低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

94 / 97
第88話 瓶の底まで

 薬品の値段を並べた紙と、探索用の覚え書き。

 

 ロックは二枚を見比べていた。

 

 無限のバッグを買った。

 

 そのおかげで、荷物を運ぶ心配は随分と減った。

 

 しかし、空の鞄へ必要な物が勝手に入るわけではない。

 

「……先に、何が使えるか確かめないと」

 

 値段の高い物から揃えても、それが役に立つとは限らない。試験に使う分と、探索へ持っていく分は分けて考えるべきだった。

 

 ロックは紙の余白へ、小さく書いた。

 

 まず、少量。

 

 その下へ、もう一つ。

 

 ギルドで仕事。

 

     ◇

 

「薬品を扱う仕事を、手伝わせてもらえませんか?」

 

 クラウゼは顔を上げた。

 

「薬品庫の掃除ですか?」

 

「それもです。使った容器を洗うとか、運ぶとか」

 

「抗酸剤の扱いを覚えたいのですね」

 

「はい」

 

 そこまでは、嘘ではなかった。

 

 何を使えばよいのか分からないまま、棚の瓶を持ち出す気にはなれない。自分の荷袋の中で漏れた時、どうすればよいかも知らないのでは困る。

 

 クラウゼは少し考えた。

 

「では、作業の終わった器具を片づけるところから始めましょう。ただし、指示された物以外には触れないこと」

 

「分かりました」

 

「容器に残っている物を、勝手にまとめてはいけません」

 

 ロックの返事が、一瞬遅れた。

 

「……はい」

 

「空に見える容器にも残ります。別の薬品と混ざれば、危険になることがありますから」

 

「同じ物なら、まとめても?」

 

「同じ物だと、どう確かめます?」

 

 ロックは口を閉じた。

 

 クラウゼは責める様子もなく、続けた。

 

「札が同じでも、使用中に何かが混ざっているかもしれません。まずは、その違いを覚えてください」

 

     ◇

 

 作業室には、使い終えた器具が並んでいた。

 

 浅い皿。

 細口の瓶。

 陶製の鉢。

 布を留めた木枠。

 

 どれも、ただ汚れているように見える。

 

 しかし、片づける順番も、扱い方も違っていた。

 

 担当の男はロックへ厚手の前掛けを渡し、一つずつ指示した。

 

「こいつは、まだ置いておけ」

 

「洗わないんですか?」

 

「中身を確かめてからだ。そっちの皿は空だが、素手で触るな」

 

「はい」

 

「瓶は札を外す前に、こっちへ並べろ」

 

 ロックは言われたとおりに運んだ。

 

 早く片づければよい仕事ではない。

 

 どこに何があったかを変えず、取り違えず、割らずに動かす。

 

 下水道では、足元と水の流れを見ていた。

 

 ここでは、瓶の口と札を見る。

 

 気を抜いた時に厄介なことになるのは、同じようだった。

 

     ◇

 

 半日もすると、ロックには分かったことがあった。

 

 瓶の底へ残っている物が、そのまま使えるとは限らない。

 

 澄んで見えても、何かが混ざっていることがある。

 

 逆に、濁っていても、そういう薬品である場合もある。

 

 見た目だけでは判断できなかった。

 

 ロックは、小瓶を持ち上げた。

 

 底に、僅かに液体が残っている。

 

 これが必要な抗酸剤なら、何本か集めるだけでも試験に使える。

 

 だが、札を見ても、今のロックにはそこまで分からなかった。

 

「それは、こっちだ」

 

 声を掛けられ、瓶を戻す。

 

 こっそり移す機会がないわけではない。

 

 問題は、移した物を信用できるかどうかだった。

 

 手に入れることと、使えることは違う。

 

 ロックは空いた手で、覚え書きを押さえた。

 

     ◇

 

 作業の合間、ロックは担当の男へ尋ねた。

 

「抗酸剤を使う仕事も、ここでしているんですか?」

 

「何に使う方だ?」

 

「装備を守るための物です」

 

「使うことはある。だが、お前のその紙にある物が、全部ここへ置いてあるわけじゃないぞ」

 

 男は覚え書きを見た。

 

「これを、どこで使う?」

 

「遺跡です。溶かす液体があるかもしれなくて」

 

「あるかもしれない?」

 

「まだ、実物を見ていません」

 

「なら、先に調べろ」

 

「そのために入るにも、備えが必要でしょう?」

 

 男はロックの顔を見た。

 

 それから、机の端へ積んであった木片を引き寄せた。

 

「入る前に、こいつを近づければいい」

 

「木片を?」

 

「革でも、布でもいい。人間の代わりに、先に触らせるんだ」

 

 ロックは木片を手に取った。

 

 棒の先へ留めれば、少し離れた場所から試せる。

 

 足を踏み入れる前に、床へ溜まった液体を確かめることもできる。

 

「装備へ使っている物と、同じ素材がいいですね」

 

「できればな。違う革で試して平気だったからといって、お前の靴も平気だとは言えん」

 

 覚え書きへ、試験片と書き足した。

 

     ◇

 

 その日の片づけが終わる頃、クラウゼが作業室へ来た。

 

 ロックの手元には、薬品の瓶ではなく、革と布の切れ端が並んでいた。

 

「何か分かりましたか?」

 

「瓶の底に残った物を集めても、使えるか分からないことです」

 

 クラウゼは一度、ロックを見た。

 

「それは、よい勉強になりましたね」

 

「……そうですね」

 

 余計なことまで言った気がした。

 

 ロックは咳払いし、木片を持ち上げた。

 

「それから、先に素材を試すことです。自分で踏む前に」

 

「ええ」

 

「薬品を塗った物と、塗っていない物を用意して、違いを見たいんです」

 

「実際の液体を採取できれば、こちらでも確かめられます」

 

 クラウゼは机へ紙を置いた。

 

「採取する時は、これも記録してください。場所、色、量。周囲の様子も」

 

 ロックは目を通した。

 

 持ち帰るまでに中身が変わる可能性も、考えなければならないらしい。

 

「瓶だけ持ってくれば済むわけじゃないんですね」

 

「瓶の中身が、どこにあった何なのか。後から分からなくなっては困りますから」

 

     ◇

 

 帰り際、ロックは作業室を振り返った。

 

 薬品は、まだ棚にある。

 

 今日一日で、錠を調べるよりも多くのことが分かった。

 

 瓶を持ち出すだけなら、方法は考えられる。

 

 しかし、何を持ち出すべきかを間違えれば、三十万ガメルの鞄の中へ厄介な物を入れることになる。

 

 それは困る。

 

 まず、試験用の少量を買う。

 

 必要な物が分かり、量が足りなくなったら、その時に改めて考える。

 

 ロックは前掛けを返し、手を確かめた。

 

 指先も、爪の間も、異常はない。

 

 今日の仕事では、それも大事な確認だった。

 

「また来てもいいですか?」

 

 担当の男が、器具を拭きながら答えた。

 

「来るなら、朝から来い。運ぶ物は幾らでもある」

 

「薬品を使うところも、見せてもらえます?」

 

「手を出さずに見ていられるならな」

 

「見ているだけは、得意です」

 

 男は、ほんの少し笑った。

 

     ◇

 

 宿へ戻る途中、ロックは職人の店へ寄った。

 

 自分の装備へ使われている物に近い革と、丈夫な布の切れ端を求める。

 

 大きな物は要らない。

 

 小さく切り分け、何をした物か分かるようにしておけばいい。

 

 何もしていない物。

 薬品を使った物。

 

 それぞれを比べられるよう、組にする。

 

 無限のバッグへ収める前に、ロックは一つずつ札をつけた。

 

 ギルドで、瓶に札が必要な理由を見たばかりだった。

 

 似た物を幾つも持ち歩けば、いつか取り違える。

 

 遺跡の中でそれに気づいても、遅い。

 

 机の上には、小さな包みが幾つもできた。

 

 剣でも、爆裂弾でもない。

 

 次に出会うものを知るための道具だった。

 

 ロックは最後の札へ、羽根ペンを走らせた。

 

 何も塗っていない革。

 

 それを包みへ結びつけ、明日の覚え書きを開く。

 

 必要な薬品を、少量ずつ。

 

 丈夫な容器。

 

 長い柄に試験片を留めるための道具。

 

 まだ、胃袋へは入れない。

 

 だが、どこまで近づいてよいかを確かめる支度は、少しずつ整っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。