低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第101話 溶け残ったもの

 札の表面から汚れを落とすと、文字の下に細い線が現れた。

 

 飾りではなかった。

 

 幾本もの線が組み合わされ、小さな魔法陣を形作っている。

 

 ロックは灯りへ透かし、それから裏返した。裏面にも同じような刻みがあるが、表と全く同じではない。

 

 無理に磨かなくてよかった。

 

 文字を読みやすくしようとして削っていれば、何かを壊していたかもしれない。

 

 ロックは札を布で包み、手帳の写しと一緒にしまった。

 

 修理に出した鉤の代わりには、先の細い道具を用意してある。手袋も替えた。前日の作業で汚れた縄は、もう探索用へ戻さなかった。

 

 今日は、保守通路の奥にある回収区画へ向かう。

 

     ◇

 

 点検室へ着くと、ロックはまず液面を確かめた。

 

 低い位置で、棒の端が僅かに揺れている。

 

 窓の向こうでは、液体が窪みを伝って排液口へ流れていた。弁が動く音にも、途中で何かを挟むような響きはない。

 

 あの大きな生き物は見えなかった。

 

 ただ、小さなものは残っている。

 

 床へ降りるには、そちらのことも考えなければならない。液体が減ったからといって、歩き回ってよい場所になったわけではなかった。

 

 ロックは手帳に確認したことを書き足し、通路の先へ進んだ。

 

 昨日見つけた四角い縁は、窓から位置を確かめるだけに留める。

 

 先に、上から行ける道を調べたかった。

 

     ◇

 

 回収区画の扉は、両開きだった。

 

 今までの点検扉より大きく、床にも幅がある。人が道具を抱えて出入りするだけでなく、何かを運ぶことも考えた造りらしかった。

 

 扉の中央には取っ手が二つ。

 

 鍵穴はない。

 

 代わりに、脇の壁へ浅い窪みがあった。

 

 ロックは、布に包んだ札を取り出した。

 

 窪みと並べてみる。

 

 幅も、角の形も、よく似ている。

 

 札を近づける前に、扉の周りを調べた。枠の上、足元、蝶番。近くの壁にも灯りを当てる。

 

 動くものは見えない。

 

 扉の前から横へ寄り、腕だけを伸ばした。

 

 札が、窪みへ収まる。

 

 石の奥で、小さな音がした。

 

     ◇

 

 ロックは札から手を離した。

 

 勝手に扉が開くことはなかった。

 

 取っ手へ布を巻き、僅かに引く。

 

 動いた。

 

 隙間から、湿った空気が流れてくる。点検室にあったような薬品の匂いに、古い泥の匂いが混じっていた。

 

 ロックは扉を細く開けたまま待った。

 

 耳を澄ます。

 

 水滴が落ちる音。

 

 それから、遠くで金属を打ち合わせるような音が、一度だけした。

 

 灯りを入れる。

 

 通路と同じ高さに、平らな床が続いていた。

 

 その奥は、一段低くなっている。

 

 ロックは札を窪みから外した。

 

 扉は動かない。

 

 開いた戸を少し戻し、また引く。それも問題なくできた。

 

 札をしまってから、中へ足を踏み入れた。

 

     ◇

 

 部屋には、浅い槽が幾つも並んでいた。

 

 石で囲まれたもの。

 金属の籠が嵌まったもの。

 蓋を閉じたもの。

 

 槽の間を、幅のある通路が繋いでいる。

 

 壁の高い位置には、液体を流し込む口があった。その下へ斜めの板が続き、板の端には、大きさの違う穴が並んでいる。

 

 何かを流し、分けていたのだろうか。

 

 ロックは入口から、その配置を描いた。

 

 奥の槽へ近づくと、底に光るものが見えた。

 

 指輪か。

 

 そう思って身を屈め、すぐに止まった。

 

 槽の内側に、透明な筋が残っている。

 

 まだ濡れていた。

 

     ◇

 

 ロックは長い道具を伸ばした。

 

 先端で光るものを動かすと、薄い金属片が裏返った。輪ではなく、丸く曲がった留め具だった。

 

 その下には、小さな石と、黒い粒が混じっている。

 

 底へ道具を当てる。

 

 硬い。

 

 少なくとも、溜まっている全てが生き物というわけではなさそうだった。

 

 ロックは周囲の床を確かめてから、槽の縁へ灯りを寄せた。

 

 内側の高い位置に、短い文字が刻まれている。

 

 不溶。

 

 その隣には、回収物の名を記すためらしい枠があった。

 

 ロックは顔を上げた。

 

 ここへ流れ着いたのは、液体だけではない。

 

 溶けなかったものが、残されている。

 

     ◇

 

 隣の槽には、歪んだ金属の塊があった。

 

 いくつかは、元の形が分かる。

 

 釘。

 環。

 細い板。

 折れた刃のような物。

 

 どれも、取り出したまま使える状態には見えなかった。

 

 ただ、全てを捨てていたわけでもない。

 

 槽の外側には、同じ素材らしい物を収める小箱が並んでいる。箱には文字と印がつけられ、空のものもあれば、底へ何かが残っているものもあった。

 

 ロックは一つずつ蓋を開けなかった。

 

 まず読める文字を書き写し、配置を覚える。

 

 ここまで使ってきた抗酸剤も、元を辿れば材料が要る。

 

 この施設でも、取り込んだ物を溶かした後で、使えるものを拾い直していたのかもしれない。

 

 そう考えると、槽の並びにも意味がありそうだった。

 

     ◇

 

 部屋の奥には、腰の高さの作業台があった。

 

 その下に、扉つきの棚がある。

 

 ロックは棚の周囲を調べ、取っ手を引いた。

 

 閉まっている。

 

 札を使う窪みはない。代わりに、小さな鍵穴があった。

 

 三本の鍵を順に試す。

 

 最後の一本が、奥まで入った。

 

 回すと、錠が外れる。

 

 扉を開く前に横へ避け、細い棒で押した。

 

 中から何かが落ちてくることはなかった。

 

 棚には、浅い皿と、小さな容器が並んでいた。

 

 皿の一枚へ、赤いものが載っている。

 

 ロックは灯りを近づけた。

 

 石だった。

 

 親指の爪ほどの大きさで、縁が少し欠けている。

 

 手を伸ばす前に、古代語の呪文を唱えた。

 

     ◇

 

 魔力があった。

 

 ロックは赤い石を見たまま、隣の皿へ視線を移した。

 

 そこにある黒い粒には、同じ反応はない。

 

 石そのものに、何かが残っている。

 

 魔晶石なのか。

 別の魔法の品の欠片なのか。

 

 それ以上は、今のロックには分からなかった。

 

 皿の前には、小さな札が置かれていた。

 

 再検。

 

 その下へ、短い記号が続いている。

 

 ロックは札の裏も確かめた。数字らしい刻みはあったが、値段や残された力の量と決めつけられるものではない。

 

 ただ、ここで働いていた者も、そのまま材料箱へ放り込まなかったらしい。

 

 ロックは皿を動かさず、まず文字と石の位置を描いた。

 

     ◇

 

 赤い石は、持参した小さな容器へ収めた。

 

 皿の底へ液体が残っていないかを確かめ、細い道具で移す。

 

 それから蓋を閉め、何を入れた容器なのか、外へ札を結んだ。

 

 魔力があるからといって、すぐ使えるわけではない。

 

 だが、何の役にも立たないとも限らない。

 

 これは持ち帰って調べたい。

 

 棚の奥には、薄い金属板が束ねられていた。点検室の保守記録と似ているが、こちらには品物の形と、短い説明が並んでいる。

 

 ロックは一枚目を開いた。

 

 輪。

 刃。

 石。

 破片。

 

 回収された物の記録だった。

 

     ◇

 

 読み進めるうちに、ロックは動きを止めた。

 

 小さな図に、平たい札が描かれている。

 

 脇には、魔法式の保存を確認、と読める文字。

 

 ロックは自分の札を取り出した。

 

 排出弁を塞いでいた生き物の身体に、木屑や繊維と一緒に絡まっていた物だ。

 

 図の札とは印が違う。

 

 しかし、形はよく似ていた。

 

 この部屋へ入る時、確かに使えた。

 

 何にでも溶かされず、魔法の働きを保つ物がある。

 

 ロックは、手元の札を裏返した。

 

 あの身体から出てきた物が、これ一枚だけとは限らない。

 

     ◇

 

 遠くで、また金属の音がした。

 

 ロックは記録を閉じた。

 

 さっきより近い。

 

 いや、同じ部屋の中だ。

 

 灯りを向けると、入口から離れた槽の中で、金属の籠が僅かに揺れていた。

 

 液体が流れ込んでいる。

 

 壁の口から落ちた細い流れが、斜めの板を伝い、籠の上へ屑を運んでいた。

 

 ロックは作業台の脇から動かず、様子を見た。

 

 歪んだ金属片が一つ落ちる。

 

 続いて、細い繊維。

 

 その下に、薄く透明なものが混じっていた。

 

 ロックは、排出弁から外れた大きな身体を思い出した。

 

     ◇

 

 流れは、しばらくして止まった。

 

 籠の中には、幾つかの屑が残っている。

 

 透明なものは、籠の縁へ引っ掛かっていた。

 

 動かない。

 

 だが、ロックは近づいて手を入れなかった。

 

 ここが下流へ繋がっているなら、死骸の一部が届いたのかもしれない。生きている小さな個体が流されてきた可能性もある。

 

 先に、槽の外側を見る。

 

 籠を引き上げるための金具がある。

 

 その後ろには、腰の高さまで石の壁が立っていた。

 

 作業する者が、流れてくるものを直接浴びずに済む位置だ。

 

 ロックはその陰へ回り、長い道具を金具へ掛けた。

 

 持ち上げると、籠の底から液体が落ちる。

 

 少し引き、決められたらしい石の受けへ載せる。

 

 籠は、そこで安定した。

 

     ◇

 

 屑の中に、鉤があった。

 

 柄のない、歪んだ先端だけだ。

 

 昨日失い、今朝は身体の横へ寄せておいた道具。

 

 ロックは自分の物と見比べる必要もなかった。職人に直してもらった継ぎ目の金具が、まだついている。

 

「ここへ来るのか……」

 

 呟き、部屋を見回した。

 

 排出弁の先へ落ちたものは、全部がそのまま遠くへ流されるわけではない。

 

 少なくとも一部は、ここで受け止められる。

 

 あの大きな身体も、どこかの途中に残っているのだろうか。

 

 ロックは記録台の上へ戻り、回収槽の図を探した。

 

 次に知りたいことが、はっきりしていた。

 

 この籠の手前に、何があるのか。

 

     ◇

 

 図の中では、太い流路が二つに分かれていた。

 

 片方は、今いる部屋へ来る。

 

 もう片方は、幅の広い槽へ落ちている。

 

 その槽の上に、短い文字があった。

 

 粗大物。

 

 ロックは、そこから保守通路へ伸びる線を辿った。

 

 扉が一つ。

 

 今いる部屋の、奥の壁にある扉と位置が合う。

 

 目を向けると、確かに同じ印が刻まれていた。

 

 取っ手の下には、札を収める窪みがある。

 

 ロックは赤い石を入れた容器を鞄へしまい、手帳を閉じた。

 

 持ち帰る物は、一つできた。

 

 だが、その前に確かめたい。

 

 自分が押し流したものを、見えなくなったというだけで片づいたことにはできなかった。

 

 ロックは札を握り、奥の扉へ向かった。

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