低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
コカトリスの死骸を越え、調査隊はさらに奥へ進んだ。
通路は緩やかに下っている。
壁には一定の間隔で金属製の灯具が取り付けられていたが、どれも光を失って久しい。表面には僅かな曇りしかなく、錆は見当たらなかった。
「銀ですか」
ロックが足を止めずに尋ねる。
「違うな」
エルドが灯具を一瞥する。
「古代王国で使われていた、錆びにくい合金だろう」
「持ち帰りますか」
「壁から剥がすのは後だ」
即答だった。
「先に失われやすいものを探す」
金属製の灯具は、明日まで残る可能性が高い。
紙。
布。
木札。
薬品。
そうしたものの方が、魔物や湿気に弱い。
ロックは頷き、再び前へ視線を戻した。
◇
奥へ進むほど、獣臭が濃くなっていった。
コカトリスが二体だけだったとは考えにくい。
床には新しい爪痕が残っている。
羽根も落ちていた。
「右の壁を見てください」
ミリシャが小声で告げた。
壁際に、白く乾いた汚れが付着している。
鳥の糞に似ていた。
ロックは顔を顰める。
「近くに巣がありそうですね」
「そのようです」
クラウゼの表情も険しい。
「卵を産んでいる可能性があります」
「コカトリスは秋に産卵するんでしたね」
「ええ」
今の季節と一致する。
巣があるなら、さらに個体がいる。
そして、卵が孵れば数は増える。
調査を急ぐ理由が一つ増えた。
◇
やがて通路の先に、半ば開いた扉が現れた。
高さは人の背丈より少し高い。
金属製。
表面には古代語の文字と、荷車らしき図柄が刻まれている。
「搬入用の扉で間違いなさそうですね」
クラウゼが文字を読む。
「第二搬入庫」
「その下は?」
ロックが尋ねる。
「認証を受けた者以外の入室を禁ずる」
「認証は残っていないでしょうね」
「残っていたら困る」
エルドが苦笑する。
「古代王国の警備装置に、資格がないと判断される可能性があるからな」
冗談には聞こえなかった。
◇
先頭の護衛が扉へ近づく。
盾を構えたまま、剣先で扉を軽く押した。
軋みはない。
重い扉が、驚くほど滑らかに動いた。
その隙間から、冷たい空気が流れ出す。
同時に、強い獣臭が押し寄せた。
「巣は中だな」
エルドが声を落とす。
松明を差し入れる。
橙色の明かりが、広い室内を僅かに照らした。
天井は高い。
壁際には棚が並んでいる。
中央には倒れた木箱。
裂けた麻袋。
そして床の一角に、布と藁と紙片を掻き集めて作られた大きな巣があった。
巣の中には、まだら模様の卵が三つ。
その傍らに、一体のコカトリスが横たわっていた。
◇
「死んでいます」
ロックが言った。
護衛が慎重に近づき、盾の陰から剣先で胴体を押す。
反応はない。
羽毛の一部が抜け、身体は痩せていた。
傷もある。
「先ほどの二体と争ったのでしょうか」
ミリシャが尋ねる。
「分からん」
エルドが死骸を観察する。
「卵を守っていた親かもしれん」
死後、それほど時間は経っていない。
巣の周囲には血が残り、床には激しく争った跡がある。
「三体で巣を奪い合った可能性もありますね」
クラウゼが言う。
「あるいは別の何かに襲われたか」
エルドの言葉で、全員が室内を見回した。
棚の影。
倒れた木箱の裏。
天井近くの梁。
どこかに別の魔物が潜んでいても不思議ではない。
◇
「卵はどうします」
護衛の一人が尋ねる。
「割る」
エルドは迷わなかった。
「持ち帰って孵化させる価値はない」
「研究対象にはなりませんか」
ミリシャが問う。
「なる」
「だが、拠点へ生きたコカトリスを持ち込む危険に見合わん」
卵は貴重かもしれない。
しかし、孵った幼体が人を噛めば、それだけで死者が出る可能性がある。
価値があることと、保管できることは別だった。
「一つだけ中身を記録します」
クラウゼが告げる。
「残りは処分します」
記録係が頷き、巣と卵の位置を書き始めた。
◇
ロックは巣から少し離れた床へ目を向けた。
紙片が散らばっている。
コカトリスが巣材として持ち込んだものだ。
ほとんどは汚れ、破れ、糞にまみれている。
だが、一枚だけ。
棚の下へ半分入り込んだ紙片には、はっきりと文字が残っていた。
「クラウゼ先生」
「どうしました」
「これを」
ロックは直接触れず、指差した。
クラウゼがしゃがみ込む。
紙片の周囲を確認し、薄い板を差し込んで慎重に持ち上げた。
「古代語です」
ミリシャも隣へ寄る。
「読めますか」
「一部だけなら」
紙は破れている。
残っているのは数行。
クラウゼが目を細めた。
「搬入記録……」
「対象……生体……」
「生体?」
ロックが聞き返す。
「ええ」
ミリシャが別の箇所を追う。
「こちらは、保存容器と書かれています」
「ただの倉庫ではないのか」
エルドが近づいた。
クラウゼは紙片を灯りへ翳す。
「この搬入庫を通して、生きた何かを施設内部へ運んでいたようです」
◇
室内の空気が変わった。
荷物を運ぶための通路。
搬入庫。
保存容器。
生体。
それらは互いに繋がっている。
「魔獣の研究施設でしょうか」
ミリシャの声に、期待と警戒が混じる。
「断定はできません」
クラウゼは紙片から目を離さない。
「ですが、可能性はあります」
ロックは棚を見回した。
多くは空だ。
木箱の中身も、すでに失われている。
だが、巣の下。
棚の裏。
倒れた箱の内部。
まだ記録が残っているかもしれない。
「先に紙を回収しましょう」
「そうだな」
エルドが頷く。
「コカトリスが集めた巣材も、すべて調べる」
護衛が露骨に嫌そうな顔をした。
「糞まみれですが」
「古代王国の記録なら、糞を落としてから読めばいい」
「先生が洗うんですか」
「お前が洗う」
「聞かなければよかった」
張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ。
◇
巣の解体が始まった。
卵を別へ移し、藁と布を一層ずつ取り除いていく。
紙片は見つけ次第、薄板の上へ載せる。
破れた帳簿。
荷札。
封印の痕跡が残る袋。
文字の消えかけた羊皮紙。
コカトリスにとっては、ただの巣材。
だが、調査隊にとっては、失われた時代の証言だった。
「待ってください」
ミリシャの手が止まる。
巣の底から、硬いものが現れた。
細長い金属板。
表面には複雑な紋様が刻まれている。
中央には、青い石が埋め込まれていた。
「これは……」
クラウゼが息を呑む。
金属板は掌より少し長い。
錆びていない。
欠けてもいない。
そして、微かな魔力を残している。
ロックにも、それが分かった。
「認証札かもしれません」
クラウゼが言った。
「この扉に書かれていた、認証を受けた者というのは」
「これを持つ者か」
エルドが金属板を見る。
「可能性は高いです」
◇
ロックは搬入庫の奥へ目を向けた。
そこにはもう一つ、閉ざされた扉があった。
入口よりも小さい。
だが、表面には同じ紋様が刻まれている。
扉の脇には、金属板を差し込めそうな細い窪み。
形も大きさも一致していた。
「開けますか」
ロックが尋ねる。
エルドはすぐには答えなかった。
扉。
認証札。
生体の搬入記録。
その先に何があるのか、誰にも分からない。
「まず記録物を回収する」
やがて、エルドが告げた。
「扉を開けるのはその後だ」
「急がないんですね」
「急ぐ」
エルドは認証札から目を離さない。
「だから順番を間違えん」
扉を開いた瞬間に、何かが起きるかもしれない。
火が出る。
風が吹く。
魔物が現れる。
部屋が崩れる。
その前に、今ある記録を守る。
ロックは静かに頷いた。
急ぐことと、焦ることは違う。
レックスでは、その違いを見失った者から命を落とす。
閉ざされた扉の向こうで。
何かが、微かに動いた。
コトリ。
小さな音。
誰も言葉を発しなかった。
認証札の青い石だけが、脈打つように淡く明滅していた。