低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第77話 持ち帰ったもの

 レックス調査拠点へ戻った時には、すでに陽が傾き始めていた。

 

 木柵の上から見張りが一行を確認し、門の内側へ声を飛ばす。

 

「調査隊が戻ったぞ」

 

 門が開く。

 

 出迎えた者たちは、まず人数を数えた。

 

 出発した者と、帰ってきた者。

 

 一人も欠けていないことを確認してから、門番がエルドへ尋ねる。

 

「負傷者は」

 

「なし」

 

 安堵が広がりかける。

 

 だが、エルドは続けた。

 

「危険物を持ち帰った。黒い体液らしきものと、魔力を残した認証札だ」

 

 拠点の空気が、すぐに引き締まった。

 

「隔離室を開けろ。資料と危険物は別々に運ぶ」

 

「分かりました」

 

 黒いものを収めた金属容器は、宿泊棟や資料棟から離れた石造りの小屋へ運ばれる。

 

 認証札は別の保管室。

 

 紙片や布片は資料棟の前に設けられた作業場へ。

 

 レックスから持ち帰ったものを、何も考えずに一か所へ集めることはない。

 

 一つが燃えれば、すべてが燃える。

 

 一つに毒があれば、すべてが汚染される。

 

 持ち帰るまでが探索ではない。

 

 安全に分け、記録し、保存して初めて成果となる。

 

     ◇

 

「先に全員の身体と装備を調べます」

 

 クラウゼの指示で、調査隊は男女に分かれた。

 

 男性は資材小屋の裏手。

 

 女性は宿泊棟に付属する洗濯室。

 

 それぞれ同性の調査員が立ち会い、外套、靴、手袋を外して確認する。

 

 黒い液体の付着。

 

 コカトリスの血。

 

 自覚のない擦り傷。

 

 羽毛や寄生虫の混入。

 

 ロックは男性用の区画で外套を脱ぎ、護衛の一人と互いの背中を確認した。

 

「何か付いていますか」

 

「砂と埃だけだな」

 

「それなら助かります」

 

「そっちは」

 

「右肩に羽根が一本」

 

 ロックは指で摘ままず、火箸で取り除いた。

 

 回収用の皿へ入れる。

 

 ただのコカトリスの羽根だとしても、遺跡の中で付着したものは勝手に捨てない。

 

「傷はありません」

 

「こっちもだ」

 

 隣ではエルドが腕を広げ、若い調査員に背中を見せていた。

 

「先生、腰に擦り傷があります」

 

「瓦礫に引っ掛けたか」

 

「洗って薬を塗ってください」

 

「この程度なら」

 

「黒いものが入り込んでからでは遅いです」

 

「分かった、分かった」

 

 女性側でも同じ確認が行われているらしい。

 

 壁の向こうから、ミリシャの声が聞こえた。

 

「クラウゼ先生、外套の裾に血が付いています」

 

「コカトリスのものです」

 

「分かっていても洗浄対象です」

 

「承知しています」

 

 ロックは少しだけ笑った。

 

 弟子であっても、こういう時には容赦がないらしい。

 

     ◇

 

 衣服と装備の確認が終わると、使った道具は種類ごとに分けられた。

 

 水洗いするもの。

 

 砂で汚れを落とすもの。

 

 火へ近づけてもよいもの。

 

 魔力を帯びているため、下手に触れないもの。

 

「認証札も洗いますか」

 

 ミリシャが尋ねる。

 

「洗いません」

 

 クラウゼは即答した。

 

「何に反応するか分からない魔法の品へ、水を掛けるべきではありません」

 

「では、汚れは」

 

「乾いた刷毛を使います。ただし、今は触れません」

 

 認証札は陶器の浅い箱へ入れられ、その箱ごと石造りの小部屋へ運ばれた。

 

 部屋の中央には机が一つ。

 

 周囲には水桶と砂袋。

 

 火や煙が出た時のため、扉の外には見張りが立つ。

 

「随分と厳重ですね」

 

 ロックが青い石の埋め込まれた金属札を見る。

 

「厳重で何も起きなければ、それが一番です」

 

 クラウゼが答えた。

 

     ◇

 

 ロックは認証札から少し離れ、魔力の気配へ意識を向けた。

 

 札そのものに、扉を動かすほど大きな力は感じない。

 

 攻撃のための魔力でもない。

 

 細く整えられた流れが、金属板に刻まれた紋様を巡っている。

 

 何かを伝えるための道具。

 

 そう思えた。

 

「鍵というより、証明書に近い気がします」

 

「証明書?」

 

「札が扉を開けるのではなく、扉へ許可を示すんです」

 

 クラウゼが札へ視線を落とす。

 

「所有者や搬入物の情報が刻まれている可能性がありますね」

 

「そこまで分かるんですか」

 

 ミリシャが尋ねる。

 

「可能性だけです」

 

 ロックは首を振った。

 

「魔力の流れが、何かを照合する形に見えるだけです」

 

「断定しないのはよいことです」

 

「先生に教わりました」

 

「私はまだ、あなたを弟子にした覚えはありません」

 

「では、見て覚えました」

 

 クラウゼは僅かに口元を緩めた。

 

     ◇

 

 次に調べるのは、認証扉の下から滲み出した黒いものだった。

 

 隔離室へ入る人数は絞られた。

 

 エルド。

 

 クラウゼ。

 

 ロック。

 

 ミリシャは外側の記録台に残り、小窓越しに観察内容を書き留める。

 

 男女で分けるためではない。

 

 危険物へ近づく人数を減らすためだ。

 

 金属容器は石台の中央へ置かれている。

 

 運搬中に動いた形跡はない。

 

「開けるぞ」

 

 エルドが長い棒で留め具を外す。

 

 クラウゼは厚い革手袋を着け、長い火箸に似た道具を持った。

 

 ロックは少し離れ、スタッフスリングを構える。

 

 物理的な武器が通じる相手なのかさえ分からない。

 

 それでも、何も持たずに立つよりはよかった。

 

     ◇

 

 蓋が僅かに持ち上がる。

 

 反応はない。

 

 さらに開く。

 

 容器の底には、砂と一緒に回収された黒い塊が残っていた。

 

 搬入庫では液体のように見えた。

 

 今は、濡れた糸を幾重にも絡めたような姿になっている。

 

「乾いたのでしょうか」

 

 小窓の向こうからミリシャが尋ねる。

 

「違います」

 

 クラウゼが目を細めた。

 

「自分で縮んでいます」

 

 黒い糸の一本が持ち上がった。

 

 空気を探るように揺れ、容器の縁へ触れる。

 

 次の瞬間、弾かれたように引っ込んだ。

 

「金属を嫌った?」

 

 ロックが言う。

 

「冷たさかもしれません」

 

「光への反応かもしれん」

 

 エルドが長い挟み道具を伸ばした。

 

「決めつけるなよ」

 

「先生が一番触ろうとしています」

 

「触らねば分からんこともある」

 

「直接触らないでください」

 

「分かっている」

 

     ◇

 

 挟み道具が黒い糸の端を摘まむ。

 

 塊全体が強く縮んだ。

 

 糸は細いが、簡単には切れない。

 

 エルドが僅かに持ち上げると、その下から白い欠片が現れた。

 

「骨でしょうか」

 

 ロックが目を凝らす。

 

 自然に折れた骨とは違う。

 

 表面には細かな溝が刻まれ、端には等間隔の穴が開いていた。

 

「搬入庫の巣から見つけたものと似ています」

 

 クラウゼが答える。

 

 黒い糸は、白い欠片へ絡みついているのではない。

 

 穴の内側から伸びているように見えた。

 

「骨から生えている?」

 

「そのように見えます」

 

「生き物の一部でしょうか」

 

「あるいは、魔法で作られた組織です」

 

 クラウゼの声が低くなる。

 

「損傷した身体を繋ぎ止めるためのものかもしれません」

 

「固定装置と関係がある?」

 

「可能性はあります」

 

 搬入対象。

 

 一時固定。

 

 保存容器。

 

 下層保管室。

 

 そして、扉の向こうで今も動いている何か。

 

 断片だけだった情報が、少しずつ同じ場所へ集まり始めていた。

 

     ◇

 

「ここまでにします」

 

 クラウゼが告げた。

 

「もう少し調べられませんか」

 

 ミリシャが小窓越しに尋ねる。

 

「今の設備では無理です」

 

「魔術師ギルドへ運びますか」

 

「まだ運びません」

 

 クラウゼは黒い塊を見つめた。

 

「何なのか分からないものを、人の多い場所へ持ち込むべきではありません」

 

 エルドが黒い糸を容器へ戻す。

 

 蓋を閉じ、革帯で固定した。

 

 容器の周囲には乾いた砂を薄く撒く。

 

 何かが這い出せば、跡が残る。

 

「夜間も見張りを置く」

 

 エルドが言う。

 

「異変があれば鐘を三度だ」

 

「何も起きなかった場合は?」

 

 扉の外にいた護衛が尋ねる。

 

「朝になったら笑えばいい」

 

「起きた場合は」

 

「笑っている暇はないな」

 

     ◇

 

 資料棟では、男女を問わず記録の扱いに慣れた者たちが、回収物の整理を進めていた。

 

 ただし、汚れを落とす作業台と、清潔な紙片を並べる机は離されている。

 

 乾いた刷毛で糞や土を落とす。

 

 湿った紙は重ねず、一枚ずつ板へ載せる。

 

 破れ目の合う断片を探す。

 

 ミリシャが二枚の紙片を並べた。

 

「ここ、繋がります」

 

 破れた輪郭が一致する。

 

 クラウゼが古代語を追った。

 

「第七搬送対象」

 

「損傷あり」

 

「生命活動を維持したまま、下層保管室へ移送」

 

 ロックは紙片を覗き込んだ。

 

「第七ということは、少なくとも七つあった?」

 

「番号が個体数を示しているなら」

 

 クラウゼは慎重に答える。

 

「七番目の部屋や、七番目の計画を示す可能性もあります」

 

「まだ数は分からないんですね」

 

「分からないことを分からないまま記録するのも、調査です」

 

     ◇

 

 別の紙片には、一語だけが残っていた。

 

「再生」

 

 ミリシャが読み上げる。

 

 その前後は破れている。

 

 それでも、無視できる言葉ではなかった。

 

 損傷した搬送対象。

 

 生命活動を維持したまま移送。

 

 下層保管室。

 

 再生。

 

「治療施設だったのでしょうか」

 

 ロックが尋ねる。

 

「治療する相手を、搬入対象とは呼ばんだろう」

 

 エルドが腕を組む。

 

「研究材料だった可能性があります」

 

 クラウゼが言う。

 

 古代王国の魔術師たちが、生き物をどのように扱っていたのか。

 

 今の常識だけで考えるべきではない。

 

「次は扉を開けますか」

 

 ロックが尋ねた。

 

「すぐには開けん」

 

 エルドは地図を広げた。

 

「前衛を増やす」

 

「神官を同行させる」

 

「黒い組織に対処できる道具も用意する」

 

「それから認証札の情報を、可能な限り調べる」

 

「準備している間に、扉の中のものが出てくる可能性は」

 

「ある」

 

 エルドは迷わず答えた。

 

「だから急ぐ」

 

 続いて、扉の位置へ指を置く。

 

「だが、分からないまま開けるほど急ぎはせん」

 

 レックスは待ってくれない。

 

 それでも、急ぐことと飛び込むことは違う。

 

 ロックは地図の上に記された搬入庫を見つめた。

 

 明日も扉が閉じている保証はない。

 

 中のものが眠っている保証もない。

 

 だからこそ、次に扉の前へ立つ時には、開いた後まで考えておかなければならなかった。

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