いつものように、モングレルは昼時の“宵の艶花”にやって来た。
「こんちわーす」
「あら、いらっしゃい。モングレルさん」
「あ、シアラさん。どもっす」
「うーん?」
ドアベルの音に気付いたのか、フィオナも厨房から玄関へ顔を向けた。モングレルは天秤棒を担いでいた。
「あれ、どうしたの?」
「ようお疲れさん。落ち着いたって聞いてな。これ見舞いの品」
「あら、立派なボアの脚……」
「いいの? 一本丸々だけど」
モングレルが差し出したのは、丸々としたクレイジーボアの後脚だった。
イノシシ型の魔物だが、豚と同じく後脚が特に美味い。皮付きで血抜きも済ませてある。冬の間にしっかりと肥えたのか、脂の乗った肉が赤々と輝いており、骨の太さからしてかなりの大物だった。
「いいんだって。自分が食う分以外はいつも売っぱらうからな。みんなで食べてくれ」
「まあ、ありがとうございます」
「んー、これなら丸ごとじっくりローストにするか、部位ごとに分けて調理するか……」
脚一本を手に持ったフィオナの頭にあれこれと料理が浮かぶ。
見舞いの品としては随分と豪勢だ。せっかくの上物だから、ただ炙り焼きにするのも少々もったいない。塩とスパイスを擦り込んで弱火と
あれこれと料理の構想を巡らせているうちに、フィオナの目が少しずつ輝いていった。
「あ、あとこれも頼む」
モングレルはもう片方に吊るしていた袋を卓へ置いた。
「いつもの? 御代は二階で一晩でいいよ」
「現金でお願いします」
即答だった。
「じゃ、レバニラと唐揚げ。あとエールを頼むわー」
「はいよー」
何事もなかったかのようにフィオナは袋を受け取ると、調理に取り掛かった。中から新鮮なボアのレバーとハツを取り出し、血抜きと洗浄を始めた。
その間に、モングレルは定位置のカウンター席に座った。
「はい、お待ちどう様」
厨房を眺めていると、シアラがジョッキを持って来た。何故か二つある。
「あ、すんません……」
「別に構いませんよ。お土産を頂きましたから。できれば、夜の営業時に来ていただきたいですけど」
微笑みながら、シアラはジョッキを掲げた。
「絶対に飯だけで済まねぇから嫌です。乾杯」
モングレルはジョッキを持ち上げ、早速エールを一口飲んだ。やはり美味い。
昼間の“宵の艶花”は居心地がいい。客もおらず静かで、食材と代金を持ち込めばフィオナが前世の料理を作ってくれる。それを食べながら酒を飲み、少し雑談する。それだけで済む。
しかし、夜はそうはいかない。
一度見に来たが、前世のビル街にある牛丼屋やラーメン屋を思わせる光景だった。落ち着く頃には、今度は娼婦と、それを買おうとする男たちの時間になる。ゆっくりと飯を食える状況じゃない。
それに、夜のフィオナは怖い。
美人なのは認める。可愛い顔に男好きする身体だ。だが、なぜか俺にだけ野獣みたいな眼光を向け、下半身を舐めるように見てくる。その状態で「おっしゃ、バッチコーイ!」と言われても、なんかその気が失せるのだ。
だから夜には行かない。モングレルはそう決めていた。
「──まったく、あの子は本当に……」
モングレルの言い分に、シアラも苦い表情でこめかみを抑えて頷いた。どうやら反論する余地がないらしい。
「……あれ、なんなの?」
「……フィオナなりの、誘いだと、思うわ……。他のお客さんには、もっとちゃんとしてるのよ……」
シアラはそう言いながらも、どこか自信がなさそうだった。フィオナが娼婦として働く時の姿を知っているからこそ、あれが自分からの不器用な「誘い」なのだと分かってしまう。
「フィオナは、貴方のことを恩人と言っていたわ。だから報いたいと」
「ええ……、そんな大層なことしてないぞ……」
二人は同時に厨房へ目線を向けた。フィオナは内臓を掃除し、エールに漬けたレバーに粉をはたいていた。隣ではヘイゼルがパチパチと油の弾ける鍋を覗き込みながら、唐揚げを揚げていた。
「私が言うのは嫌だけど。一度客として来て寝れば良いんじゃない? そうしたらフィオナも落ち着くと思うわよ」
「いや、遠慮するわ。ぜってーそれだけじゃすまねぇ」
正直、何度も誘われてるし一回ぐらいはいいかなーとは思うが、なんかそれだけでは済まなそうな感がある。前世で鍛えられた地雷センサーがビンビンに働いてんだ……。
だから分かる。フィオナは結構めんどくさくなるタイプだ。百合に挟まる男になるなんぞ、ごめんだぜ……。
「そこが可愛いのに……」
「俺はそんな性癖も趣味もねーよ……」
「そう? まあ、いいわ」
シアラは肩を竦めた。
恩には恩を。自分にできることを探して、料理を作る。それでも足りないと思えば、身体まで差し出そうとする。
フィオナは、そういう人間だ。
「それより、貴方。今回の件を聞きに来たんでしょう?」
「……今回の件?」
「あら、それを聞きに来たんじゃないの? わざわざ手土産を持ってきたのに」
「いや、普通に飯食いたかったんだが……」
「ふふふ、そう。私が早とちりしちゃったみたいね」
シアラはおかしそうに笑った。
「まあ、ついでだから聞いて。大した内容でも無いし、少し愚痴も言いたいのよ」
「そう、なのか? 相手は没落しても貴族だろうに」
「元貴族だから、よ。それに互助会だけでなく、色街全体が動いたから大丈夫よ。今回の一件はやり過ぎだもの」
顛末は、呆気ないものだった。
店を襲撃した従士と、雇われた男共は犯罪奴隷となった。都市内で剣を抜き、盗賊行為に及んだからだ。従士たちは喚いたそうだが、誰からも庇われることもなく、既にどこへ送られたのかも分からない。
元従士の起こした騒動について、没落貴族が従士に店を襲うよう命じたことを裏付ける証拠はなかった。従士は尋問の結果、命令だと証言したが、没落貴族側は既に解雇した男が勝手に行ったこととして関与を否定した。
ただ、「迷惑をかけたことは遺憾である」として、相応の謝意金が支払われた。そういうことになった。ただでさえ少なくなっていた家の財産は、それだけ目減りした。
目減りしたとはいえ、これから慎ましい生活を送るだけなら困ることはない。だが、貴族としての権力はとうに失われている。財力も削られ、なにより今回の一件で面子まで潰された。
貴族としては、もう死んだも同然だった。
「貴族としての再起はほぼ不可能ね。今回の一件で多くの人脈まで喪ったそうよ」
「そうなのか?」
シアラは、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「だって、『娼婦に負けた』のよ? 従士は裸の娼婦にやられる程度。それを雇っていた本人もその程度の目利き。だから没落したんだ、ってね。そういう噂まで流れてるわ」
「ああ、そんな奴と一緒にいたら同類と思われるってことか」
「そ。ケイオス卿の発明品で顧客を失い、商売も傾いた。爵位も失って、残った財産を食い潰しながら生きているような家よ。そこへ今回の一件でしょう? 色街もやられっぱなしじゃない。今までの悪評も出てるし、もう誰も近づこうとしないわ」
「……ほーん。徹底的だな」
「自分で招いた結果よ」
シアラは残っていたエールを飲み干した。
「まあ、これで一件落着。店の方も、もう大丈夫でしょうね」
「そりゃ、良かったな」
そりゃ色街だって横暴な客が弱っていたら潰しにかかるか。モングレルは内心ごちた。もしまたちょっかいをかけるようだったら、と思ったが、それは要らなそうだ。
「はーい、おまちどおさま。レバニラとハツの唐揚げね。あと、これオマケ」
丁度、フィオナが料理を持って来た。レバニラ炒めにゴロリと大きい唐揚げ。そして、オマケと言って出したのはスープが入った椀と、半円に盛られた黄金色の飯だった。
「……おい、これ」
「鳥ガラスープと炒飯だね」
量は他の料理との兼ね合いか少なめだが、ネギとニンニクの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。卵の黄色と脂の照りで黄金色に輝き、青ネギがところどころに散っている。シンプルな卵炒飯だ。
「米、じゃあないな……」
「
鍋にボアの油脂とニンニク、青ネギを火にかけて香りを出し、米化した
色々と試した中では、これが一番米に近かった。
「ほー……、確かにパラパラで米っぽいな……」
モングレルは匙で掬いながら、炒飯を口に入れた。
フィオナは、その様子をじっと見ている。こういう時だけは妙に期待している顔だった。
「──うんまい! 食感とかはかなり米だな!」
「ふふん、でしょ?」
そこからは、モングレルはいつもの幸せそうな顔で、しっかりと完食した。
食後の麦茶を飲み干した後、モングレルは帰っていった。
その後、フィオナたちも“宵の艶花”の面々と炒飯とスープを食べた。
「フィオナさん」
食べ終えて食器を洗っているとき、ヘイゼルが話しかけてきた。決心がついた顔だった。
「決めました。私、料理人として働きます」
「そっか」
「……正直、娼婦になることから逃げたんだと思います。フィオナさんが怪我した時や、シアラさんたちの接客を見て、私は、興奮するよりも、怖かったんです」
「うん」
「でも、料理をしている時は、ちゃんと自分の仕事をしているって思えたんです」
ヘイゼルは真っすぐにフィオナを見つめた。
「私、料理を作るのが好きです。誰かが美味しいって食べてくれるのが、嬉しいんです。だから、もっと上手になりたいんです」
フィオナは、ゆっくりと口を開いた。顔には微かに笑みを浮かべている。
「いいと思うよ。シアラも最初に言っていたと思うけど、ここは無理に身体を売る店じゃない。美味しいごはんを出して、食べてもらって元気になってもらう場所でもあるからね」
「──はい!」
ヘイゼルは嬉しそうに笑った。
その顔を見て、フィオナは少しだけ目を細めた。自分の気持ちを素直に口にして、自分で進む道を決めた。
名前もなく、人生を決められなかった自分には、そんな選択肢はなかった。
少し、羨ましかった。
「そうだね」
もう一度、フィオナは小さく笑った。
「早速だけど、今晩からはもっと忙しくなるよ。覚悟してね、ヘイゼル」
「はい!」
元気よく返ってきた声に、フィオナはまた少しだけ笑った。
そして、日も暮れ始めた頃。今日の日銭を稼ぎ終えた男たちのざわめきに、女たちの甘い呼び込み。軒を連ねる店先に灯りが点りはじめ、街はゆるやかに夜の顔へと変わっていった。
いつものように、“宵の艶花”は開店した。
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ちょっとぐらいは書き溜めしたいので、しばらく更新休みます。
もうこれで終わりで良いんじゃねーかなーとも思うけど。
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