低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
翌朝。
パダの宿を発った調査隊は、まだ朝靄の残る街道を北東へ進んでいた。
道は緩やかな丘陵を縫うように続き、人家はもう見えない。
聞こえるのは荷車の軋む音と、馬の蹄が土を踏む音だけだった。
ロックは荷車の横を歩きながら周囲を見渡す。
昨日まで見えていた畑は姿を消し、代わりに岩肌の露出した丘と低木が増えていた。
旅人の姿もない。
この先へ向かう者は少ないのだろう。
「静かですね」
思わず呟くと、隣を歩くクラウゼが頷いた。
「レックスを目的に来る者は限られます」
「冒険者もですか?」
「命知らずか、よほど腕に覚えがある者だけです」
その口調は淡々としていた。
誇張ではない。
事実を述べているだけなのだと分かる。
◇
一時間ほど歩いた頃だった。
先頭を歩いていた護衛が足を止める。
「見えてきました」
その声に、調査隊の視線が一斉に前方へ向いた。
ロックも丘の上へ登る。
そして、息を呑んだ。
「……あれが」
地平の向こう。
大地そのものが砕け散ったかのような巨大な岩塊が横たわっていた。
自然の山ではない。
岩肌には真っ直ぐな壁が残り、崩れた石段が何本も空へ向かって途切れている。
折れた塔。
宙へ突き出した柱。
途中から失われた街路。
瓦礫の中には、屋根の残る建物さえ見えた。
まるで一つの都市が、そのまま空から叩き落とされたような光景だった。
「……都市だ」
ロックは思わず呟く。
遺跡ではない。
都市だった。
かつて人が暮らし、市場があり、工房があり、神殿があり、生活が営まれていた場所。
それが、そのまま砕けている。
「《墜ちた都市》レックス」
クラウゼが静かに告げた。
「古代王国時代、空中に築かれた都市です」
ロックは視線を離せなかった。
想像していた遺跡とはまるで違う。
石造りの神殿でもなければ、地下迷宮でもない。
一つの都市そのものが遺跡になっている。
◇
「本当に……空を飛んでいたんですか?」
ミリシャが、小さく息を漏らした。
「そう伝えられています」
クラウゼは答える。
「巨大な環状列石によって都市全体を浮遊させていました」
「どうして落ちたんです?」
「分かっていません」
それだけだった。
分からない。
だからこそ、魔術師たちは何百年も調べ続けている。
「カストゥール王国滅亡の頃、この都市も墜落しました」
クラウゼは崩れた塔を見つめた。
「理由は諸説あります。」
「魔法装置の故障。」
「都市を支える術式の暴走。」
「王国滅亡の影響。」
「あるいは、それらすべて。」
「確かなことは、一つだけです」
風が吹く。
崩れた石壁の間を抜け、乾いた音を響かせた。
「都市は墜ちました」
「そして、多くの人々が命を落としました」
誰も言葉を返さない。
目の前に広がる光景が、それだけで十分だった。
◇
調査隊は丘を下り、街道を進む。
近づくにつれ、その巨大さがよく分かった。
崩れた城壁だけで、人間の背丈の何倍もある。
一本の石柱は、大樹ほどの太さだった。
道の脇には、地面へ半ば埋もれた石像が転がっている。
顔だけでも荷馬車ほどの大きさがあった。
「全部が遺跡なんですか?」
ロックが尋ねる。
「いいえ」
クラウゼは首を振った。
「見えているのは、ごく一部です」
「これで?」
「地下にも街があります」
ロックは言葉を失う。
巨大だとは思った。
だが、それでも足りなかったらしい。
都市は墜落の衝撃で砕け、多くの建物が地下へ埋没した。
今も調査されているのは、そのほんの一角に過ぎないという。
◇
「先生」
ミリシャが崩れた街並みを見上げながら言った。
「ここで古代王国の魔術師たちは暮らしていたんですね」
「ええ」
「研究も?」
「もちろんです」
クラウゼは静かに続ける。
「レックスには優れた魔術師や工人が集まりました。」
「魔法の工芸品。」
「ゴーレム。」
「魔法装置。」
「数え切れないほどの技術が、この都市で生み出されたと言われています」
ミリシャは目を輝かせた。
「全部調べたいです」
「一生かかっても終わりません」
「それでもです」
クラウゼは小さく微笑んだ。
「だから魔術師は、代々記録を残すのです」
◇
街道はやがて、大きく崩れた石畳へ変わった。
ここから先は、古代王国の道である。
何百年という歳月を経てもなお、その一部は形を保っていた。
荷車は速度を落とし、慎重に瓦礫の間を進んでいく。
ロックは足元の石を見つめた。
磨き上げられた白い石。
欠けた縁。
微かに残る古代文字。
今、自分が踏んでいる場所も、かつて誰かが毎日歩いていた街路だった。
子供が走り回り。
商人が荷車を引き。
魔術師が議論を交わしながら歩いていた。
そんな日常が、ここには確かに存在したのだ。
そして、ある日突然終わった。
ロックは静かに拳を握る。
人工始原の巨人とは違う。
ここは、人々が生きた痕跡そのものだ。
遺跡ではない。
歴史だった。
その歴史の中へ、調査隊は静かに足を踏み入れた。