「君は後回しでいい」と言われ続けた婚約者ですが、待たされた三年で王都中の「一番」になっていました ~破棄された翌朝から、玄関に招待状が積み上がっていく~ 作:aquali
受付簿は、朝のうちに執事へ返した。誰の紹介で来た招待かを玄関で記帳させる――考えた人の顔が見たいところだが、その顔は食堂で新聞を広げている。対決は、まだしない。企てというものは、動き出してからのほうが、断りやすいのである。
「本日は馬車組合の、ブルーノ親方の娘さんの婚礼へ参りますわ」
「……伯爵家の娘が、御者の婚礼にか」
「ええ。一番に、と呼んでくださいましたの。一番のお席で、一番においしいところをいただいて参りますわ」
「その、なんだ。招待の返事というものは、急がんでいいぞ。良い返事ほど、値が……」
「お父様。招待状は、株券ではございませんのよ」
父は渋い顔で新聞に戻った。あの顔の裏で
婚礼の日は、あいにくの雨になった。
式のあいだ、雨音は聖歌の伴奏のようである。最前列の親方は、岩のような肩を小さくして、何度も鼻をすすっている。娘の花嫁姿というものは、王都一の御者の目にも、涙の膜を張らせるらしい。
下町の教会の前で、花嫁の馬車の車輪が緩んだ。ぬかるみに
私の出る幕は、どこにもなかった。
「……お見事ですこと」
「姐さんに教わった段取りでさ」
若い衆が、こともなげに笑う。姐さんはおやめなさいましな、と返しながら、胸の奥が妙に温かい。三年前に隣で覚えてもらった工夫が、私のいないところで、勝手に育っている。人望というものの正体は、たぶんこれである。私の力ではない。人と人の間に残った、工夫のほうだ。
「姐さん! 来てくださったのね!」
「花嫁が駆けてはなりませんわ、裾が――ああ、もう」
白いドレスのまま抱きつかれて、私は雨の匂いのする花嫁の肩口で笑ってしまった。あの晩、軒下で一緒に雨を数えた親方の娘さんが、今日、嫁いでいくのである。
宴では、湯気の立つ煮込みと焼きたてのパンが回ってきて、私の皿には、なぜかいつも大きい塊が載る。一番においしいところ、の約束は、下町では即物的に果たされるらしい。
「今日はね、お客さまのお家の旗を、ぜんぶ軒に立てたの。どなたのお迎えか、ひと目でわかるでしょう?」
花嫁に言われて見上げれば、雨上がりの軒先に、色とりどりの家紋の小旗が連なって揺れている。三年前の雨夜の答えが、今日は祝いの飾りになっているのである。
――三年前の秋。
夜会の帰り、迎えの馬車は来なかった。土砂降りの御者だまりで、呼び出しの声が怒鳴り合いになり、馬が嫌がって鳴く。私は軒下で、いちばん忙しい男――親方の隣に立った。靴の中まで濡れた夜である。それでも惨めでなかったのは、軒下の白湯が熱かったからで――親方が、黙って二杯目を注いでくださったからである。
手を貸して、困りごとを一つ伺って、次の夜会の帰りに、答えを持って行った。
「お家の紋の、小旗をお作りなさいませ。玄関係が旗を掲げれば、声はもう、要りませんわ」
怒鳴り合いは、それきり消えたそうである。
……ちなみにその晩も、私の迎えは最後まで来なかった。家まで送ってくださったのは、親方の馬車である。以来、雨の夜に私の馬車が濡れていたことは、一度もない。
披露の宴で、思わぬ客を見つけた。レーヴェンシュタイン公爵である。聞けば、花婿の隊の馬を長く預けた縁で、祝いの酒樽を届けに来たのだという。届けるだけのつもりが、捕まった、と。
捕まった公爵は、踊りの輪に引き込まれて、棒立ちになった。下町の踊りに宮廷の型で応じる羽目になり、その足があまりに正確なものだから、若い衆の手拍子と大喝采を浴びている。一曲終わる頃には、両腕に子どもが三人ぶら下がっていた。高い高いの要求である。公爵家の作法に高い高いがあるのかどうかは知らないが――あった、と思わせる所作である。無駄に美しい。
馬車までの短い道で、雨はもう上がっていた。濡れた石畳に、宴の灯りが長く伸びている。
帰りの辻で、公爵はぽつりと言った。
「……賑やかな、玄関だった」
「玄関、ですの?」
「人の出入りするところは、だいたい玄関です」
変な定義である。だが、悪くない定義だとも思う。あの教会の前には、出入りする人の数だけ、傘と工夫と祝いの声があった。この方の変な定義を、私はたぶん、あとで幾つも思い出して笑うのだろう。そういう予感のする定義である。
帰宅して婚礼の話をすると、父は、御者の、と言いかけて、やめた顔をした。娘の顔を見て算盤を仕舞う程度の分別は、あの人にもあるのである。
その父の視線の先で、執事が白手袋で一通を捧げ持っている。金の
「王宮から、ですわね」
「玄関の格が、一段上がりましてございます」
捧げ持つ白手袋が、心なしか震えている。うちの執事は、玄関の格というものに、人一倍うるさいのである。