低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
パダから帰還して数日。
ロックは盗賊ギルドの地下区画を訪れていた。
目的の人物は、いつものように帳簿の山と格闘している。
「ヨアヒムさん」
「今度は何だ」
《灰鼠》ヨアヒム・ベルガーは、顔を上げないまま答えた。
「遺跡へ潜る許可なら出さんぞ」
「今日は遺跡ではありません」
「仕事の紹介か」
「それも違います」
「では、何だ」
「指輪を買おうと思っています」
羽根ペンが止まった。
ヨアヒムはゆっくりと顔を上げる。
「……誰にだ」
「僕が使います」
「自分で指輪を買うのか」
「はい」
「何のために」
「魔術の発動体にします」
ヨアヒムは椅子の背へ身体を預けた。
「最初から、そこまで説明しろ」
「聞かれなかったので」
「お前は時々、必要な説明だけを綺麗に抜かすな」
「すみません」
ロックは素直に頭を下げた。
現在使っているのは、一般的な魔術師の杖である。
丈夫であり、旅先では護身にも使える。
だが、遺跡の狭い通路を進む時や、壁を登る時には邪魔になる。
奪われる。
落とす。
折れる。
杖を失えば、魔術を使うこともできなくなる。
その弱点を補うため、常に身につけていられる指輪を発動体にするつもりだった。
「加工を頼める魔術師は見つけてあります」
「金は」
「二万ガメルほど残っています」
「なら、問題はねぇだろう」
「指輪そのものを選べません」
「宝飾品の良し悪しが分からんのか」
「値札が高ければ丈夫とは限りませんから」
「それで俺に聞きに来たのか」
「はい」
ヨアヒムは奥の扉へ視線を向けた。
「リュンクス!」
「何よ。聞こえてるわよ」
扉の向こうから、小柄な少女が顔を出した。
柔らかな髪を後ろでまとめ、いつでも外へ出られる格好をしている。
「宝石屋へ行ってこい」
「誰と?」
「ロックだ」
「どうして私が」
「指輪を選ぶそうだ」
リュンクスの目が僅かに見開かれた。
すぐにロックの手元を見る。
それから、ヨアヒムを見る。
「……誰の指輪?」
「僕のです」
「自分用?」
「はい。魔術の発動体にします」
「ああ、そういうこと」
リュンクスは露骨に肩の力を抜いた。
「何だと思ったんですか?」
「何でもないわよ」
彼女は腰へ手を当てる。
「ただし、私の見立ては安くないわよ」
「幾らですか?」
「本当に払う気なの?」
「仕事を頼むのですから」
リュンクスは少し考えた。
「今日の昼食」
「分かりました」
「甘味も」
「構いません」
「交渉成立ね」
そのやり取りを眺めながら、ヨアヒムは小さく鼻を鳴らした。
「平和な交渉だな」
◇
王都オランの宝飾通り。
大通りから一本入った場所に、金銀細工を扱う店が軒を連ねている。
店先には光沢のある布が敷かれ。
銀の首飾り。
金の腕輪。
色鮮やかな宝石を嵌め込んだ指輪が並べられていた。
ロックは立ち止まるたび、熱心に品物を覗き込んだ。
「これだけあると、分かりませんね」
「だから私を連れてきたんでしょう」
「頼りにしています」
「……そう素直に言われると、調子が狂うわね」
リュンクスは軽く咳払いをした。
「まず、何を優先するの?」
「壊れにくいことです」
「見た目は?」
「特に気にしません」
「宝石は?」
「なくても構いません」
「予算は?」
「加工費を含めて、一万ガメルまでなら」
リュンクスは足を止めた。
「ちょっと待って」
「はい」
「あなた、そんなに持ってるの?」
「二万ガメルほどです」
「聞いてないんだけど」
「話していませんから」
「十五歳のくせに、私より持ってない?」
「リュンクスはいくら持っているんですか?」
「人の財布を覗くのは泥棒よ」
「盗賊ギルドで、それを言いますか」
「泥棒にも礼儀があるの」
「なるほど」
「納得しないで」
リュンクスは額を押さえた。
「一万も使う必要はないわ。飾りではなく道具として使うなら、台座のない太めの輪が良いでしょうね」
「銀ですか?」
「銀は加工しやすいけど、柔らかい物もあるわ。混ぜ物と鍛え方を見ないと駄目」
「鉄では?」
「錆びるでしょう。毎日つけて、遺跡にも持ち込むんだから」
「金は?」
「柔らかいし、目立つし、狙われるわ」
「では銀ですね」
「だから、まだ決めるのが早いのよ」
リュンクスは、呆れながらも楽しそうだった。
◇
その二人を。
道の反対側から見つめる者たちがいた。
薄汚れた外套。
深く被った帽子。
露店の陰に身を寄せている二人の男である。
「おい」
「ああ」
「あれ、ロックだよな」
「間違いねぇ」
かつて《夜烏》と呼ばれた一味に加わり、下働きをしていた男たちだった。
頭目たちは捕らえられたが、末端にいた彼らは騒ぎの前に逃げ出している。
王都を離れる金もなく。
かといって盗賊ギルドへ顔を出す勇気もない。
露店の荷運びなどで日銭を稼ぎながら、ほとぼりが冷めるのを待っていた。
「隣にいる女は?」
「盗賊ギルドのリュンクスだ」
「指輪を見てるぞ」
「指輪だな」
「まさか……」
「黙れ」
「でもよ」
「余計なことを言うな」
そう言いながら、二人とも身を乗り出していた。
「夜烏を潰した男と、盗賊ギルドの女か」
「政略結婚か?」
「何と何の政略だよ」
「知らねぇよ。だが、裏があるに決まってる」
「発動体かもしれないぞ」
「それなら女連れで一日かけて選ぶか?」
「選ぶんじゃねぇか?」
「俺は魔術師じゃねぇから分からん」
二人は、分からないまま尾行を開始した。
◇
一軒目。
若い男女が並んで店へ入ると、恰幅の良い女店主が満面の笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。婚約のお品ですか?」
「違います」
ロックが即答する。
リュンクスも続けた。
「魔術用です」
「まあ、魔術師様でいらっしゃいましたか」
「はい。常に身につけられる発動体を作ろうと思っています」
「では、お相手の方が選ばれるのですね」
「私が?」
リュンクスが自分を指差す。
「お二人で選ばれるのでしょう?」
「丈夫な物を見分けてもらうために同行をお願いしました」
「まあまあ」
店主は、すべて理解したという顔で頷いた。
「実用性を重んじるお嬢様なのですね」
「違いますから」
「承知しております」
「絶対に分かっていないでしょう」
店主は微笑みを崩さない。
リュンクスは早々に店を出た。
「駄目よ、あの店」
「品物を見る前ですが」
「店主が駄目」
「親切そうでしたよ」
「親切すぎるのよ」
店の外。
夜烏の残党二人が、小声で囁き合う。
「婚約だってよ」
「否定してたぞ」
「ああいうのは表向きには否定するんだ」
「そうなのか」
「知らねぇけど」
◇
二軒目。
今度は年配の細工師が営む、小さな店だった。
華美な装飾は少なく。
壁際には、作業用の眼鏡や留め具。
未加工の金属輪が並べられている。
職人はロックの手を見た。
「剣を使うな」
「分かりますか?」
「指の付け根を見れば分かる」
次にリュンクスの手を見る。
「こちらは短剣か」
「見る目があるわね」
「宝飾品は、身につける者を見て作る物だ」
職人は無骨な銀の輪を幾つか取り出した。
「魔術の発動体にするなら、宝石は必要か?」
「いいえ」
「では、石留めは付けん方がいい。ぶつければ外れる」
「僕もそう思います」
「利き手には嵌めるな。剣の柄と擦れる」
ロックは左手を見る。
「どの指が良いでしょう」
「外れにくさを考えるなら、中指か薬指だ」
職人が答えると。
リュンクスが僅かに反応した。
「薬指……」
「何か問題がありますか?」
「何でもないわ」
「では、左手の薬指で」
「待って!」
リュンクスの声が店内へ響いた。
ロックと職人が同時に彼女を見る。
「どうしました?」
「中指にしなさい」
「どうしてです?」
「薬指は駄目」
「作業の邪魔になりますか?」
「別の意味で邪魔になるの!」
ロックはよく分からないまま、中指を差し出した。
「では、中指でお願いします」
「若いのに苦労しているな」
職人がロックへ同情するように言う。
「何がですか?」
「気にするな」
リュンクスが睨みつけたため、職人はそれ以上何も言わなかった。
輪の厚み。
指への馴染み。
手袋を嵌めた時の引っ掛かり。
リュンクスは一つずつ確かめていく。
最終的に選んだのは、黒ずみを抑えた銀の指輪だった。
飾りはない。
表面も平らで、衣服や革紐へ引っ掛かりにくい。
内側だけが滑らかに磨かれている。
「これね」
「理由を聞いても?」
「十分に厚いけれど、手を握っても隣の指に当たりにくい。外側が丸いから、壁を掴んでも引っ掛からない。銀の質も悪くないわ」
職人が頷く。
「娘の目は確かだ」
「娘ではありません」
「妻か」
「違います!」
リュンクスの顔が赤くなる。
「僕たちは、そういう関係ではありません」
ロックも訂正した。
職人は二人を交互に見る。
「まだ、ということか」
「どうしてそうなるのよ!」
店の外では。
「まだ、だってよ」
「やっぱり話が進んでるじゃねぇか」
夜烏の残党が、耳を澄ませていた。
◇
「指輪が四十五ガメル」
ロックは財布から硬貨を取り出す。
「寸法調整を含めて五十でいい」
職人が答えた。
「安いですね」
「飾りがないからな。道具として使うなら、こんなものだ」
「では、お願いします」
「発動体への加工は、うちではできんぞ」
「学院の魔術師へ頼みます」
「加工費の方が、遥かに高くなるな」
「三千六百ガメルほどと聞いています」
「最低でも、そのくらいだろう。刻む術式によっては、もう少しかかる」
「五千ほど見ておけば足りますか?」
「十分だ」
ロックは注文を決めた。
指輪を受け取り。
後日、魔術師へ加工を依頼する。
総額は、余裕を持っても六千ガメルには届かない。
二万ガメルの蓄えがあれば、問題なく支払える。
ロックは指輪を小箱へ収めた。
「ありがとうございます、リュンクス」
「まだ加工が残っているでしょう」
「指輪選びは終わりました」
「そうね」
「約束どおり、昼食をご馳走します」
「甘味もよ」
「覚えています」
二人は並んで店を出た。
◇
食堂では、煮込んだ牛肉と焼きたてのパンを注文した。
食後には蜂蜜をかけた焼き菓子もつける。
リュンクスは満足そうに菓子を切り分けた。
「なかなか気前が良いじゃない」
「見立てを頼んだ報酬です」
「指輪より、こっちの方が高くない?」
「そうかもしれません」
「気にしないの?」
「自分一人で選んで、すぐ壊れたら損ですから」
「本当に実用しか考えていないのね」
「発動体ですから」
リュンクスは焼き菓子を口へ運ぶ。
「でも、指輪なのよね」
「はい」
「一度作れば、長く使うつもりでしょう?」
「壊れない限りは」
「何年も?」
「おそらく」
「……そう」
彼女は、なぜか指輪の入った小箱から目を逸らした。
店の外では。
夜烏の残党二人が、窓越しに様子を窺っている。
「指輪を買って、食事を奢ってるぞ」
「決まりだな」
「何が?」
「分からんが、決まりだ」
「盗賊ギルドへ売れる話じゃないか?」
「待て」
「何だよ」
「あいつら、こっち見てないか?」
二人が振り返る。
食堂の入口には、リュンクスが立っていた。
「あなたたち」
笑顔だった。
ただし、目はまったく笑っていない。
「いつまで尾けてくるつもり?」
「気づいてたのか!」
「最初の店からね」
「なら、もっと早く言えよ!」
「何を話しているか、気になったの」
「聞こえてたのかよ!」
男たちは逃げようとした。
だが、反対側の路地からロックが回り込んでいる。
「夜烏の人たちですね」
「元だ!」
「俺たちは下っ端だった!」
「何もしてねぇ!」
「尾行しています」
「それはした!」
「盗賊ギルドへ行きましょう」
「それだけは勘弁してくれ!」
二人は揃って頭を抱えた。
◇
夕方。
盗賊ギルドの地下区画では、奇妙な報告会が行われていた。
ロック。
リュンクス。
そして、正座させられた夜烏の残党二人。
ヨアヒムは、彼らを見下ろしている。
「つまり」
ヨアヒムが低い声で言う。
「お前たちは、ロックとリュンクスが指輪を選ぶところを尾け回していた」
「はい」
「何のためだ」
「何か大きな動きがあると思いまして」
「指輪を買うことがか」
「盗賊ギルドと、夜烏を潰した男の結びつきです」
「俺たちは、そういう関係ではないわ!」
リュンクスが机を叩いた。
「では、どういう関係で?」
一人が尋ねる。
「仕事仲間よ!」
「一日かけて指輪を選ぶ仕事仲間ですか?」
「発動体だって、何度言わせるの!」
「食事もしていました」
「見立ての報酬よ!」
「甘味も」
「そこまで聞いていたの!」
リュンクスの顔が真っ赤になる。
ロックは小箱を取り出した。
「これです」
「見せるな!」
「発動体だと説明した方が早いかと思って」
「今は、それが問題じゃないの!」
ヨアヒムは額を押さえた。
やがて、低い笑い声を漏らす。
「なるほどな」
「ヨアヒムさんも笑わないで!」
「いや、笑っていない」
「顔を背けても分かるわよ!」
ヨアヒムは夜烏の残党へ視線を戻した。
「お前らには、二つ選ばせてやる」
「二つ?」
「夜烏の残党として衛兵へ突き出されるか」
二人の顔が青ざめる。
「ギルドの下働きとして、借りを返すかだ」
「働きます!」
「何でもやります!」
即答だった。
「なら、最初の仕事だ」
ヨアヒムは、積み上げられた古い木箱を指差す。
「地下倉庫を全部片付けろ」
「いつまでに?」
「今日中だ」
「無理ですよ!」
「では衛兵を呼ぶか」
「やります!」
二人は木箱へ駆け寄った。
その背中を見送りながら、ロックが尋ねる。
「これで夜烏は、いなくなったんですか?」
「名前を使って動く奴は、もういないだろう」
ヨアヒムは答えた。
「残った連中も、今日から鼠の穴掃除だ」
「灰鼠の部下になるんですね」
「そんな立派なものじゃねぇ。しばらくは雑用だ」
リュンクスは大きく息を吐いた。
「とんだ買い物になったわ」
「ですが、良い指輪が買えました」
「あなたは満足でしょうね」
「はい。リュンクスのおかげです」
「……そう」
真っ直ぐ礼を言われると。
リュンクスは、それ以上怒ることができなかった。
ただし。
翌日には、盗賊ギルドの下っ端たちの間で、新しい噂が広まっていた。
ロックがリュンクスを連れて指輪を買い。
二人きりで食事をし。
それを探っていた夜烏の残党が、ヨアヒムに捕らえられた。
発動体についての説明は。
なぜか、噂が広がる途中で綺麗に消えていた。
「ヨアヒムさん」
「何だ」
「噂を訂正してください」
「俺は何も言っていない」
「言っていないから訂正してほしいの!」
「そのうち飽きる」
「いつですか!」
「次にもっと面白い噂が出た時だな」
ヨアヒムは帳簿へ目を戻した。
その口元には。
僅かな笑みが浮かんでいた。