるところ。

 

 その二つを、次に確かめる。

 

 背後で、また重い音が鳴った。

 

 途中で止まり、やがてもう一度鳴る。

 

 ロックは歩調を速めた。

 

 足元を確かめながら、それでも、来た時より急いでいた。

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