低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
灰色の外套をまとった男は、人混みへ紛れた。
追おうと思えば、追えたかもしれない。
パダの大通りは混雑している。
荷車。
冒険者。
客引き。
露店を覗く旅人。
人の流れを読み、相手が進みそうな道を先回りすれば、姿を捉え直すことはできる。
だが、ロックは動かなかった。
今の役目は、怪しい男の正体を暴くことではない。
エドガーと荷馬車を守ることだった。
「追わないのか?」
マルコが尋ねた。
「僕たちを引き離すために、わざと姿を見せたのかもしれません」
「昨日と同じ考えか」
「相手が同じなら、僕たちがどう動くかを知りたがっているはずです」
ロックは男が消えた通りから視線を外し、商館の周囲を見渡した。
向かいの酒場。
露店の天幕。
路地の入口。
二階の窓。
目立つ外套の男だけが、こちらを見ているとは限らない。
むしろ、一人を気にさせている間に、別の誰かが荷馬車や護衛の人数を調べている可能性がある。
「今は、こちらから動かない方がいいです」
「なら、俺は裏手を見てくる」
「一人で?」
「ここは町の中だぞ」
「町の中だからです」
マルコは一瞬、言葉を止めた。
それから、楽しそうに口元を歪める。
「お前、俺を子供扱いしてないか?」
「していません。僕より年上ですから」
「そういう意味じゃない」
「二人とも」
ガレスが低い声で割って入った。
「商館の前で喧嘩をするな」
「喧嘩ではありません」
「意見の交換だ」
「どちらでもいい」
ガレスは荷下ろしを始めた商館の者たちへ目を向けた。
「俺とリディアは、ここに残る。マルコとロックで周囲を見てこい。ただし、深入りするな」
「二人ならいいんですか」
「二人とも戻らなかったら、俺が探しに行く」
「荷馬車は?」
「その時点で護衛どころじゃない」
ガレスはそう言ってから、エドガーを振り返った。
「構わないか?」
「こちらは商館の中へ入れば安全です」
エドガーは目録を抱え、頷いた。
「代金の受け取りにも時間がかかります。周囲を確かめておいてください」
「決まりだ」
マルコはロックの肩を軽く叩いた。
「子守りを頼む」
「どちらが子守りをする側ですか」
「俺だ」
「では、勝手に走り出さないでください」
「やっぱり子供扱いしてるだろ」
◇
二人は灰色の外套の男が消えた通りへ入った。
大通りより道幅は狭い。
両側には、小さな店が並んでいる。
古びた地図。
曲がった短剣。
欠けた石板。
文字の刻まれた金属片。
用途の分からない硝子器。
それらが雑然と卓へ積まれ、店主たちが声を張り上げていた。
「古代王国の護符だ!」
「銀貨三十枚!」
「嘘をつけ。昨日まで鍋の底だっただろ!」
「これが分からん奴に売る気はない!」
隣では、髭を生やしたドワーフが金属片を槌で叩き、音を聞いている。
「ただの青銅だ」
「そんなはずはない! レックスの地下から持ち帰ったんだぞ!」
「どこから拾おうが、青銅は青銅だ」
「古代王国の青銅だ!」
「なら鍋にでもしろ」
パダでは、出所と価値が必ずしも一致しない。
古代王国の遺跡から出たからといって、すべてが魔法の品ではない。
反対に、泥まみれの石片が、失われた知識を記した貴重な資料であることもある。
知識のない者は騙される。
知識のある者も、欲に目が眩めば騙される。
ロックは店先の商品へ興味を引かれながらも、視線を止めなかった。
灰色の外套。
深い頭巾。
背格好は成人男性。
通りの先には見当たらない。
「足は速くなかった」
マルコが小声で言った。
「走っていませんでしたね」
「俺たちが見ていると気づいてからも、慌てていなかった」
「追われることを想定していたのかもしれません」
「あるいは、追われても困らない奴か」
マルコは露店の硝子瓶を眺めるふりをしながら、背後を確認した。
「後ろに一人いる」
「革の帽子の男ですか」
「気づいてたか」
「僕たちが曲がってから、同じ店を三つ見ています」
「買い物好きかもしれんぞ」
「何も買っていません」
「俺たちもだ」
ロックは足を止めず、そのまま通りを進んだ。
男が後をつけているなら、こちらが気づいたことを悟らせない方がいい。
「この先を右へ曲がりましょう」
「商館から離れるぞ」
「一周して裏へ戻れます」
「道を知ってるのか?」
「さっき建物の並びを見ました」
パダへ入って、まだ一刻も経っていない。
だが、町の中心を走る大通り。
そこから枝分かれする道。
商館の背後にある倉庫。
それらの位置関係は、おおよそ把握していた。
街には街の流れがある。
人が集まる道。
荷物を運ぶ道。
住民だけが使う細道。
王都ほど複雑ではない。
二人は次の角を右へ曲がった。
そこは表通りとは違い、人通りが少なかった。
商店の裏口。
積み上げられた空箱。
濁った水が流れる浅い溝。
荷運び人が行き交うための道である。
「来るか?」
マルコが前を向いたまま尋ねた。
「まだ曲がっていません」
「見えるのか」
「樽の金具に映っています」
道端に積まれた樽。
その一つを締める金具へ、曲がり角の一部が歪んで映っている。
革の帽子の男が、角の手前で足を止めていた。
こちらが狭い道へ入ったことで、追うべきか迷っている。
「見失うのが嫌なら来る」
マルコが言った。
「正体を知られたくないなら、別の人へ引き継ぎます」
「どっちだと思う」
「後者です」
ロックの予想どおり、革帽子の男は角を曲がらなかった。
代わりに、前方の路地から籠を抱えた女が出てきた。
年は三十ほど。
町の住民らしい粗末な服装をしている。
女は二人の横を通り過ぎた。
視線を向けることもない。
だが、すれ違った瞬間。
籠の下に隠された右手が見えた。
掌に、小さな黒い染みがある。
同じ染みを、革帽子の男の指にも見た気がした。
「マルコさん」
「ああ」
女が背後へ去ってから、マルコが短く答えた。
「交代したな」
「黒い印がありました」
「炭か染料だろう。仲間を見分ける印かもしれん」
「追いますか」
「今度はお前が聞くのか」
「僕たちが尾行されているのは分かりました。次は、どこまで調べるかです」
マルコは少し考えた。
「商館へ戻る」
「同感です」
「意外だな」
「僕たちが離れている間に、別の人がエドガーさんを見ているはずです」
「そいつを捕まえる方が早いか」
「捕まえなくても、顔を覚えられます」
ロックたちは足を速めず、倉庫の並ぶ道を進んだ。
尾行している女へ、気づいた様子を見せない。
商館の裏手へ出る直前。
マルコが何気なく立ち止まり、壁へ貼られた紙を覗き込んだ。
「仲間募集だ」
「今読むんですか」
「後ろの女がどちらへ行くか見ろ」
ロックも紙を読むふりをした。
女は道の反対側へ移り、倉庫の陰へ入った。
商館の裏口を見張れる場所だった。
「商館が目的ですね」
「俺たちじゃない」
「エドガーさんの取引です」
街道で待ち伏せた者たちと同じ一味かは分からない。
だが、エドガーがパダで品を売り、その代金を持ち帰ることを知っている者がいる。
商売の仕組みを知っていれば、難しい推測ではない。
問題は、誰が、いつオランへ戻るのかまで調べていることだった。
「顔を見せた灰色の外套は、僕たちを動かすためだったんでしょうか」
「護衛が何人ついてくるか確かめたかったのかもしれん」
「僕たちが二人で追えば、商館にはガレスさんとリディアさんが残る」
「戦える人数も分かる」
マルコは紙から顔を上げた。
「戻ろう。今度は裏口からだ」
◇
商館の裏口には、荷を運び込むための広い扉があった。
王都から運んできた品々が、次々と倉庫へ収められている。
厚手の外套は大きさごとに分けられ。
靴は木箱の札と中身を照合され。
油の小瓶は割れがないか一本ずつ確かめられていた。
商館の者たちの動きに迷いはない。
荷が到着することを、あらかじめ知っていたのだろう。
ロックとマルコが戻ると、ガレスがすぐに近づいてきた。
「どうだった」
「見つけた男には追いついていない」
マルコは周囲へ目を配りながら答えた。
「だが、俺たちを見張っている奴はいた。少なくとも二人だ」
「街道の連中か?」
「分からん」
ロックが言葉を継ぐ。
「灰色の外套の男は、僕たちに見つかることを恐れていませんでした。別の二人は印を使って交代しながら、商館の裏手までついてきています」
「印?」
「指に黒い染みがありました」
「職人じゃないのか」
「その可能性もあります。ただ、二人とも同じようにこちらを見ていました」
ガレスの顔つきが険しくなる。
「エドガーは?」
「商館の奥です」
リディアが答えた。
「代金を確かめています。まだしばらくかかるそうです」
「誰か一人、傍につけるべきだったな」
「取引の場へ護衛を入れれば、商館側が嫌がることもあります」
リディアは周囲へ聞こえない声で続けた。
「ですが、この状況なら話は別です」
「俺が行く」
ガレスが商館へ入ろうとする。
ロックは、その腕を掴んだ。
「待ってください」
「何だ」
「僕が行きます」
「お前が?」
「ガレスさんは、護衛のまとめ役です。商館の前から姿を消せば、外から見て分かります」
「お前なら消えても分からんと?」
「僕は最初から数に入っていないかもしれません」
灰色の外套の男が見ていたのは、エドガーの荷馬車だった。
街道でも、ロックは隊列の位置を変えている。
パダへ入ってからも、人混みに紛れていた。
相手が護衛を数えているとしても、少年一人を商人の同行者と見なした可能性がある。
「それに、商人同士の話を聞くなら、僕の方が目立ちません」
「剣士が入るよりはな」
マルコが賛成した。
「俺は裏手を見る。ガレスは表。リディアは荷馬車と御者を頼む」
ガレスは不満そうだったが、反対はしなかった。
「何かあれば大声を出せ」
「商談中にですか」
「命に関わるなら構わん」
「分かりました」
◇
商館の中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
一階は取引のための広間になっている。
壁際には布地や革製品の見本が並び、中央の卓では何組もの商人が帳簿を開いていた。
荷馬車を迎えた恰幅のよい女性が、奥の部屋から出てくる。
「何かあったの?」
「エドガーさんに確認したいことがあります」
「商談なら、もう終わるわ」
「護衛の話です」
女性の目が鋭くなった。
「ついてきなさい」
彼女は余計なことを尋ねず、ロックを奥へ案内した。
扉の向こうでは、エドガーが卓につき、銀貨を積み上げている。
向かいには、痩せた帳場係。
卓上には天秤と分銅。
数え終えた銀貨は袋へ詰められ、封をするための紐が掛けられていた。
「ロックさん?」
エドガーは驚いた顔をした。
「外で何かありましたか」
「取引の金額を知っている人は、どのくらいいますか」
突然の問いに、エドガーは目を瞬かせる。
「正確な金額ですか?」
「正確でなくても構いません。今回の荷が、いつ届いて、いつ売られるかを知っている人です」
恰幅のよい女性が扉を閉めた。
「どういうこと?」
「僕たちを見張っている人がいます」
ロックは街道の倒木。
灰色の外套。
商館の周囲で交代しながら尾行する者。
分かっていることだけを簡潔に話した。
エドガーの表情から、血の気が引いていく。
「街道の者たちが、ここまで?」
「同じ人たちかは分かりません」
「うちの商館から漏れたと言うの?」
女性の声は低かった。
「そうは言っていません」
「でも、知っていなければ待ち伏せはできない」
「荷馬車を見れば、オランからの完成品だと分かる人もいます。エドガーさんが何度も同じ商いをしているなら、帰りに代金を持つことも知られているでしょう」
女性は黙り込んだ。
商人が同じ道を使い、同じ店と取引する。
それは信用を積み重ねるために必要なことだ。
しかし、悪意を持つ者にとっては、動きを予測しやすいということでもある。
「出発日は?」
ロックが尋ねた。
「明日の朝です」
エドガーが答える。
「それは、誰が知っていますか」
「商館の者。宿の者。馬を預ける厩。それと、護衛を手配した店……」
「かなり多いですね」
「いつものことです」
女性が腕を組む。
「商人が町を出る時刻まで完全に隠すことはできないわ。荷車も馬も使うもの」
「なら、変えましょう」
「何を?」
「出発の仕方です」
ロックは卓上の銀貨袋を見た。
「このまま荷馬車二台で朝に出れば、待っている人には分かります」
「夜のうちに出ろと言うの?」
「それでは、街道で襲ってくださいと言うようなものです」
「では、どうする」
エドガーと女性が、同時にロックを見た。
「荷馬車は、予定どおり朝に出します」
「それでは同じでしょう」
「代金を載せなければいいんです」
室内が静まり返る。
帳場係が、銀貨袋へ視線を落とした。
「金だけ別に運ぶのか?」
エドガーが慎重に尋ねる。
「いいえ。別に運べば、そちらが狙われます」
「では、どうするんです」
「今日のうちに、金を町から出したように見せます」
女性の眉が僅かに上がる。
「続けて」
「空になった荷馬車へ、重さのある物を載せます。箱へ入れて、厳重に布を掛ける。護衛も何人かつけて、日が暮れる前に町の別の門から出す」
「囮にするのか」
「はい。ただし、遠くまでは行きません。町の外にある倉庫か農家へ預けて、一晩置きます」
「襲われたらどうする」
「追わせるだけです。相手が本当に金を狙っているなら、動きを見せます」
女性はしばらく考え、帳場係を見た。
「北側に、うちの染料倉庫があるわね」
「ございます」
「そこまでなら町の兵が巡回しています」
エドガーが不安そうに口を挟む。
「ですが、こちらを見張っている者が囮に気づけば」
「気づかせないために、エドガーさんにも荷馬車へ乗ってもらいます」
「私も?」
「町の外までです。倉庫へ入ったら、服を替えて裏から戻ってください」
「それで、明日の朝は?」
「いつもどおり荷馬車で出ます。ただし、代金がまだ商館にあるようにも、昨夜運び出したようにも見える状態にします」
女主人が笑った。
最初は小さく。
やがて、喉の奥で愉快そうに。
「面白い子ね」
「笑うところですか」
「商人を騙そうとしている者を、商人の手口で騙そうとしている」
「僕は商人ではありません」
「だから面白いのよ」
女性は卓上の銀貨袋へ手を置いた。
「あなたの案に乗りましょう」
エドガーはまだ迷っている。
「危険ではありませんか」
「普通に出ても危険です」
ロックは答えた。
「僕たちは、誰に狙われているのか分かっていません。なら、相手が動く理由を作って、こちらから見つけた方がいい」
「まるで盗賊の考え方ですね」
「盗賊の技を学んでいますから」
その言葉に、エドガーは苦笑した。
「それを依頼人へ正直に言う方は初めてです」
「今さら隠す必要がありますか」
「ありませんね」
エドガーは銀貨袋を見た。
オランの職人が品物を作り。
パダで冒険者たちが買い。
その売上が、またオランへ戻る。
目の前の銀貨は、ただの金ではない。
次の外套。
次の靴。
次の道具。
そして、それらを作る職人たちの暮らしへ変わる。
「お願いします」
エドガーは、ようやく頷いた。
「この売上を、無事にオランへ持ち帰りたい」
「そのために僕たちがいます」
◇
夕刻。
商館の正面へ、二台の荷馬車が引き出された。
荷台には木箱が積まれている。
中身は、石。
傷んだ金具。
売り物にならない布の束。
どれも銀貨袋と同じくらいの重さになるよう調整されていた。
箱の上には防水布。
縄は二重。
いかにも、大切な荷物を隠しているように見える。
エドガーは御者台へ乗った。
その隣にはガレス。
二台目には、商館が雇った護衛が二人ついている。
マルコとリディアは、建物の中から見送った。
ロックは商館の二階にいた。
窓の隙間から通りを見下ろす。
荷馬車が動き始めた途端。
通りの向かい側で、露店を眺めていた男が顔を上げた。
革の帽子。
指先に黒い染み。
男は荷馬車を見送り、近くにいた少年へ何かを囁く。
少年が駆け出した。
「動きました」
ロックが言う。
隣にいたマルコが、別の窓から通りを覗いた。
「一人だけじゃない」
酒場の入口。
路地の角。
屋根の下。
それまで無関係に見えた者たちが、次々と荷馬車の進んだ方向へ顔を向けている。
「随分と人気者だな」
「何人いますか」
「見えるだけで四人」
「追いますか」
「ガレスたちをか?」
「見張っている人たちをです」
マルコは首を横へ振った。
「必要ない」
「どうしてです」
「俺たちの仕事は、誰が荷馬車を追ったか数えることじゃない」
彼はロックの肩を軽く叩いた。
「お前が言ったんだろ。依頼を守るのが先だ」
商館の一階。
帳場の床板の下には、本物の銀貨袋が隠されている。
今夜は、ここで守る。
明日の朝。
銀貨をどこへ隠し。
誰が持ち。
どの道を通ってオランへ帰るのか。
まだ決めていない。
決めていないからこそ、外で見張る者にも読まれない。
ロックは遠ざかっていく荷馬車を見つめた。
「今夜、来ると思いますか」
「どっちへ?」
「囮の荷馬車か、ここです」
マルコは腰の短剣を確かめた。
「欲張りなら、両方だ」
日が沈み始める。
パダの通りに、宿や酒場の灯りがともった。
人の声は、まだ絶えない。
その賑わいの下で。
売上を狙う者と。
それを守る者の夜が始まろうとしていた。