低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第83話 人の形をした餌

 半透明の怪物が、一歩だけ前へ出た。

 

 粘液に包まれた足が石床を踏み、硬い音を立てる。

 

 コツ……

 

 人のような輪郭。

 

 二本の腕。

 

 二本の脚。

 

 だが、歩き方が不自然だった。

 

 膝がほとんど曲がっていない。

 

 腕も揺れず、身体全体を前へ傾けて運んでいる。

 

「止まれ」

 

 エルドが低く命じた。

 

 前衛の護衛たちが盾を揃える。

 

 槍の穂先が、怪物の胸へ向けられた。

 

 ロックはスタッフスリングを握ったまま、その動きを見つめる。

 

 最後の爆裂弾は、もうない。

 

 炎を宿した武器だけが、今の手札だった。

 

     ◇

 

「人型のブロブ……?」

 

 ミリシャが呟く。

 

「違うと思います」

 

 ロックは即座に答えた。

 

「形を作っているんじゃない」

 

「中に何かあります」

 

 半透明の身体の奥。

 

 松明の光が揺れるたび、白いものが見え隠れしている。

 

 肋骨。

 

 肩甲骨。

 

 頭蓋。

 

 粘液の中に、一体の人骨が沈んでいた。

 

「死体を動かしているのか」

 

 護衛が息を呑む。

 

「動かしているというより」

 

 クラウゼが目を細める。

 

「骨格を支柱にしているようです」

 

     ◇

 

 怪物が再び歩く。

 

 コツ……

 

 足音の正体は、粘液の中にある骨だった。

 

 骨の足が石床へ当たる。

 

 その周囲をブロブの身体が覆い、人の形へ押し固めている。

 

「倒した獲物の形を保っているだけか」

 

 エルドが問う。

 

「おそらく」

 

 クラウゼが答える。

 

「ブロブは獲物を包み込み、溶かします」

 

「ですが、骨や装備はすぐには消化できない」

 

「それを内部へ取り込んだまま移動すれば」

 

「外から人型に見えることもあるでしょう」

 

「つまり」

 

 ロックが言う。

 

「新しい魔物じゃありません」

 

「さっきのブロブの一部です」

 

     ◇

 

 人型の塊が腕を伸ばした。

 

 その動きに合わせ、粘液が長く引き伸ばされる。

 

「下がれ!」

 

 エルドの声と同時に、前衛が盾を引いた。

 

 伸びた腕が空を切る。

 

 先端から粘液の塊が飛び、石床へ落ちた。

 

 ジュッという音。

 

 床に付着していた古い布切れが、見る間に変色する。

 

「触れるな!」

 

「溶かされるぞ!」

 

 護衛たちが間合いを広げた。

 

     ◇

 

「先生」

 

 ロックがクラウゼを見る。

 

「まだファイア・ウェポンは残っています」

 

「ええ」

 

「でも、近づいて殴る必要はありません」

 

 ロックは床へ転がっていた石片を拾った。

 

 スタッフスリングの革紐へ収める。

 

「普通の石で?」

 

 ミリシャが尋ねた。

 

「武器に炎が宿っているなら」

 

「弾は何でもいいはずです」

 

 ロックは短く息を整える。

 

 狙うのは、粘液の中心ではない。

 

 内部にある人骨。

 

 骨格を崩せば、人型を保てなくなる。

 

     ◇

 

 スタッフスリングが回る。

 

 革紐へ宿った炎の魔力が、石弾へ移る。

 

「行きます」

 

 放たれた石が、人型の胸へ命中した。

 

 鈍い音。

 

 肋骨が砕ける。

 

 同時に、着弾点から炎が広がった。

 

 粘液が激しく泡立つ。

 

 人型の上半身が崩れ、左右へ大きく歪んだ。

 

「効いている!」

 

「もう一発!」

 

 ロックは次の石を拾う。

 

 今度は膝。

 

 石弾が関節へ命中し、脚の骨を砕く。

 

 支えを失った怪物が、その場へ崩れ落ちた。

 

     ◇

 

「前へ出るな!」

 

 エルドは追撃しようとした護衛を止める。

 

「火が回るまで待て!」

 

 床へ広がった粘液は、炎から逃げるように波打っていた。

 

 だが、人骨へ絡みついているため、素早く動けない。

 

 骨格は支えであると同時に、枷にもなっていた。

 

「先生」

 

「分かっています」

 

 クラウゼが発動体を掲げる。

 

「全知全能たる万能たるマナよ」

 

 古代語の詠唱が処分室へ響く。

 

「炎となりて、形なきものを焼き払え」

 

 生じた火球が、崩れた粘液へ飛ぶ。

 

 炎が床いっぱいに広がった。

 

     ◇

 

 黒い煙。

 

 焦げた臭い。

 

 水分が一気に蒸発し、処分室の空気が白く霞む。

 

 護衛たちは盾を前に出し、飛沫を防いだ。

 

 やがて動きが止まる。

 

 床に残ったのは、焼け縮んだ黒い膜と、古びた人骨だった。

 

「終わったか」

 

 エルドが尋ねる。

 

「まだ近付かないでください」

 

 ロックは石を一つ投げた。

 

 黒い膜へ当たる。

 

 反応はない。

 

 もう一つ。

 

 やはり動かない。

 

「完全に焼けています」

 

 クラウゼが慎重に答えた。

 

     ◇

 

 安全を確認した後、神官とクラウゼが人骨を調べた。

 

 骨には古代王国風の金具と、腐食した腕輪が残っていた。

 

「施設の職員でしょうか」

 

 ミリシャが尋ねる。

 

「断定はできません」

 

 クラウゼは腕輪を布で包む。

 

「ですが、侵入者ではなさそうです」

 

「処分室にいた人間が」

 

 ロックは焦げた跡を見る。

 

「そのままブロブに食われた?」

 

「あるいは」

 

 クラウゼの声が低くなる。

 

「処分対象を管理していた者が」

 

「封鎖の際に取り残されたのかもしれません」

 

     ◇

 

 焦げた粘液の跡は、まだ奥へ続いていた。

 

 今倒したものは、本体ではない。

 

 逃げる途中で切り離された一部に過ぎない。

 

「先生」

 

 ミリシャが壁際を照らす。

 

「文字があります」

 

 煤を払い、クラウゼが刻印を読む。

 

 その表情が険しくなる。

 

「何と書いてある」

 

 エルドが問う。

 

「焼却試験区画」

 

 クラウゼは続く文字へ目を走らせた。

 

「対象群の完全消滅を確認できず」

 

「分裂後も活動を継続」

 

 誰も声を出さなかった。

 

 ロックは、奥へ続く黒い跡を見つめる。

 

「つまり」

 

「さっきの一体だけじゃない」

 

「最初から」

 

 炎に照らされた通路の先で。

 

 幾つもの粘ついた音が、重なるように響いた。

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