低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
搬入庫の奥。
閉ざされた扉の向こうから、もう一度、小さな音が響いた。
コトリ。
何かが動いた。
あるいは、何かが落ちた。
それだけでは判断できない。
だが、無人のはずの場所から聞こえた音としては、十分すぎるほど不穏だった。
「全員、作業を止めろ」
エルドの声で、巣を解体していた者たちの手が止まる。
護衛が扉の前へ移動した。
一人が盾を構え、もう一人が剣を抜く。
ロックは認証札を見た。
青い石は、先ほどよりも強く明滅している。
「近づけたから反応したんでしょうか」
「その可能性はある」
クラウゼが認証札へ顔を近づける。
「扉側が札を認識しているのかもしれません」
「つまり、まだ機能している?」
「少なくとも一部は」
その言葉に、誰も喜ばなかった。
古代王国の装置が動いている。
それは発見としては価値がある。
同時に、何が起きるか分からないという意味でもあった。
◇
「回収はどこまで終わった」
エルドが尋ねる。
「巣の上半分です」
記録係が答える。
「紙片は二十七枚」
「文字が残っているものは九枚」
「布片が四つ」
「封印の残る袋が一つ」
「まだ底が残っています」
エルドは扉と巣を交互に見る。
「先に回収を終える」
「扉は開けないんですか」
ミリシャが尋ねた。
「開ける」
エルドは即答する。
「だが、今ではない」
ロックは認証札を見つめた。
札は扉へ近づけたことで反応した。
もし扉が自動で開く仕組みなら、近くに置いておくだけでも危険かもしれない。
「札を離した方がいいですね」
「そうだな」
クラウゼが厚手の布を広げた。
認証札を包み、入口側へ移す。
青い石の明滅は次第に弱まり、やがて止まった。
扉の向こうも静かになる。
「やはり札に反応しています」
「便利なのか危険なのか分からんな」
エルドが言う。
「古代王国の品は大抵そうです」
クラウゼの返事には、妙な実感が籠もっていた。
◇
回収作業が再開された。
巣の下層ほど汚れが酷い。
羽根。
藁。
破れた布。
乾いた糞。
獣の骨。
それらを一つずつ取り除いていく。
ロックも革手袋を着け、巣材を薄板の上へ移した。
紙らしいものがあれば、すぐクラウゼかミリシャへ渡す。
文字のない紙片も捨てない。
材質。
厚さ。
染料。
それ自体が記録になる。
「これもですか」
護衛の一人が、茶色く汚れた布切れを摘まみ上げる。
「持ち帰ります」
ミリシャが答えた。
「何も書かれていませんが」
「染め方が分かるかもしれません」
「糞の染みしか分からない気がします」
「洗ってから判断します」
「やっぱり私が洗うんですか」
「先ほど決まりました」
「決めたのは先生でしょう」
エルドは聞こえないふりをした。
◇
巣の底近くから、硬い殻が現れた。
卵ではない。
薄く湾曲した白い破片。
ロックが慎重に取り上げる。
「骨ですね」
クラウゼが受け取った。
表面は滑らかで、片側に規則的な穴が並んでいる。
「何の骨でしょう」
「分かりません」
ミリシャが骨片を見つめる。
「コカトリスが食べた獲物では?」
「それにしては加工されている」
クラウゼが指で穴をなぞる。
自然に開いた形ではない。
何かを固定するために穿たれたように見える。
「容器の部品でしょうか」
ロックが尋ねる。
「骨を使った容器?」
「生体を運んでいた施設なら、普通の箱ではないかもしれません」
クラウゼは暫く考えた。
「可能性はあります」
骨片も記録物の一つとして包まれた。
◇
巣をすべて取り除くと、その下から床面が現れた。
他の場所と同じ石床。
そう思われた。
だが、ロックは中央に小さな窪みを見つけた。
「何かあります」
床に埋め込まれた、円形の金属板。
直径は掌ほど。
表面に三本の線が走り、中央で交わっている。
その形は、認証札に刻まれた紋様とよく似ていた。
「これも装置の一部でしょうか」
「触るな」
エルドの声が飛ぶ。
ロックはすぐ手を引いた。
クラウゼが松明を近づける。
「古代語が刻まれています」
「読めますか」
「待ってください」
汚れを乾いた刷毛で落とす。
細かな文字が輪の内側に並んでいた。
「搬入対象」
「一時固定」
「移送待機」
クラウゼが順に読む。
「これは荷物を置く場所です」
「生体を?」
「おそらく」
ミリシャが金属板の周囲を見る。
「でも、これでは小さすぎませんか」
「板そのものの大きさと、効果の範囲が同じとは限らん」
エルドが答えた。
古代語魔法なら、床一面へ効果を広げることもあり得る。
「コカトリスの巣は偶然ここに作られていたんでしょうか」
「偶然とは限らない」
クラウゼが周囲を見る。
「この場所だけ温度や湿度が違った可能性があります」
「卵を置くのに都合がよかった?」
「そうかもしれません」
魔法装置の僅かな残滓が、巣を作る場所として選ばせた。
そんな可能性もあった。
◇
「巣の回収は終了です」
記録係が報告する。
「卵は?」
「二つを処分しました」
「一つは中身を確認して記録しています」
「死骸は」
「入口側へ移しました」
エルドが頷く。
「では、扉を調べる」
護衛たちの表情が引き締まった。
認証札が再び運ばれてくる。
布を開くと、青い石が微かな光を取り戻した。
「まずは近づけるだけだ」
「差し込まないんですね」
「反応を確かめる」
認証札を持つのはクラウゼ。
その前に盾を構えた護衛。
ロックとエルドは少し離れ、装置全体を見渡す。
ミリシャと記録係は入口近くまで下がった。
◇
一歩。
クラウゼが扉へ近づく。
認証札の青い石が明滅する。
二歩。
扉の紋様へ、淡い光が走った。
三歩。
扉の脇にある窪みが青く光る。
その瞬間。
扉の向こうから、重い音が響いた。
ゴン。
何かが壁へぶつかったような音。
続いて、引きずる音。
ズル。
ズル。
護衛が盾を高く構える。
「生き物です」
ミリシャが声を潜めた。
「そのようだな」
エルドは扉から目を離さない。
「札を下げろ」
クラウゼが一歩後退する。
光が弱まった。
だが、扉の向こうの音は止まらない。
ズル。
ズル。
何かが扉へ近づいてくる。
◇
扉の下。
床との僅かな隙間から、黒い液体が滲み出した。
「下がれ」
護衛の声が響く。
全員が数歩後退した。
液体はゆっくりと広がる。
粘り気がある。
血のようにも見える。
だが、色が黒すぎた。
「触れないでください」
クラウゼが警告する。
「毒かもしれません」
黒い液体の中で、何かが蠢いた。
細いもの。
糸のようなものが、何本も重なっている。
それが液体の表面から持ち上がり、空気を探るように揺れた。
ロックは反射的にスタッフスリングを構えた。
「これは生き物です」
黒い糸が一斉に扉の隙間へ引っ込む。
次の瞬間。
扉の向こうから激しい衝撃が響いた。
ドン。
金属扉が僅かに膨らむ。
もう一度。
ドン。
扉の留め具が軋む。
「認証札を離せ」
エルドが叫ぶ。
クラウゼが札を布へ包み、入口側へ投げる。
扉の光が消えた。
衝撃も止まる。
搬入庫に、静寂が戻った。
◇
誰もすぐには動かなかった。
黒い液体だけが、扉の下に残っている。
「札に反応して近づいた」
ロックが言う。
「扉が開くと思ったのかもしれません」
「あるいは、認証が始まったことで目覚めた」
クラウゼは扉を見つめたまま答える。
「何年眠っていたんでしょう」
ミリシャの声が震えている。
「分からん」
エルドが短く息を吐いた。
「だが、今も生きている」
「開けますか」
ロックが尋ねる。
エルドは暫く答えなかった。
扉はまだ保たれている。
向こうにいるものも、扉を破るほどの力はない。
少なくとも今は。
「今日は開けない」
やがてエルドが告げた。
「記録と認証札を持ち帰る」
「この扉は封鎖する」
「調査隊を増やして戻る」
ロックは頷いた。
これは慎重すぎる判断ではない。
中に何がいるのか分からない。
毒があるかもしれない。
魔法が効かないかもしれない。
複数いるかもしれない。
今ある情報だけで扉を開くのは、調査ではなく賭けだった。
◇
入口側から資材が運ばれる。
扉の前へ木杭を打ち、縄を張る。
床には大きく危険を示す印を残す。
黒い液体は砂をかけ、金属製の容器へ慎重に回収された。
「これも持ち帰るんですか」
護衛が嫌そうに尋ねる。
「当然です」
クラウゼが答える。
「毒かもしれませんよ」
「だから調べます」
「こぼしたら?」
「こぼした人が責任を持って片づけます」
護衛は容器を持つ手へ力を込めた。
◇
撤退の準備が整う。
ロックは最後に扉を振り返った。
生体搬入庫。
認証札。
一時固定の魔法装置。
そして、扉の向こうで生き続けている何か。
古代王国の者たちは、何を運び込んだのか。
何のために保存したのか。
それは研究対象だったのか。
素材だったのか。
あるいは、ここからさらに別の場所へ送られる予定だったのか。
答えは扉の向こうにある。
だが、答えを得るためには、生きて戻らなければならない。
「帰るぞ」
エルドの声で、調査隊が動き出す。
認証札の青い石は布に包まれ、厳重に封じられた。
その直後。
誰も触れていないはずの扉の向こうから。
コトリ。
また、小さな音が響いた。
まるで、こちらが戻ってくることを知っているかのように。