低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
魔術師ギルドの中庭には、朝の柔らかな陽光が差し込んでいた。
石畳の広場には荷車が二台停められ、その周囲では長衣姿の魔術師たちが慌ただしく準備を進めている。
木箱が積まれ、羊皮紙を詰めた革袋が運ばれ、測量用らしい棒や縄が一本ずつ確認されていた。
「こちらへお願いします」
ミリシャに案内され、ロックは木箱を荷車へ載せる。
「ありがとうございます」
「これだけの本を毎回運ぶんですか?」
「はい。何が必要になるか分かりませんから」
ミリシャは木箱の蓋を開け、中身を一冊ずつ確認し始めた。
「古代語辞典……あります」
「建築様式集……あります」
「魔法陣資料集……あります」
「石碑拓本帳……あります」
一冊確認するたびに、小さく頷いていく。
どうやら忘れ物がないか確認しているらしい。
「全部覚えているんですか?」
ロックが感心して尋ねると、ミリシャはきょとんとした。
「自分でまとめた資料ですから」
「全部?」
「はい」
「……すごいですね」
「え?」
「僕だったら途中で分からなくなります」
そう言うと、ミリシャは少し照れたように笑った。
「慣れですよ」
その時だった。
「ミリシャ」
落ち着いた女性の声が響く。
二人が振り向くと、一人の女性魔術師が歩いてきた。
灰色がかった紫の長髪。
二十代後半ほどの年齢。
濃紺の魔術師長衣を纏い、胸元には魔術師ギルドの高位会員章が輝いている。
歩き方一つ取っても無駄がない。
「先生」
ミリシャは慌てて頭を下げた。
女性は荷車へ積まれた木箱を見て、それからロックへ視線を向ける。
「手伝っていただいたのですか」
「ええ。本が多かったので」
「助かりました」
女性は軽く一礼した。
「私はクラウゼです」
ロックも頭を下げる。
「ロックと申します」
「あなたが今回の補助員ですね」
「はい」
クラウゼはロックの装備を静かに眺めた。
軽装。
腰の剣。
魔術師の杖。
必要最小限の荷物。
視線は鋭かったが、人を値踏みするような嫌らしさはない。
「古代語魔法を?」
「少しだけです」
「遺跡経験は?」
「あります」
「レックス遺跡は?」
「初めてです」
クラウゼは頷いた。
「なら、最初に一つだけ忠告しておきます」
「はい」
「遺跡では、知らないものに触れないことです」
「……」
「宝箱も、扉も、石碑も、壁画も」
クラウゼは淡々と続ける。
「危険だから触るな、ではありません」
「違うんですか?」
「調査が終わる前に触れれば、証拠を壊します」
ロックは目を瞬かせた。
「証拠?」
「足跡。」
「埃。」
「魔力の流れ。」
「扉の開閉状態。」
「石の削れ方。」
「それらは、一度触れれば元には戻りません」
ロックは思わず頷いた。
確かにその通りだった。
今までの自分なら、
まず安全を確保し、
中を調べ、
価値ある物を探す。
そう考えていた。
しかし魔術師たちは違う。
「最初に観察するんですね」
「その通りです」
クラウゼは満足そうに微笑んだ。
「遺跡は本です」
「本?」
「一頁ずつ丁寧に読まなければ意味がありません」
ロックはその言葉を胸に刻んだ。
人工始原の巨人。
自分はあれを”攻略対象”として見ていた。
だが、魔術師は”資料”として見ている。
同じ遺跡でも、見方がまるで違う。
「勉強になります」
「あなたも調査を続けるつもりなら、覚えておいて損はありません」
その時、鐘が一つ鳴った。
広場にいた魔術師たちが一斉に動きを止める。
「全員集合!」
壮年の男性魔術師が声を張り上げた。
三十人ほどの調査員が荷車の前へ集まる。
ロックも最後尾へ並んだ。
「本日の目的は第三調査区画の再確認だ」
責任者らしい男性が地図を広げる。
「先月、地下二階で未確認の古代文字列が発見された」
「今日はその解読補助、および周辺区画の測量を行う」
ロックは耳を傾ける。
宝探しではない。
魔物討伐でもない。
文字を読むためだけに、一日を費やす。
そんな調査なのだ。
「戦闘は避ける」
「目的は探索ではない」
「危険があれば撤収する」
その方針も、ロックには新鮮だった。
冒険者なら、危険を越えた先へ進もうとする。
だが魔術師は違う。
危険そのものを調査対象と考えている。
「では出発する」
荷車がゆっくりと動き始めた。
ロックは最後尾を歩きながら、魔術師たちの背中を見つめる。
彼らの歩みは遅い。
だが、その一歩一歩には無駄がなかった。
人工始原の巨人へ再び挑む前に。
ロックはまず、遺跡を読み解く者たちの歩き方を学ぶことにした。