低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。   作:駄文亭

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第93話 落ちるための魔法

 保守通路は、壁の厚みの中を通っていた。

 

 ロックは灯りを低く持ち、ゆっくりと進んだ。

 

 床は乾いている。

 

 それだけで、足元へ向ける注意が随分と減った。

 

 しかし、剣を抜いて歩けるほど広くはない。肩の鞄が壁へ擦れないよう、身体を少し斜めにして進む場所もあった。

 

 窓の向こうでは、透明な生き物が肉を食べている。

 

 ここから見ると、床に張りついた身体の輪郭が分かりやすかった。

 

 広がる。

 縮む。

 その間に、肉が少しずつ形を失っていく。

 

 ロックは窓から離れた。

 

 しばらくは、あちらへ戻らずに済みそうだった。

 

     ◇

 

 通路は、途中で二つに分かれていた。

 

 片方は下り。

 

 もう片方は、低い扉で閉ざされている。

 

 壁に刻まれた文字を読む。

 

 下りの先は、点検箇所が続くらしい。

 

 扉の方には、器材庫とあった。

 

 ロックは立ち止まった。

 

 古代王国の保守用具。

 

 何が残っているかは分からないが、調べる価値はある。

 

 ただし、帰り道を先に確かめたかった。

 

 扉へ小さく印を残し、下りへ向かった。

 

 見つけた物を片端から開け始めれば、いつまで経っても通路の先が分からない。

 

 器材庫へ入るのは、戻る時でもいい。

 

     ◇

 

 下り坂の先で、通路が広くなった。

 

 ロックは足を止めた。

 

 灯りの届くところに、白いものが見える。

 

 骨だった。

 

 壁際へ崩れるように座り込んでいる。

 

 頭蓋骨は顎を落とし、片腕が膝の上へ載っていた。もう片方は床へ伸び、その指先に、黒ずんだ金属の輪がある。

 

 ロックは腰の剣へ手を置いた。

 

 動かない。

 

 しばらく待つ。

 

 それでも動かなかった。

 

 棒で床を叩き、音を立てた。

 

 返ってきたのは、狭い通路の反響だけだった。

 

     ◇

 

 ロックは骨へ近づく前に、周囲を調べた。

 

 争ったような傷は見当たらない。

 

 壁には、細長い汚れが残っている。

 

 床へ溜まった何かが、下り坂を伝ってきたような跡だった。

 

 骨がある場所は、その筋より少し高い。

 

 逃げて、ここへ座ったのかもしれない。

 

 だが、そう見えるだけだ。

 

 ロックは手帳へ、位置を描いた。

 

 骨の腰には、細い帯の残骸がある。

 

 そこへ、小さな板が留められていた。

 

 文字が刻まれている。

 

 汚れを払うと、施設の職員を示すものらしいと分かった。

 

 名前の部分は、うまく読めなかった。

 

 ロックは板を外さず、まず書き写した。

 

     ◇

 

 床へ落ちていた金属の輪には、鍵が三本ついていた。

 

 形は違う。

 

 どれも武器には見えず、飾りもない。

 

 ロックは布越しに拾い上げた。

 

 骨の手が動くことはなかった。

 

「借ります」

 

 小さく言って、輪を道具袋へ収める。

 

 ほかには、平たい容器が一つあった。

 

 蓋は閉じている。

 

 腰から吊るすための金具があり、その横へ文字が刻まれていた。

 

 洗浄。

 

 その後の文字は、汚れに埋もれている。

 

 ロックは、それ以上擦らなかった。

 

 中に何が残っているか分からない。

 

 錆びた金具を無理に外し、ここで蓋が開いても困る。

 

 容器ごと布で包み、ほかの荷物と分けた。

 

     ◇

 

 先へ進むと、壁の向こうから低い音が聞こえた。

 

 床を動かしていた設備だろうか。

 

 音は近かった。

 

 少し歩くたび、鳴り方が変わる。

 

 途中にあった小窓から、ロックは外を覗いた。

 

 広い部屋の床が、上から見える。

 

 液体が細い流れへ分かれ、奥にある暗い穴へ集まっていた。

 

 透明な生き物もいる。

 

 流れに近い場所へ、幾つも張りついている。

 

 ロックは窓の下へ記された文字を読んだ。

 

 排液路。

 

 ここから先へ、液体を送っているらしい。

 

 手帳へ書き足していた時だった。

 

 足元で、乾いた音がした。

 

     ◇

 

 ロックは動きを止めた。

 

 もう一度。

 

 今度は、靴底のすぐ下だった。

 

 灯りを下げる。

 

 石の床に、細い線が走っている。

 

 亀裂だ。

 

 表面へ積もった埃が、その線へ吸い込まれていく。

 

 ロックはゆっくりと、後ろの足へ重みを移した。

 

 踏み出していた足を引く。

 

 石が沈んだ。

 

 ロックは壁へ手を伸ばした。

 

 指が、窓枠へ掛かる。

 

 同時に、床の一部が落ちた。

 

     ◇

 

 音が下へ消えていく。

 

 ロックの身体が壁へぶつかった。

 

 片足は、まだ残った床にある。

 

 もう片方は、何もないところを掻いていた。

 

 窓枠を握る手が滑る。

 

 壁から剥がれた埃が、顔へ降りかかった。

 

 戻る。

 

 そう思って残った床へ力を掛けると、その端まで欠けた。

 

 足場を失った。

 

 ロックは息を吸った。

 

 頭の中で繰り返してきた言葉を、口へ出す。

 

 古代語が、狭い空間へ響いた。

 

 握っていた指が外れる。

 

 身体が落ちた。

 

 だが、石の欠片は、自分よりも速く下へ消えていった。

 

     ◇

 

 落ちながら、ロックは灯りを下へ向けた。

 

 すぐ下に、石の床が見える。

 

 濡れている。

 

 中央には、細い流れ。

 

 両側には、その流れより高い部分があった。

 

 ロックは身体を捻った。

 

 魔法は落ちる勢いを抑えてくれる。

 

 行きたい場所へ運んでくれるわけではない。

 

 壁へ足を当て、僅かに押す。

 

 肩が石へ擦れた。

 

 続いて、靴底が床へ触れた。

 

 膝を曲げる。

 

 転ばずに済んだ。

 

 ロックは、そのまま動かなかった。

 

 息だけが荒い。

 

 灯りを持つ手が、震えていた。

 

     ◇

 

 足元を見る。

 

 乾いている。

 

 少なくとも、今立っている場所は。

 

 すぐ横では、細い溝を液体が流れていた。

 

 ロックは一歩、壁へ寄った。

 

 頭上には、床が抜けた穴がある。

 

 窓の灯りが、細く見えていた。

 

 あそこまで、そのまま手は届かない。

 

 縄は鞄に入っている。

 

 しかし、下から結びつける場所はなかった。

 

 ロックは唇を噛み、周囲へ灯りを向けた。

 

 狭い通路だった。

 

 中央に液体を流す溝があり、左右へ足を置く幅が残されている。

 

 片方は、低い天井の向こうへ続く。

 

 もう片方からは、水の流れる音がする。

 

 壁に、文字は見当たらなかった。

 

     ◇

 

 ロックはまず、靴と服を確かめた。

 

 肩は擦った。

 

 痛むが、動く。

 

 鞄の覆いにも破れはない。

 

 腰の道具袋。

 杖投石器。

 剣。

 

 一つずつ、手で触れて確かめる。

 

 落ちたのは自分だけで、荷物は失っていなかった。

 

 それが分かると、少し息が整った。

 

 帰る道を探さなければならない。

 

 ただ、闇雲に歩き始める前に、ここへ戻れる印が要る。

 

 ロックは崩れ落ちた石を一つ拾い、壁際へ置いた。

 

 その隣へ、もう一つ。

 

 頭上の穴の位置と合わせれば、見失いにくい。

 

 手帳を開き、今いる通路を描き始めた。

 

     ◇

 

 細い流れの中で、何かが引っ掛かった。

 

 ロックは顔を上げた。

 

 小さな木片だった。

 

 上流から流れてきて、落ちた石へ当たったらしい。

 

 しばらく揺れた後、向きを変えて下流へ抜けていく。

 

 ロックはその先を見た。

 

 液体が流れるなら、どこかへ出る。

 

 だが、その出口を人が通れるとは限らない。

 

 昨日見つけた保守通路は、この上にある。

 

 ならば、この下にも、点検するための出入口があるかもしれなかった。

 

 ロックは鍵の輪へ触れた。

 

 三本の鍵は、まだそこにある。

 

 立ち上がろうとした時、上流の暗がりから、別の音が聞こえた。

 

 水が石へ当たる音ではない。

 

 濡れた物を引きずる、細い音。

 

 ロックは灯りを向けた。

 

 溝の縁を越えて、短い突起が二つ伸びてきた。

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