低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第69話 調査前夜

 パダの宿《街道の鹿亭》は、旅人相手の素朴な宿だった。

 

 石積みの一階に食堂と馬屋があり、二階が客室になっている。

 

 夕暮れ時ともなれば、街道を行き交う商隊や巡礼、冒険者たちで賑わうはずだが、この日は魔術師ギルドの調査隊が半分以上を借り切っていた。

 

 宿の主人も慣れたもので、人数を確認すると手際よく食事の支度を始める。

 

 その間にも調査隊は休まない。

 

 食堂の長机には羊皮紙が広げられ、地図や過去の記録が並べられていく。

 

「始めます」

 

 クラウゼの一言で、室内が静まった。

 

 酒場でよく見るような景気づけの乾杯も、旅の疲れをねぎらう雑談もない。

 

 全員が席へ着き、明日の予定へ耳を傾ける。

 

「明日は夜明けとともにパダを出発します」

 

 クラウゼは地図を指した。

 

「午前中にはレックスへ到着する予定です」

 

 地図には街道だけでなく、周辺の森、小川、丘陵まで細かく描き込まれている。

 

「まず管理所へ寄り、前回調査以降の記録を確認します」

 

「その後、遺跡入口の現状確認を行います」

 

 若い魔術師が手を挙げた。

 

「入口の確認だけですか?」

 

「はい」

 

「内部には入りませんか?」

 

「入りません」

 

 質問した魔術師は少し残念そうな顔をした。

 

 しかしクラウゼは表情を変えない。

 

「三日間移動した直後です」

 

「疲労した状態で地下へ入る理由はありません」

 

「入口周辺の確認だけを済ませ、必要なら翌日の計画を修正します」

 

 誰も異論を唱えなかった。

 

 これが、この調査隊では当然なのだろう。

 

     ◇

 

 説明が終わると、一冊の分厚い帳面が机へ置かれた。

 

 革表紙は擦り切れ、角も丸くなっている。

 

 何十年も使われてきたことが、一目で分かった。

 

「これは?」

 

 ロックが尋ねる。

 

「調査日誌です」

 

 答えたのはミリシャだった。

 

「レックス遺跡の記録です」

 

 ロックは思わず見入った。

 

 これほど厚い帳面が何冊も積まれている。

 

「全部ですか?」

 

「いいえ」

 

 ミリシャは首を振る。

 

「これは最近の分だけです」

 

「最近?」

 

「十五年ほどですね」

 

 十五年。

 

 それだけの年月を、一つの遺跡へ費やしている。

 

 ロックは革表紙へ手を伸ばしかけた。

 

 しかし途中で止めた。

 

「触っても?」

 

「どうぞ」

 

 許可を得てから、そっと頁を開く。

 

 整った文字が並んでいた。

 

 日付。

 

 参加者。

 

 調査区画。

 

 見つかった文字。

 

 崩落箇所。

 

 魔力反応。

 

 持ち帰った資料。

 

 その日の出来事が、淡々と書き連ねられている。

 

「宝物の記録は?」

 

「あります」

 

 ミリシャは頁をめくった。

 

「ですが、多くは『保管庫へ移送』だけですね」

 

「詳しく書かない?」

 

「遺物そのものより、どこから、どのような状態で見つかったかの方が重要です」

 

 クラウゼが補足する。

 

「同じ品でも、置かれていた場所が違えば意味も変わります」

 

 ロックは頷いた。

 

 人工始原の巨人でも同じだった。

 

 魔晶石があったことより、どの設備で、何のために使われていたかが重要になる。

 

     ◇

 

 その夜。

 

 食事を終えたロックは宿の裏庭へ出た。

 

 空には無数の星が広がっている。

 

 王都よりも空気が澄み、天の川まではっきり見えた。

 

 井戸の縁へ腰掛け、静かに夜風を浴びる。

 

「眠れませんか?」

 

 クラウゼだった。

 

「いえ」

 

 ロックは首を振る。

 

「少し考え事を」

 

「遺跡のことですか」

 

「はい」

 

 クラウゼも井戸の反対側へ腰を下ろした。

 

「あなたは遺跡へ何を求めていますか?」

 

 唐突な問いだった。

 

 ロックは少し考える。

 

「知りたいんです」

 

「何を?」

 

「昔の人が、何を考えていたのか」

 

 巨大な施設。

 

 残された仕掛け。

 

 意味のある構造。

 

 それらは偶然ではない。

 

 誰かが考え、設計し、造り上げたものだ。

 

「宝ではなく?」

 

「宝も欲しいです」

 

 正直に答える。

 

「でも、それだけなら他の遺跡でもいい」

 

「レックス遺跡だから知りたい理由があります」

 

 クラウゼは黙って続きを待った。

 

「古代王国の魔術師は、今よりずっと多くを知っていました」

 

「その知識を少しでも理解できれば」

 

「今の僕たちにも役立つかもしれません」

 

 クラウゼは小さく微笑んだ。

 

「良い答えです」

 

「先生は?」

 

「私ですか」

 

 少しだけ空を見上げる。

 

「私は」

 

 一拍置いて続けた。

 

「分からないことが嫌いなのです」

 

 実に彼女らしい答えだった。

 

 ロックは思わず笑ってしまう。

 

「笑いましたね」

 

「少しだけ」

 

「研究者は皆そうですよ」

 

 クラウゼも珍しく笑みを浮かべた。

 

「知らないことを放っておけない」

 

「だから遺跡へ潜る」

 

「危険でも?」

 

「危険だからこそ、誰かが調べなければなりません」

 

 その言葉には、不思議な説得力があった。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 まだ陽が昇り切らないうちから宿は動き始めた。

 

 荷車へ荷物を積み直し、馬具を締め直す。

 

 御者が車輪を確認し、護衛が武器を点検する。

 

 魔術師たちは昨夜確認した資料をもう一度見返していた。

 

 ロックも荷袋の口を締め直す。

 

 水袋。

 

 保存食。

 

 松明。

 

 火口箱。

 

 縄。

 

 忘れ物はない。

 

 宿の主人へ礼を告げると、調査隊は再び街道へ出た。

 

 朝露をまとった草原の向こう。

 

 北東の空には、朝日を受けた石造りの城壁がぼんやりと浮かび始めていた。

 

「あれがレックスです」

 

 ミリシャが少し弾んだ声で言う。

 

 ロックは足を止めず、その景色を見つめた。

 

 ここまでは知っている道だった。

 

 だが、この先。

 

 レックスの町を越えた先にある遺跡だけは、まだ見ぬ世界である。

 

 魔術師たちが十五年以上にわたり調べ続けてきた古代王国の遺産。

 

 その入口が、もうすぐ目の前に現れようとしていた。

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