低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
王都オランの城壁を離れるにつれて、街道の両脇から建物が減っていった。
初めのうちは、畑へ向かう農夫や、野菜を積んで王都へ向かう荷車と何度もすれ違った。
やがて、人家はまばらになり。
石を敷いた道も、踏み固められた土の道へ変わる。
朝露に濡れた草原の向こうには、なだらかな丘が連なっていた。
二台の荷馬車は縦に並んで進んでいる。
ガレスが先頭を歩き。
マルコは一台目の左側。
ロックは右側についた。
リディアは二台の荷馬車の間を歩き、御者や馬の様子を見ている。
最後尾には、エドガーが雇ったもう一人の御者が座っていた。
ロックは街道の先だけを見ないように心掛けた。
轍。
路肩の草。
少し離れた場所にある木立。
地面へ落ちた枝。
鳥の動き。
風向き。
街道には多くの人間が通る。
王都地下の通路とは違い、足跡があるだけでは何の手掛かりにもならない。
だからこそ、道から外れた場所を見る必要があった。
「ずっとそんなに緊張していたら、昼までに疲れるぞ」
反対側を歩くマルコが、荷馬車越しに声をかけてきた。
「力を抜いているつもりです」
「それでか?」
「はい」
「王都育ちは大変だな」
「マルコさんは王都の方ではないんですか」
「北の小さな村だ。畑より森の方が広い場所で育った」
マルコは路肩へ目を向けたまま答えた。
「村を出た頃は、王都の人混みの方が怖かった。どいつも盗みに来ているように見えたよ」
「実際、盗む人はいますからね」
「お前が言うと説得力があるな」
ロックは否定しなかった。
一台目の御者台から、エドガーが振り返る。
「旅は初めてですか」
「王都へ来るまでにも歩きましたが、護衛として街道へ出るのは初めてです」
「それなら、パダは驚くかもしれません」
「そんなに変わった町なんですか」
「町そのものより、いる人間が変わっています」
エドガーは馬車を揺らす振動に合わせて、身体を小さく上下させていた。
「王都では、冒険者も住民の一部です。パダでは違う。町の多くが、レックスへ向かう者と、そこから戻る者を相手に暮らしています」
「宿屋や道具屋が多い?」
「ええ。それに、傷を負った人間を診る者。遺跡から持ち帰った物を見定める者。古い文字を読める学者。壊れた武具を直す鍛冶屋。怪しい品を買い取る商人までいます」
「怪しい品ですか」
「出所を尋ねない商人ですよ」
マルコが小さく笑った。
「王都にもいるだろ」
「王都では地下にいます」
「パダじゃ表に看板を出してる。そういう違いだ」
エドガーは困ったように眉を下げた。
「皆が皆、悪人というわけではありません。ただ、レックスから出てくる品には、誰の物とも言い切れない物が多いのです」
「古代王国の遺物に、今の持ち主はいませんからね」
「それを拾った者が持ち主だと考える人もいれば、領主の物だと考える人もいる。学問のために学院へ収めるべきだと言う人もいます」
「盗んだ仲間の物だと言う奴もいる」
マルコが付け加えた。
エドガーは咳払いをした。
「そういった揉め事もあります」
ロックは街道の先へ視線を戻した。
レックス。
古代王国の都市が、そのまま廃墟として残る場所。
人工始原の巨人とは、規模も成り立ちも違う。
一度は見てみたい。
だが、エドガーの話を聞くほど、その先へ進みたい気持ちよりも、今の自分にはまだ早いという思いが強くなった。
遺跡へ入るだけではない。
持ち帰った物を巡る人間同士の駆け引きもある。
知識がなければ、価値のある物を二束三文で手放すことになる。
力がなければ、手に入れた後で奪われる。
「パダで売る品は、全部レックスへ向かう人向けなんですか」
「ほとんどはそうです」
エドガーは荷台を振り返った。
「丈夫な外套は、地下の冷気を防ぐ。厚い手袋は、石壁や縄で手を傷つけないために使う。靴は底を厚くし、釘を増やしてあります」
「行きは品物で、帰りは売上」
「はい」
「狙う側からすれば、帰りの方が分かりやすいですね」
エドガーの表情が少し硬くなった。
「そうなのです」
「パダを出た直後なら、売上を持っている可能性が高い」
「だから、今回の護衛は往路より復路を重く見ています」
先頭を歩いていたガレスが振り返った。
「今の話を忘れるな。パダへ着くまで何も起きなかったとしても、気を緩めるのは帰ってからだ」
「王都の門をくぐるまでですね」
「分かってるじゃないか」
ガレスは満足そうに頷き、再び前を向いた。
◇
日が高くなった頃、一行は街道脇の泉で短い休憩を取った。
旅人が何度も使っている場所らしく、泉の周囲には腰掛けに使える石が並べられている。
古い焚き火の跡もあった。
馬へ水を飲ませる間、エドガーと御者たちは荷車を調べた。
車輪の留め具。
荷を固定する縄。
馬具。
どれか一つが壊れただけでも、旅程は大きく乱れる。
ロックは干し肉を齧りながら、泉の周りを歩いた。
「休めと言っただろ」
ガレスが石へ座ったまま言う。
「泉の水が少し濁っています」
「飲めないほどか」
「いいえ。馬が入っただけだと思います」
泉の縁には、蹄の跡が残っている。
それ自体は珍しくない。
だが、ロックは腰を落とし、少し離れた地面を見た。
湿った土の上に、靴跡がある。
泉へ近づく足跡。
離れる足跡。
街道へ戻るもの。
林へ続くもの。
「マルコさん」
「何かあったか」
「これを見てもらえますか」
呼ばれたマルコが隣へしゃがみ込む。
二人は地面へ残った跡を眺めた。
「昨日か、一昨日だな」
「僕もそう思います」
「三人……いや、四人か」
「一人は泉へ来ていません」
林へ続く足跡は四人分。
だが、泉の近くまで来ているのは三人だけだった。
残る一人は、少し離れた場所を歩いている。
「見張りを立てていたのかもしれません」
ロックが言うと、マルコは頷いた。
「旅人だって同じことはする」
「はい。ただ、荷馬車の跡がありません」
「徒歩の四人組か」
マルコは指で足跡の輪郭をなぞった。
「重い荷物も持っていない。足の沈みが浅い」
「狩人かもしれません」
「獲物を持ち帰った跡もない」
会話を聞いていたガレスが立ち上がった。
「危険か」
「まだ何とも言えない」
マルコは即答を避けた。
「ただ、四人が泉へ立ち寄って、街道へ戻らず林へ入っている」
「林の向こうに村は?」
ロックがエドガーへ尋ねる。
「ありません。少なくとも、私の知る限りでは」
「なら、狩りか野営か……」
「街道を見張っていた可能性もある」
ガレスが続きを口にする。
エドガーの顔から血の気が引いた。
「盗賊でしょうか」
「決めつけるには早い」
ガレスは落ち着いた声で答えた。
「だが、この先は気をつける」
ロックは足跡が消える林の入口を見た。
追えば、何か分かるかもしれない。
しかし、今の仕事は盗賊を探すことではない。
荷馬車をパダへ届けることだ。
道を外れれば、その間に別の者が荷を狙うかもしれない。
「追わない方がいいと思います」
ロックが言うと、ガレスはすぐに理由を求めた。
「なぜだ」
「僕たちを林へ誘うために、わざと足跡を残した可能性があります。それに、四人しかいないとは限りません」
マルコがロックを見る。
「慎重だな」
「僕たちの目的は、彼らの正体を突き止めることではありません」
「そうだ」
ガレスは迷わず結論を出した。
「休憩を切り上げる。今日は予定より先まで進むぞ」
「この泉の近くでは泊まらないんですね」
リディアの問いに、ガレスは頷いた。
「こちらの人数や荷を見られた可能性がある。夜営場所を読まれるのは避けたい」
エドガーと御者が急いで荷を確認する。
馬へ水を飲ませ終えると、一行は再び街道へ出た。
◇
泉を離れてから、隊列が変わった。
マルコが先頭へ出る。
ガレスは一台目の荷馬車の横。
ロックは最後尾へ回された。
後ろから追ってくる者がいないか確かめるためだった。
林は街道から少し離れて続いている。
風が吹くたびに、枝葉が擦れ合った。
鳥の声。
小動物が草を踏む音。
馬車の車輪が土を噛む音。
普段なら気に留めない音の一つ一つが、誰かの気配に聞こえてくる。
ロックは時折振り返りながら歩いた。
街道の上には誰もいない。
それでも、林の奥から見られているような感覚が消えなかった。
確かな根拠はない。
だからこそ、気を抜くこともできない。
一刻ほど進んだ頃。
前を歩いていたマルコが、片手を上げた。
荷馬車が止まる。
ガレスが剣の柄へ手を置いた。
「どうした」
「道の先に倒木がある」
街道を横切るように、太い木が倒れていた。
自然に倒れたようにも見える。
だが、幹は道の両端へ届き、荷馬車が通れる隙間を完全に塞いでいた。
ロックは最後尾から前へ移動する。
倒木までの距離は、まだ十分にある。
「近づくな」
マルコが低い声で言った。
「根元から倒れた木じゃない。切られている」
遠目にも、幹の端が不自然に白い。
斧か鋸で切断された跡だ。
エドガーが息を呑む。
「盗賊……」
「まだ姿を見せていません」
ロックは道の左右を見た。
林。
低い藪。
倒木。
荷馬車を止めるには十分な場所。
道を塞いだ者は、通りかかった旅人が木を動かそうと近づくのを待っている。
あるいは、迂回しようと林へ入るのを。
「下がりましょう」
ロックが言った。
ガレスが振り返る。
「来た道へ戻るのか」
「少しだけです。さっき、右手に開けた草地がありました。そこで荷馬車を輪になるように止められます」
「倒木を調べないのか」
「調べるなら、荷馬車を守れる場所へ移してからです」
マルコが口元を上げた。
「俺も賛成だ。ここで立ち止まって相談すること自体、相手の狙いかもしれない」
ガレスは即座に決めた。
「御者、ゆっくり下がれ。慌てるな」
二台の荷馬車が後退を始める。
狭い街道で馬車を下げるのは難しい。
ロックとリディアが馬の近くにつき、御者を手伝った。
車輪が轍から外れないようにする。
馬を怯えさせない。
誰かが林から飛び出してきても、すぐに動けるようにする。
倒木は、少しずつ遠ざかっていった。
その時。
林の奥で、何かが動いた。
ロックは反射的にそちらを見た。
人影。
灰色の外套。
木の陰へ隠れる一瞬だけ見えた。
「右の林に一人」
声を張る。
ガレスが盾を外し、荷馬車と林の間へ立った。
マルコは弓を取り出す。
リディアは御者とエドガーを荷台の陰へ誘導した。
だが、矢は飛んでこない。
人影も現れない。
こちらが倒木へ近づかず、守りを固めたことで、仕掛けた者たちも出る機会を失ったらしい。
荷馬車は無事に草地まで戻った。
ガレスは二台を並べず、荷台が内側を向くように止めさせた。
「追ってくると思うか」
ガレスがロックへ尋ねる。
「分かりません。ただ、こちらの人数と動きを見ています」
「お前なら、どうする」
問い掛けられ、ロックは一度考えた。
「僕が襲う側なら、今は攻めません」
「理由は?」
「倒木を見破られた時点で、奇襲は失敗しています。こちらには弓があり、神官もいる。荷馬車を囲んで待たれたら、簡単には近づけません」
「なら、諦めるか」
「いいえ。夜まで追います」
エドガーの顔が強張る。
ロックは続けた。
「僕たちは今日中に宿へ入れません。どこかで野営する必要がある。火を焚き、夜番が眠くなるのを待った方が襲いやすいです」
ガレスは黙って街道の先を見た。
「嫌なことを言うな」
「すみません」
「褒めてるんだ」
ガレスは剣の柄から手を離した。
「倒木を退かす必要はある。だが、全員では行かない」
マルコが林へ目を向ける。
「俺とロックで周囲を見る。ガレスは荷馬車を守れ」
「危険ではありませんか」
リディアが心配そうに尋ねる。
「近づきすぎなければいい。奴らが残っているかだけ確かめる」
ロックは首を横へ振った。
「今すぐ行くのは危険です」
マルコが眉を上げる。
「どうしてだ」
「相手は僕たちが倒木を調べに戻ると考えています。しばらく待ちましょう」
「待って、何が変わる」
「日が傾きます」
ロックは西の空を見た。
「相手も、今日のうちに僕たちを襲うのか、それとも諦めるのか決めなければならなくなる。僕たちが動かなければ、向こうから様子を見に来るかもしれません」
ガレスが腕を組む。
「荷馬車を囮にするのか」
「襲わせるつもりはありません。ここなら周囲が開けています。林から出てくる者を先に見つけられます」
「本当に初めての護衛か?」
「初めてです」
マルコが小さく笑った。
「王都の地下で、随分と性格の悪い相手とやり合ってきたらしい」
「褒められている気がしません」
「褒めてるよ」
結局、一行は草地で待つことになった。
火は焚かない。
荷を下ろさない。
すぐに出発できる状態を保つ。
エドガーには、御者と一緒に車輪や縄を点検しているように振る舞ってもらった。
ガレスは荷馬車の陰。
マルコは背の高い草の中。
ロックは街道側から見えにくい窪地へ伏せた。
リディアだけは、何事もないように馬へ水を与えている。
時間が過ぎる。
風が草原を渡る。
荷馬車の馬が鼻を鳴らした。
何も起こらない。
それでも、ロックは動かなかった。
やがて、林の中から一羽の鳥が飛び立った。
その少し後。
灰色の外套をまとった男が、木の陰から顔を出した。
倒木のある方ではない。
草地を見渡せる、街道の反対側だった。
男は荷馬車を見た。
リディアを見る。
ガレスやロックの姿が見えないことに気づき、さらに身を乗り出した。
その瞬間。
マルコが弓を引いた。
「動くな」
男の動きが止まる。
ガレスが荷馬車の陰から姿を現す。
ロックも窪地から立ち上がった。
男は一瞬だけ周囲を見回した。
逃げ道を探している。
「両手を見えるところへ出してください」
ロックが呼びかける。
「俺は何もしていない」
「なら、話を聞かせてもらうだけです」
「ただの旅人だ」
「旅人が、街道ではなく林の中から荷馬車を見張るんですか」
男は答えなかった。
代わりに、ゆっくりと後退する。
マルコの矢先が、その胸を追った。
「次に足を動かしたら射る」
「殺すのか」
「射ると言った。どこへ当てるかは、お前次第だ」
男の顔が歪んだ。
その時、遠くの林から甲高い口笛が聞こえた。
男は反射的にそちらを見る。
仲間からの合図。
ロックが一歩踏み出すより早く、男は身を翻して走った。
マルコの矢が放たれる。
矢は男の外套を掠め、背後の木へ突き立った。
「追うな」
走り出しかけたガレスを、ロックが止めた。
「仲間のいる方へ逃げました」
ガレスは悔しそうに足を止める。
「捕まえられたかもしれん」
「捕まえることが僕たちの仕事ではありません」
マルコが弓を下ろした。
「またそれか」
「違いますか」
「いや。正しい」
林の奥から、複数の足音が遠ざかっていく。
少なくとも、一人ではなかった。
ロックたちが倒木へ近づいていれば、左右から挟まれていたかもしれない。
しばらく警戒を続けたが、男たちは戻ってこなかった。
「倒木を退かそう」
ガレスが言った。
「今度は全員で行く。ただし、荷馬車から離れすぎない」
倒木は、御者たちが持っていた縄と馬の力を借りて道端へ移した。
切り口は新しい。
周囲には、何人もの足跡が残っていた。
林の中へ追うことはしない。
一行は日が沈む前に、その場を離れた。
◇
その夜。
一行は街道から少し離れた、背後に岩場のある場所で野営した。
襲撃できる方角を減らすため、ガレスが選んだ場所だった。
火は小さく。
馬車は岩場へ寄せる。
馬は内側へ繋ぐ。
夜番は二人ずつ。
ロックは最初の番を、マルコと務めることになった。
「今日は助かった」
焚き火の向こうで、マルコが言った。
「まだ何も終わっていません」
「そういうところだよ」
「どういうところですか」
「倒木を見て、敵を探しに行こうとしなかった。逃げた男も追わなかった」
「依頼を守るためです」
「分かっていても、できない奴は多い」
マルコは焚き火へ細い枝を投げ入れた。
「目の前に敵がいれば、捕まえたくなる。逃げれば、追いたくなる。剣を抜いた奴は、振るいたくなる」
「マルコさんも追いたかったんですか」
「少しな」
「正直ですね」
「お前は?」
ロックは暗い街道へ目を向けた。
「捕まえれば、誰なのか聞けたとは思います」
「後悔してるか」
「いいえ」
即答だった。
「僕たちは全員無事です。荷も失っていません。それで十分です」
マルコはしばらく黙った。
やがて、小さく笑う。
「ガレスが喜びそうな答えだ」
「本人に言ってください」
「言わない。調子に乗るからな」
夜の草原から、虫の声が聞こえる。
昼間の男たちが追ってきているのか。
すでに諦めたのか。
今のロックには分からない。
それでも、ただ眠らずに警戒するだけではなかった。
風向き。
火の匂い。
馬の耳の動き。
暗闇の中で途切れる虫の声。
人工始原の巨人の内部では得られなかった情報が、夜の草原には満ちている。
ロックは膝の上へ剣を置き、暗闇を見つめた。
パダまでは、まだ遠い。
旅は始まったばかりだった。