低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
事件から三日。
冒険者の店《古代王国の扉》亭は、ようやくいつもの賑わいを取り戻していた。
男爵殺害事件。
盗賊ギルド。
ラーダ神殿。
地下水道。
夜鴉。
王都を騒がせた一連の出来事も、表向きには一段落したらしい。
酒場では冒険者たちが次の依頼の話をしている。
荷馬車の護衛。
郊外に現れたゴブリン退治。
遺跡調査の下見。
どれも、いつもの王都らしい依頼だった。
ロックは窓際の席で依頼書を眺めていた。
経験点は手に入った。
だが金はない。
男爵家からも、ラーダ神殿からも、盗賊ギルドからも報酬は出なかった。
正式な依頼ではない。
自分から首を突っ込んだ事件だから当然と言えば当然だった。
「金は……やっぱり大事だよな」
依頼書を一枚めくる。
割の良い依頼は競争率が高い。
新人が受けられる仕事は、荷運びや見張りばかりだった。
そんなことを考えていると。
店の扉が勢いよく開いた。
「よう」
軽い声だった。
ロックが顔を上げる。
金色の髪を後ろで束ねた少女が、勝手知ったる様子で店へ入ってくる。
腰には細身の剣。
足取りは猫のように軽い。
リュンクスだった。
「リュンクス」
「暇そうだね」
「依頼書を見てました」
「そういうのを暇って言うんだよ」
ロックは苦笑する。
店主は驚いた様子もなく、水を一杯だけ机へ置いた。
「勝手に座れ」
「ありがと、おっちゃん」
リュンクスは礼だけ言って向かいへ腰掛ける。
事件以来、初めて顔を合わせた。
ロックは少しだけ構える。
礼を言われるのか。
それとも何か頼み事だろうか。
しかし。
リュンクスは水を一口飲むと、じっとロックを見つめた。
「お前」
その声色は、礼を言う人間のものではない。
「どうして、あそこにいた」
「……」
「男爵の屋敷」
「事件ですから」
「違う」
リュンクスは頬杖をつく。
金色の瞳が細くなった。
「最後の地下水道」
「……」
「普通の冒険者は、あそこまで知ってない」
ロックは肩をすくめた。
「偶然ですよ」
「嘘だね」
「何がです」
「地下水道の地形」
「沈砂槽」
「水門」
「逃げ道」
「全部知ってた」
言われてみれば、その通りだった。
ロックは地下水道を迷わず歩き、敵を誘導し、罠まで用意していた。
初めて潜った人間の動きではない。
「偶然歩いて覚えました」
「そんな偶然あるか」
リュンクスは鼻で笑う。
その笑みは呆れ半分、感心半分だった。
「隠し財産でもあるの」
「ありません」
「秘密のアジト」
「ありません」
「古代王国の遺跡」
ロックは一瞬だけ動きを止めた。
だが、すぐに首を振る。
「知りません」
「今、一瞬止まった」
「気のせいです」
「へぇ」
リュンクスは楽しそうに笑った。
探りを入れている。
盗賊らしいやり方だった。
ロックも苦笑しながら返す。
「金がらみじゃありません」
その一言だけは本当だった。
少なくとも、自分が遺跡を隠している理由は金ではない。
あれほど危険な場所を他人へ教える気にはなれなかった。
リュンクスは数秒間、黙ってロックを見つめる。
まるで値踏みでもするように。
やがて興味を失ったように立ち上がった。
「ふうん」
それだけだった。
追及もしない。
納得したわけでもない。
ただ、それ以上聞く気がなくなっただけらしい。
出口へ向かう。
扉へ手を掛ける。
そのまま出ていくかと思った時だった。
「借りができたね」
ロックは少し驚く。
「返さなくても」
「返す」
「気にしませんよ」
「私が気持ち悪い」
即答だった。
ロックは思わず吹き出す。
確かにリュンクスらしい。
命を救われた借りをそのままにしておく方が、彼女にとっては落ち着かないのだろう。
「じゃあ、その時を楽しみにしてます」
「期待しないで待ってな」
片手だけ軽く振る。
「じゃあね」
扉が閉まった。
店内は再びいつもの喧騒へ戻る。
少し離れた席で様子を見ていた冒険者たちも、何事もなかったように酒を飲み始めた。
店主が苦笑する。
「変な娘だ」
「そうですね」
「礼も言わねぇ」
「言いましたよ」
「どこで」
「借りができたって」
店主は鼻を鳴らす。
「盗賊らしい礼だな」
「ええ」
ロックは窓の外を見た。
リュンクスの姿はもう見えない。
だが、あの性格なら、いつか本当に借りを返しに来るだろう。
それがいつになるのかは分からない。
ロックは依頼書へ視線を戻した。
もう王都の細かな依頼では物足りない。
地下水道の奥。
自分だけが知る古代王国の遺跡。
あそこには、まだ誰も見たことのない世界が眠っている。
人工始原の巨人。
その内部へ踏み込む準備は、もう整っていた。