低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第53話 首のない騎士

 首のない騎士が、砕けた墓石の前で剣を構えた。

 

 朽ちた鎧。

 

 泥に汚れた外套。

 

 刃こぼれした片手剣。

 

 頭部がないにもかかわらず、その構えには隙がない。

 

 ロックはブロードソードを正眼に据えながら、相手の足元を見た。

 

 土が沈んでいる。

 

 幻ではない。

 

 重さを持つ何かが、確かにそこに立っている。

 

「デュラハン……?」

 

 口に出した直後、違和感が勝った。

 

 伝承に語られる首なし騎士は、死の予兆そのものだ。

 

 このように墓地へ潜み、別の怪異に獲物を誘わせるような存在ではない。

 

 鎧も武器も、あまりに粗末だった。

 

 何より、動きに威厳がない。

 

 強い。

 

 だが、騎士として強いのではない。

 

 命令された殺し方を、何度も繰り返した者の動きだった。

 

「デュラハンじゃない」

 

 首を失った不死の騎士。

 

 それだけだった。

 

     ◇

 

 騎士が踏み込んだ。

 

 速い。

 

 ロックは正面から受けず、右へ半歩ずれた。

 

 片手剣が肩口を掠める。

 

 外套の端が裂けた。

 

 返す刃が脇腹を狙う。

 

 ロックはブロードソードの腹で軌道を逸らし、そのまま相手の手首へ打ち込んだ。

 

 硬い音。

 

 手応えは浅い。

 

 錆びて見える籠手は、見た目以上に頑丈だった。

 

 首なし騎士は痛みを感じた様子もなく、剣を振り上げる。

 

(頭がないなら、目でも耳でもない)

 

 どうやってこちらを捉えている。

 

 身体の向きか。

 

 魔力か。

 

 あるいは、別の何かが見ているのか。

 

 ちりん。

 

 鈴が鳴った。

 

 騎士の剣先が、僅かに動いた。

 

 ロックは見逃さなかった。

 

(鈴に合わせた)

 

     ◇

 

 谷筋では、リュンクスが黒い影を追っていた。

 

 枝の上を走る影は、異様に細い。

 

 腕が膝より下まで伸びている。

 

 灰色の布を幾重にも身体へ巻き、腰から無数の小さな鈴を下げていた。

 

 顔は見えない。

 

 いや。

 

 顔があるべき場所に、窪みしかなかった。

 

 口だけがある。

 

 横へ長く裂けた、暗い穴。

 

「ロック」

 

 穴が開くたび、異なる声が漏れる。

 

「助けて」

 

「こっちだ」

 

「置いていかないで」

 

 リュンクスは短剣を抜いた。

 

 影は振り返らない。

 

 それでも彼女の位置を知っているように、次の枝へ飛び移った。

 

(見えてない)

 

 影の動きには奇妙な遅れがある。

 

 リュンクスが動く。

 

 葉が揺れる。

 

 枝が軋む。

 

 その直後に、影が反応する。

 

(音を聞いてる)

 

 目がない。

 

 だから音で探している。

 

 ならば。

 

 リュンクスは懐から小石を取り出し、反対側の岩壁へ投げた。

 

 乾いた音が響く。

 

 影の口がそちらを向いた。

 

 その一瞬で、リュンクスは枝を蹴った。

 

     ◇

 

 短剣が灰色の布を裂いた。

 

 だが、肉を斬った感触はない。

 

 布の下から、冷たい風のようなものが噴き出した。

 

 影が身を捩る。

 

「痛い」

 

 少女の声。

 

「痛いよ」

 

 幼い声。

 

「やめてくれ」

 

 老人の声。

 

 幾つもの声が重なり、谷へ散った。

 

 リュンクスは眉をひそめた。

 

「中身がないじゃない」

 

 裂けた布の間に、身体は見えない。

 

 黒い靄が渦巻いているだけだ。

 

 影は長い腕を振るった。

 

 爪のように尖った指先が、リュンクスの頬を掠める。

 

 薄い傷が走った。

 

「高くつくわよ」

 

 リュンクスは地面へ飛び降りた。

 

 影は追わない。

 

 再び枝の上へ立ち、口を大きく開いた。

 

 ちりん。

 

 鈴が鳴る。

 

「殺せ」

 

 低い男の声が、墓地の方角へ響いた。

 

     ◇

 

 首なし騎士の動きが変わった。

 

 剣を振る速度が上がる。

 

 守りを捨て、ロックの首だけを狙ってくる。

 

「やっぱり、命令してる」

 

 声の怪異が指示を出し、首なし騎士が実行する。

 

 ただ共に狩っているのではない。

 

 片方が、もう片方を動かしている。

 

 ロックは後退した。

 

 墓石の間を縫い、広い場所から離れる。

 

 騎士は追う。

 

 足元の墓標を避けない。

 

 石を蹴り倒し、穴へ足を踏み入れても構わず前へ出る。

 

(見えていない)

 

 頭部がない以上、当然かもしれない。

 

 だが、それならばなぜこちらを追える。

 

 ちりん。

 

 右から鈴。

 

 騎士が右へ剣を振る。

 

 ロックはすでに左へ回っていた。

 

 刃が空を切る。

 

「鈴で位置を教えてるのか」

 

 怪異はロックの位置を声で伝えている。

 

 首なし騎士は、それを頼りに剣を振っている。

 

 ならば、騎士そのものはロックを見ていない。

 

     ◇

 

 ロックは墓石の陰へ滑り込んだ。

 

 小石を拾い、遠くの墓標へ投げる。

 

 こつん。

 

 音が鳴る。

 

 騎士は反応しない。

 

 ちりん。

 

 鈴が左で鳴った。

 

 騎士が左へ向く。

 

(僕の出した音じゃ駄目だ)

 

 騎士が従うのは、あの鈴だけ。

 

 あるいは、鈴に込められた命令だけだ。

 

 ロックは腰のスタッフスリングへ手を伸ばした。

 

 剣を鞘へ戻す時間はない。

 

 左手でブロードソードを握ったまま、右手だけでスタッフスリングを引き抜く。

 

 弾を番える。

 

 狙うのは騎士ではない。

 

 森の上。

 

 鈴の聞こえた方角。

 

「そこだ」

 

 弾を放つ。

 

 石弾は木々の間へ消えた。

 

     ◇

 

 谷筋の影が、不意に身を反らした。

 

 石弾が枝を砕く。

 

 狙いは外れている。

 

 だが、リュンクスには意図が分かった。

 

(ロックが、声の居場所を探してる)

 

 影は枝から跳び、別の木へ移ろうとした。

 

 リュンクスは腰の紐を解く。

 

 先端には、小さな鉤が付いている。

 

 投げる。

 

 鉤は枝ではなく、影の腰から下がる鈴の束へ絡んだ。

 

「捕まえた」

 

 リュンクスが紐を引く。

 

 鈴が一斉に鳴った。

 

 ちりん。

 

 ちりん。

 

 ちりん。

 

 不規則な音が谷へ溢れる。

 

     ◇

 

 墓地の首なし騎士が、急に動きを止めた。

 

 剣を右へ向ける。

 

 次に左。

 

 前へ一歩進み、止まる。

 

 再び剣を振る。

 

 だが、その先には誰もいない。

 

「混乱してる」

 

 鈴が幾つも同時に鳴り、位置を定められなくなったのだ。

 

 ロックはスタッフスリングを捨てない。

 

 地面へ置けば、後で保守体に回収される巨人の中とは違う。

 

 ここは普通の墓地だ。

 

 だが拾い直す余裕はない。

 

 左手の剣を右手へ持ち替え、一気に間合いを詰めた。

 

 狙うのは鎧の隙間。

 

 脇。

 

 腰。

 

 膝裏。

 

 死者に痛みはなくても、身体が壊れれば動きは止まる。

 

 ロックの剣が、騎士の右膝裏へ食い込んだ。

 

 乾いた骨を断つ手応え。

 

 騎士の身体が傾く。

 

 それでも倒れない。

 

 左脚一本で踏み止まり、片手剣を横薙ぎに振るう。

 

 ロックは身を沈めた。

 

 刃が髪を掠める。

 

 そのまま騎士の背後へ抜け、今度は左の膝へ剣を打ち込んだ。

 

 骨が砕ける。

 

 首なし騎士が、両膝から崩れ落ちた。

 

     ◇

 

 しかし、剣は手放さなかった。

 

 地面を這いながら、なおロックへ刃を向ける。

 

「止まらないか」

 

 不死者とは、そういうものだ。

 

 頭を失っても。

 

 脚を砕かれても。

 

 命令が残っている限り、動き続ける。

 

 ロックは騎士の背へ回った。

 

 鎧の隙間から、黒ずんだ革紐が見える。

 

 首があった場所から、胸の内側へ続いている。

 

 革紐には、小さな金属片が括り付けられていた。

 

 鈴だった。

 

 首なし騎士自身の鎧の中にも、鈴が埋め込まれている。

 

「受け取る方も持ってる」

 

 ロックは剣先を差し込み、革紐を切った。

 

 鈴が地面へ落ちる。

 

 その瞬間。

 

 首なし騎士の腕から力が抜けた。

 

 片手剣が土へ沈む。

 

 もう動かない。

 

     ◇

 

 森の向こうから、甲高い絶叫が響いた。

 

「返せ!」

 

 女の声。

 

「返せ!」

 

 男の声。

 

「返して!」

 

 子供の声。

 

 無数の声が重なっている。

 

 首なし騎士が倒れたことを知ったのだ。

 

 ロックは地面の鈴を拾わなかった。

 

 先に剣を構え、森を見た。

 

 リュンクスはまだ戻っていない。

 

 戦いは終わっていない。

 

 むしろ首なし騎士は、声の怪異が使っていた道具に過ぎなかったのかもしれない。

 

 谷の方角で、鳥の鳴き声が響いた。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 四回。

 

「逃げろ、か」

 

 ロックは倒れた騎士の剣も、鎧も調べなかった。

 

 スタッフスリングだけを拾い、墓地から走り出す。

 

 森の奥では、鈴の音が近付いていた。

 

 先ほどまでの小さな音ではない。

 

 何十、何百もの鈴が、一斉に鳴っている。

 

 《墓標喰らい》は、首なし騎士一体ではなかった。

 

 そして声だけの亡霊も、一体だけとは限らなかった。

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