低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
薬品の値段を並べた紙と、探索用の覚え書き。
ロックは二枚を見比べていた。
無限のバッグを買った。
そのおかげで、荷物を運ぶ心配は随分と減った。
しかし、空の鞄へ必要な物が勝手に入るわけではない。
「……先に、何が使えるか確かめないと」
値段の高い物から揃えても、それが役に立つとは限らない。試験に使う分と、探索へ持っていく分は分けて考えるべきだった。
ロックは紙の余白へ、小さく書いた。
まず、少量。
その下へ、もう一つ。
ギルドで仕事。
◇
「薬品を扱う仕事を、手伝わせてもらえませんか?」
クラウゼは顔を上げた。
「薬品庫の掃除ですか?」
「それもです。使った容器を洗うとか、運ぶとか」
「抗酸剤の扱いを覚えたいのですね」
「はい」
そこまでは、嘘ではなかった。
何を使えばよいのか分からないまま、棚の瓶を持ち出す気にはなれない。自分の荷袋の中で漏れた時、どうすればよいかも知らないのでは困る。
クラウゼは少し考えた。
「では、作業の終わった器具を片づけるところから始めましょう。ただし、指示された物以外には触れないこと」
「分かりました」
「容器に残っている物を、勝手にまとめてはいけません」
ロックの返事が、一瞬遅れた。
「……はい」
「空に見える容器にも残ります。別の薬品と混ざれば、危険になることがありますから」
「同じ物なら、まとめても?」
「同じ物だと、どう確かめます?」
ロックは口を閉じた。
クラウゼは責める様子もなく、続けた。
「札が同じでも、使用中に何かが混ざっているかもしれません。まずは、その違いを覚えてください」
◇
作業室には、使い終えた器具が並んでいた。
浅い皿。
細口の瓶。
陶製の鉢。
布を留めた木枠。
どれも、ただ汚れているように見える。
しかし、片づける順番も、扱い方も違っていた。
担当の男はロックへ厚手の前掛けを渡し、一つずつ指示した。
「こいつは、まだ置いておけ」
「洗わないんですか?」
「中身を確かめてからだ。そっちの皿は空だが、素手で触るな」
「はい」
「瓶は札を外す前に、こっちへ並べろ」
ロックは言われたとおりに運んだ。
早く片づければよい仕事ではない。
どこに何があったかを変えず、取り違えず、割らずに動かす。
下水道では、足元と水の流れを見ていた。
ここでは、瓶の口と札を見る。
気を抜いた時に厄介なことになるのは、同じようだった。
◇
半日もすると、ロックには分かったことがあった。
瓶の底へ残っている物が、そのまま使えるとは限らない。
澄んで見えても、何かが混ざっていることがある。
逆に、濁っていても、そういう薬品である場合もある。
見た目だけでは判断できなかった。
ロックは、小瓶を持ち上げた。
底に、僅かに液体が残っている。
これが必要な抗酸剤なら、何本か集めるだけでも試験に使える。
だが、札を見ても、今のロックにはそこまで分からなかった。
「それは、こっちだ」
声を掛けられ、瓶を戻す。
こっそり移す機会がないわけではない。
問題は、移した物を信用できるかどうかだった。
手に入れることと、使えることは違う。
ロックは空いた手で、覚え書きを押さえた。
◇
作業の合間、ロックは担当の男へ尋ねた。
「抗酸剤を使う仕事も、ここでしているんですか?」
「何に使う方だ?」
「装備を守るための物です」
「使うことはある。だが、お前のその紙にある物が、全部ここへ置いてあるわけじゃないぞ」
男は覚え書きを見た。
「これを、どこで使う?」
「遺跡です。溶かす液体があるかもしれなくて」
「あるかもしれない?」
「まだ、実物を見ていません」
「なら、先に調べろ」
「そのために入るにも、備えが必要でしょう?」
男はロックの顔を見た。
それから、机の端へ積んであった木片を引き寄せた。
「入る前に、こいつを近づければいい」
「木片を?」
「革でも、布でもいい。人間の代わりに、先に触らせるんだ」
ロックは木片を手に取った。
棒の先へ留めれば、少し離れた場所から試せる。
足を踏み入れる前に、床へ溜まった液体を確かめることもできる。
「装備へ使っている物と、同じ素材がいいですね」
「できればな。違う革で試して平気だったからといって、お前の靴も平気だとは言えん」
覚え書きへ、試験片と書き足した。
◇
その日の片づけが終わる頃、クラウゼが作業室へ来た。
ロックの手元には、薬品の瓶ではなく、革と布の切れ端が並んでいた。
「何か分かりましたか?」
「瓶の底に残った物を集めても、使えるか分からないことです」
クラウゼは一度、ロックを見た。
「それは、よい勉強になりましたね」
「……そうですね」
余計なことまで言った気がした。
ロックは咳払いし、木片を持ち上げた。
「それから、先に素材を試すことです。自分で踏む前に」
「ええ」
「薬品を塗った物と、塗っていない物を用意して、違いを見たいんです」
「実際の液体を採取できれば、こちらでも確かめられます」
クラウゼは机へ紙を置いた。
「採取する時は、これも記録してください。場所、色、量。周囲の様子も」
ロックは目を通した。
持ち帰るまでに中身が変わる可能性も、考えなければならないらしい。
「瓶だけ持ってくれば済むわけじゃないんですね」
「瓶の中身が、どこにあった何なのか。後から分からなくなっては困りますから」
◇
帰り際、ロックは作業室を振り返った。
薬品は、まだ棚にある。
今日一日で、錠を調べるよりも多くのことが分かった。
瓶を持ち出すだけなら、方法は考えられる。
しかし、何を持ち出すべきかを間違えれば、三十万ガメルの鞄の中へ厄介な物を入れることになる。
それは困る。
まず、試験用の少量を買う。
必要な物が分かり、量が足りなくなったら、その時に改めて考える。
ロックは前掛けを返し、手を確かめた。
指先も、爪の間も、異常はない。
今日の仕事では、それも大事な確認だった。
「また来てもいいですか?」
担当の男が、器具を拭きながら答えた。
「来るなら、朝から来い。運ぶ物は幾らでもある」
「薬品を使うところも、見せてもらえます?」
「手を出さずに見ていられるならな」
「見ているだけは、得意です」
男は、ほんの少し笑った。
◇
宿へ戻る途中、ロックは職人の店へ寄った。
自分の装備へ使われている物に近い革と、丈夫な布の切れ端を求める。
大きな物は要らない。
小さく切り分け、何をした物か分かるようにしておけばいい。
何もしていない物。
薬品を使った物。
それぞれを比べられるよう、組にする。
無限のバッグへ収める前に、ロックは一つずつ札をつけた。
ギルドで、瓶に札が必要な理由を見たばかりだった。
似た物を幾つも持ち歩けば、いつか取り違える。
遺跡の中でそれに気づいても、遅い。
机の上には、小さな包みが幾つもできた。
剣でも、爆裂弾でもない。
次に出会うものを知るための道具だった。
ロックは最後の札へ、羽根ペンを走らせた。
何も塗っていない革。
それを包みへ結びつけ、明日の覚え書きを開く。
必要な薬品を、少量ずつ。
丈夫な容器。
長い柄に試験片を留めるための道具。
まだ、胃袋へは入れない。
だが、どこまで近づいてよいかを確かめる支度は、少しずつ整っていた。