低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
翌朝。
ロックは《古代王国の扉》亭の片隅で、昨夜までに書き写した解読文を読み返していた。
肝区画補給槽
保守体優先
循環液および調整糧を供給
供給量は個体識別に従う
「循環液……」
あの透明な液体のことだろう。
そして、白いホムンクルスが飲み込んでいた灰色の塊が、調整糧。
食物であることは、ほぼ間違いない。
ただし、最後の一文が気になった。
供給量は個体識別に従う。
つまり、補給槽は利用者を見分けている。
白いホムンクルスへは必要な量だけを与え、別の個体には別の量を出す仕組みなのだろう。
ならば、ロックが手を触れた時に少量しか出なかったのも、偶然ではないかもしれない。
「僕を何だと思ったんだろう」
保守体ではない。
だが、排除もされなかった。
補給槽は、ロックを利用資格のない異物と判断したのか。
それとも、損傷した小型の作業体とでも誤認したのか。
考えても答えは出ない。
ロックは帳面を閉じた。
次は、現場で確かめるしかなかった。
◇
その日のうちに地下へ入ることはしなかった。
まず、持ち帰った灰色の欠片を調べる。
見た目は乾いた練り物に近い。
表面へ黴はなく、腐敗臭もない。
刃で薄く削ると、中まで同じ色をしていた。
火へ近づける。
焦げる。
薬品のように燃え上がることはない。
水へ落とす。
すぐには溶けない。
しばらく置くと、ゆっくりと柔らかくなった。
次に、銀貨の縁へ擦りつける。
変色はない。
ロックは一つずつ結果を書き留めた。
毒物の見分け方としては不十分だ。
だが、何も調べずに口へ入れるよりはいい。
問題は、その先だった。
「食べるしかないか」
誰かへ試させる気はなかった。
まして犬や鼠へ与えて安全を確かめたところで、人間にも同じとは限らない。
これは人間用の食物ではないのだ。
ロックは欠片をさらに小さく割った。
爪の先ほど。
それを舌へ載せる。
「……苦い」
穀物を煮詰め、薬草の粉を混ぜたような味だった。
甘味はほとんどない。
僅かに鉄のような後味が残る。
噛まずに吐き出し、口を水ですすぐ。
しばらく待つ。
舌の痺れはない。
喉も腫れない。
腹にも異常は起きなかった。
その日は、そこまでにした。
◇
翌朝。
体調に変化はなかった。
ロックは今度は、昨日より少し大きな欠片を口にした。
十分に噛んでから飲み込む。
味はやはり悪い。
堅パンより不味いかもしれない。
だが、喉を通らないほどではなかった。
そのまま一日、普段どおりに過ごした。
吐き気なし。
腹痛なし。
眩暈もない。
ただ、妙に喉が渇いた。
「水分が少ないのかな」
完全な食事というより、濃縮された糧なのだろう。
白いホムンクルスが先に透明な液体を飲んでいた理由も、それなら説明できる。
三日目。
ロックは欠片の残りを半分だけ食べた。
その日は昼になっても空腹を感じなかった。
夕方になっても、腹が減らない。
「腹持ちは良い」
良いどころではない。
少量しか口にしていないのに、身体は食事を取った後のように動く。
ただし、満腹感とは違った。
胃が膨れているわけではない。
身体だけが、今は糧を求める必要がないと判断しているような感覚だった。
便利ではある。
だが、不気味でもある。
ロックは帳面へ記した。
灰色の調整糧。
少量で強い持続性あり。
味は悪い。
今のところ明確な毒性なし。
水分を多く必要とする可能性あり。
継続摂取の影響は不明。
「食べられるとは書けないな」
安全が確認できたのは、一度口にしてもすぐ死なないという程度だ。
何日も続ければ、身体にどんな変化が起きるか分からない。
魔法で作られた人造の身体と、人間の身体が同じ糧を必要とするはずもなかった。
それでも、非常時の糧にはなる。
少なくとも、干し肉と堅パンが尽きた瞬間に帰還を諦めなくて済む。
◇
さらに翌日。
ロックは再び人工始原の巨人へ入った。
水袋は二つ。
食料はいつもどおり。
今回は、空の小瓶と銀皿も多めに持ってきている。
肝区画へ着いた時、補給槽の前には二体の白いホムンクルスが並んでいた。
ロックは導管の陰に立ち、彼らの動きを観察する。
一体目が手を入れる。
透明な液体が流れる。
飲み終わると、隣の窪みから灰色の調整糧が押し出された。
二体目も同じだった。
ただし、出てきた塊の大きさが違う。
一体目より、僅かに小さい。
「必要な量を見てる……」
見た目には、二体の体格は変わらない。
だが、片方は腕に小さな亀裂があった。
もう片方にはない。
補給槽が見ているのは体格ではなく、内部の消耗なのかもしれない。
二体が去った後、ロックは槽の前へ進んだ。
前回と同じ場所へ手を入れる。
石の突起へ触れた。
何も起きない。
押し込む。
透明な液体が、銀皿へ僅かに流れた。
やはり量は少ない。
片手で受けられるほどだ。
「僕にはこれだけ?」
口を寄せて飲めば、一口にも満たない。
補給槽はロックの状態を読み取れないのかもしれない。
あるいは、本来の利用者ではないため、最低量しか許可していない。
ロックは液体を小瓶へ移した。
もう一度突起を押す。
今度は出ない。
「続けては駄目か」
しばらく待ってから試しても、結果は同じだった。
一度に一回。
次に使えるまで、間隔が必要らしい。
調整糧の方も試す。
壁の窪みへ手を入れ、内側の突起を押した。
小さな灰色の塊が押し出される。
ホムンクルスへ出された物の半分ほど。
取り出しても、警報は起きない。
だが、二つ目は出なかった。
「一人分として認められてはいるのかな」
人間だからではない。
この施設が、ロックを一個体として数えている。
そう考える方が自然だった。
そして一個体につき、一度の補給。
ならば、この場所を当てにして大勢で潜るのは難しい。
一人であっても、一度に得られる水は少なすぎる。
食料の補助にはなっても、水袋の代わりにはならなかった。
ロックは少し考え、透明な液体の供給口を観察した。
下には浅い受け皿がある。
こぼれた液体は溝へ流れ、そのまま壁の奥へ消えていく。
白いホムンクルスは口をつけて飲む。
器へ汲むための設備ではない。
そもそも、持ち運ぶことを想定していないのだ。
「ここまで来て飲め、ってことか」
肝区画を中継点として使う。
水を持ち帰ろうとするのではなく、ここで身体を休め、補給を受けてから先へ進む。
それなら意味がある。
ただし、ビバークはできない。
床へ荷物を置けば、抗体に片付けられる。
寝床を作れば、異物と見なされる可能性もある。
ロックは周囲を見回した。
補給槽の近くには、壁から突き出した細長い台が並んでいる。
白いホムンクルスは補給後、その台の前でしばらく動きを止めていた。
休息のための場所かもしれない。
ロックは一つへ腰を下ろした。
抗体は来ない。
床へ荷物を置かず、背負ったまま壁へ寄りかかる。
しばらく待つ。
何も起こらない。
「ここなら休める」
横にはなれない。
だが、座ったまま眠ることはできる。
荷物も身体から離さなければ片付けられない。
十分な睡眠とは言えないが、循環器系の奥を調べるための中継点にはなる。
ロックは帳面を開いた。
肝区画の補給槽は利用者ごとに供給量を調整する。
僕には少量の循環液と、小型の調整糧一つ。
連続使用はできない。
水袋の代用にはならない。
補助的な補給地点としては利用可能。
補給台付近では、荷物を身につけたままなら休息できる可能性あり。
最後の一文を書き終え、ロックは顔を上げた。
これで無制限に探索できるわけではない。
水袋二つという限界は、まだ残っている。
だが、帰還のために残しておく食料を減らせる。
肝区画で水分を補い、身体を休められる。
今まで一度では届かなかった循環路の先へ、あと半日ほど進めるかもしれない。
その半日があれば、次の分岐へ届く。
「少しずつだ」
便利な道具はない。
安全な宿もない。
あるのは、巨人が自らの身体を維持するために残した仕組みだけ。
その仕組みを壊さず、邪魔せず、僅かに借りる。
ロックは補給槽から離れ、循環路の地図を開いた。
これまで引き返していた分岐が、細い線の先に残されている。
次に調べる場所は、もう決まっていた。