低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
応接室へ戻ると、夫人エレオノーラは先ほどと変わらぬ姿勢で椅子に座っていた。
気丈に振る舞ってはいる。
だが、先ほどよりも顔色は悪い。
夫の死。
屋敷中を歩き回る衛兵。
終わりの見えない事情聴取。
精神的な疲労は隠し切れなくなっていた。
「また私ですか」
「はい」
ロックは正面へ腰を下ろした。
「今度は隠し事をしないでください」
夫人の眉がぴくりと動く。
「侍女から何を聞いたのです」
「愛人のことです」
その一言だけで十分だった。
夫人は小さく目を閉じる。
「マルタは話してしまいましたか」
「責めないであげてください」
「責めるつもりはありません」
夫人は力なく微笑んだ。
「いつかは知られることでした」
しばらく沈黙が続いた。
ロックは急かさない。
やがて夫人は、自分から口を開いた。
「主人は……変わりました」
「いつ頃からですか」
「半年前ほどでしょうか」
「どのように」
「帰宅が遅くなりました」
「仕事ではなく?」
「女性の香りがするようになりました」
ヨアヒムは黙ったまま聞いている。
「最初は思い過ごしだと思いました」
夫人は膝の上で手を組む。
「ですが、主人は私と目を合わせなくなりました」
「それで愛人を疑った」
「ええ」
「問い詰めましたか」
「何度も」
「認めました?」
「最後まで認めませんでした」
男爵らしい。
証拠がない限り否定を続ける。
それが夫婦仲をさらに悪化させた。
「首飾りは、その頃ですか」
「競売の話を耳にしました」
「誰から」
「商人です」
「ラウル・ケスラー?」
「ええ」
ロックはヨアヒムと目を合わせた。
またラウルだった。
「ラウルは何と言いました」
「『奥様への贈り物に、これほど相応しい宝石はありません』と」
「その場に男爵も?」
「主人もおりました」
「男爵は何と」
「笑って『そのつもりだ』と」
つまり。
最初から夫人へ贈る予定だった。
「ところが渡されなかった」
「はい」
「ラウルは、その後何か言いましたか」
「いいえ」
夫人は首を振る。
「ですが……」
「何でしょう」
「主人は競売から戻った日、一度だけ首飾りを持ち帰りました」
ロックの目が細くなる。
「見たんですね」
「ええ」
「どこで」
「書斎です」
「箱に入っていた?」
「青い布箱でした」
「それから?」
「翌日には無くなっていました」
「誰が持ち出したか見ましたか」
「いいえ」
「主人が?」
「分かりません」
だが一つだけ事実が分かった。
首飾りは確かに屋敷へ運び込まれている。
情報そのものは間違っていなかった。
◇
「屋敷を出る時、主人は決まった曜日がありました」
夫人は自分から話し始めた。
「火の日と風の日です」
「毎週?」
「ほとんど」
「時間は」
「夕方から夜」
「御者は同じ?」
「はい」
「どこへ行くか知っていますか」
「教えてはくれませんでした」
「尾行したことは?」
「ありません」
「なぜ」
夫人は苦く笑う。
「尾行して、本当に愛人がいたら……私は立ち直れませんでした」
その言葉に嘘は感じられなかった。
知る勇気がなかった。
だから疑いだけを抱え続けた。
「御者の名前は?」
「エルンストです」
「今も屋敷に?」
「おります」
ロックは紙へ書き込む。
御者なら行き先を知っている。
男爵が愛人へ会いに行っていたなら、その居場所まで把握しているはずだ。
◇
「もう一つ」
ロックが尋ねる。
「男爵は昨夜、誰かを待っていましたか」
「え?」
「ラウル以外です」
夫人は少し考えた。
「……そういえば」
「何かありましたか」
「主人は夕食の席で時計ばかり気にしていました」
「ラウルとの約束?」
「いいえ」
「違う?」
「ラウルは予定どおり来ました」
「では誰を」
「分かりません」
時計。
待ち合わせ。
誰かが来る予定だった。
だが現れなかった。
あるいは。
屋敷の別の場所から現れた。
「昨夜、裏門は使われましたか」
「私は存じません」
「裏門の鍵は誰が」
「家令と執事です」
ヨアヒムが低く呟く。
「家令か執事か」
「ええ」
ロックは頷いた。
裏門を使える者なら、人目を避けて出入りできる。
正門の門番にも見つからない。
「最後に」
ロックは夫人を真っ直ぐ見た。
「もし愛人が見つかったら、会いますか」
夫人は驚いたように目を見開いた。
「……ええ」
「責めるためではありません」
「分かっています」
「首飾りを持っているか確かめたいだけです」
夫人は小さく息を吐いた。
「その方は……悪い人ではないかもしれません」
「どうしてそう思うんです」
「主人が変わったのは事実です。でも、家族へ暴力を振るったことはありませんでした」
「愛人が主人を利用していた可能性もあります」
「あるでしょう」
「それでも?」
「主人を殺す理由まではありません」
その言葉が、ロックの胸に引っ掛かった。
夫人は愛人を憎んでいる。
それでも、殺人犯とは結び付けていない。
感情ではなく、夫を見てきた経験からそう言っている。
◇
応接室を出ると、ヨアヒムが口を開いた。
「御者だな」
「ええ」
「次はエルンストか」
「その前に」
ロックは廊下の窓から庭を見た。
「裏門です」
「裏門?」
「門番は正門しか見ていません」
「そうか」
「もし犯人が裏門を使っていたなら、正門の証言が食い違う理由も説明できます」
ラウルがいつ帰ったのか。
誰が門を開けたのか。
それらが曖昧なのは、事件の本筋が正門ではなかったからかもしれない。
「裏門の鍵を扱えるのは家令と執事」
「そして御者は、男爵の秘密を知っている」
「はい」
ロックは歩き出した。
「事件は、少しずつ一本の線になってきました」
「どう見えてきた」
「男爵は首飾りを屋敷へ持ち帰った」
「その後、誰かへ渡した」
「リュンクスは、その情報を掴んで屋敷へ向かった」
「そして犯人は、その計画を知っていた」
だから利用した。
盗賊を。
首飾りを。
男爵を。
すべて利用して、殺人を覆い隠した。
「次は裏門を調べます」
ロックは静かに言った。
「現場は書斎だけじゃありません」
「犯人は、必ず出入りしています」
「その痕跡が、まだどこかに残っているはずです」