Fate/Grand Order -Cosmos Ark- 作:みそそ
琥珀色の泥土を激しく抉り、滑走した方舟は、巨大な斜面に衝突するような形でようやくその巨体を停止させた。
無機質な金属の軋み。ちりちりと焦げる魔術回路の死臭。警報の嵐が通り過ぎた管制室を支配したのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。
「……みんな、無事かい?」
操縦桿から血の滲む手を離し、ノアがかすれた声でメンバーを顧みる。幸いにも、グランドクラスの頑強な霊基のおかげで彼自身に大きな損傷はない。だが、コンソールに映し出された船内の状況は、まさに壊滅的であった。
[i:エラー、エラー。第一から第七階層ストレージに物理的大破を確認。修復ルーチン、作戦行動の
トリスメギストスの合成音声が、機械的に、しかしあまりにも残酷な現実を告げる。
「嘘……でしょ……?」
オルガマリーの真っ青な顔がモニターに映し出される。解析データは、カルデアが命懸けで宇宙へ連れ出した「人類の財産」の死を意味していた。
不時着の衝撃、あるいはこの惑星の持つ未知の環境磁界に接触した結果、方舟に積んでいた『人類の全バックアップデータ』の大部分が破損。神話、伝承、歴史――それら人類の歩みの根幹たる『
「そんな……。じゃあ、アーサー王伝説も、マハバーラタも、神代の神話も、全部消えちゃったっていうの!?」
ホログラムのオルガマリーが髪を振り乱して叫ぶ。だが、彼女のパニックはそれだけでは終わらなかった。
「な、なによこれ……私の魔術回路が、1ミリも動かない……! 地球の魔術基盤が完全に遮断されてる! なのに、なんで!? 私は今、魔力じゃなくて『どの力』でホログラムを維持してんのよ!?」
彼女の叫びの通り、この惑星の環境下では、地球の魔術は一切機能しなくなっていた。しかし不思議なことに、方舟の基幹システムは稼働し続け、オルガマリーのホログラムも消えない。
まるで、地球の魔力とは異なる「未知のエネルギー」がこの星に満ちており、システムがそれを勝手に吸い上げて疑似的に動いているかのように。
「……いや、オルガマリー。もっと最悪な仕様変更が起きている」
コンソールを見つめるノアの顔から、いつもの穏やかな笑みが完全に消え去っていた。
「英霊たちのデータだ。神話の原典が消えたことで、彼らはもはや『座』から
それは、恐るべきルールの転換を意味していた。
たとえばアルトリアという英霊を呼び出したとしても、それはアーサー王伝説の原典ではなく、「マスターが制御できるように英霊召喚システムに出力調整されたアルトリア」という、たった一つの独立したデータでしかない。
そして、この星の謎の力によって彼らを実体化させることは可能だが――。
「……一度戦って死んだら、そのデータごと完全に消滅する。二度目の召喚は不可能だ。ボクたちは今、命が一つしかない『人間』になってしまったんだよ」
神話の無敵性を奪われ、有限の命へと引きずり下ろされた英霊たち。
魔術の消失。データの崩壊。そして英雄たちの人間化。
新天地にたどり着いたはずの方舟を待っていたのは、人類がこれまで積み上げてきた能力を強制的に剥ぎ取られるという、あまりにも過酷な現実であった。
「一度死んだら、二度と復元できない……?」
オルガマリーの震える呟きが、冷え切った管制室の空気に溶けて消える。
英雄という不滅の盾を失い、有限の命となった人類のバックアップ。魔術すら使えぬ新天地で、自分たちは一体どうやって生き残ればいいのか。誰もがその答えを見出せず、ただ底無しの虚無に沈み込もうとしていた。
だが、その絶望の底に、もう一人、致命的な「牙」をへし折られた男がいた。
『
上座のシートから立ち上がったギルガメッシュが、虚空に向けて腕を伸ばす。
いつもなら、空間を黄金の波紋が埋め尽くし、世界中の財宝の原型が不敵な王を飾るはずだった。しかし――何も起きない。虚空は冷たく静まり返ったままであり、空間の歪みすら生じなかった。
「……ほう」
ギルガメッシュは、僅かに眉を動かした。
彼のアイデンティティである宝物庫の門が、完全に沈黙して開かなくなっている。
それだけではない。彼の網膜を常に騒がせていた『千里眼』のノイズすらも、今はただの黒い砂嵐のように完全に閉ざされていた。
地球の魔術基盤が消滅したことで、ウルクの蔵へと繋がっていた空間転移のパスが遮断され、人類の歴史データが大破したことで、その未来を見通す因果律の眼も光を失ったのだ。
千里眼、なし。
宝物庫、なし。
魔術、なし。
人類を存続させるために、誰にも見られぬ場所で涙を流してまで地球を捨て、方舟を走らせてきた王。
しかし、たどり着いた新天地で待っていたのは、すべてを失い、ただの「無力な人間」に成り下がったというあまりにも不条理な結末であった。
ギルガメッシュは、ゆっくりと自らの両手を見つめた。
神の血を引く、傲然たる黄金の王の、泥にまみれた人間の手。
「ギルガメッシュ、王……」
マシュや藤丸たちが眠るストレージの横で、ノアが痛ましそうに声をかける。誰もが思った。あの誇り高き、唯我独尊の王だ。
己の全能をすべて奪われ、ただの人間と同じ地平に引きずり下ろされた現実に、どれほどの屈辱と絶望を感じているだろうか、と。
王は動きを止め、ただじっと冷たくなった両手を見つめ続けていた。
しんと静まり返る管制室。針が落ちても聞こえるほどの静寂。さしもの賢王とて、この最悪の現実の前には言葉を失い、放心するしかなかった。
――だが、数分間の沈黙の後。
ギルガメッシュの肩が、微かに、ピクリと震えた。
「……ク、クク」
低く、押し殺したような声が漏れる。
「フハ、フハハハ……ッ」
それは、絶望に歪んだ狂気などではなかった。
王はゆっくりと顔を上げると、腹を抱え、管制室の窓ガラスが震えるほどの声で大爆笑し始めたのだ。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 面白い! 傑作だなッ!!」
「ギ、ギルガメッシュ……!? あなた、ショックでおかしくなったの!?」
オルガマリーがホログラムの髪を逆立てて驚愕する。しかし、王の深紅の瞳には、放心の影など一片も残っていなかった。
そこに宿っていたのは、すべてを失ったからこそ、より一層激しく燃え盛る「不屈の烈火」――黄金の精神そのもの。
「神話の原典も、我の蔵も、すべて消え失せたか! 全知の眼すらも曇り、ただの人間と同じ脆き肉体、一つ限りの命に成り下がったか! だが――それがどうしたッ!!」
ギルガメッシュは拳を固く握りしめ、不敵に唇を吊り上げた。
「まだ俺たちは生きている! 生きているならば、ここから何とでもしようぞ! 蔵がなければ、この星の富をすべて我が手で新たに集め、我が宝物庫とすれば良いだけの話! 未来が見えぬなら、我が足跡を以て、新たなる人類の歴史をここに刻むまでのことよ!」
その言葉、その覇気、その圧倒的なカリスマ。
すべてを奪われ、ただの人間へと引きずり下ろされたからこそ、この男の持つ「魂の格」が、むき出しになって新天地の夜明けを照らし出す。
「ノアよ、大統領よ、いつまで呆けている。全能などなくとも、我はウルクを、地球を、人理を繋いできたのだぞ。」
絶望のパニックを笑い飛ばし、圧倒的な王の進撃が、今この瞬間、何もない琥珀色の惑星から始まろうとしていた。