低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
パダの宿《街道の鹿亭》は、旅人相手の素朴な宿だった。
石積みの一階に食堂と馬屋があり、二階が客室になっている。
夕暮れ時ともなれば、街道を行き交う商隊や巡礼、冒険者たちで賑わうはずだが、この日は魔術師ギルドの調査隊が半分以上を借り切っていた。
宿の主人も慣れたもので、人数を確認すると手際よく食事の支度を始める。
その間にも調査隊は休まない。
食堂の長机には羊皮紙が広げられ、地図や過去の記録が並べられていく。
「始めます」
クラウゼの一言で、室内が静まった。
酒場でよく見るような景気づけの乾杯も、旅の疲れをねぎらう雑談もない。
全員が席へ着き、明日の予定へ耳を傾ける。
「明日は夜明けとともにパダを出発します」
クラウゼは地図を指した。
「午前中にはレックスへ到着する予定です」
地図には街道だけでなく、周辺の森、小川、丘陵まで細かく描き込まれている。
「まず管理所へ寄り、前回調査以降の記録を確認します」
「その後、遺跡入口の現状確認を行います」
若い魔術師が手を挙げた。
「入口の確認だけですか?」
「はい」
「内部には入りませんか?」
「入りません」
質問した魔術師は少し残念そうな顔をした。
しかしクラウゼは表情を変えない。
「三日間移動した直後です」
「疲労した状態で地下へ入る理由はありません」
「入口周辺の確認だけを済ませ、必要なら翌日の計画を修正します」
誰も異論を唱えなかった。
これが、この調査隊では当然なのだろう。
◇
説明が終わると、一冊の分厚い帳面が机へ置かれた。
革表紙は擦り切れ、角も丸くなっている。
何十年も使われてきたことが、一目で分かった。
「これは?」
ロックが尋ねる。
「調査日誌です」
答えたのはミリシャだった。
「レックス遺跡の記録です」
ロックは思わず見入った。
これほど厚い帳面が何冊も積まれている。
「全部ですか?」
「いいえ」
ミリシャは首を振る。
「これは最近の分だけです」
「最近?」
「十五年ほどですね」
十五年。
それだけの年月を、一つの遺跡へ費やしている。
ロックは革表紙へ手を伸ばしかけた。
しかし途中で止めた。
「触っても?」
「どうぞ」
許可を得てから、そっと頁を開く。
整った文字が並んでいた。
日付。
参加者。
調査区画。
見つかった文字。
崩落箇所。
魔力反応。
持ち帰った資料。
その日の出来事が、淡々と書き連ねられている。
「宝物の記録は?」
「あります」
ミリシャは頁をめくった。
「ですが、多くは『保管庫へ移送』だけですね」
「詳しく書かない?」
「遺物そのものより、どこから、どのような状態で見つかったかの方が重要です」
クラウゼが補足する。
「同じ品でも、置かれていた場所が違えば意味も変わります」
ロックは頷いた。
人工始原の巨人でも同じだった。
魔晶石があったことより、どの設備で、何のために使われていたかが重要になる。
◇
その夜。
食事を終えたロックは宿の裏庭へ出た。
空には無数の星が広がっている。
王都よりも空気が澄み、天の川まではっきり見えた。
井戸の縁へ腰掛け、静かに夜風を浴びる。
「眠れませんか?」
クラウゼだった。
「いえ」
ロックは首を振る。
「少し考え事を」
「遺跡のことですか」
「はい」
クラウゼも井戸の反対側へ腰を下ろした。
「あなたは遺跡へ何を求めていますか?」
唐突な問いだった。
ロックは少し考える。
「知りたいんです」
「何を?」
「昔の人が、何を考えていたのか」
巨大な施設。
残された仕掛け。
意味のある構造。
それらは偶然ではない。
誰かが考え、設計し、造り上げたものだ。
「宝ではなく?」
「宝も欲しいです」
正直に答える。
「でも、それだけなら他の遺跡でもいい」
「レックス遺跡だから知りたい理由があります」
クラウゼは黙って続きを待った。
「古代王国の魔術師は、今よりずっと多くを知っていました」
「その知識を少しでも理解できれば」
「今の僕たちにも役立つかもしれません」
クラウゼは小さく微笑んだ。
「良い答えです」
「先生は?」
「私ですか」
少しだけ空を見上げる。
「私は」
一拍置いて続けた。
「分からないことが嫌いなのです」
実に彼女らしい答えだった。
ロックは思わず笑ってしまう。
「笑いましたね」
「少しだけ」
「研究者は皆そうですよ」
クラウゼも珍しく笑みを浮かべた。
「知らないことを放っておけない」
「だから遺跡へ潜る」
「危険でも?」
「危険だからこそ、誰かが調べなければなりません」
その言葉には、不思議な説得力があった。
◇
翌朝。
まだ陽が昇り切らないうちから宿は動き始めた。
荷車へ荷物を積み直し、馬具を締め直す。
御者が車輪を確認し、護衛が武器を点検する。
魔術師たちは昨夜確認した資料をもう一度見返していた。
ロックも荷袋の口を締め直す。
水袋。
保存食。
松明。
火口箱。
縄。
忘れ物はない。
宿の主人へ礼を告げると、調査隊は再び街道へ出た。
朝露をまとった草原の向こう。
北東の空には、朝日を受けた石造りの城壁がぼんやりと浮かび始めていた。
「あれがレックスです」
ミリシャが少し弾んだ声で言う。
ロックは足を止めず、その景色を見つめた。
ここまでは知っている道だった。
だが、この先。
レックスの町を越えた先にある遺跡だけは、まだ見ぬ世界である。
魔術師たちが十五年以上にわたり調べ続けてきた古代王国の遺産。
その入口が、もうすぐ目の前に現れようとしていた。