Fate/Grand Order -Cosmos Ark- 作:みそそ
静寂だけが、この船の本当の主であった。
母星・地球が宇宙の塵となって消え去ってから、どれほどの月日が流れただろうか。数年、あるいは数十年。太陽系を遠く離れた外宇宙の闇を進む『ノアの方舟』の内部は、地球にいた頃と変わらぬ快適な空気と重力が保たれていた。
「ねえ、まだなの? もう何万回、この冷たい暗黒の窓を見ればいいのよ」
方舟の中央管制室。不満げな声を響かせたのは、光の粒子を明滅させるホログラムの少女――U-オルガマリーであった。ネイビーの制服姿を揺らし、宙に浮いたまま、意味もなく管制室の椅子をすり抜けるようにして座り直す。
「ハハ、そう焦りなさんな、大統領。宇宙は広い。ボクのいた神代の海だって、陸地を見つけるのにはそれなりの辛抱が必要だった。今回は星に向かっているんだ、のんびり行こう」
操縦用の主魔術回路を穏やかに弄りながら、銀髪の青年ノアが苦笑交じりに応じる。
船が稼働して以来、この方舟の日常は驚くほど順調であった。
魔力消費を限界まで抑えるため、人類最後のマスターである藤丸立香やマシュ・キリエライト、そして他すべてのサーヴァントやカルデアスタッフは、トリスメギストスのストレージ内で二次元データ...コールドスリープ状態として眠りについている。
結果として、実体化しているのは操縦士のノアと、物資を供給するギルガメッシュのみ。そして船のシステムそのものであるオルガマリーのホログラム。
この「王・救世主・大統領」の三人だけが、人類の全記憶を載せた殻の中で、気の遠くなるような旅路を共にしてきたのだ。
「フン、退屈を囀るか、ポンコツ大統領。貴様が少しでも有能な永久機関であれば、我が『王の財宝』から極上の娯楽でも引き出してやったものをな」
管制室の奥、上座のシートに深く腰掛けたギルガメッシュが、不敵に唇を吊り上げる。
「ポンコツって言うな! 私がこうして地球環境を完璧にシミュレートしてあげてるから、あなたたちも消滅せずにいられるんでしょうが! もっと私を敬いなさいよ!」
「ふはは!お飾りの大統領が吠えるわ。ノア、この小娘の叫びで船の出力がブレぬよう、しっかり舵を握っておけよ」
「はいはい、賢王様。お二人とも、航海中の喧嘩はボクの船では御法度だよ?」
お決まりの軽口の応酬。それは地球を失った絶望を、長い時間の果てに乗り越えた三人の、奇妙で、けれど確かな信頼の証でもあった。
ギルガメッシュが蔵から出す最高の酒を、ノアが大人びた手つきで注ぎ、オルガマリーがそれを羨ましそうに睨みつける――そんな穏やかな「旅路の日常」が、永遠に続くかと思われた。
――その時、管制室のコンソールが、これまで一度も鳴ったことのない電子音を上げた。
キィィィィィィィン、と。
鼓膜を刺すような高周波のノイズ。
「な、何事よ!?」
オルガマリーのホログラムがびくりと跳ねる。ノアの穏やかな瞳が、一瞬で歴戦のグランドクラスのそれへと切り替わった。
「ノイズじゃない……これは、暗号化された通信シグナルだ。発信源は……前方、一光年圏内に存在する未知の惑星」
ノアの指先が、目まぐるしく変化する魔術計器の数値を叩き出す。
スピーカーから漏れ出たのは、微かな、けれど明確な意味を持った音の断片。それは地球の言語ではなかった。
しかし、トリスメギストスの自動翻訳が、その意味を一つの言葉へと収束させていく。
『――
冷たい宇宙の果て、孤独に救いを求める、見知らぬ誰かの泣き声。
ギルガメッシュはゆっくりと打座を組み直し、黄金の瞳に冷徹な光を宿した。
「ほう。我らの新たな庭の候補地から、ずいぶんと陰気な挨拶が届いたものだな」
順調だった星間航海は、そのSOSシグナルを境に、突如として未知の緊迫感へと巻き込まれていくのだった。
受信した「SOS」を唯一の針路として、銀色の霊子戦艦は加速を続けていた。
数時間の航行の果て、ついにメインモニターの暗闇を割り、目的の天体が姿を現す。
それは、地球を失った一同が息を呑むほどに美しい、淡い琥珀色の光を纏った未知の惑星だった。
「見えてきたわね……。でもおかしいわ、SOSを発している割には、知的生命体の熱源がほとんど観測できないのだけど」
オルガマリーがホログラムの腕を組み、怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、それどころじゃない。――みんな、衝撃に備えてッ!!」
ノアの鋭い絶叫が管制室の静寂を切り裂いた。
直後、方舟の頭上の宇宙空間が、突如として極白の閃光に染まった。
大気を引き裂き、天体を塵へと変える、かつて地球の最期に見たものと同等の『神話級熱線ビーム』。上空の暗がりに息を潜めていた異星人残党の超巨大戦艦が、牙を剥いたのだ。
遮るもののない宇宙空間、完全なる不意打ち。必滅の光条が数発、方舟へ向けて冷酷に撃ち込まれる。
「――、――ッ!?」
誰もが死を覚悟したその瞬間、眩い光の直撃を受けたのは、方舟ではなかった。
熱線ビームが惑星の大気圏に接触した瞬間、そこには何も存在しなかったはずの虚空に、奇妙な波紋が広がった。
まるで星そのものを覆う巨大な「見えないバリア」がそこにあるかのように、神話級の砲火は激しく弾け飛び、霧散していったのだ。
「防いだ……!? いや、ボクの船のシールドじゃない、
ノアが驚愕に目を見張る。だが、安堵する猶予は与えられなかった。
異星人の執拗な砲撃の一発が、バリアに弾かれた拍子に軌道を歪め、死角から方舟へと肉薄する。
――ガァァァァァァァァンッ!!!
激しい金属音と、天地がひっくり返るほどの衝撃。見えないバリアの防衛フィールド外に、僅かにはみ出ていた方舟の船尾部分に、熱線の余波が直撃したのだ。
「右舷推進機関が大破! 魔術回路の供給ラインが焼き切れた! だめだ、制御が利かない!」
計器が狂ったように警告の赤色を点滅させる。ノアは必死に主操縦桿を引くが、片肺を失った方舟は、惑星の重力に引かれるまま、琥珀色の地表へと激しく墜落するように着陸――いや、墜落へのカウントダウンを始めた。
「嘘ぉぉぉっ!? 墜落するのーっ!?」
ホログラムのオルガマリーがノイズを走らせて絶叫する。
激しい震動と、五感を狂わせる警報の嵐。
その混沌の真ん中で、ギルガメッシュだけは、シートから立ち上がったまま身動き一つせず、ただ虚空を睨みつけていた。
(なぜだ……)
王の背筋に、氷の刃を突きつけられたかのような戦慄が走る。
(なぜ、我の眼に『視えなかった』……!?)
彼の『千里眼』は、あらゆる因果を見通し、確定した破滅すら先読みする最高位の眼であるはずだった。事実、地球の物理破壊を秒単位で予知してみせた。
それなのに、この惑星に接近して以降、上空の敵の配置も、神話級のビームも、それを防いだ見えないバリアの存在も、王の網膜には「ただの一秒も」未来の映像として映り込んでいなかったのだ。
地球の因果律の、延長線上にない世界。
汎人類史のルールが、1ミリも通用しない本物の未知。
直後、凄絶な衝撃が船体を包み込み、人類の方舟は、未知なる星の泥土へと激しく激突するのだった。