低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第21話 夜鴉の先を行け

 ロックは屋根の陰へ身体を沈めた。

 

 灰色の外套をまとった男は、染物工房の窓から中を覗いている。

 

 右手には黒い石の指輪。

 

 鳥が翼を畳んだような意匠だった。

 

 オスカー・ヴァルデン。

 

 男爵の書斎にいた男。

 

 そして、男爵が恐れていた相手。

 

 ロックは短剣へ触れたまま、すぐには動かなかった。

 

 あの男を倒せば終わり。

 

 そんな状況ではない。

 

 ヴァルデンは屋根に一人で立っている。

 

 だが工房の中へ合図を送っていた。

 

 つまり、仲間がいる。

 

 狙撃手もまだ近くにいるかもしれない。

 

 今ここで戦えば、首飾りを回収する前に包囲される。

 

 優先するべきなのは証拠だった。

 

 ロックは屋根瓦の隙間から、工房の周囲を観察する。

 

 正面の路地には誰もいない。

 

 裏口にも人影は見えない。

 

 だが、一階の割れた窓の奥で影が動いた。

 

 一人。

 

 二人。

 

 少なくとも、工房の中には二人いる。

 

 ヴァルデンを合わせて三人。

 

 狙撃手が別にいるなら四人。

 

「正面からは無理ですね」

 

 ロックは小さく呟いた。

 

 相手より強い必要はない。

 

 相手より先に目的を果たせばいい。

 

          ◇

 

 ヴァルデンが屋根から身を引いた。

 

 隣の建物へ渡り、裏側へ降りていく。

 

 工房の内部を調べさせ、自分は逃げ道を押さえるつもりだろう。

 

 ロックは男が完全に見えなくなるまで待った。

 

 それから屋根を這うように移動する。

 

 カイの寝床は二階。

 

 床板の三枚目。

 

 釘が一本だけ錆びていない。

 

 問題は、そこへどう入るかだった。

 

 二階の窓は先ほど毒矢で破られている。

 

 開口部としては使える。

 

 だが、そこから入れば一階にいる男たちへ音を聞かれる。

 

 ロックは屋根の上を探った。

 

 古い染物工房には、染料を煮るための大きな炉がある。

 

 その煙を逃がすため、煙突も太い。

 

 しかし、人が通れるほどではない。

 

 代わりに屋根の端に、小さな換気窓があった。

 

 湿気と熱気を逃がすためのものだろう。

 

 板で塞がれているが、釘は古い。

 

 ロックは腰の道具袋から細い金具を取り出した。

 

 板と屋根の隙間へ差し込み、少しずつ持ち上げる。

 

 力を掛けすぎれば、乾いた木が割れる。

 

 音が出る。

 

 だから急がない。

 

 一本。

 

 二本。

 

 三本。

 

 古い釘をゆっくり浮かせる。

 

 板が外れた。

 

 中は暗い。

 

 だが、二階の梁までは手が届く。

 

 ロックは身体を滑り込ませた。

 

          ◇

 

 二階には誰もいなかった。

 

 一階から、荒々しく物を動かす音が聞こえる。

 

「箱はどこだ」

 

「分からねえ。上じゃないのか」

 

「上は後だ。先に床下を探せ」

 

 男たちは排水路を調べている。

 

 ロックたちがそこから逃げたと気づいたのだろう。

 

 カイの隠し場所までは知らない。

 

 だが時間の問題だった。

 

 ロックは梁の上を進む。

 

 足の裏へ体重を分散させ、古い木材を軋ませない。

 

 二階の床へ降りる。

 

 寝床はすぐ見つかった。

 

 薄い毛布。

 

 藁を詰めた粗末な寝台。

 

 壁際には木箱が一つ。

 

 暮らしに必要な物は、それだけだった。

 

 ロックは寝台をわずかに持ち上げる。

 

 床板を数える。

 

 一枚目。

 

 二枚目。

 

 三枚目。

 

 釘は四本。

 

 そのうち一本だけ、確かに錆びていない。

 

 新しく打ち直した跡がある。

 

 ロックは金具を差し込み、釘を抜く。

 

 床板を持ち上げた。

 

 中には青い布包みがあった。

 

 手に取る。

 

 軽い。

 

 布を少しだけ開くと、銀色の鎖と青い宝石が見えた。

 

 男爵夫人が見た首飾り。

 

 リュンクスが盗みに入った目的。

 

 そして、死んだ女性が実在した証拠。

 

 ロックは布を閉じ、懐へ入れた。

 

 その瞬間。

 

 一階の音が止まった。

 

「今、上で音がしたぞ」

 

 気づかれた。

 

          ◇

 

 階段を上る足音。

 

 一人。

 

 続いてもう一人。

 

 ロックは寝台を戻した。

 

 首飾りを取った痕跡までは隠せない。

 

 だが、すぐに見つからなければいい。

 

 部屋を見回す。

 

 窓。

 

 換気口。

 

 階段。

 

 逃げ道は三つ。

 

 だが換気口へ戻るには時間が掛かる。

 

 窓から飛び出せば、狙撃される可能性がある。

 

 階段は敵が上がってきている。

 

 ロックは木箱を開いた。

 

 中には古着と布切れ。

 

 染物工房らしく、使いかけの染料壺もある。

 

 赤。

 

 青。

 

 黄色。

 

 ほとんど乾いている。

 

 その中に一つだけ、蓋が閉じられた小壺があった。

 

 開ける。

 

 濃い黒色の粉。

 

 染料ではない。

 

 煤と細かな灰を混ぜたものだった。

 

 カイが火を起こす時に使っていたのだろう。

 

 ロックは部屋の隅にあった水差しを手に取る。

 

 黒い粉を入れ、軽く振った。

 

 階段の足音が近づく。

 

「上にいるぞ」

 

「窓を見ろ」

 

 ロックは水差しを階段脇へ置いた。

 

 それから細い紐を取出し、取っ手へ結ぶ。

 

 反対側を寝台の脚へ回す。

 

 短い仕掛けだった。

 

 大した罠ではない。

 

 人を傷つけるためでもない。

 

 ただ、一瞬だけ視界と足を奪う。

 

 それで十分だった。

 

 ロックは窓の下へ移動し、壁へ背をつけた。

 

 足音が階段を上り切る。

 

 一人目の男が部屋へ顔を出した。

 

「誰だ!」

 

 男はロックを見つける。

 

 同時に踏み込む。

 

 足が紐へ引っ掛かった。

 

 水差しが倒れる。

 

 黒い水が男の顔と胸へ飛び散った。

 

「うわっ!」

 

 男は目を押さえる。

 

 後ろから来た仲間がぶつかる。

 

 二人が階段の上で絡み合った。

 

 ロックは走った。

 

 一人目の肩を踏み台にする。

 

「貴様!」

 

 二人目が腕を伸ばす。

 

 ロックは身体を捻り、その手を躱した。

 

 階段の手摺へ片足を掛ける。

 

 そのまま一階へ飛び降りた。

 

 着地と同時に転がる。

 

 背後で怒鳴り声が響く。

 

「逃がすな!」

 

          ◇

 

 一階にはもう一人いた。

 

 排水路の蓋を調べていた男だ。

 

 男は棍棒を持っている。

 

 ロックが降りてくるのを見ると、迷わず振り上げた。

 

 正面は塞がれた。

 

 裏口までは男の横を抜けなければならない。

 

 ロックは走る速度を落とさない。

 

 男が棍棒を振る。

 

 狙いは頭。

 

 大きな一撃だった。

 

 当たれば終わる。

 

 だが、大きく振った武器は途中で止められない。

 

 ロックは床へ低く滑り込んだ。

 

 棍棒が頭上を通り過ぎる。

 

 男の足元へ入り、片足を払う。

 

「ぐっ!」

 

 男が体勢を崩す。

 

 ロックは起き上がりながら背中を押した。

 

 男は染料桶へ頭から突っ込んだ。

 

 空の桶が派手な音を立てて転がる。

 

「この野郎!」

 

 階段から二人が降りてくる。

 

 ロックは裏口へ向かった。

 

 扉には閂が掛かっている。

 

 外す。

 

 扉を開ける。

 

 そこに、灰色の外套が立っていた。

 

 ヴァルデンだった。

 

          ◇

 

「やはり戻ってきたか」

 

 ヴァルデンは落ち着いていた。

 

 手には細身の剣。

 

 屋根で見た時と同じ黒い石の指輪が光っている。

 

「首飾りを渡せ」

 

「何のことでしょう」

 

「子供の使う手ではない。余計なことを覚えるな」

 

 背後から足音が迫る。

 

 前にはヴァルデン。

 

 後ろには三人。

 

 ロックは裏口の敷居で立ち止まった。

 

「男爵を殺しましたか」

 

「今さら聞くことか」

 

「答えないんですね」

 

「答えを知ってどうする」

 

「衛兵へ渡します」

 

 ヴァルデンは笑った。

 

「衛兵が君を信じると思うか」

 

「証拠があります」

 

「その証拠を持ったまま、ここから出られればな」

 

 ヴァルデンは剣先をわずかに上げる。

 

 背後の男たちも間合いを詰める。

 

 正面突破はできない。

 

 ロックは周囲を見る。

 

 裏路地。

 

 積まれた薪。

 

 崩れかけた塀。

 

 屋根から下がる古い滑車。

 

 染め上げた布を吊るすために使っていたものだろう。

 

 滑車には太い縄が残っている。

 

 縄の先は二階の窓の近くへ繋がっていた。

 

 ロックは左手を懐へ入れた。

 

 ヴァルデンの視線が動く。

 

「首飾りを出せ」

 

「嫌です」

 

「なら、その手ごと落とす」

 

 ヴァルデンが踏み込んだ。

 

 ロックは懐から何かを投げる。

 

 青い布包み。

 

 ヴァルデンの目がそちらへ向く。

 

「取れ!」

 

 背後の男が叫ぶ。

 

 布包みは薪の山へ落ちた。

 

 ヴァルデンが一瞬だけ進路を変える。

 

 それが狙いだった。

 

 中身は首飾りではない。

 

 カイの部屋から拾った古い鎖と石を、布切れで包んだだけの偽物。

 

 ロックは滑車の縄を掴んだ。

 

 短剣で留め縄を切る。

 

 上に吊られていた古い染料桶が落下した。

 

「下がれ!」

 

 ヴァルデンが叫ぶ。

 

 桶が路地へ叩きつけられる。

 

 中に残っていた染料の粉と埃が、一気に舞い上がった。

 

 灰色の雲が視界を覆う。

 

 ロックは塀へ走った。

 

「逃がすな!」

 

 声は聞こえる。

 

 だが相手も見えていない。

 

 ロックは塀へ足を掛ける。

 

 上へ。

 

 崩れた煉瓦を掴む。

 

 向こう側へ身体を投げ出す。

 

 着地した先は別の工房の裏庭だった。

 

 そのまま走る。

 

 止まらない。

 

 振り返らない。

 

          ◇

 

 三本目の路地を曲がったところで、背後から風切り音がした。

 

 矢が壁へ突き刺さる。

 

 狙撃手だ。

 

 まだ屋根にいる。

 

 ロックは建物の陰へ飛び込む。

 

 二本目は来ない。

 

 角度が切れた。

 

 だが、ヴァルデンたちもすぐ追ってくる。

 

 ロックは懐からヨアヒムにもらった笛を取り出した。

 

 強く吹く。

 

 甲高い音が路地へ響く。

 

 一度。

 

 二度。

 

 三度。

 

 返事はない。

 

「本当に音が鳴るだけですね」

 

 ロックは苦笑した。

 

 だが、笛の音を聞いたのは仲間だけではない。

 

 周囲の家々で戸が開く。

 

「何だ?」

 

「火事か?」

 

「誰か呼んだのか?」

 

 人の声が増える。

 

 窓から顔を出す者もいる。

 

 ヴァルデンたちにとって、人目は邪魔になる。

 

 ロックは大通りへ向かった。

 

 人の多い場所へ出れば、相手は簡単には刃を振るえない。

 

 後ろから足音が追ってくる。

 

 近い。

 

 ロックは角を曲がる。

 

 その先に、荷車が停まっていた。

 

 積まれているのは染料袋。

 

 御者は笛の音に驚き、周囲を見回している。

 

「すみません!」

 

 ロックは荷車へ飛び乗った。

 

「何だお前!」

 

「後で謝ります!」

 

 荷袋の陰へ潜り込む。

 

 直後、ヴァルデンの男たちが路地から飛び出してきた。

 

「小僧を見なかったか!」

 

「知らねえよ!」

 

「灰色の服を着た奴だ!」

 

「勝手に荷車へ触るな!」

 

 御者が怒鳴る。

 

 追手は荷車の中を調べようとする。

 

 その時、近くから別の声が響いた。

 

「そこで何をしている!」

 

 巡回中の衛兵だった。

 

 笛の音と騒ぎを聞きつけたらしい。

 

「何でもありません」

 

「刃物を持って何でもないわけがあるか!」

 

 追手の足が止まる。

 

 ロックは荷袋の隙間から様子を窺う。

 

 ヴァルデンの姿はない。

 

 追ってきたのは手下だけ。

 

 主人はすでに退いたのだろう。

 

 衛兵が男たちを問い詰める。

 

 その間に荷車が動き出した。

 

「まったく、何なんだ今日は」

 

 御者が悪態をつく。

 

 ロックは荷袋の陰で息を整えた。

 

 懐には、本物の首飾りがある。

 

 奪われていない。

 

 壊れてもいない。

 

 これでカイとの約束は果たせる。

 

          ◇

 

 しばらくして、ロックは荷車から降りた。

 

 御者へ事情をすべて話すわけにはいかない。

 

 代わりに、懐から小銭を渡す。

 

「ご迷惑をおかけしました」

 

「本当だよ。もう勝手に乗るな」

 

「気をつけます」

 

「次にやったら衛兵へ突き出すぞ」

 

「はい」

 

 御者は不機嫌なまま去っていった。

 

 ロックは周囲を確認する。

 

 ここは北市場の外れ。

 

 ラーダ神殿へ向かう道からは少し外れている。

 

 だが追手を撒くには都合がいい。

 

 ロックは首飾りの包みを確かめた。

 

 青い布。

 

 銀の鎖。

 

 深い青色の宝石。

 

 見た目は美しい。

 

 だが、今では一人の女性が売られ、死んだことを示す遺品でもある。

 

 男爵はこれを買い戻した。

 

 名簿と手紙だけでは、数字や文字として処理されてしまう。

 

 だから遺品を添えた。

 

 そこに人間がいたことを示すために。

 

 ロックは布を閉じた。

 

「届けますよ」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 男爵へ。

 

 カイへ。

 

 あるいは、首飾りの元の持ち主へ。

 

 それからラーダ神殿へ向かって歩き出した。

 

          ◇

 

 神殿へ近づくにつれ、辺りは明るくなっていく。

 

 夕暮れの中でも、知識神の神殿には灯りが多い。

 

 夜も書物を読む者のためだろう。

 

 石造りの正面階段。

 

 柱に刻まれた文字。

 

 出入りする神官や学者。

 

 ここまで来れば、さすがにヴァルデンも簡単には襲えない。

 

 ロックは少しだけ息を緩めた。

 

 しかし、階段の下で足を止める。

 

 ヨアヒムの姿が見えない。

 

 カイもいない。

 

 ラウルもいない。

 

 先に着いているはずだった。

 

 ロックは神殿の門番へ近づいた。

 

「アウグスト・リンデルという学者に会いたいのですが」

 

「面会の約束は?」

 

「ありません」

 

「用件は」

 

「バルテル・レーヴェン男爵からの届け物です」

 

 門番の表情が変わった。

 

「少し待て」

 

 神殿の中へ入っていく。

 

 ほどなくして、別の神官が現れた。

 

 年配の男だった。

 

「君が届け物を?」

 

「僕だけではありません。先に、足の悪い少年と灰色の髪の男が来ているはずです」

 

 神官は眉をひそめる。

 

「そのような者は来ていない」

 

「本当に?」

 

「少なくとも正門からは」

 

 嫌な予感がした。

 

 ヨアヒムは盗賊ギルドの隠れ家を経由すると言っていた。

 

 多少遅れることはある。

 

 だが、ラーダ神殿までの距離を考えても遅すぎる。

 

「裏門はありますか」

 

「あるが、関係者しか使わない」

 

「アウグスト・リンデルさんは神殿に?」

 

 神官の顔が曇る。

 

「それが……」

 

「何かあったんですか」

 

「リンデル殿は今日、神殿へ来ていない」

 

「休みですか」

 

「連絡がない」

 

「住居は?」

 

「神殿の裏手だ」

 

「案内してください」

 

「なぜだ」

 

 ロックは首飾りの包みを見せた。

 

「男爵は殺されました」

 

 神官の表情が強張る。

 

「この首飾りと手紙を、リンデルさんへ届ける予定だったそうです」

 

「手紙はどこに」

 

「僕の仲間が持っています」

 

「その仲間も来ていないのか」

 

「ええ」

 

 神官はすぐに若い神官を呼ぶ。

 

「衛士を二人。リンデル殿の住居へ向かう」

 

「僕も行きます」

 

「危険かもしれない」

 

「だからです」

 

 神官はロックを見つめた。

 

 少年を連れていくべきか迷っている。

 

 だが、首飾りを持っているのはロックだ。

 

「離れるな」

 

「分かりました」

 

          ◇

 

 リンデルの住居は神殿の裏手にあった。

 

 二階建ての小さな家。

 

 書庫で働く学者らしく、窓辺に本が積まれている。

 

 だが灯りはついていない。

 

 扉も閉まっている。

 

 神殿の衛士がノックした。

 

「リンデル殿」

 

 返事はない。

 

 もう一度。

 

 やはり返事はなかった。

 

 衛士が扉へ手を掛ける。

 

「鍵が開いている」

 

 全員の表情が変わった。

 

 衛士が剣を抜く。

 

 扉を押し開ける。

 

 室内は暗い。

 

 床には本が散乱している。

 

 棚が倒され、机の引き出しがすべて開けられていた。

 

 荒らされている。

 

 ロックは入口から部屋を見た。

 

「リンデルさん!」

 

 神官が声を上げる。

 

 奥から返事はない。

 

 衛士が一部屋ずつ調べる。

 

 やがて二階から声が響いた。

 

「こちらへ!」

 

 ロックたちは階段を上る。

 

 寝室の床に、一人の男が倒れていた。

 

 痩せた中年の男。

 

 眼鏡が割れている。

 

 頭の近くには血が広がっていた。

 

 神官が駆け寄り、首筋へ指を当てる。

 

「生きている」

 

 ロックは息を吐いた。

 

「すぐ治療を」

 

「分かった」

 

 衛士が男を抱き起こす。

 

 その時。

 

 リンデルの指がわずかに動いた。

 

 目を開く。

 

 焦点の合わない目で周囲を見る。

 

「……手紙」

 

 掠れた声だった。

 

「男爵の……」

 

「手紙を知っているんですね」

 

 ロックが近づく。

 

 リンデルは頷こうとする。

 

「取られた……」

 

「何を?」

 

「名簿の……写し……」

 

「誰にです」

 

 リンデルの唇が震える。

 

「神殿の……中に……」

 

 そこで意識を失った。

 

 ロックは神官を見る。

 

 神官の顔から血の気が引いている。

 

 敵は外だけではない。

 

 衛兵だけでもない。

 

 ラーダ神殿の内部にも、《夜鴉》へ通じる者がいる。

 

 だから男爵は、正式な届け出ではなくカイを使った。

 

 だからリンデルも襲われた。

 

 そして、ヨアヒムたちはまだ神殿へ到着していない。

 

 ロックは窓から外を見た。

 

 日が沈み始めている。

 

 王都の通りに長い影が伸びていた。

 

 首飾りは守った。

 

 だが手紙は、まだ届いていない。

 

 ヨアヒムとカイは。

 

 その途中で、敵に捕まった可能性があった。

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