低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
保守通路は、壁の厚みの中を通っていた。
ロックは灯りを低く持ち、ゆっくりと進んだ。
床は乾いている。
それだけで、足元へ向ける注意が随分と減った。
しかし、剣を抜いて歩けるほど広くはない。肩の鞄が壁へ擦れないよう、身体を少し斜めにして進む場所もあった。
窓の向こうでは、透明な生き物が肉を食べている。
ここから見ると、床に張りついた身体の輪郭が分かりやすかった。
広がる。
縮む。
その間に、肉が少しずつ形を失っていく。
ロックは窓から離れた。
しばらくは、あちらへ戻らずに済みそうだった。
◇
通路は、途中で二つに分かれていた。
片方は下り。
もう片方は、低い扉で閉ざされている。
壁に刻まれた文字を読む。
下りの先は、点検箇所が続くらしい。
扉の方には、器材庫とあった。
ロックは立ち止まった。
古代王国の保守用具。
何が残っているかは分からないが、調べる価値はある。
ただし、帰り道を先に確かめたかった。
扉へ小さく印を残し、下りへ向かった。
見つけた物を片端から開け始めれば、いつまで経っても通路の先が分からない。
器材庫へ入るのは、戻る時でもいい。
◇
下り坂の先で、通路が広くなった。
ロックは足を止めた。
灯りの届くところに、白いものが見える。
骨だった。
壁際へ崩れるように座り込んでいる。
頭蓋骨は顎を落とし、片腕が膝の上へ載っていた。もう片方は床へ伸び、その指先に、黒ずんだ金属の輪がある。
ロックは腰の剣へ手を置いた。
動かない。
しばらく待つ。
それでも動かなかった。
棒で床を叩き、音を立てた。
返ってきたのは、狭い通路の反響だけだった。
◇
ロックは骨へ近づく前に、周囲を調べた。
争ったような傷は見当たらない。
壁には、細長い汚れが残っている。
床へ溜まった何かが、下り坂を伝ってきたような跡だった。
骨がある場所は、その筋より少し高い。
逃げて、ここへ座ったのかもしれない。
だが、そう見えるだけだ。
ロックは手帳へ、位置を描いた。
骨の腰には、細い帯の残骸がある。
そこへ、小さな板が留められていた。
文字が刻まれている。
汚れを払うと、施設の職員を示すものらしいと分かった。
名前の部分は、うまく読めなかった。
ロックは板を外さず、まず書き写した。
◇
床へ落ちていた金属の輪には、鍵が三本ついていた。
形は違う。
どれも武器には見えず、飾りもない。
ロックは布越しに拾い上げた。
骨の手が動くことはなかった。
「借ります」
小さく言って、輪を道具袋へ収める。
ほかには、平たい容器が一つあった。
蓋は閉じている。
腰から吊るすための金具があり、その横へ文字が刻まれていた。
洗浄。
その後の文字は、汚れに埋もれている。
ロックは、それ以上擦らなかった。
中に何が残っているか分からない。
錆びた金具を無理に外し、ここで蓋が開いても困る。
容器ごと布で包み、ほかの荷物と分けた。
◇
先へ進むと、壁の向こうから低い音が聞こえた。
床を動かしていた設備だろうか。
音は近かった。
少し歩くたび、鳴り方が変わる。
途中にあった小窓から、ロックは外を覗いた。
広い部屋の床が、上から見える。
液体が細い流れへ分かれ、奥にある暗い穴へ集まっていた。
透明な生き物もいる。
流れに近い場所へ、幾つも張りついている。
ロックは窓の下へ記された文字を読んだ。
排液路。
ここから先へ、液体を送っているらしい。
手帳へ書き足していた時だった。
足元で、乾いた音がした。
◇
ロックは動きを止めた。
もう一度。
今度は、靴底のすぐ下だった。
灯りを下げる。
石の床に、細い線が走っている。
亀裂だ。
表面へ積もった埃が、その線へ吸い込まれていく。
ロックはゆっくりと、後ろの足へ重みを移した。
踏み出していた足を引く。
石が沈んだ。
ロックは壁へ手を伸ばした。
指が、窓枠へ掛かる。
同時に、床の一部が落ちた。
◇
音が下へ消えていく。
ロックの身体が壁へぶつかった。
片足は、まだ残った床にある。
もう片方は、何もないところを掻いていた。
窓枠を握る手が滑る。
壁から剥がれた埃が、顔へ降りかかった。
戻る。
そう思って残った床へ力を掛けると、その端まで欠けた。
足場を失った。
ロックは息を吸った。
頭の中で繰り返してきた言葉を、口へ出す。
古代語が、狭い空間へ響いた。
握っていた指が外れる。
身体が落ちた。
だが、石の欠片は、自分よりも速く下へ消えていった。
◇
落ちながら、ロックは灯りを下へ向けた。
すぐ下に、石の床が見える。
濡れている。
中央には、細い流れ。
両側には、その流れより高い部分があった。
ロックは身体を捻った。
魔法は落ちる勢いを抑えてくれる。
行きたい場所へ運んでくれるわけではない。
壁へ足を当て、僅かに押す。
肩が石へ擦れた。
続いて、靴底が床へ触れた。
膝を曲げる。
転ばずに済んだ。
ロックは、そのまま動かなかった。
息だけが荒い。
灯りを持つ手が、震えていた。
◇
足元を見る。
乾いている。
少なくとも、今立っている場所は。
すぐ横では、細い溝を液体が流れていた。
ロックは一歩、壁へ寄った。
頭上には、床が抜けた穴がある。
窓の灯りが、細く見えていた。
あそこまで、そのまま手は届かない。
縄は鞄に入っている。
しかし、下から結びつける場所はなかった。
ロックは唇を噛み、周囲へ灯りを向けた。
狭い通路だった。
中央に液体を流す溝があり、左右へ足を置く幅が残されている。
片方は、低い天井の向こうへ続く。
もう片方からは、水の流れる音がする。
壁に、文字は見当たらなかった。
◇
ロックはまず、靴と服を確かめた。
肩は擦った。
痛むが、動く。
鞄の覆いにも破れはない。
腰の道具袋。
杖投石器。
剣。
一つずつ、手で触れて確かめる。
落ちたのは自分だけで、荷物は失っていなかった。
それが分かると、少し息が整った。
帰る道を探さなければならない。
ただ、闇雲に歩き始める前に、ここへ戻れる印が要る。
ロックは崩れ落ちた石を一つ拾い、壁際へ置いた。
その隣へ、もう一つ。
頭上の穴の位置と合わせれば、見失いにくい。
手帳を開き、今いる通路を描き始めた。
◇
細い流れの中で、何かが引っ掛かった。
ロックは顔を上げた。
小さな木片だった。
上流から流れてきて、落ちた石へ当たったらしい。
しばらく揺れた後、向きを変えて下流へ抜けていく。
ロックはその先を見た。
液体が流れるなら、どこかへ出る。
だが、その出口を人が通れるとは限らない。
昨日見つけた保守通路は、この上にある。
ならば、この下にも、点検するための出入口があるかもしれなかった。
ロックは鍵の輪へ触れた。
三本の鍵は、まだそこにある。
立ち上がろうとした時、上流の暗がりから、別の音が聞こえた。
水が石へ当たる音ではない。
濡れた物を引きずる、細い音。
ロックは灯りを向けた。
溝の縁を越えて、短い突起が二つ伸びてきた。