低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第23話 夜鴉を地下へ

「地下水道へ誘い込むだと?」

 

 ヨアヒムは、ロックの顔をまじまじと見た。

 

「お前が地下に何か隠しているのは知っていたが、まさか敵まで招待するとはな」

 

「僕の隠し場所へ連れていくとは言っていません」

 

「地下水道へ入った後、別の場所へ誘導するのか」

 

「ええ。使われていない沈砂槽があります」

 

 王都オランの地下水道には、今も使われている水路と、古い時代に放棄された区画が混在している。

 

 ロックが遺跡を発見した乾いた水路も、その一つだった。

 

 だが、そこへヴァルデンたちを近づけるつもりはない。

 

 選んだ場所は、遺跡へ続く経路とは反対方向。

 

 増水時に泥や砂を沈めるために造られた、古い沈砂槽だった。

 

 円形の広間。

 

 中央には深い水溜まり。

 

 周囲には細い足場。

 

 出入口は三つあるが、二つは途中で崩れている。

 

 使える道は、実質一つだけだった。

 

「逃げ場の少ない袋小路か」

 

「向こうには、そう見えるでしょう」

 

「実際は違う?」

 

「保守用の昇降口があります。人一人が通れる程度ですが」

 

「お前だけが逃げられる道というわけか」

 

「カイも通れます」

 

「俺は?」

 

「少し痩せれば」

 

「殴るぞ」

 

 カイが寝台の上で首を傾げた。

 

「俺も行くのか?」

 

「行きません」

 

 ロックは即答した。

 

「手紙を持っているのは俺だぞ」

 

「だから行かないんです」

 

「餌がなければ、あいつらは来ない」

 

「本物を持っていく必要はありません」

 

 ロックは机の上へ油紙を広げた。

 

 中には古い帳簿から切り取った紙が数枚。

 

 男爵の手紙と同じ大きさへ折り、糸で束ねてある。

 

「偽物か」

 

「外見だけなら十分です」

 

「封蝋は?」

 

 ヨアヒムが尋ねる。

 

「男爵家の印がなければ、すぐに分かるぞ」

 

「封を切らせるところまで持っていきません」

 

「見せて、奪わせずに逃げる?」

 

「そのつもりです」

 

 ヨアヒムは腕を組んだ。

 

「ヴァルデンが一人で来るとは限らない」

 

「来ないでしょうね」

 

「狙撃手を含めて、五人前後と見るべきだ」

 

「こちらは?」

 

「俺とお前。それに、神官を一人呼べるかもしれん」

 

「宿の人たちは戦わせません」

 

「当然だ」

 

 ヨアヒムは少し考えた。

 

「盗賊ギルドから二人出す」

 

「信用できますか」

 

「俺が選ぶ」

 

「ヴァルデン側と繋がっていないと?」

 

「絶対とは言えん」

 

「では、作戦の全体は話さないでください」

 

「集合場所と役目だけか」

 

「ええ」

 

 ロックは首飾りの入った青い布包みを見る。

 

「神殿にも連絡します」

 

「内通者がいるんだぞ」

 

「だからこそです」

 

 ヨアヒムの目が細くなる。

 

「情報を流す相手を特定するのか」

 

「神殿全体へ知らせる必要はありません」

 

 リンデルを保護した年配の神官。

 

 彼だけへ伝える。

 

 ただし、伝える内容は少し変える。

 

 首飾りと手紙を地下水道の沈砂槽へ運ぶ。

 

 そう告げる。

 

 実際に運ぶのは偽物だ。

 

 そして、ヴァルデンたちが現れたなら。

 

 神殿から情報が漏れたことになる。

 

「神官を試すのか」

 

「神官様本人ではありません」

 

「周りの誰が聞いているかを見る?」

 

「はい」

 

 ラーダ神殿へ入り込んでいる者が、高位の神官とは限らない。

 

 書記。

 

 門番。

 

 荷運び人。

 

 掃除人。

 

 厨房の使用人。

 

 出入りする商人。

 

 金や弱みで動かせる者が一人いれば、情報は漏れる。

 

 巨大な組織が神殿を支配している必要はなかった。

 

 ヴァルデンに必要なのは、重要な報告を聞きつけた時だけ知らせる耳だ。

 

「それなら現実的だな」

 

 ヨアヒムが頷いた。

 

「むしろ厄介です」

 

「大物なら斬れば終わる。小さな耳は、どこにでも潜り込むからな」

 

          ◇

 

 カイと宿の者たちは、盗賊ギルドが用意した別の隠れ家へ移すことになった。

 

 宿の主人は不満そうだった。

 

「うちを戦場にしておいて、今度は店を空けろってのか」

 

「すみません」

 

「謝れば済むと思ってる顔だな」

 

「済まないとは思っています」

 

「だったら宿代を払え」

 

「払っています」

 

「迷惑料だ」

 

「事件が終わってから相談します」

 

 店主は鼻を鳴らした。

 

 だが拒みはしなかった。

 

 カイの杖を拾い、折れていないか確かめている。

 

「こいつは俺が運ぶ」

 

「歩ける」

 

「肩を怪我した奴が無理するな」

 

「足が悪いだけで、歩けないわけじゃない」

 

「階段で転ばれたら後味が悪い。背負われろ」

 

 カイは露骨に嫌そうな顔をした。

 

 それでも最終的には、店主の背へ乗った。

 

 油紙に包まれた本物の手紙は、カイからヨアヒムへ。

 

 そこからさらに、宿の女主人が持つ小麦袋の底へ移された。

 

 首飾りも同じだった。

 

「僕が持っていると思わせます」

 

 ロックは青い布包みへ、小石と古い鎖を入れた。

 

 本物と同じ程度の重さになるよう調整する。

 

 見た目だけなら区別はつかない。

 

「絶対に落とすなよ」

 

 カイが念を押した。

 

「偽物ですよ」

 

「布は本物だ」

 

「そちらですか」

 

「エルマの布だ」

 

 ロックは青い布を見直した。

 

 首飾りを包んでいた布。

 

 ただの古布だと思っていた。

 

「分かりました。これも持ち帰ります」

 

「絶対だぞ」

 

「約束します」

 

          ◇

 

 ラーダ神殿へ向かったのは、ロック一人だった。

 

 ヨアヒムは別の経路で盗賊ギルドへ向かっている。

 

 神殿の正門には、先ほどより多くの衛士が立っていた。

 

 リンデルの襲撃が明らかになったためだろう。

 

 ロックは年配の神官を呼んでもらった。

 

 しばらくして現れた神官は、疲れた顔をしていた。

 

「また君か」

 

「リンデルさんは?」

 

「眠っている。命に別状はない」

 

「話は聞けましたか」

 

「まだだ」

 

「捕らえた男は?」

 

「私と、信頼できる二人で見張っている」

 

「神殿の外へ知らせましたか」

 

「知らせていない」

 

「分かりました」

 

 ロックは周囲へ視線を走らせた。

 

 正門の詰所。

 

 廊下。

 

 書物を抱えた若い神官。

 

 床を掃く老人。

 

 薪を運んでいる使用人。

 

 誰が聞いているかは分からない。

 

 だから、わざと聞かせる。

 

「首飾りと手紙を、今夜中に移します」

 

 神官の眉が動いた。

 

「ここへ持ってくるのではないのか」

 

「神殿内に内通者がいる可能性があります」

 

「声が大きい」

 

「聞かせています」

 

 神官はロックの意図を察した。

 

「どこへ運ぶ」

 

「東区の地下水道です」

 

「危険だぞ」

 

「古い沈砂槽に、リンデルさんの協力者が来ます」

 

 もちろん嘘だった。

 

「そこで証拠の写しを作り、三か所へ分けます」

 

「なるほど」

 

「時刻は夜半です」

 

 神官は頷いた。

 

「私も行こう」

 

「お願いします」

 

 二人はそれ以上話さなかった。

 

 ロックは神殿を出る。

 

 正門を離れる前に、一度だけ振り返った。

 

 薪を運んでいた使用人がいない。

 

 先ほどまで荷車の横にいた男だ。

 

 薪は途中へ置かれたまま。

 

「一人」

 

 ロックは小さく呟いた。

 

 まだ内通者と決まったわけではない。

 

 用事を思い出しただけかもしれない。

 

 だが、確認する価値はある。

 

          ◇

 

 ロックは神殿から真っ直ぐ宿へ戻らなかった。

 

 角を二つ曲がり。

 

 商店の硝子窓へ映る背後を見る。

 

 誰かが追っている。

 

 茶色い頭巾。

 

 革の前掛け。

 

 先ほど薪を運んでいた男だ。

 

 神殿の使用人に見えたが、歩き方が違う。

 

 荷運びを生業にする者なら、もっと重心が低い。

 

 男は身軽だった。

 

 腰の辺りも膨らんでいる。

 

 短い武器を隠している。

 

 ロックは人の多い市場へ入った。

 

 露店の間を抜ける。

 

 果物籠の横を通り。

 

 布屋の軒下を潜る。

 

 男も追ってくる。

 

 一定の距離を保ちながら。

 

 見失わない程度に。

 

 だが、ロックへ近づきすぎない。

 

「慣れていますね」

 

 ただの使用人ではない。

 

 とはいえ、優れた尾行者でもなかった。

 

 ロックは雑貨屋へ入る。

 

 裏口の有無は、以前確認してある。

 

「何かお探しで?」

 

「細い麻紐を」

 

「どれくらいだ」

 

「十歩分ほど」

 

 店主が棚を探している間、ロックは窓を見た。

 

 男は店へ入ってこない。

 

 通りの向かいで、露店の商品を眺めるふりをしている。

 

 麻紐を買い、ロックは裏口から出た。

 

 隣の路地を回り。

 

 追跡者の背後へ出る。

 

 男はロックが店から出てくるのを待っていた。

 

 しばらくして、異変に気づく。

 

 店へ入る。

 

 すぐに出てくる。

 

 周囲を見回す。

 

 それから駆け出した。

 

 向かった先はラーダ神殿ではない。

 

 東区の酒場街だった。

 

          ◇

 

 男は《欠けた樽》という小さな酒場へ入った。

 

 ロックは向かいの建物の陰から様子を見る。

 

 表口しかない。

 

 裏は別の建物と壁を共有している。

 

 窓は二つ。

 

 片方は厨房。

 

 もう片方は客席。

 

 ロックは客席側の窓へ近づいた。

 

 木戸が半分閉じている。

 

 隙間から中を覗く。

 

 薪運びの男が、奥の席へ座っていた。

 

 向かいには別の男。

 

 灰色の帽子。

 

 顔は見えない。

 

 だが右手に、黒い石の指輪があった。

 

 ヴァルデンと同じ意匠。

 

 夜鴉。

 

 薪運びの男が小声で話している。

 

 内容までは聞き取れない。

 

 やがて灰色の帽子の男が立ち上がった。

 

 銀貨を一枚、卓上へ置く。

 

 使用人への報酬。

 

 それだけだった。

 

 大金ではない。

 

 信仰を裏切るほどの金額でもない。

 

 つまり、薪運びの男は神官ではない。

 

 ラーダへ誓いを立てた者でもない。

 

 日雇いで神殿へ出入りし、聞いた話を売っているだけだ。

 

 大事件の内通者としては、あまりに小さい。

 

 だからこそ見つけにくい。

 

 ロックは帽子の男が店を出る前に、その場を離れた。

 

 目的は果たした。

 

 情報は夜鴉へ渡った。

 

 ヴァルデンたちは来る。

 

          ◇

 

 夜半。

 

 東区の地下水道入口。

 

 地上には、ロックだけが立っていた。

 

 肩にはスタッフスリング。

 

 腰にはブロードソード。

 

 懐には偽物の手紙。

 

 青い布包みもある。

 

 水路の奥では、ヨアヒムと盗賊ギルドの二人が待機している。

 

 年配のラーダ神官も別の入口から入った。

 

 神官が連れてきたのは、神殿衛士ではない。

 

 信頼できる若い神官が一人だけだった。

 

 大人数を動かせば、敵に気づかれる。

 

 それに今回必要なのは軍勢ではない。

 

 逃げ道を塞ぎ。

 

 証拠を押さえ。

 

 ヴァルデンを生きたまま捕らえる。

 

 それだけだ。

 

「来ると思うか」

 

 暗がりからヨアヒムの声がした。

 

「来ます」

 

「根拠は」

 

「首飾りを取れなければ、これまで男爵を殺した意味がなくなります」

 

「手紙もある」

 

「どちらか一つでも外へ出れば終わりです」

 

「追い詰められた鼠か」

 

「鴉でしょう」

 

「飛べない地下へ入れるわけだな」

 

 ロックは水路の入口を見る。

 

 遠くから足音。

 

 一人ではない。

 

 灯りは見えない。

 

 暗闇の中を進む訓練を受けた者たち。

 

 ヨアヒムが指を立てる。

 

 一人。

 

 二人。

 

 三人。

 

 四人。

 

 さらに少し遅れて、五人目。

 

 想定どおりだった。

 

 先頭に立つ男が口を開く。

 

「ロック」

 

 オスカー・ヴァルデンの声。

 

「一人で来るとは、聞き分けがよくなったな」

 

「あなたも約束を守ったんですね」

 

「約束?」

 

「僕だけを追うという約束です」

 

「そんな約束をした覚えはない」

 

「だから、僕も守りません」

 

 ヴァルデンの足が止まった。

 

 暗闇の奥。

 

 小さく金属が鳴る。

 

 配下が武器へ手を掛けたのだろう。

 

「首飾りと手紙を渡せ」

 

「渡したら、カイたちを見逃しますか」

 

「もちろんだ」

 

「男爵にも同じことを言いましたか」

 

 沈黙。

 

「知りすぎた者は長生きできない」

 

「正直ですね」

 

「子供を相手に駆け引きを続けるのも飽きた」

 

 ヴァルデンが一歩進む。

 

「渡せ」

 

 ロックは青い布包みを取り出した。

 

 暗闇の中でも、白い手が動くのが見えた。

 

「手紙もだ」

 

「同時に渡します」

 

「こちらへ来い」

 

「沈砂槽で」

 

「なぜだ」

 

「ここでは、あなたの後ろにいる弓使いから見えません」

 

 背後の気配がわずかに動いた。

 

 当たりだった。

 

「よく気づいたな」

 

「工房でも射られましたから」

 

「では、狙われない場所まで来い」

 

 ヴァルデンは罠を疑っている。

 

 だが退かない。

 

 首飾りと手紙を目前にして、見逃すことはできない。

 

 ロックは背を向けた。

 

「ついてきてください」

 

「妙な真似をすれば撃つ」

 

「分かっています」

 

 水路の奥へ進む。

 

 背後から五人が続く。

 

 ロックは歩数を数えた。

 

 十。

 

 二十。

 

 三十。

 

 分岐を右へ。

 

 壊れた格子を抜ける。

 

 沈砂槽へ続く狭い通路。

 

 ここからは、二人並んで歩けない。

 

 ヴァルデンたちの隊列が縦に伸びる。

 

 強い一団でも。

 

 同時に戦えなければ、ただの一列だ。

 

 ロックは沈砂槽へ出た。

 

 円形の広間。

 

 中央に黒い水。

 

 周囲を巡る狭い足場。

 

 天井から落ちる水滴の音。

 

 ロックは足場の中央で振り返った。

 

「ここで」

 

 ヴァルデンが広間へ入る。

 

 配下が続く。

 

 二人。

 

 三人。

 

 四人。

 

 五人目の弓使いが入口へ入った瞬間。

 

 背後で音がした。

 

 鉄格子が落ちる音。

 

 退路が閉じられた。

 

「罠だ!」

 

 配下の一人が叫ぶ。

 

 ヴァルデンは驚かなかった。

 

「分かっていた」

 

「なら、なぜ入りました」

 

「罠ごと潰せばいい」

 

 細身の剣が抜かれる。

 

 左右の暗がりから、ヨアヒムたちが姿を現した。

 

 反対側には二人のラーダ神官。

 

 合計五人。

 

 ロックを含めれば六人。

 

 人数では、わずかにこちらが上。

 

 だが敵にはヴァルデンがいる。

 

 工房で見た動き。

 

 間違いなく、ヨアヒムと同等か。

 

 それ以上の使い手。

 

「首飾りを奪え」

 

 ヴァルデンが命じた。

 

 配下が一斉に動く。

 

 ロックは戦おうとしなかった。

 

 青い包みを高く掲げる。

 

「カイとの約束があります」

 

 ヴァルデンの視線が包みへ向く。

 

「それは、持ち帰ります」

 

 ロックは麻紐を引いた。

 

 沈砂槽の天井で、古い木栓が外れる。

 

 直後。

 

 壁の排水口から、大量の水が流れ込んだ。

 

 配下の一人が足を取られる。

 

「何だ!」

 

「足場が!」

 

 乾いて見えた石床へ水が広がる。

 

 泥が浮き。

 

 苔が濡れ。

 

 踏ん張ることが難しくなる。

 

 ロックたちは事前に、靴底へ砂を塗っていた。

 

 ヴァルデンたちは違う。

 

 これは敵を倒す罠ではない。

 

 剣の腕を鈍らせるための準備だった。

 

 戦いが始まる前に。

 

 勝負は、すでに傾いていた。

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