低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第30話 遺跡帰りの町

 夜は、何事もなく明けた。

 

 少なくとも、襲撃はなかった。

 

 ロックとマルコが最初の夜番を終えたあと、ガレスとリディアが交代して警戒を続けたが、林から人が近づいてくる気配はなかったという。

 

 夜露を吸った草が、白み始めた空の下で鈍く光っている。

 

 小さく抑えていた焚き火は、灰の中にわずかな熱を残していた。

 

 ロックは灰を崩し、火種が残っていないことを確かめる。

 

 林の近くで火を放置すれば、盗賊よりも大きな被害を生みかねない。

 

「随分と念入りだな」

 

 背後から声をかけたのはガレスだった。

 

「風が出たら危ないので」

 

「それは分かるが、灰を素手で掻き回す奴は初めて見た」

 

「熱いところには触っていません」

 

「そういう問題か?」

 

 ロックは灰の下へ指先を近づけ、熱がないことを確かめた。

 

 ガレスはその様子をしばらく眺めていたが、やがて諦めたように息を吐く。

 

「まあいい。朝飯を食ったら出るぞ」

 

「昨日の人たちは?」

 

「戻ってきた形跡はない」

 

 ガレスは背後の林へ視線を向けた。

 

「だが、諦めたとは限らん。俺たちが気を抜くのを待っている可能性もある」

 

「街道の先で待つ方が簡単でしょうね」

 

「嫌なことを平然と言うな」

 

「考えておいた方がいいと思います」

 

「分かってる」

 

 ガレスは頬を掻いた。

 

「だから、お前を連れてきて正解だったと言ってるんだ」

 

「まだパダにも着いていませんよ」

 

「もう少し喜べ」

 

 朝食は、硬いパンと塩漬け肉だった。

 

 リディアが小鍋で湯を沸かし、乾かした香草を入れている。香りはよかったが、味は薄い。

 

 マルコは一口飲み、眉を寄せた。

 

「薬みたいだな」

 

「身体を温める香草です」

 

「もう少し蜂蜜でも入れたらどうだ」

 

「お持ちですか?」

 

「持ってない」

 

「では、そのまま飲んでください」

 

 リディアは笑顔だった。

 

 マルコは何も言わず、残りを飲み干した。

 

 ロックはその様子を見ながら、昨日から感じていたことを確かめる。

 

 ガレスたち三人は、即席で集められた者同士ではない。

 

 互いの癖を知っている。

 

 マルコが軽口を叩き。

 

 ガレスが止め。

 

 リディアが笑顔のまま釘を刺す。

 

 長く一緒に旅をしてきた空気だった。

 

「三人は、いつから組んでいるんですか」

 

 ロックが尋ねると、ガレスはパンを噛みながら考えた。

 

「三年くらいか」

 

「二年と八か月です」

 

 リディアがすぐに訂正する。

 

「同じようなものだろ」

 

「半年近く違います」

 

「細かいな」

 

「初めてお会いした日を覚えているだけです」

 

 マルコが声を潜めてロックへ言う。

 

「忘れたと言うと面倒だから、俺たちは三年と言ってる」

 

「聞こえていますよ」

 

「ほらな」

 

 リディアは笑みを崩さなかった。

 

 その方が怖い。

 

「最初は護衛の仕事だった」

 

 ガレスが話を戻した。

 

「俺とマルコが別々に雇われて、途中で負傷者が出た。そこへ、たまたま巡礼の旅をしていたリディアが通りかかった」

 

「たまたまではありません。ラーダ様のお導きです」

 

「そういうことにしてある」

 

「してください」

 

「それから、仕事が合えば一緒に動いている」

 

「魔術師はいなかったんですか」

 

「何人か組んだことはある」

 

 マルコが答えた。

 

「でも、魔術師は引く手あまただ。もっと稼げる仕事が見つかれば、そっちへ行く」

 

「遺跡や魔術師ギルドの依頼の方が、報酬もよいですからね」

 

 リディアが言う。

 

「それに、魔術を学ぶ方は自分の研究を優先されることも多いです」

 

「荷馬車の横を歩くために魔術を覚える奴はいないからな」

 

 ガレスは最後のパンを口へ放り込んだ。

 

「だから、今回みたいに剣も使える奴の方が助かる」

 

「僕は、この仕事が終わったら王都へ戻りますよ」

 

「勧誘じゃない。安心しろ」

 

 そう言いながらも、ガレスの顔には少し残念そうな色があった。

 

          ◇

 

 荷馬車は、日の出とともに街道へ戻った。

 

 昨日の倒木を越えるまでは、全員が口数を減らしていた。

 

 木は道端へ寄せられたまま。

 

 新たに道を塞ぐ物はない。

 

 林の奥にも、人の姿は見えなかった。

 

 ただし、昨夜のうちに誰かが戻ったらしい。

 

 倒木の近くへ近づいたマルコが、地面を見て鼻を鳴らした。

 

「足跡が増えてる」

 

「僕たちが去ったあとですか」

 

「ああ。少なくとも三人。倒木の周りを歩いて、林へ戻っている」

 

 ガレスが眉を寄せた。

 

「様子を見に来たのか」

 

「俺たちが何をしたか確かめたんだろう」

 

「追ってきますか」

 

 エドガーが御者台から尋ねる。

 

「ここから先で仕掛けるつもりなら、足跡を残している暇はない」

 

 マルコは立ち上がった。

 

「昨日の連中は、俺たちを諦めたと思う」

 

「別の旅人を狙うということですか」

 

 リディアの声が僅かに沈む。

 

「たぶんな」

 

「近くの町や詰所へ知らせる必要があります」

 

 ガレスは頷いた。

 

「パダへ着いたら報告する。街道を見回る兵がいるかどうかは知らんが、何も言わないよりはましだ」

 

 ロックは倒木を振り返った。

 

 盗賊を捕まえることはできなかった。

 

 しかし、護衛の仕事は盗賊退治ではない。

 

 荷物と依頼人を守る。

 

 昨日の判断は間違っていなかった。

 

 それでも、次にここを通る旅人が同じように気づけるとは限らない。

 

 街道は、一度危険を避ければ終わりという場所ではなかった。

 

          ◇

 

 昼を過ぎる頃には、周囲の景色が少しずつ変わってきた。

 

 野原の間に、岩肌が剥き出しになった丘が増える。

 

 街道を通る人の姿も多くなった。

 

 オランへ向かう荷馬車。

 

 背負い袋を担いだ旅人。

 

 馬へ大きな木箱を積んだ商人。

 

 中には、明らかに冒険者と分かる一団もいた。

 

 しかし、王都の周辺で見かける者たちとは様子が違う。

 

 鎧には深い傷があり。

 

 外套は泥と煤で汚れ。

 

 武器を布で包んでいる者も多い。

 

 荷物が重そうな者。

 

 反対に、背負い袋を失い、身一つで歩いている者。

 

 肩を貸されながら進む負傷者までいた。

 

「レックスから戻ってきた人たちですか」

 

 ロックが尋ねると、エドガーが頷いた。

 

「この道を歩く者の多くは、そうです」

 

 前方から来る五人組は、見るからに疲れ果てていた。

 

 先頭の男は片腕を布で吊り。

 

 後ろを歩く女性は、額から頬にかけて包帯を巻いている。

 

 中央では、二人が一人の若者を支えていた。

 

 若者の右脚は添え木で固定され、地面へつくこともできない。

 

 リディアが彼らを見るなり、足を速めた。

 

「待ってください」

 

 ガレスが呼び止める。

 

「仕事中だぞ」

 

「分かっています。ですが、あの傷ではパダまで保たないかもしれません」

 

 一行との距離は、まだ少しある。

 

 リディアは相手の様子を確かめ、エドガーを見る。

 

「少しだけ時間をいただけませんか」

 

 エドガーは迷わなかった。

 

「もちろんです。行ってください」

 

「ありがとうございます」

 

 リディアは相手へ向かって駆け出した。

 

 ガレスは溜息をつきながら、荷馬車を街道脇へ寄せるよう御者へ指示する。

 

「これだから神官を連れてると、予定通りに進まん」

 

「置いていけと言わない辺り、慣れていますね」

 

 ロックが言うと、ガレスは顔をしかめた。

 

「放っていって死なれたら、後味が悪いだろ」

 

「それを優しいと言うんですよ」

 

「言うな」

 

 負傷した一団も、リディアが神官だと知ると警戒を解いた。

 

 脚を負傷した若者は、その場へ横たえられる。

 

 添え木を外すと、腫れた脚が現れた。

 

 傷口は見当たらない。

 

 骨が折れているか、強く捻ったのだろう。

 

 リディアは膝をつき、静かに祈り始めた。

 

 ロックはその間、他の四人へ目を向ける。

 

 皆、若い。

 

 二十歳を越えている者は一人だけに見えた。

 

 装備は揃っているが、使い慣れているとは言い難い。

 

 腕を吊った男が、エドガーへ何度も頭を下げていた。

 

「すみません。まさか、こんなところで神官様に会えるとは……」

 

「私に礼を言われても困ります。あちらのリディアさんへ」

 

「皆さんは、パダから?」

 

「オランから品を運んでいるところです」

 

 男の顔に、わずかに羨望が浮かんだ。

 

「オランですか……」

 

 ロックはその表情を見逃さなかった。

 

「何かあったんですか」

 

 男はロックを見る。

 

 若い少年だと思ったのだろう。

 

 一瞬、答えるのを迷った。

 

「レックスへ入ったんだ」

 

「何日ほど?」

 

「三日だ。最初の二日は順調だった」

 

 男は唇を噛んだ。

 

「古い住居区らしい場所を見つけた。家具はほとんど朽ちていたが、銀の食器や装飾品が残っていた」

 

「罠は?」

 

「なかった。だから、油断した」

 

 声が低くなる。

 

「床が抜けた。そいつが落ちて、脚をやった」

 

 添え木を外された若者を見る。

 

「下には何が?」

 

「古い水路だ。水はなかったが、這い上がろうとしたところで、奥から骸骨が出てきた」

 

「何体?」

 

「分からない。暗かった。十体はいたと思う」

 

 マルコが肩をすくめた。

 

「数えてる余裕はなかったか」

 

「松明を落としたんだ。見えた時には、すぐ近くまで来ていた」

 

「どうやって逃げたんですか」

 

「そいつを引き上げて、扉を閉めた。持ち帰った物も、荷物も、ほとんど捨てた」

 

 男は吊った腕を見た。

 

「俺は扉に腕を挟んだ。折れてはいないと思うが、動かせない」

 

 銀の食器。

 

 装飾品。

 

 三日分の食料。

 

 縄。

 

 灯り。

 

 それらをすべて捨てて、命だけを持ち帰った。

 

 レックスでは、珍しい話ではないのだろう。

 

「亡くなった人は?」

 

 ロックが尋ねると、男は首を横へ振った。

 

「いない。今回はな」

 

 その答え方に、レックスで人を失うことが当たり前になっている重さがあった。

 

 リディアの祈りが終わる。

 

 若者の顔から苦痛が薄れた。

 

 すぐに歩けるほどではないが、震えるほどの痛みは収まったようだ。

 

「骨に異常があります」

 

 リディアは添え木を戻しながら説明した。

 

「パダへ着いたら、きちんと診てもらってください。無理に歩かせてはいけません」

 

「ですが、ここから運ぶには……」

 

 負傷者の仲間たちが顔を見合わせる。

 

 エドガーが御者台から荷台を振り返った。

 

「一人なら乗せられます」

 

「いいんですか」

 

「このまま置いてはいけません」

 

 ガレスがエドガーを見る。

 

「予定が遅れるぞ」

 

「陽が落ちるまでにはパダへ着けます。それに、私が断ってもリディアさんが歩いて付き添うのでしょう?」

 

 リディアは返事をしなかった。

 

 否定もしない。

 

「ほらな」

 

 エドガーは苦笑した。

 

「若い方を荷台へ。残りの皆さんは、歩けますか」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 負傷した若者は、一台目の荷馬車へ乗せられた。

 

 他の四人も、荷馬車と一緒にパダへ戻ることになる。

 

 護衛する人数が増えた。

 

 しかし、彼らは戦える状態ではない。

 

 盗賊が現れれば、守るべき相手が増えたことになる。

 

 ガレスは隊列を組み直し、負傷者たちを二台の荷馬車の間へ入れた。

 

「ロック。後ろを頼む」

 

「はい」

 

「マルコは先頭だ。あいつらの足だと、着くのが遅くなる。周囲をよく見ろ」

 

「分かってる」

 

 街道の先に、低い丘が見えている。

 

 その向こうがパダだという。

 

          ◇

 

 夕暮れが迫る頃。

 

 街道を進む人の数が、さらに増えた。

 

 パダへ向かう者。

 

 パダから出てきた者。

 

 荷物を運ぶ商人。

 

 冒険者。

 

 旅芸人。

 

 傭兵。

 

 誰もが足を速めている。

 

 日が暮れる前に町へ入ろうとしているのだ。

 

 ロックたちが丘を越えると、その先にパダが見えた。

 

 王都オランと比べれば、小さな町である。

 

 高い城壁はない。

 

 土を盛り、その上へ木の柵を巡らせている。

 

 門の両側には石造りの見張り台があり、槍を持った兵士が街道を監視していた。

 

 しかし、町の外側には、柵へ沿うように多くの建物が広がっている。

 

 馬小屋。

 

 荷車の置き場。

 

 簡素な宿。

 

 武具を修理するための工房。

 

 露店。

 

 天幕。

 

 町の中へ入りきれない旅人たちが、外にも小さな町を作っているようだった。

 

「これがパダ……」

 

 ロックは思わず呟いた。

 

 遠くからでも、人の声が聞こえる。

 

 金槌の音。

 

 馬の嘶き。

 

 荷物を運ぶ者の掛け声。

 

 値段を巡って争う商人。

 

 怪我人を呼ぶ声。

 

 オランの市場とは違う。

 

 華やかさはない。

 

 泥と汗と血の匂いが混じっている。

 

 すべてが、レックスへ続いていた。

 

「パダへ入る前に、一つ覚えておけ」

 

 先頭から戻ってきたマルコが、ロックへ声をかけた。

 

「何ですか」

 

「親切に声をかけてくる奴ほど、信用するな」

 

「商人ですか」

 

「商人だけじゃない。宿の客引き。遺跡の案内人。道具の鑑定屋。仲間を探してる冒険者。全部だ」

 

「全員を疑えと?」

 

「少なくとも、話を最後まで聞く前に頷くな」

 

 エドガーも御者台から振り返る。

 

「パダには、レックスで一財産を築こうとする人が集まります」

 

「築いた人も?」

 

「築いた人は、長く留まりません。オランへ行くか、故郷へ帰ります」

 

 エドガーは町を見た。

 

「ここに残るのは、これから財産を得ようとする者か、得られなかった者です」

 

 厳しい言葉だった。

 

 だが、門の周辺に集まる人々を見れば、否定する気にはなれない。

 

 新しい剣を腰に差し、希望に満ちた顔で町へ入る者。

 

 武器を失い、空の鞘だけを下げて戻ってくる者。

 

 重そうな袋を抱え、周囲を警戒している者。

 

 何も持たず、ただ俯いて歩く者。

 

 レックスは、人の夢と命を同じように呑み込む。

 

 パダは、その入口であり。

 

 同時に、吐き出された者を受け止める場所だった。

 

 門番は、荷馬車の目録とエドガーの通行証を確かめた。

 

「オランからの完成品か」

 

「はい。ベルマン商会です」

 

「今回は遅かったな」

 

「街道で倒木がありました。人の手で切られた物です」

 

 門番の顔つきが変わる。

 

「場所は?」

 

 ガレスが前へ出て、泉と林の位置を説明した。

 

 灰色の外套を着た男。

 

 少なくとも四人以上。

 

 旅人を街道から外れさせようとしていたこと。

 

 門番は隣の兵士へ指示し、内容を書き留めさせた。

 

「同じ辺りで、妙な連中を見たという話が出ている」

 

「被害は?」

 

「今のところ、届けはない。だが、届けを出せない者もいるだろう」

 

 殺され。

 

 荷物を奪われ。

 

 遺体が林へ隠されれば、誰も届けることはできない。

 

「明日、街道の詰所へ知らせを出す」

 

 門番は荷馬車の後ろへ目を向けた。

 

「そいつらは?」

 

「レックスから戻ってきた冒険者です。一人、脚を傷めています」

 

「またか」

 

 驚いた様子はなかった。

 

「入ったら右へ行け。神殿の施療所がある」

 

 門が開かれる。

 

 荷馬車が、ゆっくりと町へ入った。

 

          ◇

 

 門をくぐった瞬間。

 

 数人の男が荷馬車へ集まってきた。

 

「宿は決まってるか!」

 

「馬を預かるぞ!」

 

「レックスの地図なら最新がある!」

 

「オランから来た商人さん! 荷を買うぞ!」

 

「遺物の鑑定ならうちだ!」

 

 ロックは反射的に剣の柄へ手を伸ばしかけた。

 

 マルコが笑う。

 

「抜くなよ。客引きだ」

 

「盗賊より近いですね」

 

「放っておけば噛みつかん」

 

 エドガーは慣れた様子で彼らを追い払った。

 

「道を空けてください。取引先は決まっています」

 

「ベルマンさん、うちの店にも少し回してくれよ!」

 

「前の外套は売れたぞ!」

 

「倍で買う!」

 

「嘘を言いなさい。前回は値切ったでしょう」

 

 言い返しながらも、エドガーの表情は王都を出た時より明るかった。

 

 商人にとっては、ここが仕事の本番なのだ。

 

 荷馬車は大通りを進む。

 

 両側には、冒険者向けの店が隙間なく並んでいた。

 

 武器屋。

 

 防具屋。

 

 道具屋。

 

 宿屋。

 

 酒場。

 

 治療院。

 

 魔術師向けの品を扱う店。

 

 見慣れない石や金属片を卓上へ並べた露店。

 

 剣を研ぐ職人。

 

 破れた革鎧を縫う職人。

 

 壁には、仲間を募集する紙が無数に貼られている。

 

 人数を減らした一団が、新しい仲間を探しているのだろう。

 

 大通りの一角では、男二人が錆びた短剣を巡って言い争っていた。

 

「これは古代王国の品だ!」

 

「柄を替えただけの古道具じゃねぇか!」

 

「文字が刻んである!」

 

「お前が昨日刻んだんだろ!」

 

 その隣では、豪華な服を着た商人が、泥まみれの石板を真剣な顔で眺めている。

 

 価値のある物。

 

 価値があるように見えるだけの物。

 

 価値を知らない者から安く買おうとする者。

 

 誰かを騙してでも、失った金を取り戻そうとする者。

 

 街全体が、大きな賭場のようだった。

 

「レックスへ行きたいか?」

 

 隣を歩くガレスが尋ねる。

 

 ロックは町の先を見た。

 

 パダの向こう。

 

 さらに街道を進めば、古代都市レックスがある。

 

 人工始原の巨人について調べ始める前なら、このまま進んでみたいと思ったかもしれない。

 

 今も興味はある。

 

 それでも、胸の中に浮かぶのは、王都地下の巨大な遺跡だった。

 

「いつかは」

 

「今は違うのか」

 

「はい。僕が調べている遺跡は、まだ入口を少し見ただけです」

 

「有名なレックスより、そっちが気になる?」

 

「僕が最初に見つけましたから」

 

 その答えに、ガレスは少し驚いた顔をした。

 

 やがて、大きく笑う。

 

「なるほど。そいつは放っておけんな」

 

「笑うところですか」

 

「いや、悪くないと思っただけだ」

 

 前方でエドガーが荷馬車を止めた。

 

 三階建ての大きな商館。

 

 看板には、糸巻きと翼の意匠が描かれている。

 

 入口から、恰幅のよい女性が出てきた。

 

「遅かったじゃない、エドガー!」

 

「街道で少し問題がありまして」

 

「商品は無事?」

 

「まず私の心配をしていただけませんか」

 

「立って喋っているなら無事でしょう」

 

 女性は荷馬車の防水布をめくり、中身を確かめる。

 

 外套。

 

 靴。

 

 手袋。

 

 包帯。

 

 油。

 

 オランで作られた完成品。

 

 彼女の顔に、満足そうな笑みが浮かんだ。

 

「よろしい。全部買うわ」

 

 エドガーが安堵の息を漏らした。

 

 行きの仕事は、これで終わる。

 

 しかし、護衛の仕事は半分も終わっていない。

 

 これから荷が金へ変わる。

 

 帰路で守るべきものは、外から見えなくなる。

 

 だからこそ、危険は増す。

 

 商館の前で荷下ろしが始まる中。

 

 ロックは通りの反対側へ目を向けた。

 

 一人の男が立っている。

 

 灰色の外套。

 

 深く被った頭巾。

 

 顔は見えない。

 

 ただ、男の視線は商館ではなく、エドガーの荷馬車へ向けられていた。

 

 ロックが見返した瞬間。

 

 男は人混みの中へ姿を消した。

 

「どうした?」

 

 マルコが声をかける。

 

「今、こちらを見ていた人がいました」

 

「客引きじゃないのか」

 

「灰色の外套でした」

 

 マルコの表情から、軽さが消えた。

 

「昨日の男か?」

 

「顔は見えませんでした」

 

 街道で待ち伏せていた者が、先回りしてパダへ来たのか。

 

 それとも、ただ同じ色の外套を着た別人か。

 

 まだ何も分からない。

 

 ロックは男が消えた通りを見つめた。

 

 パダへ品を運ぶまでが往路。

 

 売上を持ってオランへ帰るまでが依頼。

 

 本当に危険な旅は、明日から始まるのかもしれなかった。

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