低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
魔術師ギルドの調査隊は、夜明けとともに王都オランを出発した。
目的地は、北東にあるレックス遺跡。
街道を順調に進んでも三日はかかる。
調査隊は二台の荷車を伴っていた。
荷台には測量器具、記録用の羊皮紙、保存用の薬品、予備の灯火、食料、寝具が積まれている。ミリシャが持ち込んだ書物の箱も、その一角を占めていた。
これだけの荷物を運ぶ以上、身軽な冒険者だけの旅ほど速くは進めない。
先頭を護衛が歩き、その後ろへ荷車が続く。魔術師たちは荷車の前後へ分かれ、最後尾にも護衛が置かれていた。
ロックは一台目の荷車の脇を歩いていた。
北東街道には見覚えがある。
以前、依頼を受けてパダまで赴いた時にも、この道を通った。
パダはレックスへ向かう街道の途中にある集落だ。そこからさらに進んだ先にレックスがあり、レックス遺跡はその周辺に広がっている。
したがって、ロックはパダまでの道を知っている。
だが、レックスの町へ入ったことも、レックス遺跡を訪れたこともなかった。
「ロックさんは、この街道を通ったことがあるんですか?」
荷車の反対側を歩いていたミリシャが尋ねた。
「はい。以前、パダまで行きました」
「レックスまでではなく?」
「依頼の目的地がパダだったので、そこで引き返しました」
「では、レックス遺跡は初めてなんですね」
「そうなります」
ミリシャは納得したように頷いた。
「私はパダもレックスも初めてです」
「王都からこれほど離れるのも?」
「クラウゼ先生のお供で近郊へ出たことはありますが、三日もかかる場所へ行くのは初めてです」
そう答えながら、ミリシャの視線はすでに胸元の本へ落ちていた。
片手で本を開き、歩きながら読もうとしている。
「前を見た方がいいですよ」
「街道ですから大丈夫です」
「轍があります」
「避けられます」
「ミリシャ」
後方からクラウゼの声が飛んだ。
厳しく声を張り上げたわけではない。
それでもミリシャは即座に本を閉じた。
「はい、先生」
「歩いている間は本をしまいなさい」
「ですが、レックス遺跡の調査記録を読み直しておきたいのです」
「休憩中に読みなさい」
「休憩中は食事があります」
「本を読みながら食べるのもやめなさい」
「……はい」
ミリシャは名残惜しそうに本を鞄へ戻した。
ロックは少しだけ笑った。
「笑いましたね」
「笑っていません」
「口元が動きました」
「轍を避けただけです」
「口元で轍を避けるんですか?」
「前を見なさい、ミリシャ」
「はい」
今度こそ、ミリシャは街道の先へ顔を向けた。
◇
一日目の昼。
調査隊は、街道沿いに設けられた共同井戸のそばで休憩を取った。
石造りの井戸と、雨風を避けるための小さな屋根がある。旅人や商隊が休む場所らしく、周囲の地面には荷車の轍や馬の蹄跡が重なっていた。
護衛たちは周囲を見回り、御者は荷馬へ水を飲ませる。
魔術師たちは腰を下ろすと、食事より先に羊皮紙を広げ始めた。
過去の調査記録。
遺跡内部の略図。
見つかった古代文字の写し。
行程の途中であっても、調査の準備は続くらしい。
ロックは固い黒パンを齧りながら、その様子を眺めた。
「珍しいですか?」
声をかけられ、横を見る。
クラウゼが隣へ腰を下ろしていた。
「はい。旅の途中から、もう調査が始まっているように見えます」
「現地へ着いてから準備を始めるのでは遅いですから」
クラウゼの膝にも羊皮紙が載せられている。
「調査できる時間には限りがあります。遺跡の中で過去の記録を探し始めれば、それだけ灯火と食料を無駄にします」
「先に知っていることを揃えておく」
「そして、現地で見たものと比較します」
クラウゼは一枚の略図を指先で押さえた。
「前回と同じなら、それも記録です。違っていれば、より重要な記録になります」
「変わっていないことも調べるんですね」
「遺跡は、人がいない間にも変化します」
天井の崩落。
地下水の流入。
小動物や魔物の侵入。
古代王国の装置が、何らかの理由で再び動き始める可能性もある。
昨日まで安全だった場所が、今日も安全だとは限らない。
ロックにも理解できる考え方だった。
罠や待ち伏せを警戒する時も、以前と同じだと決めつけるのは危険である。
ただし、クラウゼたちは安全を確認するだけではない。
変化そのものを読み取ろうとしていた。
「僕は危険があるかどうかばかり見ていました」
「それで構いません。生きて帰れなければ、調査も続けられませんから」
「でも、魔術師はそれだけではない」
「危険である理由も知りたいのです」
クラウゼの口調は静かだった。
「なぜ壁が崩れたのか。なぜ装置が動いたのか。誰が、何のためにそこへ仕掛けを作ったのか」
ロックは人工始原の巨人の内部を思い浮かべた。
魔力を運ぶ線。
再生のための炉。
巨大な身体になぞらえられた施設。
自分はそれらを見て、用途を考えてきた。
だが、記録の残し方も、比較の仕方も知らない。
「学ぶことが多そうです」
「そのために来たのでしょう?」
「はい」
クラウゼはそれ以上何も言わず、羊皮紙へ視線を戻した。
◇
二日目。
街道沿いの田畑が減り、森や荒れ地が増えていった。
道そのものは整備されているものの、王都に近い区間ほど広くはない。荷車同士がすれ違う際には、どちらかが道端へ寄る必要があった。
途中、古い石橋を渡った。
川幅は狭いが、前日の雨で水量が増している。御者が荷馬を慎重に進ませ、護衛が車輪の位置を確認する。
魔術師の一人が、橋の欄干へ刻まれた印を見つけた。
隊列が止まる。
ロックも覗き込んだ。
風雨に削られた、半円形の紋様だった。
「これも調査するんですか?」
「遺跡から持ち出された石材かもしれません」
クラウゼが答える。
「石だけで分かるものなんですか?」
「石の種類、加工の跡、刻印の形。周辺の遺構と一致すれば、どこから運ばれたか推測できます」
「橋を作るために、遺跡を崩した?」
「可能性はあります」
遺跡に価値があると知る者ばかりではない。
古い建物が崩れていれば、近隣の住民にとっては切り出す手間のない石材に見えることもある。
遺跡の地上部分が失われた理由の一つが、それなのだろう。
橋の調査は長く続かなかった。
刻印の形を紙へ写し、位置を記録すると、隊列は再び動き出した。
「ここで詳しく調べないんですね」
「今回の目的ではありません」
「見つけても後回しにする?」
「調べるものを増やし続ければ、何一つ終わりません」
クラウゼの答えに、少し離れた場所でミリシャが肩を落とした。
どうやら彼女は、橋の刻印も詳しく調べたかったらしい。
◇
三日目の午後。
街道の先に、見覚えのある木柵と屋根が見えてきた。
パダである。
街道沿いに家々が集まった、小さな集落だ。
畑と放牧地に囲まれ、旅人向けの宿と馬小屋がある。レックスへ向かう者の多くが、ここで最後の休息を取る。
「ここがパダですか?」
ミリシャが街道の先を見つめる。
「はい」
ロックは答えた。
「以前の依頼では、ここまで来ました」
「レックスは、まだ先なんですね」
「ここからもう少し進みます」
ミリシャは遠くの丘陵へ目を向けた。
道はパダを抜け、そのまま北東へ続いている。
だが、日が傾き始めていた。
荷車を伴ったまま、ここから先へ無理に進む理由はない。
クラウゼが調査隊を振り返る。
「今日はパダで休みます」
ミリシャが頷いた。
「明日、レックスへ向かうんですね」
「夜明けに出ます。レックスへ到着した後、遺跡の管理所で記録を確認します」
「その日のうちに遺跡へ入りますか?」
「状況次第です」
「状況が良ければ?」
「入口の確認までです」
「中へは?」
「翌日からです」
ミリシャの顔に、わずかな落胆が浮かぶ。
「随分と慎重なんですね」
「三日かけて来たからといって、急いで遺跡へ入る理由にはなりません」
クラウゼは変わらぬ口調で言った。
「疲労した状態で入れば、普段なら気づけるものも見落とします」
ロックはその言葉に頷いた。
体力が残っているつもりでも、三日歩けば注意は鈍る。
危険を避けるなら、休むことも準備の一つだった。
◇
調査隊はパダの宿と馬小屋を借りた。
魔術師たちは部屋割りを決め、荷車の積み荷を確認する。
書物や薬品は宿の中へ運び込み、測量用の棒や縄は荷車へ残す。護衛は交代で荷物を見張ることになった。
ロックは宿の裏手にある井戸で顔を洗った。
冷たい水が、三日分の埃と疲れを流していく。
見上げると、北東の空は夕焼けに染まっていた。
この先にレックスがある。
そして、まだ見たことのないレックス遺跡がある。
パダまでの道は知っていた。
ここから先は知らない。
「ロックさん」
振り向くと、ミリシャが宿の窓から顔を出していた。
「夕食の前に、明日の資料を確認するそうです」
「食事の前ですか?」
「はい」
「ミリシャさんが言い出したんですか?」
「違います。先生です」
その声には、どこか嬉しそうな響きがあった。
ロックは井戸の蓋を戻し、宿へ向かった。
遺跡へ入るのは、まだ先である。
だが、調査はすでに始まっていた。