低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
半透明の怪物が、一歩だけ前へ出た。
粘液に包まれた足が石床を踏み、硬い音を立てる。
コツ……
人のような輪郭。
二本の腕。
二本の脚。
だが、歩き方が不自然だった。
膝がほとんど曲がっていない。
腕も揺れず、身体全体を前へ傾けて運んでいる。
「止まれ」
エルドが低く命じた。
前衛の護衛たちが盾を揃える。
槍の穂先が、怪物の胸へ向けられた。
ロックはスタッフスリングを握ったまま、その動きを見つめる。
最後の爆裂弾は、もうない。
炎を宿した武器だけが、今の手札だった。
◇
「人型のブロブ……?」
ミリシャが呟く。
「違うと思います」
ロックは即座に答えた。
「形を作っているんじゃない」
「中に何かあります」
半透明の身体の奥。
松明の光が揺れるたび、白いものが見え隠れしている。
肋骨。
肩甲骨。
頭蓋。
粘液の中に、一体の人骨が沈んでいた。
「死体を動かしているのか」
護衛が息を呑む。
「動かしているというより」
クラウゼが目を細める。
「骨格を支柱にしているようです」
◇
怪物が再び歩く。
コツ……
足音の正体は、粘液の中にある骨だった。
骨の足が石床へ当たる。
その周囲をブロブの身体が覆い、人の形へ押し固めている。
「倒した獲物の形を保っているだけか」
エルドが問う。
「おそらく」
クラウゼが答える。
「ブロブは獲物を包み込み、溶かします」
「ですが、骨や装備はすぐには消化できない」
「それを内部へ取り込んだまま移動すれば」
「外から人型に見えることもあるでしょう」
「つまり」
ロックが言う。
「新しい魔物じゃありません」
「さっきのブロブの一部です」
◇
人型の塊が腕を伸ばした。
その動きに合わせ、粘液が長く引き伸ばされる。
「下がれ!」
エルドの声と同時に、前衛が盾を引いた。
伸びた腕が空を切る。
先端から粘液の塊が飛び、石床へ落ちた。
ジュッという音。
床に付着していた古い布切れが、見る間に変色する。
「触れるな!」
「溶かされるぞ!」
護衛たちが間合いを広げた。
◇
「先生」
ロックがクラウゼを見る。
「まだファイア・ウェポンは残っています」
「ええ」
「でも、近づいて殴る必要はありません」
ロックは床へ転がっていた石片を拾った。
スタッフスリングの革紐へ収める。
「普通の石で?」
ミリシャが尋ねた。
「武器に炎が宿っているなら」
「弾は何でもいいはずです」
ロックは短く息を整える。
狙うのは、粘液の中心ではない。
内部にある人骨。
骨格を崩せば、人型を保てなくなる。
◇
スタッフスリングが回る。
革紐へ宿った炎の魔力が、石弾へ移る。
「行きます」
放たれた石が、人型の胸へ命中した。
鈍い音。
肋骨が砕ける。
同時に、着弾点から炎が広がった。
粘液が激しく泡立つ。
人型の上半身が崩れ、左右へ大きく歪んだ。
「効いている!」
「もう一発!」
ロックは次の石を拾う。
今度は膝。
石弾が関節へ命中し、脚の骨を砕く。
支えを失った怪物が、その場へ崩れ落ちた。
◇
「前へ出るな!」
エルドは追撃しようとした護衛を止める。
「火が回るまで待て!」
床へ広がった粘液は、炎から逃げるように波打っていた。
だが、人骨へ絡みついているため、素早く動けない。
骨格は支えであると同時に、枷にもなっていた。
「先生」
「分かっています」
クラウゼが発動体を掲げる。
「全知全能たる万能たるマナよ」
古代語の詠唱が処分室へ響く。
「炎となりて、形なきものを焼き払え」
生じた火球が、崩れた粘液へ飛ぶ。
炎が床いっぱいに広がった。
◇
黒い煙。
焦げた臭い。
水分が一気に蒸発し、処分室の空気が白く霞む。
護衛たちは盾を前に出し、飛沫を防いだ。
やがて動きが止まる。
床に残ったのは、焼け縮んだ黒い膜と、古びた人骨だった。
「終わったか」
エルドが尋ねる。
「まだ近付かないでください」
ロックは石を一つ投げた。
黒い膜へ当たる。
反応はない。
もう一つ。
やはり動かない。
「完全に焼けています」
クラウゼが慎重に答えた。
◇
安全を確認した後、神官とクラウゼが人骨を調べた。
骨には古代王国風の金具と、腐食した腕輪が残っていた。
「施設の職員でしょうか」
ミリシャが尋ねる。
「断定はできません」
クラウゼは腕輪を布で包む。
「ですが、侵入者ではなさそうです」
「処分室にいた人間が」
ロックは焦げた跡を見る。
「そのままブロブに食われた?」
「あるいは」
クラウゼの声が低くなる。
「処分対象を管理していた者が」
「封鎖の際に取り残されたのかもしれません」
◇
焦げた粘液の跡は、まだ奥へ続いていた。
今倒したものは、本体ではない。
逃げる途中で切り離された一部に過ぎない。
「先生」
ミリシャが壁際を照らす。
「文字があります」
煤を払い、クラウゼが刻印を読む。
その表情が険しくなる。
「何と書いてある」
エルドが問う。
「焼却試験区画」
クラウゼは続く文字へ目を走らせた。
「対象群の完全消滅を確認できず」
「分裂後も活動を継続」
誰も声を出さなかった。
ロックは、奥へ続く黒い跡を見つめる。
「つまり」
「さっきの一体だけじゃない」
「最初から」
炎に照らされた通路の先で。
幾つもの粘ついた音が、重なるように響いた。