低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
書斎の扉には衛兵が二人立っていた。
現場保存のためか、誰も中へ入れていないらしい。
「盗品調査だ」
案内役の衛兵が短く告げると、二人は不満そうな顔をしながら道を開けた。
ロックは部屋へ足を踏み入れる。
最初に感じたのは、血の臭いだった。
男爵の遺体はすでに運び出されているが、石床へ染み込んだ血はまだ黒く残っている。
部屋は思っていたほど荒れていない。
本棚も机も倒れておらず、椅子も元の位置に近い。
激しい争いがあったとは思えなかった。
「盗賊に襲われた部屋には見えませんね」
「何が言いたい」
衛兵が眉をひそめる。
「盗みに入った人間が見つかって、咄嗟に殺したなら、もっと暴れた跡が残るはずです」
男爵も貴族とはいえ成人男性。
素手で押さえつけられる相手ではない。
悲鳴を上げる。
机を倒す。
本棚へぶつかる。
それくらいの抵抗はする。
しかし、この部屋にはそれがない。
ロックはしゃがみ込み、床の血痕を観察した。
大きな血溜まりは机の横。
そこから扉まで細い血の筋が伸びている。
「遺体を運んだ跡ですね」
「そうだ」
「最初に倒れていた場所は?」
「ここだ」
衛兵が血溜まりを指差す。
ロックは頷き、今度は机へ近付いた。
羽ペン。
インク壺。
帳簿。
封を切られていない手紙。
そして……
「酒瓶が二つ?」
「来客と飲んでいたらしい」
グラスも二脚分ある。
片方は半分ほど酒が残り、もう片方は空。
「ラウル・ケスラーですね」
「そのはずだ」
「この酒は片付けていませんか」
「現場そのままだ」
ロックは酒の匂いを嗅いだ。
普通の葡萄酒。
毒の臭いはしない。
もっとも、臭いで分かる毒ばかりではないが。
机の上を見渡し、ロックの視線が止まる。
「紙が一枚ありません」
「何?」
「インクが乾いていません」
帳簿の最後の頁だけ、不自然に終わっている。
書きかけではない。
何かを書いた頁を破り取った跡だった。
「衛兵が持って行ったんじゃないのか」
ヨアヒムが尋ねる。
「持って行くなら帳簿ごとです」
ロックは紙の繊維を指でなぞった。
破ったのは昨夜。
まだ新しい。
「男爵は誰かへ何かを書いていた」
「遺書か?」
「分かりません」
しかし重要なのは内容ではない。
犯人が、その紙だけ持ち去ったことだ。
「盗賊なら帳簿の一頁だけ破って逃げません」
衛兵が腕を組む。
「宝石を探していて、間違えて破っただけかもしれん」
「帳簿は引き出しの中に入っていました」
「……そうだったな」
「しかも一番最後の頁だけです」
偶然とは考えにくい。
ロックは机の引き出しを一つずつ開けた。
鍵は開いている。
中には印章。
封蝋。
金貨が十数枚。
高価そうな万年筆。
どれも残ったままだ。
「盗みに来たなら、金貨くらい持っていきます」
「……」
「少なくとも、この部屋を漁った形跡はありません」
つまり。
犯人の目的は盗みではない。
最初から殺害だった。
◇
部屋を一巡したロックは、窓際へ立った。
問題の窓である。
衛兵が言うには、リュンクスはここから侵入した。
だが。
「鍵は内側ですね」
「閉まっていた」
「壊されてもいない」
窓枠を指でなぞる。
傷がない。
外壁にも爪を掛けた跡はない。
さらに。
「この高さ」
窓は地面から二メートル以上ある。
登れない高さではない。
しかし雨上がりだ。
壁は濡れている。
「壁を登れば泥が付きます」
ロックは窓枠の内側を見た。
乾いている。
泥がない。
「誰もここから入っていません」
衛兵の一人が顔をしかめた。
「だが足跡が」
「足跡だけです」
ロックは窓の外へ出た。
庭に残る三つの足跡。
昨日と同じ場所。
「やっぱり」
しゃがみ込み、指を土へ当てる。
「何だ」
「深さが全部同じです」
「それが?」
「歩けば違います」
一歩目。
二歩目。
三歩目。
人間は体重移動する。
深さが同じにはならない。
まして雨上がりの柔らかい土ならなおさら。
「これは靴を押し付けて作っています」
「……」
「しかも」
ロックは周囲を指差した。
「草が寝ていません」
人が歩けば草が倒れる。
だが三つの足跡の周囲だけ、不自然に草が立ったままだった。
「つまり」
「誰かが現場を偽装しました」
◇
衛兵は黙り込んでしまった。
ロックはさらに庭を見回す。
「番犬はどこにいました」
「向こうの犬小屋だ」
距離は二十メートルほど。
「この位置なら」
犬は窓の下まで見える。
知らない侵入者が来れば吠える。
だが門番の証言は食い違っていた。
一人は聞いていない。
一人は一度だけ聞いた。
「一度だけ吠えた」
ロックは呟く。
「それは侵入じゃない」
「何だというんだ」
「知っている人間が、知らない匂いを持って庭へ出た」
例えば。
女物の靴。
盗賊の手袋。
外套。
犯人が偽装工作をするため、一度だけ庭へ出た。
その時だけ犬が反応した。
だから吠えた。
しかし相手は屋敷の人間。
すぐ吠えるのをやめた。
「……あり得る」
ヨアヒムが低く呟く。
「まだ仮説です」
ロックは立ち上がる。
「でも一つ確実になりました」
「何だ」
「衛兵の考えた事件は存在しません」
盗賊が窓から侵入。
男爵と鉢合わせ。
咄嗟に殺害。
窓から逃走。
その物語は。
現場が完全に否定している。
◇
その時だった。
一人の衛兵が慌てて庭へ走ってきた。
「隊長!」
「何だ」
「ラウル・ケスラーが屋敷へ来ています!」
ロックとヨアヒムは顔を見合わせた。
「自分から?」
「ああ。事情聴取に協力すると」
ヨアヒムが口元を吊り上げた。
「随分と都合がいい」
ロックは静かに頷く。
「ええ」
「逃げない犯人ほど、よく喋ります」
そして。
よく嘘をつく。
ロックは屋敷の玄関へ向かって歩き出した。
事件当夜、男爵と最後に酒を酌み交わした男。
リュンクスへ首飾りの情報を流した男。
証言の食い違う来客。
ラウル・ケスラー。
この男への事情聴取が、事件を大きく動かすことになる。