闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
私は壁に背を預けたまま、少し呼吸を整えた。
「偉大な魔法使い? 他人を従わせるために磔の呪文を使う人が、それを語るの?」
トムの眉がわずかに動いた。
「何?」
「あなたが誇ってるのは、結局『逆らう相手を黙らせられる力』。強いのは認めるよ。でも、それと偉大なのは別」
私は痛みの残る身体を壁に預けたまま、まっすぐ睨み返した。
「魔法を知っていることも、強い呪文を使えることも、それだけならただの能力。それを何に使ったかで価値が決まる。それなのに、あなたは人を傷つけて従わせることばかり考えてる。そんな使い方しかできないなら、どれだけ強くても大した魔法使いじゃない」
返事はない。私はそのまま続ける。
「私はそんなものになるためにホグワーツへ来たんじゃない。もっと魔法を知りたいし、今は禁止されてる魔法だって、ちゃんと調べれば役に立つものがたくさんあると思ってる。それを使えるようにして、魔法族が今より便利に、豊かに暮らせるようにしたい」
闇の魔術そのものが悪いとは思わない。魂を扱う魔法も、人の精神へ作用する魔法も、危険だからという理由だけで全部まとめて捨てるのは馬鹿げている。
だからこそ。
「そんな私からしたらヴォルデモートみたいなのは、死んでも御免」
トムの目が細くなった。
「……ほう」
「せっかく使い道のある闇の魔術を、人を殺したり脅したりすることにしか使わなかった。おかげで今じゃ、闇の魔術って名前を出しただけでみんな怯える。危険だから禁止、研究も駄目、触れるのも駄目。ずいぶん立派な功績だね。まさに歴史的な無能」
トムの顔から、少しずつ笑みが消えていく。
私は構わず続けた。
「それで成し遂げたことは何? それがないから、あと十年もすればヴォルデモートなんて名前を誰も覚えていない」
「サラザール・スリザリンの血を引く者として、その男を侮辱するのか?」
そこは即答した。
「私は成し遂げたことで偉大になる。今さら血なんかで偉大にしてもらおうとは思わない。ヴォルデモートやスリザリンの名前を借りないと、自分の価値も語れないあなたとは違う」
沈黙が落ちた。
さすがに、少し言いすぎただろうか。
けれど、トムは怒鳴らなかった。
一瞬だけ目を細めたあと、なぜか口元を歪める。そして、突然笑い始めた。
最初は小さく。やがて、本当におかしくて仕方がないというように、肩を揺らして笑う。
「……何がおかしいの?」
「いや。実に面白いと思ってな」
トムは杖を持ち上げ、その先を空中へ向けた。白い光が走り、宙に文字が浮かぶ。
TOM MARVOLO RIDDLE
さっき名乗った名前だった。その文字が一つずつ動き始め、位置を入れ替え、やがて別の言葉を形作っていく。
I AM LORD VOLDEMORT
私はそれを読む。
それから、ジニーの顔を見る。
トムは笑っていた。
「ヴォルデモートは私の過去であり、未来であり、現在なの」
「…………」
なるほど、本人だったらしい。
私は少しだけ考えてから、改めてジニーの身体を使って立っているトムを見た。
「……赤ん坊に負けて消えたあと、今度は十一歳の女の子の日記に潜り込んで身体を借りてるの? ずいぶん偉大になったね。次は何? もっと小さい子に取り憑くの?」
トムの笑顔が止まった。
「……お前は、自分が誰を前にしているのか分かっているのか?」
さっきまでの余裕が、声から少しだけ消えていた。
そして、その反応を見たせいか、私は逆に冷静になっていた。
ジニーの身体を使って喋っている、ヴォルデモート。本人は十年以上前に消えたはずなのに、今ここにははっきりと意思が残っている。
なら、これは憑依だけではない。
私は眼鏡の片側だけレンズを切り替え、目の前にいるものを改めて見る。
ジニーの身体ではなく、その内側に重なっている魂。
そして、その魂から細く伸びた繋がりの先に、床へ落ちている黒い日記帳があった。
ようやく分かった。
「……ああ。分霊箱、そういうこと」
トムの顔が変わった。
「……なぜ、その言葉を知っている? …………そうだ、それが故に不死。魂を切り離し、外部に固定する。肉体が滅びようとも、分霊箱さえ残れば私は死なない」
トムは再び笑みを取り戻した。
「覚えておけ。ヴォルデモート卿は滅びてはいない。いずれ再び肉体を得て、この世へ戻る。死そのものを超えたのだ。だからこそ――」
妙に自信満々だった。
「はははははは」
堪えきれずに私が笑うと、トムの言葉が止まる。
「……何がおかしい」
「だって、そんなに自信満々に言うから。分霊箱ごときで偉大な魔法使いを名乗れるなら、私、五歳のときにはもう偉大な魔女だったことになっちゃう」
笑いを抑えながら、私は黒い日記を見る。
「なんだと」
私は息を整えた。
まだ全身には磔の呪文の痛みが残っている。脚は震えるし、指先にも力が入り切らない。
「でも、分霊箱ごときに、ここまでやられたのは初めて」
その瞬間、私は床へ手を伸ばした。
杖を拾う。トムも同時に動いた。
「クルーシオ!」
私も杖先を向ける。
ただし、狙うのはジニーではない。
床に落ちている黒い日記帳。
「クルーシオ!」
二つの磔の呪文が、ほとんど同時に放たれた。
次の瞬間、全身を引き裂くような苦痛が戻ってきた。
「ああああああっ!!」
「ぐ……あああああっ!」
膝から力が抜け、視界が大きく揺れる。さっきまでどうにか持ち直していた身体が、また自分のものではなくなっていく。
それでも、今度は杖を離さなかった。指が痙攣しても、握ったまま離さない。
杖先は床に落ちた黒い日記へ向けたままだ。私が狙っているのは、革でも紙でもない。
その中にいるもの。固定された、トム・リドルの魂だ。
さらに魔力を押し込む。
日記そのものには何も起こらない。表紙が焼けるわけでも、ページが裂けるわけでもない。
けれど、その向こうでトムの顔が大きく歪んだ。
トムの杖先が揺れる。
それでも磔の呪文はまだ切れない。こちらも全身を焼かれながら、互いに相手の魂と身体へ苦痛を流し込み続ける。
我慢比べなら、たぶん私の方が不利だ。身体はもう三度も磔の呪文を受けている。
だから、我慢比べをするつもりはなかった。トムが息を詰まらせながら、こちらを見る。
「なんだ……これは……まさか、この魔力の質……」
その表情から、初めて余裕が消えていた。
何かに気づいたように目を見開く。でも、遅い。トムの集中がほんの一瞬だけ途切れた。
それで十分だった。私の身体を貫いていた痛みが薄れる。
磔の呪文を切って、そのまま杖を持ち替え、日記へ向けた。
さっきまでとは違う。これは苦しめるための魔法ではない。魂そのものを壊すための魔法だ。
日記の周囲に、目には見えない何かが浮かび上がる。
ジニーの身体に重なっていたトムの魂と、黒い日記とを結んでいる太い繋がり。
そこへ杖先を突きつける。
「ソールム・フランゴ、魂砕け!!」
空気が震えた。
トムの身体――いや、ジニーの身体から、黒い影のようなものが一気に引き剥がされる。
「な――」
トムの声が途中で途切れ、影の輪郭が崩れる。
これでジニーは大丈夫だ。
そして、壊すならもっと確実な方法がある。
私は顔を上げた。少し離れたところで、バジリスクが目を閉じて待機していた。
『口を開けて』
バジリスクが素直に大顎を開く。
長い牙が露わになる。中でトムの魂が何かを察したらしい。日記が激しく暴れ始める。
私は日記をバジリスクの口の中に放り投げた。
『噛んで』
バジリスクの頭が動く。
巨大な牙が、黒い日記帳を貫いた。
「あああああああああああああ――!!」
トムの絶叫がトイレ中に響き渡り、途中で不自然に途切れた。
あとには、バジリスクの牙に刺さった壊れた日記だけが残る。
私はしばらく、それを眺めていた。
さっきまであれほど喋っていたのに、もう何の反応もない。
魂を見るためのレンズへ切り替えても、残っているのは散りかけた魔力の残滓だけだった。
今度こそ、終わったらしい。
「……よし」
まず、バジリスクを見る。
このままトイレに置いておくわけにはいかない。
『戻って。下の部屋から出ないで』
巨大な蛇は少しだけ頭を傾けたものの、素直に穴の中へ身体を滑り込ませていった。ずるずると長い胴体が暗闇へ消えていく。
私は壊れた日記を拾い上げ、それも穴の中へ放り込んだ。
完全に壊したとは思うけれど、念のためだ。何より、こんなものが見つかって闇の魔術の評判がさらに悪化しては困る。
洗面台が元の位置へ戻り、さっきまで人一人どころかバジリスクまで通れそうな穴が開いていたとは思えないほど、普通の女子トイレへ戻った。
そこで、ようやく全身から力が抜けた。
「……疲れた」
壁へ背中を預け、そのままずるずると床へ座り込む。
身体中が痛い。
特に、磔の呪文を受けたところはまだ神経の奥に熱が残っているようで、何もしていなくても細かく震えていた。
顔もひどい。涙で頬は濡れているし、口元には唾液まで残っている。ローブにも汚れがついていた。それどころか、あまりに酷い痛みだったせいで、下着まで濡れている。
「……最悪」
さすがにこの姿で人前へ出るのは嫌だった。私は震える手で杖を持ち上げる。
「スコージファイ」
身体と衣服についた汚れだけをまとめて落とす。完全に元通りとはいかないけれど、少なくとも見た目は多少まともになった。
そこで、床に倒れているジニーのことを思い出した。
「ジニー」
慌ててそちらへ這うように移動する。
意識はない。
でも、息はしているし脈もある。
魂を見ると、さっきまでジニーの魂の上へべったりと重なっていた異物はもうない。ひどく乱れているけれど、少なくとも今ここにいるのはジニーだけだ。
「よかった……」
本当に…………そこだけは、心から安心した。
私はジニーの上半身を起こし、壁へもたれさせる。
少しして、彼女の瞼が震えた。
「……フィナ?」
「うん」
目を開けたジニーは、しばらく何が起きたのか分からないように周囲を見回していた。
それから、自分が女子トイレの床へ座り込んでいることに気づき、急に顔色を変える。
「私……また……?」
声が震えていた。
たぶん、全部ではなくても何かは分かっていたのだろう。
記憶の空白。知らない場所。自分がした覚えのないこと。
「大丈夫」
私はできるだけ普通の声で言った。
「あの日記が原因だった。もう処分したから」
ジニーがこちらを見る。
「日記……?」
「うん。中に変なのが入ってたけど、もういないよ。壊したから、たぶん二度と出てこない」
その言葉を聞いて、ジニーの顔から少しだけ力が抜けた。
けれど、安心したのも束の間だった。
今度は私の方に問題が残っていることに気づいた。
先生たちへ、何と説明する?
秘密の部屋は実在して、バジリスクもいた。事件を起こしていたのは、ジニーを操っていたトム・リドルの分霊箱。
そして私は、その分霊箱を壊した。
正直に全部話せば、事件そのものはかなり綺麗に説明できる。
でも…………
「……分霊箱は、まずいかも」
「え?」
「ううん。こっちの話」
分霊箱。
魂を分割して物体へ定着させる魔術だけど、一部の悪用によって闇の魔術ということにされている。しかも、それを利用した結果、ホグワーツの生徒が乗っ取られ、バジリスクによる襲撃事件まで起きた。
こんな事例が公になればどうなるかは、かなり容易に想像できた。
危険な魂魔法。生徒を操った禁術。秘密の部屋事件の原因。
ヴォルデモート一人が馬鹿な使い方をしたせいで、また研究できる魔法が減る。
死んだあとまで迷惑な人だ。
しかし、だからといって、「犯人はいませんでした。事件は終わりました」で済ませるわけにもいかない。
ミセス・ノリスは実際に石化している。壁には警告まで書かれている。学校中がスリザリンの継承者を探している。
ここで何も説明せずに事件だけ止まれば、今度は犯人がまだ学校内に潜んでいると思われる。
分霊箱がジニーを操っていたなどと話すわけにはいかない。
でも、事件を終わらせるには、誰が何をしたのかという説明が必要になる。
私はしばらく黙って考えてから、深い溜め息をつくのだった。
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