ルーデウス視点
倉庫街を抜けるまで、子供たちはほとんど言葉を発しなかった。
助けられたことを理解していないわけではない。
けれど、暗い部屋へ閉じ込められ、殴られ、商品として扱われていた恐怖は、外へ出ただけで消えるものではないのだろう。
俺たちが誘拐犯とは違うと、頭では理解しているのかもしれない。
それでも、少し大きな物音がするたび、子供たちの肩が揺れる。通りの角から人影が現れれば、互いへ身を寄せ、逃げる場所を探すように視線を動かしていた。
治癒魔術で痣や傷を消すことはできる。
骨を繋ぎ、呼吸を安定させることもできる。
だが、受けた恐怖まで魔術で消すことはできない。
そのことへ、もどかしさを感じた。
猫耳の少女と犬耳の少女は、レイネの左右の手をそれぞれ握っていた。
ほかの子供たちはエリスのそばへ集まり、離れないよう互いの服をつかんで歩いている。呼吸が弱かった少年はルイジェルドが背負い、その隣を俺が歩きながら容体を確認していた。
少年の顔色は、倉庫で見た時よりも少しよくなっている。
呼吸も規則正しい。
それでも、一度は命を失いかけていた。
胸が上下するたびに、まだ生きていることを確認し、安堵している自分がいた。
銀色の聖獣は子供たちの周囲を何度も行き来している。
先頭へ出たかと思えば最後尾へ戻り、全員がついてきているかを確かめる。負傷している子供のそばでは足を緩め、鼻先で優しく背中へ触れていた。
巨大な身体をしているが、子供たちへ向ける仕草は驚くほど穏やかだった。
倉庫で鎖につながれ、衰弱させられていた。
それでも、自分の身体より子供たちの無事を優先しているように見える。
「宿まで歩けそうですか?」
俺が獣神語で尋ねると、猫耳の少女が小さく頷いた。
「歩けるニャ」
声はまだ震えている。
無理をしている可能性もある。
けれど、抱き上げようとすれば怖がらせるかもしれない。
本人が歩けると言うのであれば、今はその意思を尊重した方がいいだろう。
「お名前を聞いてもいいですか?」
「トーナ」
少女は自分の胸元を指した後、レイネの反対側にいる犬耳の少女へ目を向けた。
「こっちはテルセナだニャ」
「トーナさんと、テルセナさんですね」
二人の名前を繰り返す。
知らない土地で、名も知らない子供たちを助けたというだけではない。
一人ずつに名前がある。
家族がいる。
帰りを待っている者がいる。
倉庫の帳簿には、種族と金額だけが記されていた。
人間ではなく、売り物として扱うための記録だった。
だが、この子たちは商品ではない。
トーナとテルセナ。
一人ずつ名前を呼ぶことで、その当たり前の事実を自分の中でも確かめたかった。
「ほかの皆様のお名前も、安全な場所へ着きましたらお聞かせくださいませ」
レイネが穏やかに話しかける。
「今は、歩くことだけをお考えください。苦しくなりましたら、すぐにお申しつけくださいませ」
「お姉ちゃんたちは、どこに連れていくニャ?」
トーナが警戒するように尋ねた。
レイネの手を握る指へ、僅かに力が入っている。
助けられた後で、別の場所へ売られるのではないか。
そう疑っているのかもしれない。
胸が痛んだ。
子供が、自分を助けた相手にまでそんな警戒をしなければならない。
それだけのことをされたのだ。
「まずは、お食事と治療を受けられる場所へ参ります」
「また閉じ込めない?」
「閉じ込めません」
レイネは足を止めず、はっきりと答えた。
「あなた方を、ご家族のもとへお帰しいたします」
トーナはレイネの横顔を見上げた。
完全には信じきれない。
だが、その手を離そうともしなかった。
今のトーナにとっては、言葉だけを信じることは難しいのだろう。
それでも、レイネの手を握っていれば、少なくとも今すぐ傷つけられることはないと感じている。
その小さな信頼を、今度こそ裏切ってはいけない。
倉庫街から人通りのある道へ出る直前、銀色の聖獣が急に立ち止まった。
耳を立て、町とは反対の方角へ顔を向ける。
低い唸り声が喉の奥から漏れた。
ルイジェルドも同時に足を止める。
「来る」
声を聞いた瞬間、全身へ緊張が走った。
倉庫の仲間が、子供たちを取り返しに来たのかもしれない。
俺は反射的に杖へ手を掛けた。
「倉庫にいた者たちの仲間ですか?」
「分からん。二人だ。速い」
子供たちの間に緊張が走った。
トーナとテルセナが、レイネの手へさらに強くしがみつく。
ほかの子供たちも、エリスの背後へ身を寄せた。
ようやく暗い倉庫を出たのに、また捕まると思ったのかもしれない。
その恐怖を見て、胸の中へ怒りが湧く。
もう、この子たちへ誰も近づけさせない。
エリスがすぐに前へ出る。
剣は抜かない。
だが、いつでも子供たちと相手の間へ入れる位置を取った。
「レイネ、子供たちをお願い」
「はい」
レイネが子供たちを壁際へ寄せる。
俺も杖へ手を掛け、右目へ僅かに魔力を流した。
少し先の道。
建物の屋根から二つの影が下りてくる。
一人は大柄な男。
もう一人は白髪の老人。
未来の像が現在へ重なった直後、二人の獣族が俺たちの前へ着地した。
敵意があるのか。
武器を抜くのか。
右目で次の動きを確かめようとしたが、先頭の男は俺たちを見るより先に、子供たちへ顔を向けた。
先頭の男は褐色の肌をしていた。
獣のような耳。
虎を思わせる太い尾。
鍛え上げられた身体。
その顔立ちは、どこかギレーヌに似ている。
見覚えがあるわけではない。
だが、耳や目元、顔の輪郭に、ギレーヌと同じ特徴を感じた。
男の視線が、子供たちの中の一人へ止まる。
「トーナ!」
叫びには、怒りよりも焦りと安堵が入り混じっていた。
声を聞いた猫耳の少女が顔を上げる。
「お父さん!」
トーナの顔から、初めて恐怖以外の感情が溢れた。
レイネの手を離し、男へ駆けていった。
犬耳のテルセナも続く。
「ギュエスおじさん!」
男――ギュエスは、飛び込んできた二人を両腕で受け止めた。
トーナの頭から足元までを確かめ、テルセナの顔に残る痣へ触れる。無事に立っていると分かっても、すぐには腕を解かなかった。
「生きていた……」
押し殺した声が聞こえた。
その一言に、これまでどれほど捜し続けていたのかが滲んでいた。
もし俺が家族を見つけた時。
父さんや母様の姿を確認した時。
同じような声が出るのだろうか。
一瞬だけ家族の顔が浮かび、胸が締めつけられた。
今は、トーナたちが家族と再会できたことを喜ぶべきだ。
後ろにいた老人も子供たちへ近づく。
白い髪。
ギュエスと同じ獣の耳と尾。
年老いてはいるが、立っているだけで周囲の空気が引き締まるような人物だった。
「テルセナ。ほかの者たちも、全員ここにいるのか」
「いるニャ。みんな、この人たちが助けてくれたニャ」
トーナが俺たちを指す。
老人の視線が、俺、エリス、レイネ、ルイジェルドの順に動く。
警戒の混じった鋭い視線だった。
子供たちと一緒にいるというだけで、完全に信用するつもりはないのだろう。
それは当然だ。
自分たちの子供が攫われた直後なのだ。
最後に銀色の聖獣を見た。
「聖獣様……」
老人とギュエスが、ほとんど同時に膝をついた。
その反応を見て、やはりこの銀色の犬が獣族にとって特別な存在なのだと分かった。
銀色の聖獣は二人のもとへ歩み寄ったが、すぐに子供たちのそばへ戻ってくる。
次に俺の胸元の匂いを嗅ぎ、顔を舐めようと鼻先を近づけてきた。
「少し待ってください」
俺が顔を逸らすと、聖獣は不満そうに鼻を鳴らした。
倉庫で一度舐められた時は、顔中が唾液で濡れた。
嫌われているよりはいい。
それでも、毎回顔を洗うことになるのは困る。
ギュエスが俺と聖獣を交互に見た。
警戒は残っている。
だが、子供たちが俺たちの周囲へ集まり、聖獣まで敵意を見せていない以上、すぐに武器を向けるつもりはないらしい。
老人が立ち上がり、俺たちへ頭を下げた。
「孫娘たちを助けていただいたようだな。儂はギュスターヴ・デドルディア。この者は息子のギュエスだ」
デドルディア。
その名前を聞き、ギレーヌの故郷に近づいたのだと実感した。
「僕はルーデウス・グレイラットです。こちらはエリス、レイネ。それから、ルードさんです」
ここには子供たちもいる。
ルイジェルドの本名も種族も口にしなかった。
ギュスターヴとギュエスが信頼できるかは、まだ分からない。
何より、ルイジェルドの正体は本人の許可なく広めるべきものではない。
「詳しい事情を、お聞かせ願えるか」
「はい。ただ、その前に確認していただきたい物があります」
レイネが治療鞄から帳簿を取り出した。
ギュスターヴへ手渡す。
老人は最初の数枚へ目を通しただけで、表情を険しくした。
「これは……」
「倉庫に残されていた取引記録でございます。こちらの七名だけではなく、さらに多くのお子様が、別の場所へ集められている可能性がございます」
ギュエスがトーナから身体を離し、帳簿を覗き込む。
「どこだ」
声が低い。
先ほどまで娘の無事へ安堵していた男の顔が、再び戦士のものへ変わっていた。
「後ろの方に、出航予定と貨物の数が記されております」
レイネが頁をめくる。
そこには日付と、積み込まれる人数が記されていた。
雨季前の最終便。
東側の桟橋。
子供、五十二。
聖獣一頭。
数字を見た瞬間、息を呑んだ。
聖獣については、既に倉庫から救出した。
だが、五十二という数字は、目の前にいる七人を差し引いても多すぎる。
残りの四十人以上が、どこかに閉じ込められている。
今も、暗い場所で助けを待っているのかもしれない。
先ほど全員を助けられたと安心しかけた自分が、恥ずかしくなった。
まだ終わっていない。
「船が出るのは、いつですか?」
俺が尋ねる。
ギュスターヴが空を見上げた。
「帳簿の日付が正しいなら、今日の日没前だ」
日没までは、まだ時間がある。
だが、倉庫を制圧したことが相手へ伝われば、予定を早める可能性がある。
倉庫の見張りが戻らない。
誰かが様子を見に来れば、すぐに異常へ気づくだろう。
「今すぐ、港へ向かいましょう」
俺が言うと、ギュエスは既に歩き出そうとしていた。
「船を沈める」
「子供も乗っているのでしょう!」
エリスが止める。
ギュエスが振り返った。
怒りで耳と尾の毛が逆立っている。
娘を傷つけられた。
同じように攫われた子供たちが、さらに大勢いる。
怒りを抑えろという方が難しいのだろう。
だが、船を沈めれば、誘拐犯だけではなく子供たちまで死ぬ。
「ならば乗り込み、誘拐犯を全員殺す」
「生きたまま捕らえるべきでございます」
レイネが言った。
「この帳簿には取引先や協力者を示す記録もございますが、名前だけでは関係を証明できません。船の責任者や誘拐犯から、誰の指示で動いたのかを聞き出す必要がございます」
「子供を攫った者を生かせと言うのか」
「逃がすとは申しておりません」
レイネの声は静かだった。
「ですが、怒りに任せて全員を殺せば、別の場所で同じことを続けている者へたどり着けなくなります」
倉庫でルイジェルドへ説明した時と同じだ。
目の前の相手を殺せば、一時的には怒りを晴らせる。
だが、その後ろにいる者は逃げる。
さらに多くの子供が攫われる可能性が残る。
俺自身、子供たちの傷を見れば、誘拐犯を許せるとは思わない。
それでも、今必要なのは復讐ではなく、残っている子供を助け、事件の全体を明らかにすることだ。
ギュエスが歯を食いしばる。
トーナが父親の腕を握った。
「お父さん」
その一言で、ギュエスは娘へ目を向けた。
トーナの顔に残る痣。
細くなった腕。
身体を隠すために巻かれた布。
怒りが消えたわけではない。
それでも、ギュエスは剣から手を離した。
娘を抱きしめていた腕が、僅かに震えている。
「分かった。殺さずに捕らえる」
「時間がない」
ギュスターヴが帳簿を閉じる。
「儂とギュエスは港へ向かう。お主らは子供たちを安全な場所へ――」
「僕たちも行きます」
「だが、この子供たちはどうする」
エリスの服を、獣族の少女がつかんでいた。
エリスはその小さな手へ目を落とす。
戦いへ向かいたい。
だが、子供たちを再び知らない場所へ置いていくこともできない。
その二つの気持ちの間で、エリスが迷っていることが表情から伝わった。
「私は、この子たちと残るわ」
エリスが言った。
一瞬、驚いた。
エリスなら、真っ先に敵のいる船へ向かいたがると思っていた。
「よろしいのでございますか?」
レイネが確認する。
「よくはないわ。私も、そいつらを殴りたいもの」
エリスは率直に答えた。
「でも、私がいなくても、ルードとレイネとルーデウスがいるでしょう。この子たちには、ここに残る人が必要よ」
自分が戦いたい気持ちより、怯えている子供たちを優先した。
以前のエリスなら、できなかったかもしれない選択だ。
その成長を誇らしく感じた。
同時に、俺たちを信じ、戦いを任せてくれていることが嬉しかった。
トーナがエリスを見上げる。
「一緒にいるニャ?」
「ええ。もう誰も近づけないわ」
エリスは剣の柄へ手を置いた。
子供たちを安心させるためなのか、少し胸を張る。
「私が守るから、安心しなさい」
その姿には、言葉だけではない頼もしさがあった。
「エリス様へお任せいたします」
レイネはエリスの前へ立ち、声を落とした。
「無理に戦いへ加わらず、こちらのお子様方と聖獣様をお守りくださいませ。何か異常がございましたら、合図の魔術を空へ上げてください」
「分かってるわ」
「戻るまで、宿の中から出ないでくださいませ」
「レイネも、絶対に戻ってきて」
「はい。必ず戻ります」
エリスは頷いた。
その目には、レイネを送り出す不安が残っている。
昨日まで、目を離せばレイネがいなくなるのではないかと心配していた。
それでも今は、自分よりも危険な場所へ向かうレイネを送り出そうとしている。
子供たちを安全な場所へ移すため、ギュスターヴが信頼できる獣族の商人を紹介した。
倉庫街から近い場所で店を営んでいる者だという。
俺たちはそこまで子供たちを送り届けた。
店の主人はギュスターヴの顔を見ると、事情を詳しく聞く前に裏の部屋を開放した。
食事と水。
身体を隠す衣服。
負傷者を寝かせる場所。
必要な物をすぐに用意する。
その行動の速さに、少し安心した。
少なくとも、この店の者はギュスターヴから信頼されている。
主人や店員には、俺たちが紹介した名前しか伝えていない。
「エリス様と、ルード様がこちらをお守りくださいませ」
レイネが言った。
「ルードも残るの?」
エリスが尋ねる。
「ああ」
ルイジェルドは子供たちを見回した。
「先に港の船を確認する必要がある場合は、俺も行く。だが、ここに敵が近づいたなら、子供を守る」
本来なら、ルイジェルドの第三の眼は船を探すために必要だ。
だが、子供たちを残す場所にも護衛は必要になる。
どちらを優先するべきか、俺もすぐには判断できなかった。
俺たちが相談していると、ギュスターヴが首を横へ振った。
「この店は儂の一族が管理しておる。これから仲間も集める。子供たちの守りは任せよ」
「信用できるの?」
エリスが尋ねる。
相手が族長らしい人物であっても、子供たちを預ける以上、確認せずにはいられないのだろう。
「儂の命と、一族の名に懸ける」
ギュスターヴの答えには迷いがなかった。
トーナも父親の腕へしがみついたまま言う。
「村の人たちニャ。大丈夫ニャ」
エリスは少し考えた。
それでも、すぐに子供たちから離れようとはしない。
一度、守ると約束した。
その約束を途中で投げ出すように感じるのかもしれない。
「エリス様」
レイネが優しく呼ぶ。
「港の船にも、多くのお子様が捕らえられている可能性がございます」
「分かってるわ」
「こちらには、ギュスターヴ様の信頼できる方々がおられます。私たちも、可能な限り早く戻ります」
エリスはトーナたちを見た。
「本当に、ここから動かない?」
「動かないニャ」
「知らない人についていったら駄目よ」
「分かったニャ」
エリスは一人ずつの顔を確認し、最後に聖獣へ向き直った。
「この子たちを守って」
聖獣は低く鳴いた。
意味を理解したように、子供たちの前へ座る。
「なら、私も行くわ」
エリスが決断した。
子供たちを置き去りにしたのではない。
信頼できる者と聖獣へ託したのだ。
「右肩へ負担をかけないでくださいませ」
「分かってる」
「無理に敵を追わず、船内のお子様方を優先してください」
「それも分かってるわ」
エリスは剣を確かめ、俺たちのもとへ戻った。
救出した七人と聖獣を店へ残し、俺たちは港へ向かった。
◇
港へ向かう途中、ギュスターヴが説明した。
「我らも、攫われた子供と聖獣様を捜しておった。しかし、奴らは匂いを消す薬を使っている」
「倉庫の中にも、強い香料のような匂いがございました」
レイネが答える。
「獣族の嗅覚を妨げるための物だったのでございますね」
「そのせいで、船へ運ばれた後は追えん」
ギュエスが悔しそうに言う。
娘を捜していたのに、匂いを追えなかった。
すぐ近くの倉庫にいた可能性さえある。
その悔しさは、俺には想像することしかできない。
「どの船に子供たちがいるか分からなければ、出港する船を一隻ずつ止めることになる。港の役人どもは許可しない」
「帳簿に、桟橋の場所が書かれております」
俺が言う。
「相手が予定を変えていなければ、船は見つかるはずです」
「変えていた場合は?」
「ルードさんなら、船内にいる人の位置を確認できる可能性があります」
ギュエスがルイジェルドを見る。
「どうやってだ」
ルイジェルドはすぐには答えなかった。
青く染めた髪。
額を覆う布。
正体を明かせば、ギュエスたちからも恐れられる可能性がある。
先ほどまで、俺たちへ娘を助けた恩人として接していた相手でも、スペルド族だと知れば態度が変わるかもしれない。
その恐怖を、ルイジェルドは何度も経験してきた。
だが、時間をかけて船を調べれば、子供たちを乗せた船が出てしまう。
ルイジェルドは足を止めた。
「人目のない場所へ行く」
決意した声だった。
港へ続く大通りから、細い路地へ入る。
俺たち以外に誰もいないことを確認し、ルイジェルドは額の布を僅かに持ち上げた。
赤い宝石が露わになる。
ギュエスの手が、反射的に剣へ伸びた。
「スペルド族……!」
警戒することは予想していた。
それでも、胸の奥が痛んだ。
つい先ほど、ルイジェルドはトーナたちを助けた。
傷ついた少年を背負い、倉庫の誘拐犯を一人も殺さず制圧した。
それでも、額の宝石を見ただけで、剣へ手が伸びる。
ギュスターヴも目を細める。
ルイジェルドは武器へ手を掛けなかった。
「俺はルイジェルド・スペルディアだ」
「なぜ、スペルド族がトーナたちと一緒にいる」
「助けたからだ」
「信じろと言うのか」
「信じなくても構わん。だが、俺の眼なら、船の中にいる子供の位置が分かる」
ルイジェルドの声には怒りも悲しみもなかった。
慣れているのだろう。
正体を明かし、警戒されることへ。
その事実が、かえってつらかった。
ギュエスの尾が大きく揺れる。
子供たちを助けるために必要な力。
だが、それを持っているのは、長く恐れられてきたスペルド族。
すぐには判断できないのだろう。
レイネが一歩前へ出た。
「ルイジェルド様は、ルーデウス様とエリス様を魔大陸からここまでお守りくださいました。先ほどの倉庫でも、子供たちを傷つけることなく、誘拐犯を制圧しております」
「お前は、こいつが何者か知っていたのか」
「はい。ウェンポートを発つ前に、ご本人からお名前と種族を伺っております」
それは、表向きの経緯としても事実だった。
レイネは、ルイジェルドの隣へ並ぶ。
何のためらいもなく、スペルド族だと明かしたルイジェルドの横へ立った。
「正体を承知したうえで、私はルイジェルド様と同行しております」
「保証するのか」
「はい」
レイネは迷わなかった。
「必要であれば、Sランク冒険者としての私の信用を差し出します。ただし、私が保証するのは、スペルド族という種族全体ではございません」
レイネはルイジェルド本人を見た。
「ここにおられる、ルイジェルド・スペルディア様ご本人の身元と行動を保証いたします」
種族全体について知ったようなことは言わない。
目の前にいるルイジェルドを見て、自分の判断で保証する。
ウェンポートの船賃交渉の時と同じだった。
レイネの言葉を聞き、俺も少し安心した。
これなら、ギュスターヴたちがウェンポートでの船賃交渉を知っている必要はない。
レイネが今、この場で初めて自分の信用を差し出しているのだ。
ギュスターヴがルイジェルドを見つめる。
「トーナとテルセナは、お主を恐れておらなんだ」
「ああ」
「聖獣様も、お主へ敵意を示しておらなんだ」
「ああ」
「ならば、今は子供たちの救出を優先する」
老人がギュエスを見る。
「剣から手を離せ」
「父上」
「お主の娘を助けた者へ、恩を返す前から刃を向けるつもりか」
ギュエスは歯を食いしばった。
やがて、ゆっくりと手を下ろす。
完全に恐怖が消えたわけではない。
それでも、種族にまつわる噂より、自分の娘が助けられた事実を優先した。
その選択に、胸の中へ僅かな希望が生まれた。
「……子供たちが助かった後、話を聞かせてもらう」
「構わん」
ルイジェルドは額を再び隠した。
路地を出る。
東側の桟橋が見えた時、状況は既に動き始めていた。
帳簿に記された位置へ停泊していた船が、帆を上げようとしている。
船員たちが慌ただしく縄を外し、予定より早く出港する準備を進めていた。
間に合わないかもしれない。
一瞬、血の気が引いた。
あの船が岸を離れれば、追うことは難しくなる。
船底には、動けない子供が何十人もいる可能性がある。
「倉庫のことが伝わったのでしょう」
俺が言う。
焦りで声が僅かに速くなる。
「ルードさん」
「あの船だ」
ルイジェルドの答えは早かった。
「船底に、小さな気配が多くある。五十前後だ」
間違いない。
帳簿の数字とほぼ一致する。
本当に、あの船へ子供たちが乗せられている。
俺たちが桟橋へ近づくと、港の衛兵が前へ出た。
「止まれ! この先は乗客と関係者以外立入禁止だ!」
ギュスターヴが名乗る。
「ギュスターヴ・デドルディアだ。あの船に、攫われた獣族の子供が乗せられている」
衛兵の顔が僅かに強張った。
驚いたのか。
何かを知っているのか。
その変化だけでは判断できない。
「証拠はあるのか」
レイネが帳簿を見せようとする。
だが、ギュスターヴが手で止めた。
「原本を不用意に渡すな」
老人は衛兵の顔を見ている。
俺も帳簿に記されていた名前を思い出した。
港の役人。
倉庫の管理者。
船員。
すべてではないが、賄賂の受け取りを示す記録があった。
目の前の衛兵が関係しているかは分からない。
それでも、証拠を一人へ預けるべきではない。
誰が味方なのか分からない状況で、原本を奪われれば、事件そのものを握りつぶされる可能性がある。
「冒険者ギルドの責任者を呼んでください」
レイネが言った。
「同時に、港の最高責任者にもお越しいただきます。それまで、あちらの船の出港を止めてくださいませ」
「そんな権限が、冒険者にあると思っているのか」
「私はお願いしております」
レイネは冒険者札を見せる。
「Sランク冒険者として、誘拐の現場から七名のお子様と、取引の記録を確保しております。出港を認めた後で、船内から攫われた子供たちが見つかった場合、どなたが責任をお取りになりますか?」
衛兵は答えない。
その後ろでは、船の縄が一本ずつ外されている。
待っている時間はなかった。
冒険者ギルドの責任者を呼びに行き、事情を説明している間に、船は出る。
船員の一人が、最後の係留索へ斧を振り上げる。
「切らせません」
俺は杖を向けた。
行動した瞬間、衛兵に攻撃と判断される可能性はあった。
それでも、迷っている余裕はない。
石造りの桟橋が盛り上がり、係留索を結んだ柱の周囲を覆う。
斧が縄へ届く前に、太い石の輪が形成された。
「貴様、何をした!」
衛兵が剣を抜く。
剣先がこちらへ向けられ、身体へ緊張が走る。
「船を止めただけです。誰も傷つけていません」
衛兵と戦いたいわけではない。
本当に事件を知らない衛兵なら、職務を果たそうとしているだけだ。
だからこそ、傷つけずに止める必要があった。
船上から怒鳴り声が上がる。
「構わん、縄を切れ! 竿で岸から離せ!」
別の船員が、長い竿を桟橋へ押し当てた。
船体が僅かに離れる。
胸の奥へ焦りが込み上げる。
俺は水面へ杖を向けた。
船と港の間で流れを作り、押し出されようとする船体をゆっくり岸へ戻す。
急激に動かせば、船底にいる子供たちが転倒する。
箱に閉じ込められていれば、壁へ身体を打ちつける可能性もある。
逃げる船を止めたい。
だが、止め方を誤れば、助けようとしている子供を傷つける。
衝撃を与えないよう、広い範囲の水を動かした。
船体がゆっくりと岸へ戻る。
「ルード様、ギュエス様」
レイネが呼ぶ。
「船内の制圧をお願いいたします。可能な限り、殺さずに」
「ああ」
「分かった」
二人が走り出す。
衛兵が止めようとしたが、ギュスターヴが間へ入った。
「子供を乗せた船を逃がすつもりか」
「証拠もなく、船へ乗り込むことは許されない!」
「証拠を確認するために乗り込むのだ」
老人の声には、衛兵を退かせるだけの迫力があった。
ルイジェルドとギュエスは桟橋を駆け、離れかけた船へ跳んだ。
人間には届かない距離だった。
二人は軽々と甲板へ着地する。
船員たちが武器を取った。
ルイジェルドの槍が動く。
刃ではなく柄で手首を打ち、武器を落とさせる。背後から近づいた者へ石突きを当て、腹を打って倒した。
ギュエスも肉厚の剣を鞘へ収めたまま振るい、船員を一人ずつ床へ沈めていく。
怒りを抱えながらも、殺さずに捕らえるという約束を守っている。
「僕たちも行きます」
「はい」
俺とレイネ、エリスは桟橋を走った。
船までの隙間は、まだ数歩分ある。
俺が足場を作ろうとした時、レイネが俺の腰へ腕を回した。
「失礼いたします」
「え?」
答える間もなく、身体が浮いた。
驚きで声が出なかった。
レイネは俺を抱えたまま桟橋を蹴り、船へ跳んだ。
風が一瞬だけ耳元を通り過ぎる。
足場を作る必要さえない距離として飛び越えた。
着地には、ほとんど衝撃がなかった。
俺を抱えていたとは思えない。
やはり、レイネの身体能力は俺が思っていたものとはまるで違う。
続けてエリスが自力で跳び、船縁へ手を掛ける。
レイネが片手を伸ばし、その身体を甲板へ引き上げた。
「今のは……」
「急ぎましょう」
説明は後らしい。
気にはなった。
だが、今は船底の子供たちが先だ。
レイネは俺を下ろし、船底へ続く階段を探した。
甲板では、ルイジェルドとギュエスが船員を制圧している。
俺たちの前へ、船長らしい男が現れた。
片手に剣。
反対の手には、短い杖が握られている。
「子供がいる場所を教えてください」
俺が言う。
「何の話だ」
「船底に大勢いることは分かっています」
「商品だ。正式に買い取った奴隷だ」
商品。
その言葉を聞いた瞬間、腹の底から怒りが込み上げた。
倉庫にいた者たちと同じだ。
子供を人間として見ていない。
「獣族の子供を攫い、奴隷として売ることは禁止されております」
レイネが答える。
「取引の記録も確保しております。武器を置き、船内にいる方々を解放してくださいませ」
「Sランクだからって、調子に乗るな!」
船長が杖を向けた。
魔力が集まる。
右目へ未来が映る。
炎の塊が、レイネの胸へ飛ぶ。
「レイネ!」
心臓が強く跳ねた。
反射的に石壁を出そうとする。
だが、俺が魔術を発動させるより先に、レイネの手が動いた。
指先から飛んだ小さな金属片が、船長の杖へ当たる。
魔術が形になる前に杖が弾かれ、炎が天井近くで散った。
レイネへ当たらなかった。
安堵した直後には、もうレイネが踏み込んでいる。
船長が驚いた隙に、レイネが剣を持つ手首をつかみ、身体を回す。
船長の腕が背中側へ折り畳まれ、そのまま床へ押し倒された。
「ぐっ……!」
「抵抗をおやめくださいませ」
声は丁寧だった。
だが、船長は顔を床へ押しつけられ、動くことができない。
一瞬の制圧だった。
俺が心配する必要はなかったのかもしれない。
それでも、未来にレイネが攻撃される姿が見えた瞬間、身体が先に動いた。
自分でも驚くほど怖かった。
「ルーデウス様。階段の先をお願いいたします」
「はい」
「私も行くわ」
エリスが続く。
「子供たちの保護を優先してくださいませ」
「分かってる」
船底へ下りる。
空気が変わった。
汗。
汚物。
薬品。
濃い香料。
複数の臭いが混ざり合い、息をするだけで胸が悪くなる。
獣族の嗅覚を封じるための薬。
子供たちが長い間閉じ込められていた臭い。
呼吸をするたび、この場所で何が行われていたのかを突きつけられるようだった。
暗い通路の両側に、木製の箱が並んでいた。
荷物を入れる箱ではない。
内側から引っかいた跡がある。
細い爪で、何度も外へ出ようとした跡。
それを見た瞬間、胸が締めつけられた。
「中にいます!」
箱へ駆け寄る。
分厚い板には、小さな空気穴しか開いていない。
土魔術で錠を外し、扉を開けた。
中にいたのは、獣族の子供たちだった。
何人も身体を寄せ合い、暗闇の中で震えている。
手足には拘束具。
口には布。
誰一人、まともな服を着せられていない。
想像していたよりも、ひどい。
人を運ぶための場所ですらない。
荷物を詰め込む箱へ、子供を何人も押し込んでいる。
「助けに来ました」
獣神語で話しかける。
だが、子供たちは後ろへ下がった。
人族である俺を見て、誘拐犯の仲間だと思ったのだろう。
その反応が胸へ刺さる。
今すぐ拘束を外したい。
だが、怖がっている子供へ無理に手を伸ばせば、さらに追い詰めてしまう。
「大丈夫でございます」
後ろからレイネが入ってきた。
船長は甲板でルイジェルドへ引き渡したらしい。
「私どもは、あなた方を外へお連れするために参りました」
レイネは膝をつき、無理に近づかない距離から手を差し出した。
「お名前をお話しになる必要はございません。まずは、その布をお外ししてもよろしいでしょうか」
最も近くにいた犬耳の少女が、僅かに頷く。
レイネはゆっくりと猿轡を外した。
「ほかの子も……」
少女が掠れた声で言う。
自分が助かった直後に、ほかの子を心配している。
「はい。全員、お助けいたします」
レイネは即答した。
俺たちは一つずつ箱を開けた。
船底に閉じ込められていた子供は、五十人近くいた。
一つの箱へ十人以上を押し込まれている場所もある。
意識を失っている者。
熱を出している者。
拘束具が皮膚へ食い込み、血を流している者。
食事を与えられていなかったのか、立つことさえできない者。
箱を開けるたび、胸の中の怒りが強くなる。
こんな状態の子供たちを、船長は商品と呼んだ。
正式に買ったと言った。
誰かから金を払って受け取れば、何をしてもよいと思っているのか。
今すぐ甲板へ戻り、船長を殴りつけたい衝動が湧いた。
だが、そんなことをしている時間はない。
今は、この子たちを助ける。
「エリス、歩ける子たちを階段の近くへお願いします」
「任せて」
エリスは鞘へ収めた剣を壁際へ置き、両手を空けた。
「立てる子は、私のところへ来て。急がなくていいわ」
子供たちは最初、怯えた目で見ていた。
エリスの声は、普段よりずっと穏やかだった。
だが、無理に優しく見せようとはしていない。
ただ同じ場所へ立ち、子供が自分から動けるまで待っている。
一人の少女がゆっくりと立ち上がった。
足元がふらつく。
エリスは倒れる寸前に腕を支えた。
「大丈夫。ゆっくりでいいわ」
少女を階段の近くへ連れていく。
それを見た別の子供たちも、少しずつ箱から出始めた。
エリスが最初の一人へ無理をさせなかったことで、ほかの子も信じることができたのだろう。
俺は拘束具を外し、軽い傷から治療する。
一人でも多く、できるだけ早く。
焦りで手元を誤らないよう、自分へ言い聞かせる。
レイネは重傷者を優先した。
胸の音を聞き、腹部へ手を当て、呼吸と脈を確かめる。
「こちらのお子様は、すぐに甲板へお運びくださいませ。新鮮な空気が必要でございます」
「僕が運びます」
助けたい。
すぐにこの空気の悪い場所から出してやりたい。
そう思って立ち上がりかけたが、レイネは首を横へ振った。
「ほかの方へお任せください。ルーデウス様は拘束具をお外しくださいませ。今、この場でそれを最も早く行えるのはルーデウス様でございます」
「分かりました」
助ける方法は、抱えて運ぶことだけではない。
俺がここを離れれば、ほかの子供が拘束されたままになる。
自分にしかできない仕事を続ける。
焦るほど、目の前の一人だけへ意識を奪われる。
だが、全員を助けるためには、それぞれが役割を果たさなければならない。
ルイジェルドとギュエスが、制圧を終えて下りてきた。
二人は船底の様子を見た瞬間、足を止めた。
ギュエスの身体が震えている。
「こいつら……」
低い声に、殺意が滲んでいた。
娘と同じような子供が、何十人も箱へ押し込められている。
怒りを抑えることなど、簡単ではない。
「生きている方々を運び出してくださいませ」
レイネの声が飛ぶ。
怒りを向ける先は、後でいい。
今は子供たちを助ける。
ギュエスは何も言わず、意識を失っている子を抱き上げた。
ルイジェルドも、一度に二人を抱える。
人目のある甲板へ出る際は、額を隠したまま動かなければならない。
それでも、その動きに迷いはなかった。
「全員、甲板へ運ぶ」
「ああ」
二人が何度も階段を往復する。
俺は錠を外す。
エリスは歩ける子を集める。
レイネは治療する。
船底には、子供の掠れた泣き声と、俺たちの足音が響いていた。
一番奥の箱を開けた時、小さな長耳族の少女が倒れていた。
身体が動いていない。
胸も上下していない。
「レイネ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
もう間に合わないのではないか。
その恐怖が、一瞬で全身を冷たくした。
レイネはすぐに駆け寄った。
少女の首へ触れ、胸へ耳を当てる。
「心臓は、僅かに動いております」
まだ生きている。
その言葉だけで、僅かに希望が戻った。
レイネの両手から、淡い光が広がった。
通常の治癒魔術とは違う。
少女の身体を包む光が、胸元へ集まっていく。
レイネの表情が僅かに歪む。
今まで見た治癒よりも、ずっと難しいことをしているのだろう。
「僕も手伝います」
「では、呼吸をお願いいたします。肺へ空気を送り込みすぎないよう、ゆっくりと」
俺は風魔術を使った。
少女の口元から、少量ずつ空気を送る。
一度。
二度。
三度。
力を入れすぎれば、弱った肺を傷つけるかもしれない。
少なすぎれば、呼吸を戻せない。
レイネの指示へ集中し、一定の量を送り続ける。
少女の胸が、自分の力で僅かに動いた。
次の瞬間、弱い咳が漏れる。
「息をしました!」
喜びで声が上擦った。
「はい。もう一度、ゆっくりと」
呼吸が続く。
まだ弱い。
それでも、生きている。
胸の奥へ詰まっていたものが、少しだけ解けた。
間に合った。
本当に、ぎりぎりだった。
レイネは少女を抱き上げた。
「この方は私がお運びいたします。ルーデウス様は、残る箱をご確認くださいませ」
「はい」
少女のことは気になる。
だが、まだ開けていない箱がある。
最後の錠を外す。
中にいた三人の子供も、衰弱していたが生きていた。
「これで全員です!」
俺が叫ぶ。
ルイジェルドが船底を見渡す。
額の眼で、隠れている気配を確かめているのだろう。
「子供は、もういない」
その言葉を聞き、ようやく息を吐いた。
今度こそ、船内にいた子供は全員見つけた。
五十人近い子供たちを、甲板へ運び出した。
◇
桟橋には、人が集まり始めていた。
船から次々と運び出される子供を見れば、騒ぎにならないはずがない。
冒険者ギルドの職員。
港の責任者。
衛兵。
獣族の商人や旅人。
多くの者が集まり、何が起きているのかを尋ねている。
俺たちは帆布を甲板へ広げ、子供たちの身体を隠した。
飲み水を少しずつ与える。
喉が渇いているのだろう。
器へ手を伸ばし、一気に飲もうとする子もいた。
だが、長く衰弱した身体へ大量の水や食事を入れることは危険だ。
急に食事を与えれば身体へ負担がかかるため、レイネの指示で薄いスープを用意してもらう。
子供へ「少しずつ」と伝えながら、器を傾ける。
もっと飲ませてやりたい。
腹いっぱい食べさせてやりたい。
だが、今は我慢させることが命を守ることになる。
甲板の端には、捕らえた船員たちが並べられていた。
全員が手足を拘束されている。
船長もその中にいる。
子供たちを商品と呼んだ男たち。
顔を見ると怒りが湧く。
だが、俺たちが殴らなくても、この後に罪を明らかにし、裁かせる必要がある。
ギュスターヴは、冒険者ギルドの責任者と港の最高責任者を前に帳簿を開いた。
「この船から救出した子供は、四十七名。先ほどの倉庫にいた者を合わせれば、五十四名だ」
五十四名。
数字として聞くと、改めて異常な多さを実感する。
五十四人の子供が、一つの町から攫われ、売られようとしていた。
港の責任者の顔が青ざめる。
「これほどの人数が、どうして検査を通った」
「我々は知らない!」
衛兵の一人が叫ぶ。
「積み荷は正規の書類で――」
「正規の書類に、子供を貨物として記載するのか」
ギュスターヴが帳簿の頁を突きつける。
そこには、港の検査を通すために支払った金額と、受け取った役人の印が残っていた。
集まった衛兵たちの間に動揺が走る。
全員が事件へ関与しているわけではない。
知らずに船を通していた者もいるのだろう。
だが、内部に協力者がいたことは間違いない。
一人の役人が前へ出た。
「その帳簿自体が偽物かもしれん。まずはこちらで預かり、調査を――」
その言葉を聞き、警戒心が強くなった。
本当に調査するためなのか。
それとも、証拠を消すためなのか。
「お渡しできません」
レイネが答えた。
役人の視線が鋭くなる。
「部外者は黙っていろ」
「部外者ではございません」
レイネはSランクの冒険者札を示した。
「私は最初の倉庫で、七名のお子様とこちらの帳簿を確保した者でございます。帳簿を一か所へ預けた直後に紛失すれば、調査を続けることができなくなります」
「港の役人を疑うのか!」
「帳簿に、港の役人と思われる方のお名前と印が記されておりますので」
レイネの視線が、男の手元へ向く。
役人の指には、印章がはめられていた。
帳簿に押されている印と、よく似た形をしている。
俺は帳簿と男の手を見比べた。
確かに似ている。
周囲の視線が役人へ集中した。
男が手を隠そうとする。
その仕草を見た瞬間、疑いが強くなった。
「念のため、その印章と帳簿を照合させていただけますか」
「断る!」
男が後ろへ下がった。
その動きだけで、疑いは深まった。
やましいことがなければ、照合を拒む必要はない。
港の最高責任者が衛兵へ命じる。
「その者を拘束しろ」
「待て! 私は何も――」
衛兵が男の両腕を取る。
印章が外され、帳簿の印と並べられた。
完全に同じだった。
やはり、港の内部に協力者がいた。
怒りと同時に、レイネが帳簿を渡さなかったことへの安堵が湧く。
あのまま男へ原本を渡していれば、証拠を奪われていた可能性がある。
港の責任者が目を閉じる。
自分の部下が事件へ関わっていた。
その重さを受け止めているように見えた。
「関係者を全員拘束する。帳簿に名前のある者が港から出ないよう、門を閉じろ」
命令を受け、衛兵たちが動き始めた。
全員が腐敗していたわけではないらしい。
帳簿へ名前のない衛兵たちは、怒りを露わにしながら仲間だった者を拘束していく。
一部が腐っていたからといって、組織全体を敵と決めつけずに済んだことへ、少し安心した。
「船員たちの身柄も、港と冒険者ギルドの双方で管理してくださいませ」
レイネが言う。
「一方だけへ預ければ、証言する前に何かが起きる可能性がございます」
口封じ。
脱走の手引き。
記録の改竄。
可能性を考えれば、一つの組織へ任せるのは危険だ。
冒険者ギルドの責任者が頷いた。
「ギルドからも監視を出す。帳簿は今から三部、写しを作ろう。原本は、デドルディアの代表者が管理してくれ」
「承知した」
ギュスターヴが答える。
子供たちの救助は終わった。
誘拐犯も捕らえた。
港の協力者へつながる証拠も確保できた。
そこまで進んだことへ、安堵はあった。
だが、子供たちはまだ家族のもとへ帰れていない。
船から救出された四十七人と、倉庫で保護した七人。全員が同じ村の出身というわけではなく、デドルディア族以外の獣族や長耳族の子供も含まれていた。
長く閉じ込められていたため、すぐには歩けない者も多い。
身体の傷が治っても、帰るための体力が戻っていない。
家族の居場所を確認する必要もある。
助け出しただけで、終わりではない。
ギュスターヴは、甲板で治療を受けている子供たちを見回した。
「この人数を、今すぐ森へ連れていくことはできん」
「はい。まずは、身体を休めていただく必要がございます」
レイネが答える。
「衰弱の激しい方は、数日間は移動を避けるべきでございます。お食事につきましても、急に通常の量へ戻すことはできません」
子供たちには、薄いスープと少量の水が与えられている。
空腹を訴えている者もいたが、レイネは一度に多く食べさせることを許さなかった。長く飢えていた身体へ急に食事を入れれば、かえって命を危険にさらす可能性があるという。
苦しんでいる子供へ食事を我慢させるのはつらい。
だが、感情だけで与えれば、助けたはずの命を危険にさらしてしまう。
「保護する場所は用意できる」
ギュスターヴが言った。
「この町には、我らの一族が使っている宿と商館がある。五十人を超えるとなれば窮屈にはなるが、屋根の下で休ませることはできる」
「冒険者ギルドにも、空いている宿泊所を提供させます」
ギルドの責任者が続けた。
「治療術師と、子供たちを世話する者も手配しましょう」
港の最高責任者も、険しい表情で頷いた。
「費用は港が負担する。今回の件は、我々の内部に協力者がいたことが原因だ。少なくとも、子供たちが帰るまでの食事と治療は保証する」
責任を認め、必要な費用を負担する。
内部へ犯罪者がいた事実を隠すのではなく、対応しようとしている。
それなら、今は協力できる。
帳簿に名前のない役人や衛兵たちは、既に拘束された者たちの取り調べを始めている。
冒険者ギルドからも監視がつき、一方だけで証拠や容疑者を扱わない体制が作られていた。
レイネが提案した帳簿の写しも、その日のうちに三部作られることになった。
一部はギュスターヴ。
一部は冒険者ギルド。
残る一部は、港の最高責任者が保管する。
原本はギュスターヴが持ち、三者が同時に確認できる状態でなければ、名前のある者を釈放しないことも決まった。
少なくとも、簡単に証拠を消すことはできない。
「僕たちも、子供たちが落ち着くまでは手伝います」
俺が言うと、ギュスターヴはこちらを見た。
「ミリシオンへ向かう旅の途中だと聞いたが」
「急いではいます」
家族の行方は、まだ分からない。
一日でも早く先へ進みたい。
父さんたちも、どこかで俺を捜しているかもしれない。
リーリャやアイシャが危険な目に遭っている可能性もある。
立ち止まっている余裕はない。
そう思う気持ちは本物だった。
けれど、今すぐ出発したところで、目の前の子供たちを気にせず歩けるとは思えなかった。
助けた子供が、今夜容体を悪化させるかもしれない。
人族へ怯えたまま、知らない者に囲まれるかもしれない。
俺たちの姿がなくなったことで、また売られるのではないかと恐れるかもしれない。
「ですが、全員が安全な場所へ移るまでは、ここに残ります」
「私もよ」
エリスが言った。
「この子たち、まだ怯えてるもの。助けて終わりなんて駄目だわ」
トーナとテルセナは、エリスとレイネの近くから離れようとしない。
倉庫から救出されたほかの子供たちも、俺たちの姿が見えなくなると不安そうに周囲を見回していた。
信頼しているというより、ほかに頼れる相手がいないのかもしれない。
それでも、今俺たちを必要としている。
ルイジェルドも、子供たちへ目を向けたまま答える。
「俺も残る」
それでも、彼が子供を見捨てるはずがないことは、言葉を聞く前から分かっていた。
「私も、治療を続けます」
レイネが言う。
「重傷の方々が安定するまで、責任を持って診させていただきます」
全員が同じ結論だった。
予定より数日遅れる。
それでも、誰一人として子供たちを置いて進もうとは言わなかった。
そのことが嬉しかった。
俺は、こういう仲間と旅をしている。
ギュスターヴはしばらく俺たちを見つめた。
やがて、深く頭を下げる。
「重ねて礼を言う」
「お礼は、ご家族のもとへ戻られてからで十分でございます」
レイネが答えた。
◇
それから三日間、俺たちはザントポートに滞在した。
港での取り調べは、冒険者ギルドと獣族の代表者が立ち会う形で進められた。
捕らえた船長や誘拐犯の証言から、町の役人だけでなく、複数の商人と船会社が事件へ関わっていたことが分かった。
誘拐犯たちは大森林へ入り、村から離れた子供を攫う。
港の協力者が検査記録を書き換える。
船員が子供たちを貨物として運び、人族の領域で奴隷商へ引き渡す。
一つの倉庫だけで完結している事件ではなかった。
長い間、多くの人間が関わり、繰り返されていた。
俺たちが助けられたのは、今回攫われた子供たちだけだ。
既に売られた子供が、どこにいるのかは分からない。
その事実を考えると、素直に事件を解決したとは思えなかった。
帳簿に名前のあった者は、町から出られないよう拘束され、証言と記録の照合が続けられた。
その間、俺たちは子供たちの世話をした。
俺とレイネは治療。
エリスは食事の配膳や、歩けるようになった子供たちの相手。
ルイジェルドは宿の外を警戒し、まだ捕まっていない誘拐犯が近づかないよう見張った。
初日は、人族である俺たちを見るだけで怯えていた子供も多かった。
治療のために手を伸ばしても、身体を固くする。
扉が開けば、逃げる場所を探す。
眠っていても、小さな物音で目を覚ます。
その反応を見るたび、胸が痛んだ。
二日目になると、治療を受ける時に自分から手を差し出すようになった。
痛い場所を指し、薬を飲み、水を求めるようになった。
少しずつ、俺たちが傷つける者ではないと分かってもらえたのだろう。
その小さな変化が嬉しかった。
三日目には、食事を終えた子供たちがエリスの周囲へ集まり、剣の話を聞きたがるようになった。
「私の剣は、まだ本調子じゃないのよ」
エリスは右肩を気にしながら言った。
「でも、完全に治ったら、悪い奴なんて全部倒せるわ」
「全員?」
獣族の少年が尋ねる。
「全員よ」
「一人で?」
「ルーデウスたちもいるけど、私一人でも倒せるわ」
いかにもエリスらしい答えだった。
子供たちを安心させようとしているのか。
単純に自分の強さを誇りたいのか。
おそらく両方だろう。
「エリス様」
レイネが呼ぶ。
「無理に強がる必要はございません」
「強がってないわよ」
「では、右肩が治るまでは、私の指示に従ってくださいませ」
「それは別の話でしょう」
二人のやり取りを聞き、子供たちが小さく笑った。
救出してから、初めて聞いた笑い声だった。
その音が耳へ届いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
泣き声でもない。
恐怖に震える声でもない。
普通の子供の笑い声だった。
それを聞いたエリスは反論を忘れ、子供たちへ顔を向けた。
「何がおかしいのよ」
問い詰める声にも、本気の怒りはない。
子供たちはさらに笑った。
エリスは少しだけ頬を膨らませたが、最後には自分も笑っていた。
その光景を見て、ようやく少しだけ救えたのだと思えた。
傷を治しただけではない。
この子たちが、笑ってもよい場所へ戻り始めている。
◇
三日目の夕方には、重傷だった子供たちの容体も安定した。
全員を一度に同じ場所へ送るのではなく、出身地ごとに分け、獣族の護衛がそれぞれの村まで送り届けることになった。
長耳族の子供たちには、彼らの集落と交流のある商人と冒険者がつく。
デドルディア族の村へ戻るのは、トーナとテルセナを含む十数人だった。
聖獣も彼女たちと同行する。
「お主らは、どこへ向かう」
出発の準備をしている時、ギュスターヴが俺へ尋ねた。
「最終的にはミリシオンです」
「ならば、大森林を抜ける道を通ることになる」
「はい」
「我らの村までは、同じ方向だ」
ギュスターヴはトーナたちを見た。
「村へ寄っていかぬか。子供たちを救った恩人を、何もせず送り出すわけにはいかん」
デドルディア族の村。
ギレーヌの故郷でもある。
エリスにとって、ギレーヌは剣の師であり、長い間そばにいた大切な相手だ。
村へ行けば、ギレーヌについて何か聞ける可能性もある。
ミリシオンまでの安全な道を教えてもらえる可能性もある。
俺はエリスたちへ顔を向けた。
「どうしますか?」
「行くわ」
エリスはすぐに答えた。
「トーナたちがちゃんと帰るところまで、一緒に行きたいもの。それに、ギレーヌの村でしょう?」
「そのはずです」
「なら、絶対に行くわ」
迷いはないらしい。
ルイジェルドも頷く。
「子供を村まで送る」
レイネは周囲の空と森の様子を確認した。
「雨季が始まるまでには、まだ十分な時間がございます。村で長く滞在しなければ、進路への影響も少ないでしょう」
「では、決まりですね」
俺たちはデドルディア族の護送隊へ加わることになった。
◇
翌朝。
空は晴れていた。
湿り気のある風は吹いているが、雨の気配はまだ遠い。
港の外には、複数の護送隊が集まっていた。
子供たちは出身地ごとに分かれ、それぞれの村へ向かう準備をしている。
別れを惜しむ声。
無事に帰ろうと励まし合う声。
泣きながら抱き合う者もいた。
同じ倉庫や船で閉じ込められ、互いに支え合っていたのだろう。
出身地が違えば、ここで別れた後、二度と会えない可能性もある。
それでも、全員が家族のもとへ帰るための別れだ。
悲しいだけのものではない。
レイネは一人ずつの身体を最後に確認し、薬と包帯を護衛へ渡した。
「熱が出た場合には、こちらを少量ずつお使いくださいませ。傷口が赤く腫れましたら、最も近い町で治療術師をお探しください」
「承知した」
「食事は、一度に多く与えないようお願いいたします」
「必ず守る」
護衛の者たちは、何度も頭を下げた。
俺も子供たちへ声をかける。
「途中で苦しくなったら、我慢せずに言ってください」
「うん」
「また会える?」
長耳族の少女が尋ねた。
「旅を続けていれば、どこかで会うかもしれません」
「絶対?」
すぐに答えられなかった。
絶対に会えるとは約束できない。
俺たちは旅を続ける。
少女がどこへ帰るのかも、今後どのような生活をするのかも分からない。
ここで安心させるためだけに、守れるか分からない約束をするべきではない。
「絶対とは言えません」
少女の顔が曇る。
正直に答えたことは間違っていない。
それでも、これで終わりにしたくはなかった。
俺は少し考え、言い直した。
「でも、会えるように僕も旅を続けます」
どこかで再会できる可能性を捨てない。
俺も生きて旅を続ける。
その程度の約束なら、できる。
少女は小さく頷いた。
各護送隊が、順番にザントポートを出発していく。
最後に残ったのは、デドルディア族の一行だった。
先頭にはギュスターヴとギュエス。
中央にトーナ、テルセナを含む子供たち。
その周囲を獣族の戦士たちが守る。
聖獣は子供たちのそばにいたが、俺を見ると走ってきた。
「どうしたんですか?」
大きな鼻先が胸元へ押しつけられる。
お守りの辺りを嗅いでいる。
次の瞬間、顔を舐められた。
「うわっ!」
避ける暇もなかった。
顔全体が温かい唾液で濡れる。
エリスが声を上げて笑う。
「またやられてるわ!」
「笑っていないで、布を取ってください」
レイネが既に布を差し出していた。
「こちらをお使いくださいませ」
「ありがとうございます」
顔を拭いている間も、聖獣は俺のそばから離れない。
好かれていることは嬉しい。
理由が分からないことには、少し不安もある。
「聖獣様は、お主を気に入ったようだな」
ギュスターヴが言った。
「助けたからでしょうか」
「それだけではあるまい」
老人はそう言ったが、理由までは説明しなかった。
胸元のお守りと関係があるのか。
俺自身の魔力を感じ取っているのか。
気にはなるが、今すぐ答えが出るものでもない。
出発の時刻になる。
俺たちは隊列へ加わった。
ギュスターヴとギュエスは正体を知っているが、ほかの獣族や子供たちへ明かす必要はない。
俺とルイジェルドが最後尾。
エリスとレイネは、トーナたちの近くを歩く。
レイネは子供たちの体調を確認し、エリスは疲れた者の荷物を持った。
「エリス様。右肩へ負担をかけないよう、左手でお持ちくださいませ」
「これくらいなら平気よ」
「左手でお願いいたします」
「……分かったわ」
エリスは素直に荷物を持ち替えた。
数日前までなら、さらに言い返していたかもしれない。
子供たちの前だからという理由もあるだろう。
それでも、レイネの指示を受け入れ、自分の身体を大切にしようとしている。
ザントポートの門を抜ける。
目の前には、深い緑に覆われた大森林が広がっていた。
魔大陸の荒れた土地とはまるで違う。
木々が密集し、湿った空気が流れてくる。
雨季は、まだ始まっていない。
森を進む道も、川を渡るための橋も使える。
思い返してみれば、ウェンポートで長く足止めされることもなく、ザントポートで起きた事件も数日のうちに解決できた。
海を渡る前には、もっと多くの時間がかかると思っていた。それを考えれば、俺たちの旅は予想していたよりもずっと早く進んでいる。
もちろん、単に運がよかっただけではない。
レイネがルイジェルドの渡航を助けた。
キシリカとは、人神から助言を受けるよりも先に出会った。
倉庫へ一人で入らず、四人で子供たちを助けた。
その一つ一つの選択が、余計な足止めを避け、俺たちをここまで運んでくれたのだ。
人神の助言には、確かに事実が含まれていた。
だが、一人で倉庫へ入れという指示には従わなかった。
その結果、誰一人死なせず、子供たちと聖獣を助け、事件の証拠まで確保できた。
自分だけで判断しなかったからこその結果だ。
仲間へ話した。
皆で確認した。
役割を分けて動いた。
以前の俺なら、一人で最善の答えを出そうとしていたかもしれない。
今は、誰かを頼ることも、自分の役割を果たすことも、どちらも必要だと分かる。
けれど、早く進めているからといって、油断していいわけではない。
家族の行方は、まだ分からない。
人神が次に何をするのかも分からない。
レイネが抱えている秘密も、多く残されている。
人神から自分を隠す秘術。
蘇生のお守り。
ルイジェルドを以前から知っていた理由。
どれも気になる。
それでも、今すぐすべてを聞き出そうとは思わなかった。
俺は前を歩く白い髪を見た。
レイネはトーナの手を引きながら、歩調を合わせている。
その隣では、エリスがテルセナと何かを話していた。
ルイジェルドが俺の横を歩く。
銀色の聖獣は、子供たちと俺たちの間を行き来していた。
疑問も不安も残っている。
それでも、今は一人ではない。
この三人と一緒なら、分からないことがあっても、自分たちで確かめながら進める。
「行きましょう」
俺が言う。
「ああ」
ルイジェルドが答えた。
俺たちは雨季が始まるよりも前に、デドルディア族の村へ向けて大森林へ足を踏み入れた。