低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
首のない騎士が、砕けた墓石の前で剣を構えた。
朽ちた鎧。
泥に汚れた外套。
刃こぼれした片手剣。
頭部がないにもかかわらず、その構えには隙がない。
ロックはブロードソードを正眼に据えながら、相手の足元を見た。
土が沈んでいる。
幻ではない。
重さを持つ何かが、確かにそこに立っている。
「デュラハン……?」
口に出した直後、違和感が勝った。
伝承に語られる首なし騎士は、死の予兆そのものだ。
このように墓地へ潜み、別の怪異に獲物を誘わせるような存在ではない。
鎧も武器も、あまりに粗末だった。
何より、動きに威厳がない。
強い。
だが、騎士として強いのではない。
命令された殺し方を、何度も繰り返した者の動きだった。
「デュラハンじゃない」
首を失った不死の騎士。
それだけだった。
◇
騎士が踏み込んだ。
速い。
ロックは正面から受けず、右へ半歩ずれた。
片手剣が肩口を掠める。
外套の端が裂けた。
返す刃が脇腹を狙う。
ロックはブロードソードの腹で軌道を逸らし、そのまま相手の手首へ打ち込んだ。
硬い音。
手応えは浅い。
錆びて見える籠手は、見た目以上に頑丈だった。
首なし騎士は痛みを感じた様子もなく、剣を振り上げる。
(頭がないなら、目でも耳でもない)
どうやってこちらを捉えている。
身体の向きか。
魔力か。
あるいは、別の何かが見ているのか。
ちりん。
鈴が鳴った。
騎士の剣先が、僅かに動いた。
ロックは見逃さなかった。
(鈴に合わせた)
◇
谷筋では、リュンクスが黒い影を追っていた。
枝の上を走る影は、異様に細い。
腕が膝より下まで伸びている。
灰色の布を幾重にも身体へ巻き、腰から無数の小さな鈴を下げていた。
顔は見えない。
いや。
顔があるべき場所に、窪みしかなかった。
口だけがある。
横へ長く裂けた、暗い穴。
「ロック」
穴が開くたび、異なる声が漏れる。
「助けて」
「こっちだ」
「置いていかないで」
リュンクスは短剣を抜いた。
影は振り返らない。
それでも彼女の位置を知っているように、次の枝へ飛び移った。
(見えてない)
影の動きには奇妙な遅れがある。
リュンクスが動く。
葉が揺れる。
枝が軋む。
その直後に、影が反応する。
(音を聞いてる)
目がない。
だから音で探している。
ならば。
リュンクスは懐から小石を取り出し、反対側の岩壁へ投げた。
乾いた音が響く。
影の口がそちらを向いた。
その一瞬で、リュンクスは枝を蹴った。
◇
短剣が灰色の布を裂いた。
だが、肉を斬った感触はない。
布の下から、冷たい風のようなものが噴き出した。
影が身を捩る。
「痛い」
少女の声。
「痛いよ」
幼い声。
「やめてくれ」
老人の声。
幾つもの声が重なり、谷へ散った。
リュンクスは眉をひそめた。
「中身がないじゃない」
裂けた布の間に、身体は見えない。
黒い靄が渦巻いているだけだ。
影は長い腕を振るった。
爪のように尖った指先が、リュンクスの頬を掠める。
薄い傷が走った。
「高くつくわよ」
リュンクスは地面へ飛び降りた。
影は追わない。
再び枝の上へ立ち、口を大きく開いた。
ちりん。
鈴が鳴る。
「殺せ」
低い男の声が、墓地の方角へ響いた。
◇
首なし騎士の動きが変わった。
剣を振る速度が上がる。
守りを捨て、ロックの首だけを狙ってくる。
「やっぱり、命令してる」
声の怪異が指示を出し、首なし騎士が実行する。
ただ共に狩っているのではない。
片方が、もう片方を動かしている。
ロックは後退した。
墓石の間を縫い、広い場所から離れる。
騎士は追う。
足元の墓標を避けない。
石を蹴り倒し、穴へ足を踏み入れても構わず前へ出る。
(見えていない)
頭部がない以上、当然かもしれない。
だが、それならばなぜこちらを追える。
ちりん。
右から鈴。
騎士が右へ剣を振る。
ロックはすでに左へ回っていた。
刃が空を切る。
「鈴で位置を教えてるのか」
怪異はロックの位置を声で伝えている。
首なし騎士は、それを頼りに剣を振っている。
ならば、騎士そのものはロックを見ていない。
◇
ロックは墓石の陰へ滑り込んだ。
小石を拾い、遠くの墓標へ投げる。
こつん。
音が鳴る。
騎士は反応しない。
ちりん。
鈴が左で鳴った。
騎士が左へ向く。
(僕の出した音じゃ駄目だ)
騎士が従うのは、あの鈴だけ。
あるいは、鈴に込められた命令だけだ。
ロックは腰のスタッフスリングへ手を伸ばした。
剣を鞘へ戻す時間はない。
左手でブロードソードを握ったまま、右手だけでスタッフスリングを引き抜く。
弾を番える。
狙うのは騎士ではない。
森の上。
鈴の聞こえた方角。
「そこだ」
弾を放つ。
石弾は木々の間へ消えた。
◇
谷筋の影が、不意に身を反らした。
石弾が枝を砕く。
狙いは外れている。
だが、リュンクスには意図が分かった。
(ロックが、声の居場所を探してる)
影は枝から跳び、別の木へ移ろうとした。
リュンクスは腰の紐を解く。
先端には、小さな鉤が付いている。
投げる。
鉤は枝ではなく、影の腰から下がる鈴の束へ絡んだ。
「捕まえた」
リュンクスが紐を引く。
鈴が一斉に鳴った。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
不規則な音が谷へ溢れる。
◇
墓地の首なし騎士が、急に動きを止めた。
剣を右へ向ける。
次に左。
前へ一歩進み、止まる。
再び剣を振る。
だが、その先には誰もいない。
「混乱してる」
鈴が幾つも同時に鳴り、位置を定められなくなったのだ。
ロックはスタッフスリングを捨てない。
地面へ置けば、後で保守体に回収される巨人の中とは違う。
ここは普通の墓地だ。
だが拾い直す余裕はない。
左手の剣を右手へ持ち替え、一気に間合いを詰めた。
狙うのは鎧の隙間。
脇。
腰。
膝裏。
死者に痛みはなくても、身体が壊れれば動きは止まる。
ロックの剣が、騎士の右膝裏へ食い込んだ。
乾いた骨を断つ手応え。
騎士の身体が傾く。
それでも倒れない。
左脚一本で踏み止まり、片手剣を横薙ぎに振るう。
ロックは身を沈めた。
刃が髪を掠める。
そのまま騎士の背後へ抜け、今度は左の膝へ剣を打ち込んだ。
骨が砕ける。
首なし騎士が、両膝から崩れ落ちた。
◇
しかし、剣は手放さなかった。
地面を這いながら、なおロックへ刃を向ける。
「止まらないか」
不死者とは、そういうものだ。
頭を失っても。
脚を砕かれても。
命令が残っている限り、動き続ける。
ロックは騎士の背へ回った。
鎧の隙間から、黒ずんだ革紐が見える。
首があった場所から、胸の内側へ続いている。
革紐には、小さな金属片が括り付けられていた。
鈴だった。
首なし騎士自身の鎧の中にも、鈴が埋め込まれている。
「受け取る方も持ってる」
ロックは剣先を差し込み、革紐を切った。
鈴が地面へ落ちる。
その瞬間。
首なし騎士の腕から力が抜けた。
片手剣が土へ沈む。
もう動かない。
◇
森の向こうから、甲高い絶叫が響いた。
「返せ!」
女の声。
「返せ!」
男の声。
「返して!」
子供の声。
無数の声が重なっている。
首なし騎士が倒れたことを知ったのだ。
ロックは地面の鈴を拾わなかった。
先に剣を構え、森を見た。
リュンクスはまだ戻っていない。
戦いは終わっていない。
むしろ首なし騎士は、声の怪異が使っていた道具に過ぎなかったのかもしれない。
谷の方角で、鳥の鳴き声が響いた。
一回。
二回。
三回。
四回。
「逃げろ、か」
ロックは倒れた騎士の剣も、鎧も調べなかった。
スタッフスリングだけを拾い、墓地から走り出す。
森の奥では、鈴の音が近付いていた。
先ほどまでの小さな音ではない。
何十、何百もの鈴が、一斉に鳴っている。
《墓標喰らい》は、首なし騎士一体ではなかった。
そして声だけの亡霊も、一体だけとは限らなかった。