低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第15話 よく喋る男

 ラウル・ケスラーは、犯人には見えなかった。

 

 少なくとも、捕まることを恐れて逃げ回る男には。

 

 年齢は四十前後。

 

 よく手入れされた焦茶色の髪。

 

 質のよい濃緑の上着に、銀糸の刺繍が入った襟巻き。

 

 指には商人らしく印章指輪を嵌めている。

 

 ただし、派手ではない。

 

 金を持っていることは分かるが、成金には見えない。

 

 何を着れば相手から信用されるか、よく知っている男の装いだった。

 

 ラウルは男爵邸の応接室へ通されると、居並ぶ衛兵たちへ丁寧に頭を下げた。

 

「昨夜のことで、まだ確認が必要だと伺いました。私に分かることであれば、何でもお話しいたします」

 

 声も落ち着いている。

 

 怯えもなければ、苛立ちもない。

 

 それどころか、自分から捜査へ協力しに来た善良な市民に見えた。

 

 案内役の衛兵は、露骨に安心した顔をした。

 

「助かります、ケスラー殿。昨夜のことを、もう一度お聞かせ願いたい」

 

「もちろんです」

 

 ロックは壁際に立ち、ラウルの姿を観察した。

 

 靴には泥が付いていない。

 

 袖口にも血の跡はない。

 

 爪もきれいに整えられている。

 

 だが、事件から一晩が過ぎている。

 

 衣服を替え、身体を洗う時間はいくらでもあった。

 

 見た目に証拠がないのは当然だった。

 

「こちらの少年は?」

 

 ラウルがロックへ目を向けた。

 

「商人組合から派遣された盗品調査役です」

 

 衛兵が答える。

 

 ラウルはわずかに眉を上げたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

 

「お若いのに、大したものですね」

 

「まだ何もしていません」

 

「謙遜は商売でも美徳ですが、しすぎると値打ちを損ないますよ」

 

 言葉の返しが早い。

 

 人を不快にさせず、自分が会話の主導権を握る。

 

 商人としては優秀なのだろう。

 

 ロックは軽く頭を下げた。

 

「それでは、昨夜のことを教えてください」

 

「ええ」

 

「男爵邸へ来た時刻は?」

 

「八つの鐘が鳴る少し前です」

 

「門番もそう証言しています」

 

「それなら、私の記憶も間違ってはいないようですね」

 

「誰に門を開けてもらいましたか」

 

「若い方でした。名前までは存じません」

 

 ハンスだ。

 

 ブルーノは、来客を自分が迎えたとは言っていない。

 

 ここまでは矛盾しない。

 

「玄関から書斎までは?」

 

「執事殿に案内していただきました」

 

「男爵とは、何の話を?」

 

「商談です」

 

「どのような?」

 

「個人的な取引ですので、あまり外へ漏らしたくはありませんが」

 

 ラウルは困ったように衛兵を見た。

 

 拒否ではない。

 

 話せない事情があると、先に印象づけている。

 

「男爵は殺されています」

 

 ロックが言った。

 

「今は取引上の秘密より、事件の解決が優先されます」

 

「おっしゃるとおりです」

 

 ラウルは素直に頷いた。

 

「レーヴェン男爵は、いくつかの債権を手放そうとしていました。私はその買い手を探していたのです」

 

「債権?」

 

「地方商人への貸付証文です。回収が難しいものも含まれておりました」

 

「男爵は金に困っていた?」

 

 案内役の衛兵が尋ねた。

 

 ラウルは一瞬だけ言葉を選んだ。

 

「困窮していた、とまで私から申すのは差し出がましいでしょう。ただ、手元の現金を必要としていたことは確かです」

 

「昨夜、その取引は成立しましたか」

 

「いいえ」

 

「なぜです」

 

「条件が折り合いませんでした」

 

「男爵は、いくらを求めていたんです」

 

「具体的な額は控えさせてください」

 

「取引の証文は?」

 

「まだ作成していません」

 

「では、あなたが本当に債権の話をしていた証拠はない」

 

 衛兵が眉を寄せる。

 

 ラウルは笑みを崩さなかった。

 

「そのとおりです。ただ、男爵の帳簿を確認すれば、関連する貸付先は分かるでしょう」

 

 帳簿。

 

 最後の頁が破られていた。

 

 ロックはラウルの顔を見た。

 

 彼がそれを知っているかどうか、表情からは読めない。

 

「男爵とは、酒を飲みながら話したんですね」

 

「はい。男爵がお好きな葡萄酒を開けられました」

 

「二本とも?」

 

 ラウルの目が、ほんのわずかに止まった。

 

「二本?」

 

「書斎の机に、酒瓶が二本ありました」

 

「ああ。一本はもともと開いていたものです。もう一本を、私がいる間に開けました」

 

「どちらを飲みました」

 

「新しく開けた方です」

 

「男爵も?」

 

「ええ」

 

「二人とも同じ瓶から?」

 

「そうだったと思います」

 

 曖昧にした。

 

 机には酒杯が二つあった。

 

 片方には酒が残り、片方は空だった。

 

 どちらが誰のものか、衛兵は記録していない。

 

「男爵は酔っていましたか」

 

「少しは。ですが、話ができないほどではありません」

 

「怒っていました?」

 

「取引がまとまらず、不機嫌にはなられていました」

 

「あなたと口論になった?」

 

「声が大きくなったことは認めます。しかし、商談では珍しくありません」

 

「誰かに聞かれています」

 

「おそらくは」

 

 ラウルは隠そうとしない。

 

 後から使用人の証言で明らかになることを先に認め、疑いを薄めようとしている。

 

「男爵の首に刃物を当てるほどの口論ではなかったと?」

 

 衛兵が直接尋ねた。

 

 ラウルはわずかに悲しげな表情を作った。

 

「もちろんです。商売で折り合わなかったからといって、人を殺す者がどこにおりますか」

 

 人は、いる。

 

 ロックはそう思ったが、口には出さなかった。

 

「書斎を出た時、男爵は生きていましたか」

 

「はい」

 

「確かですか」

 

「扉を出る時、男爵は私へ背を向け、机の帳簿を見ていました」

 

「何か書いていた?」

 

「そこまでは見ていません」

 

「帳簿の最後の頁が破られています」

 

 ロックが告げた瞬間。

 

 ラウルは驚いた。

 

 少なくとも、驚いたように見せた。

 

「それは、事件と関係が?」

 

「分かりません。あなたが帰る前に破られていたか、帰った後かも分かっていません」

 

「私は触れていません」

 

「まだ、あなたが触れたとは言っていません」

 

 ラウルは一度だけ瞬きをした。

 

 すぐに笑みを戻す。

 

「疑われているようでしたので、先にお答えしただけです」

 

「あなたは自分が疑われていると思っていますか」

 

「殺された方と最後に会った人間です。疑われない方が不自然でしょう」

 

 正論だった。

 

 だからこそ、答えとして整いすぎている。

 

          ◇

 

「屋敷を出た時刻は?」

 

 ロックが尋ねる。

 

「九つの鐘が鳴るより、かなり前です」

 

「かなり前とは?」

 

「四半刻ほどでしょうか」

 

「門番の証言では、九つの鐘の後にあなたを見送ったと言っています」

 

 ラウルは、すぐには答えなかった。

 

 初めてだった。

 

 質問を受けてから返事までに、明確な間が生まれた。

 

「それは、若い門番の方ですか」

 

「なぜそう思うんです」

 

「昨夜、私を見送ったのが若い方だったからです」

 

「もう一人は?」

 

「姿を見ていません」

 

 ブルーノが厠へ行っていた時間と一致する。

 

 ただし、ハンスは九つの鐘の後に見送ったと言った。

 

 ラウルは九つの鐘より前だと主張する。

 

「鐘を聞きましたか」

 

「いいえ。帰りの馬車へ乗ってから聞いたのだと思います」

 

「思います?」

 

「申し訳ありません。夜のことです。正確なところまでは」

 

「御者がいますね」

 

「ええ」

 

「確認できますか」

 

「もちろんです」

 

 ラウルは余裕を取り戻した。

 

 御者と口裏を合わせている可能性がある。

 

 あるいは、本当に九つの鐘より前に帰っている。

 

「男爵邸から、あなたの家までは馬車でどのくらいです」

 

「道が空いていれば四半刻ほどです」

 

「昨夜、家に着いた時刻は?」

 

「九つの鐘が鳴ってから、あまり経っていなかったと思います」

 

「家では誰が迎えました」

 

「妻と使用人です」

 

 アリバイを用意している。

 

 ただし、家族と雇い人の証言は弱い。

 

 雇い主を庇うこともできる。

 

「あなたの馬車は、屋敷の正門から出ましたか」

 

「はい」

 

「裏門ではなく?」

 

「裏門の位置すら知りません」

 

 嘘だ。

 

 ロックはそう感じた。

 

 何度も屋敷へ出入りしている男が、荷物や使用人が使う裏門の存在を知らないとは考えにくい。

 

 だが、知っているだけでは罪にならない。

 

          ◇

 

「青金石を囲んだ銀の首飾りをご存じですね」

 

 ロックが話題を変えると、ラウルの笑みが薄くなった。

 

「どこで、その品のことを?」

 

「質問しているのはこちらです」

 

「失礼しました」

 

 ラウルは指を組み直した。

 

「存じています。男爵が競売で落札した品です」

 

「あなたも競売に参加していた?」

 

「品物を仲介しただけです」

 

「誰から誰へ?」

 

「売り手の名は伏せられていました。男爵は私を通じて代金を支払っています」

 

「なぜ財産目録に載っていないんです」

 

「それは男爵にお尋ねいただかなければ」

 

「もう聞けません」

 

「そうでしたね」

 

 言葉は丁寧だ。

 

 だが、死者への痛みがない。

 

「首飾りは、今どこにあります」

 

「男爵が保管していたはずです」

 

「屋敷のどこに?」

 

「知りません」

 

「知らないのに、盗賊へ情報を売ったんですか」

 

 応接室の空気が止まった。

 

 衛兵がラウルを見る。

 

 ヨアヒムは壁際で腕を組んだまま、何も言わない。

 

 ラウルの表情から、笑みが消えた。

 

「盗賊?」

 

「リュンクスという女盗賊へ、男爵が首飾りを持っていると教えましたね」

 

「そのようなことは」

 

「していない?」

 

「私は、犯罪者へ情報を売る商売などしておりません」

 

「彼女が嘘をついていると?」

 

「その女が何を言ったかは存じませんが、殺人の容疑から逃れるためなら、商人一人を巻き込むことくらいするでしょう」

 

 反応は早かった。

 

 だが、先ほどまでとは違う。

 

 防御ではなく、リュンクスへ疑いを返した。

 

「僕は、リュンクスがあなたの名を出したとは言っていません」

 

 ラウルの口が閉じた。

 

「ヨアヒムさんから聞いただけです。リュンクス本人からは、まだ一言も事情を聞いていない」

 

「……言葉尻を捉えるのがお好きなようだ」

 

「大事な仕事ですから」

 

「ならば、はっきり申し上げましょう。私はその女を知りません」

 

「会ったこともない?」

 

「ありません」

 

「情報を売ったことも?」

 

「ありません」

 

「では、なぜリュンクスが首飾りを狙っていたと知っているんです」

 

「知ってなどいません」

 

「今、殺人の容疑から逃れるために商人を巻き込むと言いました」

 

「盗賊が宝石を狙うのは当然でしょう」

 

「首飾りの存在は、公になっていません」

 

 財産目録にもない。

 

 夫人も知らないと答えた。

 

 男爵が公然と身に着けていたわけでもない。

 

 リュンクスが首飾りを狙っていたと知るには、彼女本人か、情報を渡した者と接触していなければならない。

 

「推測です」

 

「便利な言葉ですね」

 

 ラウルはロックを見据えた。

 

 初めて、その目から愛想が消えていた。

 

「少年。あなたは何を調べたいのです」

 

「男爵を殺した人間です」

 

「捕まっているのでしょう」

 

「本当にそう思っていますか」

 

「衛兵隊の判断を、私は信頼しております」

 

 当の衛兵が、気まずそうに目を逸らした。

 

 現場偽装を見落としていたことは、すでに分かっている。

 

 それでもラウルは、衛兵の結論へ乗る。

 

 犯人が捕まっていることにしたい。

 

 少なくとも、その方が都合のいい人物だった。

 

          ◇

 

「昨夜、男爵は首飾りを持っていましたか」

 

「知りません」

 

「書斎にあった?」

 

「知りません」

 

「取引の担保として見せられたことは?」

 

「ありません」

 

「では、なぜあなたは今日、屋敷へ来たんです」

 

「事情聴取へ協力するためです」

 

「誰から呼ばれました」

 

 ラウルが黙った。

 

 案内役の衛兵が首を傾げる。

 

「我々は呼んでいない」

 

「男爵家の家令から、まだ確認があるかもしれないと使いが来ました」

 

「いつです」

 

「今朝です」

 

「使いの顔は?」

 

「男爵家の使用人でしょう。名前までは」

 

「屋敷の誰かに確認できますか」

 

「必要なら」

 

 ロックは家令を呼ばせた。

 

 ほどなくして、痩せた家令オスカーが応接室へ入ってくる。

 

「ケスラー殿へ使いを出しましたか」

 

「いいえ」

 

 答えは即座だった。

 

 ラウルは家令を見る。

 

「今朝、男爵家から使いが来たのです」

 

「私は出しておりません。執事にも、そのような指示はしていません」

 

「では、誰かが勝手に」

 

「使いは何と言いました」

 

 ロックが割って入る。

 

 ラウルは、わずかに息を吐いた。

 

「男爵殺害について、衛兵が昨夜の来客へ再確認したがっている。早めに屋敷へ来た方がよいと」

 

「だから来た?」

 

「ええ」

 

「差出人の書状は?」

 

「口頭でした」

 

「知らない使用人の言葉だけで?」

 

「男爵が殺されたのです。呼ばれる可能性は考えていました」

 

 あり得ない話ではない。

 

 しかし、よく喋るラウルが、使いの人相や服装については何も説明しない。

 

「使いは男でしたか。女でしたか」

 

「男です」

 

「年齢は?」

 

「若かったと思います」

 

「服装は?」

 

「地味な使用人服でした」

 

「男爵家の紋章は?」

 

「覚えていません」

 

「馬で来た?」

 

「徒歩です」

 

「あなたの家を、どうやって知ったんでしょう」

 

 ラウルが止まった。

 

 そこだった。

 

 男爵家の正式な使いなら、取引相手の住所を知っていても不思議ではない。

 

 だが家令は使いを出していない。

 

 第三者がラウルの家へ使者を送り、男爵邸へ呼び出したことになる。

 

 その第三者は、昨夜ラウルが男爵邸にいたことも、彼の住居も知っている。

 

「その使いを探した方がよさそうですね」

 

 ロックが言うと、ラウルは不快そうに眉を寄せた。

 

「それは衛兵の仕事でしょう」

 

「ええ。ですが、その前にあなたの御者と使用人から話を聞きます」

 

「私を犯人扱いするのですか」

 

「していません」

 

「では、なぜ」

 

「あなたの証言が本当か確かめるためです」

 

「私の信用を疑うと?」

 

「事件では、信用より確認を優先します」

 

 ラウルは椅子から立ち上がった。

 

「私は善意で来たのです。それを犯罪者のように扱われるのであれば、これ以上の協力は控えさせていただく」

 

「帰るんですか」

 

「必要なことは話しました」

 

「男爵邸へ来るように伝えた使いを探さずに?」

 

「私には関係ありません」

 

「あなたを事件へ呼び戻した人物ですよ」

 

「衛兵が探せばよいでしょう」

 

 ロックは黙って、ラウルの右手を見た。

 

 立ち上がった拍子に、上着の袖が少しずれている。

 

 手首に、細い傷があった。

 

 新しい。

 

 爪で引っかいたような傷ではない。

 

 鋭い金属か、粗い木片で擦った跡。

 

「その傷は?」

 

 ラウルは反射的に袖を引いた。

 

「荷箱で擦っただけです」

 

「いつ?」

 

「昨日の昼です」

 

「商人本人が、荷箱を運ぶんですね」

 

「品を確認することくらいあります」

 

「どこの倉庫で?」

 

「東市場の倉庫です」

 

「確認できますか」

 

 ラウルの目が鋭くなる。

 

「いい加減にしていただきたい」

 

「確認できないんですか」

 

「できる。だが、あなたへ答える義務はない」

 

 ラウルは衛兵へ向き直った。

 

「正式な召喚状があるなら、改めて伺います。本日はこれで失礼する」

 

 衛兵は止められなかった。

 

 現時点では、ラウルを拘束する証拠がない。

 

 疑わしいだけだ。

 

 ラウルは応接室を出ていく。

 

 その足取りは早かった。

 

 逃げるほどではない。

 

 だが、来た時の余裕は完全に失われていた。

 

          ◇

 

「追わせるか」

 

 ヨアヒムが尋ねた。

 

「お願いします。ただし、気づかれないように」

 

「行き先だけでいいか」

 

「誰と会うかも。それから、家へ戻ったら、今朝来たという使いのことを調べてください」

 

「使いなど最初からいないと思うか」

 

「半分は」

 

「もう半分は?」

 

「誰かに呼び出された可能性です」

 

 犯人がラウルなら、自分から現場へ戻った理由が必要になる。

 

 呼び出されたと嘘をついた。

 

 そう考えるのが簡単だ。

 

 しかし、別の人物がラウルを屋敷へ来させた可能性もある。

 

 捜査の流れを確認させるため。

 

 余計なことを話させるため。

 

 あるいは、ラウルへ疑いを向けるために。

 

「ケスラーが犯人だと思うか」

 

 衛兵が尋ねた。

 

「候補の一人です」

 

「随分と怪しかったぞ」

 

「怪しいことと、犯人であることは違います」

 

 ラウルは嘘をついた。

 

 少なくとも、リュンクスを知らないという言葉は信用できない。

 

 首飾りの情報を流した。

 

 男爵と最後に会っていた。

 

 帰宅時刻の証言が食い違う。

 

 帳簿の破られた頁にも反応した。

 

 手首には新しい傷。

 

 それでも、まだ足りない。

 

「彼が犯人なら、わざわざ屋敷へ戻る必要はありません」

 

「無実を装うためだろう」

 

「それなら、もっと準備してきます。帰宅時刻や使いの話で、これほど簡単に矛盾を出すとは思えません」

 

「では、犯人ではないと?」

 

「そうとも言っていません」

 

 ラウルが嘘をついている理由が、殺人とは限らない。

 

 男爵との違法な取引。

 

 首飾りの出所。

 

 債権ではない本当の商談。

 

 知られれば自分の商売が終わる何か。

 

 殺人事件の周囲には、殺人と無関係な嘘が多すぎる。

 

 それを一つずつ剥がさなければならない。

 

「次は誰だ」

 

 ヨアヒムが尋ねる。

 

「侍女のマルタです」

 

「夫人の部屋にいた女か」

 

「いたと言っています。でも、別の侍女は階段を下りる姿を見た」

 

「ただの嘘かもしれん」

 

「ええ。だから何のための嘘かを調べます」

 

 夫人のアリバイを支える侍女。

 

 その侍女自身には、空白の時間がある。

 

 さらに夫人は、首飾りについて知らないと言いながら、それが自分への贈り物ではないことを知っていた。

 

 ロックは廊下の先へ目を向けた。

 

 夫人の部屋。

 

 その近くに控えている侍女たち。

 

 貴族の家では、主人より使用人の方が多くを知っている。

 

 そして、主人の秘密を守るためなら平然と嘘もつく。

 

「侍女を一人で呼んでください」

 

「夫人の許可は?」

 

「取りません」

 

 ロックは歩き出した。

 

「先に許可を求めれば、答えを用意する時間を与えます」

 

 ラウル・ケスラーは、よく喋る男だった。

 

 だが、話した言葉よりも。

 

 話さなかったこと。

 

 答える前に止まったこと。

 

 触れられたくない話題へ向けた反応。

 

 そこに、嘘の輪郭が浮かんでいた。

 

 次に聞くのは、主人のために嘘をつく女。

 

 侍女マルタが守っているのは、夫人のアリバイか。

 

 それとも――夫人自身も知らない、別の秘密か。

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