闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
大広間へ続く廊下に差しかかったところで、私は足を止めた。
少し先に、見慣れた三人組が立ち尽くしている。
ハリー。ロン。ハーマイオニー。
その三人の視線の先……壁際には、何かがぶら下がっていた。
「これはいったい?」
近づいてみて、それが猫だと分かった。フィルチさんの飼い猫、たしか名前はミセス・ノリス。尻尾をたいまつの金具に絡められ、逆さまに吊るされている。身体はぴくりとも動かない。
そのすぐ後ろの壁には、赤い文字が大きく走っていた。
私は声に出して読む。
「『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』……?」
指先で文字の端を少しこすった。
赤い。妙に生々しい色をしている。
「しかも血で――」
そこまで言って、指先についたものを見直す。臭いを確かめると、嗅ぎなれない臭いだった。
「……ないですね。これ、血じゃなくてペンキです」
「フィナ、違うんだ、これは……」
ハリーが慌てて口を開いた。私は振り返る。フィルチさんにそこまでの恨みでもあったのだろうか?
「三人とも、なんでこんな悪趣味ないたずらを?」
「だから僕たちじゃない!」
ロンが叫んだ。
「来たときにはもうこうなってたんだ!」
「そうなの?」
私は首を傾げた。疑うというより、単純に状況が分からない。
「じゃあ、誰がこんなことを……」
ひとまずミセス・ノリスを降ろす。身体を抱き上げて床に寝かせると、杖を取り出した。
「まあ、猫を戻せば本人に聞けるでしょう」
「猫に聞くの?」
ロンが思わず聞き返す。
「起きれば、少なくとも何があったかくらいは分かります」
杖先をミセス・ノリスへ向ける。
「エピスキー」
軽い治癒呪文。反応なし。眉を寄せ、今度は状態異常を解除する呪文。それでも何も起こらない。
「……あれ?」
もう一度。今度は少し慎重に。やはり駄目だった。
「死んでるの?」
「うーん、死んでるって感じじゃない。石になってる……というか、石化に近いのかな」
ミセス・ノリスの身体を調べながら、私は首を傾げた。
普通の石化呪文なら、解除はそれほど難しくない。けれど、さっきからいくつか試しているのに、まるで反応がない。
そのときふと、嫌な予感がした。この症状を、私は知っている。
「……まさか」
もう一度、瞳を確認する。
通常の解除呪文では戻らない石化。身体そのものに目立った損傷はないのに、生命活動だけが妙な形で固定されている。間違いない、以前何度も作ったことがあるのだから間違えようがなかった。
分霊箱で壊れないようにできるのは生物以外で、生きた身体にはそのまま応用できない。生体を器にしても、普通に傷つき、普通に死ぬ。
ならば生きたままでも似たようなことはできないか。そう考えて、いくつか方法を試した。
そのとき使ったのが、うちで飼っている子たちの能力だった。
バジリスクの邪眼。本来なら、まともに目を合わせた時点で即死する。けれど、鏡や水面のようなものを介して間接的に視線を受けた場合、威力が弱まり、死には至らず石化する。
そして、その石化は普通の呪文では解除できない。
目の前のミセス・ノリスは、それによく似ている。
「……うん。たぶん、これですね」
だとすれば、治し方も知っている。魂ごと弄るので少々荒っぽい方法だけれど。私は杖を構えた。
そのときだった。大広間の扉が開いて夕食を終えた生徒たちが、どっと廊下へ流れ出してくる。
最初に誰かが叫んだ。
「ミセス・ノリスだ!」
続いて別の声。
「ミッドナイトが猫に魔法をかけてたぞ!」
その一言で、空気が変わった。
「え?」
確かに、傍から見ればそう見える。倒れたミセス・ノリス。壁の不気味な文字。
その前で杖を突きつけている私。
「違う!」
ハーマイオニーがすぐに声を上げた。
「セレフィナは私たちより後に来たの! 猫がこうなったときには、まだここにいなかったわ!」
その言葉をきっかけに、周囲へざわめきが広がった。
「じゃあポッターたちがやったのか?」
「スリザリンの仕業じゃないのか?」
「継承者って誰だよ?」
「ミッドナイトじゃ――」
あっという間に声が重なっていく。
しばらく周囲を見回していたが、煩すぎる。この呪文にはそれなりの集中力と魔力が必要だ。
もう一度、モノクルを掛けてミセス・ノリスを見る。ざわめきがさらに大きくなる。誰かが後ろから押す。前列の生徒がよろめく。
「ちょっと静かにしてください」
誰も聞かない。私は杖を軽く振った。
「シレンシオ、黙って!!!」
空気が、一瞬で静まり返った。数十人分の口が動いているのに、声だけが出ない。異様な光景だった。
ロンが目を丸くする。
「これで考えられますね」
私はしゃがみ込み、ミセス・ノリスの瞳を覗き込んだ。
その直後。
「ミセス・ノリス!」
廊下の奥から悲鳴が上がった。ホグワーツの管理人アーガス・フィルチだった。
生徒を押し退けるように走ってくる。
猫と壁を見て、そして猫のすぐ横で杖を持っている私を見た。
顔が真っ赤になった。
「お前……!」
「フィルチさん?」
床に倒れたミセス・ノリスと私を交互に見て、彼は歯を剥くように叫んだ。
「お前がやったのか!よくも私の猫を」
まるで話を聞く様子がない。
このまま詰め寄られても面倒なので、私は杖を向けた。
「煩いですよ!!ちょっと待ってください。インペディメンタ!!足止め!!」
面倒なので、とりあえず足止めする。呪文をまともに受けたフィルチさんの足が止まり、その身体がぐらりとよろめいた。
けれど、それで頭まで冷えたわけではないらしい。
むしろ逆だった。
「この……!」
激昂したフィルチさんは、手に持っていた大きめの杖をこちらへ向けた。
あれ、お母さんが作ったやつだ。
魔力をほとんど持たないスクイブでも、内部に蓄えた魔力を使って簡単な魔法を発動できるようにした補助杖。そういえば、試作品のひとつをフィルチさんに渡していたっけ。
……それを、よりによって私に向けるとは。酷い話だ。
ただ、起動も襲いし、そもそも杖自体を振りなれているとは思えない。
考えるより先に杖が動いた。
「エクスペリアームス!!」
乾いた音が響く。
フィルチさんの杖が勢いよく手を離れ、くるくると宙を舞って廊下の反対側へ転がった。本人もその反動で大きくよろめく。
「危ないですよ」
「お、お前……!」
フィルチさんが何か言っているけれど、もういい。私はさっさとミセス・ノリスの前にしゃがみ込んだ。
どう見ても普通の石化ではない。けれど、原因が私の考えている通りなら、治し方はある。
マンドラゴラを使った正規の治療法ではないけれど、まあ猫だからいいだろう。
杖先をミセス・ノリスの額へ向ける。
「やめろーっ!」
フィルチさんの絶叫が廊下に響いた。
まあ、気持ちは分からなくもない。さっき猫に魔法をかけていた様に見える人間が、今度は何やら聞いたこともない呪文を使おうとしているのだから。
でも説明している時間が惜しい。
「大丈夫です。たぶん」
「たぶんだと!?」
私は杖を振った。短く呪文を唱える。
次の瞬間。
杖先から放たれた強烈な赤い光が、ミセス・ノリスの身体へ叩き込まれた。廊下が一瞬、真紅に染まる。
「ミセス・ノリス!」
フィルチさんが悲鳴を上げる。
けれど…………ぴくり。
ミセス・ノリスの前脚が動いた。続いて身体が小さく震える。固まっていた瞳が瞬きをして、猫は苦しそうに一度大きく息を吐いた。
「……にゃあ」
起きた。よかった。私はほっとして杖を下ろした。
ミセス・ノリスはゆっくりと頭を持ち上げると、周囲を見回した。
少しぼんやりしているけれど、身体に問題はなさそうだ。まあ、ちょっと記憶とかに欠落があるかもしれない。それから魂にちょっと傷がついているかもしれないけど、それは破魂呪文の応用なのでしょうがない。
これはもともと、実験のときに石化させた生き物を簡易的に回復させるために作った呪文なのだ。多少の副作用くらいは許してほしい。
「ミセス・ノリス……!」
フィルチさんが駆け寄ってきて、ミセス・ノリスを抱き上げる。
腕の中で猫が小さく鳴いた。
それを聞いたフィルチさんは、しばらく信じられないようにミセス・ノリスを見つめていたけれど、やがて恐る恐る私のほうを向いた。そして、なにやら呟く。
「はい?」
「悪かった。お前がやったものだとばかり……」
ずいぶん小さな声だった。
「別にいいですよ。状況的にはそう見えたでしょうし」
杖まで向けられたのはどうかと思うけれど。
なによりミセス・ノリスも元に戻ったのだから、それでいい。
「それより、一応しばらく様子を見てください。変なところがあったら教えてくださいね」
「わ、分かった」
フィルチさんはミセス・ノリスを大事そうに抱え直した。
そこで、人垣の向こうから穏やかな声がした。
生徒たちが道を開ける。
ダンブルドア先生だった。その後ろにはマクゴナガル先生やスネイプ先生もいる。
先生は壁に書かれた赤い文字を見て、それからフィルチさんの腕の中にいるミセス・ノリスを見た。最後に私を見る。
「ミス・ミッドナイト、何があったのか、説明してくれるかの?」
「もちろんです。まず――」
そこで、妙なことに気づいた。
静かだ。
あれだけの生徒が廊下を埋め尽くしているのに、さっきから誰一人として声を出していない。いや。正確には、みんな口は動かしている。
「あっ、すみません。フィニート」
沈黙呪文を思い出して、杖を軽く振る。
途端に、
「――何だったんだよ今の!」
「急に声が出なくなって――!」
「ミッドナイトがやったんだ!」
「猫が動いてる!」
堰を切ったように廊下へ声が戻った。ダンブルドア先生が生徒たちを見渡し、それからまた私を見る。
「……まずはそこから説明してもらったほうがよさそうじゃの」
「これは単に、煩かったので」
隣でマクゴナガル先生がこめかみを押さえた。
「どうぞ、私の部屋で」
ロックハート先生にそう促され、私たちはそのまま彼の部屋へ移ることになった。
中に入ると、壁という壁に本人の肖像画が掛けられている。笑っているロックハート先生、杖を構えているロックハート先生、横顔のロックハート先生。どこを見ても本人がいるので、落ち着かないことこの上ない。
そんな部屋の中央で、私たちは順番に事情を説明することになった。
とはいえ、私が話せることはそう多くない。
「私が着いたときには、もうミセス・ノリスはあの状態でした」
ダンブルドア先生は静かに頷き、そのあと私が彼女へ魔法を使った理由を確認してきた。
「かなり強い石化がかかってたんです。普通の石化呪文とは少し違ってて、いつもの解除呪文じゃ戻らなかったので、それで別の方法を試しました」
「それであの魔法を使ったわけかね」
ダンブルドア先生は何か考えるように髭を撫でた。あえてなのか、それ以上についてダンブルドア先生が聞いてくることは無かった。
その横では、スネイプ先生が最初からずっとこちらを見ている。あまり好意的な視線ではない。というより、何か余計なことをしていないか確認している目だ。
まあ、普段の私を考えれば仕方ない。
続いてマクゴナガル先生から、どうしてその場にいた生徒全員へ沈黙呪文をかけたのかと聞かれた。
「あれは本当に、静かにしてほしかっただけです。みんな一斉に喋るから、集中できなくて」
横でロンが吹き出した。
マクゴナガル先生はしばらく何か言いたそうにしていたけれど、結局は深いため息だけで済ませてくれた。
それから話題は、壁に書かれていた文字へ移った。
秘密の部屋。継承者。敵。
どうやらホグワーツには、ずいぶん昔からそういう伝説が残っているらしい。
サラザール・スリザリンが学校のどこかに秘密の部屋を作り、その中に怪物を残した。そしていつか真の継承者が部屋を開き、学校から相応しくない者たちを追い出す。
ずいぶん物騒な話だった。本当なら、もう少し早く教えてほしい。
そのあともいくつか質問を受けたけれど、結局、私たち四人は解放された。
ロックハート先生の部屋を出て、しばらく廊下を歩く。
さっきまで大人たちに囲まれていた反動なのか、誰もすぐには口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのはハリーだった。
「実はさ。あそこに行く前、声を聞いたんだ」
私は足を止めた。
聞けば、誰かが「殺してやる」といったことを繰り返していて、その声を追いかけていった結果、ミセス・ノリスのいた廊下へ辿り着いたらしい。
改めて聞くと、かなり怖い話だ。
ロンも同じことを思ったらしく、露骨に嫌そうな顔をした。
ただし、問題が一つある。
その声を聞いたのはハリーだけだった。
ハーマイオニーもロンも何も聞いていない。
私は少し考えながら、三人の顔を順番に見る。
ハリーだけに聞こえた声。石化した猫。壁に書かれた警告。そして、秘密の部屋。
材料だけ並べると、とても推理できそうに見えるのに、実際には何一つ繋がらない。
客観的に見れば、ハリーが何か悪戯をしたと考えるのが一番単純だ。でも、それだとミセス・ノリスにかかっていた石化が説明できない。あれは、ハリーがその場で思いついてかけられるような魔法ではなかった。
「うーん……秘密の部屋については、まだ何とも言えないなあ」
ハリーは、でも壁にあんなことが書いてあっただろうと言う。
それは確かにそうなのだけれど、私はどうにも引っかかっていた。
「声は『殺してやる』とか、そういう怖いことを言ってたんでしょう? なのに壁には、ご丁寧に『気をつけよ』って警告まで書いてあるんだよね」
本気で誰かを片っ端から襲うつもりなら、黙ってやればいい。
わざわざ自分が来たことを知らせて、しかも注意まで促す必要はない。
ロンもそこは少し引っかかったらしく、確かに、と呟いた。
「だから、秘密の部屋の怪物だって決めつけるのはまだ早いと思う。案外、ゴーストとかだったりして」
今度はハーマイオニーが怪訝そうな顔をする。
私はそのまま続けた。
「壁を通れるし、声がどこから聞こえてるか分からなくても不思議じゃないし。それにホグワーツなら、変なのが一人くらいいてもおかしくないでしょう」
その言い方に、ロンがすぐ反応した。
首なしニックに怒られるぞ、と。
「ほとんど首なし、ね」
そこだけは訂正しておいた。
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