「君は後回しでいい」と言われ続けた婚約者ですが、待たされた三年で王都中の「一番」になっていました ~破棄された翌朝から、玄関に招待状が積み上がっていく~ 作:aquali
王宮の東翼は静かで、少しだけ
今日のドレスは、あの、夕暮れの一歩手前の色である。王宮に着て行くには冒険かとも思ったが、マダムが胸を張ったのだから、間違いはないのだろう。
老王女ヒルデガルト殿下のお茶会は、椅子が全部で八つの小さな会だった。そのぶん、集まった令嬢たちの目は忙しい。破棄されたはずの伯爵令嬢が、なぜ王宮のお茶に。探りの矢は、丁寧で、遠慮がない。
「レギーナ様は、その、社交がとてもお上手でいらっしゃるのね。どのような手管ですの?」
「三年もお待ちになって、無駄になさったのでしょう? わたくしでしたら、とても……」
「無駄には、なりませんでしたわ。王都中と、知り合いになれましたもの。――手管は一つですの」
私は茶器を静かに置いた。
「……暇でしたのよ、三年ほど」
扇の落ちる音がして、老王女が声を立てて笑った。笑いながら、扇の先で自分の隣の椅子を叩く。おいでなさい、の合図である。
「あなたたち、探りを入れるなら、もう少し上手におやりなさいな。針の見える釣りに、魚は寄りませんよ」
殿下の毒は、令嬢たちには薬で、私には日傘である。
「ところで。その色、ご自分でお選びになったの?」
「……ええ。先日、初めて、自分で」
「そう。よく似合っていてよ」
似合っているかどうかを誰も聞かない三年だったから、その一言は、思ったより深いところに届いたのである。
――二年前の冬。
私は王宮の回廊で、婚約者の母君に呼ばれて、そのまま忘れられた。控えの椅子で半日――と言いたいところだが、私は座っていない。座って待つと、待たされていることを、体が覚えてしまうからである。冬の回廊は床から冷える。爪先が痺れ、指先が
立ったまま眺めた回廊の先の長椅子に、ひとりの老婦人が座っていた。侍女は三人、膝掛けは二枚、話し相手は、ゼロ。仕えられて、頼られない人が、そこにいたのである。
隣に立って半日話した。雪の話、靴の話、王都の菓子の話。途中で、老婦人はふと私を見上げた。
「あなた、座らないのね」
「座ると、待たされたことに、なってしまいますので」
「……変な子ね。気に入ったわ」
帰り際に、思い切って頼んだのである。
「殿下。その肩掛けの織り元を、教えてくださいませ。父への贈り物に、あのような良い毛織をずっと探しておりましたの」
老婦人はしばらく黙って――それから、扇の陰で笑ったのだった。
「わたくしに頼みごとをした方は、二十年ぶりよ」
毛織は艶のある灰青で、遠目にも織りの良さがわかる品である。頼みごとの中身は、口実が半分。残りの半分は、本当に父に贈りたかった。翌月、同じ織り元の肩掛けが、父の肩で少々照れくさそうにしていたものである。
以来、月に一度、内輪のお召しのお茶が続いている。招待状の要らない、王族の私的なお召し。あの三年でただ一つ、堂々といただけたお誘いである。
お茶会の終わり、殿下は満座に向かって、こともなげに言った。
「この子はね、王都でいちばん、隣に立ってほしい人よ。……あなたたち、覚えておきなさいな」
令嬢たちの目の色が変わる。社交界の頂点からのお墨付きというものは、金貨よりも速く流通するのである。
ところで、そのお茶会の隅に、見慣れた背の高い影があった。レーヴェンシュタイン公爵である。殿下への届け物の帰りを扇一本で捕まったのだそうで、八つの椅子の外に立ったまま、お茶だけ飲まされている。お気の毒なことである。ご滞在は、きっかり半刻。辞去の礼に立った公爵へ、殿下がにやりと扇を向けた。
「あなた、近ごろよく、玄関にいらっしゃるんですってね?」
「……庭の、お話でしたら」
「あら。わたくし、庭とは申しませんでしたよ」
公爵は、咳払いを二つ残して帰って行った。お耳が赤かったことは、殿下のお心のために黙っておく。
――ところが。王宮の門前に、先にお帰りになったはずの背中があるのである。
「……居合わせました」
「本日二度目の居合わせですのね」
「よく居合わせる年なのです。……少し、座りませんか。辻のベンチが、ちょうど空いています。お疲れなら、このまま馬車でも」
断ってもよい申し出というものは、不思議と、受けたくなるものである。
辻のベンチに、隣り合って座った。約束はない。用件もない。ただ座って、流れる雲を見る。
ベンチというものに腰掛けて何もしないのは、じつは生まれて初めてかもしれない。待つための椅子は、三年、ずっと敵だった。……敵だったのは椅子ではなく、待ち時間のほうだけれど。
鐘がひとつ鳴って、鳩が屋根の上で場所を替えた。隣の方は、何も仰らない。沈黙を先に破らないのが、この方の礼儀らしい。行き交う人は誰も私を待たせていないし、私も、誰を待ってもいない。
膝の上の手が、三度、意味もなく組み替えられる。それでも――
「……そろそろ、帰りますわ」
「はい。終わりは、あなたがお決めになることです」
これは上達である、と思うことにする。先生の座る位置が今日は少し近かった気もするが、それは、数えないことにするのである。
玄関に戻ると、籠のいちばん上に、見覚えのある封蝋があった。ローテンブルク侯爵家。……元婚約者の家の、婚礼の招待状である。
籠の中では、紺も薄紅も飴色も、変わらず花畑のままである。その真ん中で、その一通だけが、色を失くしているように見えた。
差出人の名を、三度読む。読み方は知っている。受け取り方と、断り方だけが、どこにも書いていないのである。