if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
※次回投稿は9/26を予定しています。
なお、第二章本編は10/3開始予定です。
《綾小路清隆》
一定のリズムでまな板を叩く包丁の音。鼻腔をくすぐる少し甘いような匂いと肉の焼ける香ばしさ。そして慣れない、毛足の長いラグの感触。
視線を上げれば、行儀悪く胡坐をかきながらこれ見よがしにため息をつく伊吹と、我関せず端末を操作する櫛田。
オレは今、堀北の部屋で彼女が夕食を作るのを待っていた。
なぜ買い出しに出かけただけのオレがこんな状況にいるのか。居心地の悪さから目を逸らすように、今までの経緯を回想する。
それは丁度一時間ほど前、スーパーでの出来事だった。
◇
ポップな、それでいて安っぽい呼び込みのBGMが響く店内をうろつく。
手元の籠には約一ヵ月手に取っていない豚ロース肉――これが無料の食材として並ぶことは滅多にない――。今夜は生姜焼きの予定だった。
五月に入りポイントが振り込まれたこともあって、ようやっと倹約生活ともおさらばできる。
それに、今度からひよりに弁当を作る約束もしているのだ。彼女にまずい飯を食わせるわけにはいかない。今のうちに練習しておかなければならないからな。
レジに向かおうかとした瞬間、予想外の人物に出くわした。
「あら、綾小路くん。奇遇ね」
「堀北か。お前も買い出しのようだな」
声をかけてきたのは制服姿の堀北鈴音。
今ではすっかり調子を取り戻しているようで、彼女の特徴でもある烏の濡れ羽色の髪は、以前のような艶やかさを惜しげもなく見せつけていた。そして、左側だけに編み込まれた髪に、対照的な白いアクセントの紐が映える。
――いや、何をまじまじ見ているんだ。
冷蔵ケースから漂ってきた冷気が、散漫になった意識を戻してくれた。
どうにも、調子が狂う。もっとも、別に彼女に惹かれているわけではない。
だが、ビジネスパートナーとして成長を見守ってきた彼女が見せた予想外の一面は、未だオレの内でほのかな熱を持って燻るかのようだった。
「何よ。鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「いや、何でもない」
ここらで一つからかってやろうかとも思ったが、また突飛な行動をしてこないとも限らない。結局、オレは自重することを選んだ。
あの一件以来、どうしたって今まで通りとはいかないようだ。
オレを変えて見せる、と意気込んでいたが、その目論見はどうやら達成されているのではないか、と思ってしまう。
「珍しいわね、綾小路くんが自炊なんて。あなた料理なんて全然していなかったじゃない」
「最近は料理にはまっているからな。今夜の献立は生姜焼きだ」
これ見よがしに玉葱と豚ロースを示す。料理上手な堀北になら伝わるだろう。
彼女は籠に手を突っ込み、大ぶりな玉葱をしげしげと見つめる。数瞬、彼女の目に向けていたオレの視線は、それに遮られる。
そして、彼女がそれを自分の買い物籠に入れるなり、先ほどと同じ表情のままこう言い放った。
「それなら、私が作ってあげるわよ」
「……何が目的だ?」
「別にポイントもお願いも要求しないわ。前にも一度あったじゃない。……そういえば最後に作ってあげたのは一年生の学年末だったかしら」
その時の出来事があるからオレは警戒しているんだが。
しかし、堀北の料理は掛け値なしに美味い。今後の参考にもなるだろうから、お願いしたいのが本音だ。
ほんの少しだけ悩んだ挙句、オレは提案に乗ることにした。
――だが、あえて彼女が持ち掛けてきた理由は聞かないことにする。
何よりも鮮烈な出来事がありながら、曖昧なままにしている関係性。これを直視し続けることで不可逆な変化が生じることが、少しだけ惜しくなったからかもしれない。
だからオレは口をつぐんで、何も言わずに彼女の買い物籠を手に持った。
堀北も一瞬だけ満足げな顔を浮かべ、いつものすまし顔のまま先へと歩き出す。
変わらない一歩半の距離。それなのに、どうにもしっくりこないのが、少しだけ可笑しかった。
◇
目を閉じて回想に耽っていると、キッチンの方から大きな声が届く。
「ほら、できたわよ」
お盆に皿を乗せた彼女は、手際よくテーブル――新調したようで、一年生の時より大きなものになっている――に皿を並べていく。
豚ロースの生姜焼きに付け合わせの千切りキャベツとトマト。副菜には小松菜のナムルが小鉢で添えられていた。
「いただきます」
香ばしい風味を漂わせる肉を一切れ、くし切りにされた玉葱と一緒に口へ運ぶ。
彼女の出身地、九州の特徴だろうか、少し強調された甘味と生姜のピリっとしながらも爽やかな香りが、次の一口を急かすかのような満足感を与えてくれる。
ご飯との相性も抜群だ。何だかんだ、今日は来てよかったと言える。
「……それで、なんで綾小路がいるわけ?」
不自然な沈黙に耐えかねたかのように、伊吹が口火を切る。それを聞いた堀北は、箸を置いてから返答をした。
「私が呼んだからよ」
「なんで」
「彼のことを知りたかったから。あなたも気になっていたじゃない?」
それを聞いて伊吹は不満そうな顔を隠さないながらも、一度置いた茶碗に再度手を伸ばした。
反発するオレの存在を認めたくない気持ち半分、好奇心半分といったところか。
それにしても、やっぱり堀北には目的があったようだ。
オレのことを知りたいとは、物好きなものだ。
彼女は事あるごとにオレを詮索しようとしてきたが、その度にオレは拒絶してきた。それはオレ自身のためでもあるし、何より彼女のためでもある。
しかし今は、多少の自己開示――あくまで内面にとどめるつもり――はしてもいいだろうと思っている。
徹底した秘密主義による非対称な人間関係は、他人を操るための、オレにとって都合のいい状態でしかないからだ。
自分から『変わる』と決意した以上、上辺だけ取り繕う気はなかった。
「それなら私から質問。――綾小路はさ、結局なんでクラス移籍をしたの?」
ごく自然な生活音を上書きしつつ、櫛田が問いかけてくる。
彼女が真っ先に食いついてきたのは、正直意外だった。
いつもの猫かぶりを辞めた彼女は、胡乱げな目つきを向け、こちらをじっと見つめてくる。
交差する視線。赤みを帯びた、可愛らしい印象の瞳をやや細めている。オレの些細な変化すらも見逃さないかのような、すこぶる真剣な様子が見てとれた。
「坂柳との賭けに負けた龍園が退学したからだ。元々、二人のうちどちらが抜けてもその穴を埋める腹積もりだった。実際、橋本にはあらかじめ渡りをつけていたからな」
「それにしたって、移籍当日の言動には不満があるわ」
「それは悪かった。だが、効果的だっただろう? ――オレたちの関係性はどうあれ、リーダーとして毅然と相対する気概があれば、こうはならなかったんじゃないか」
口元を歪める堀北。
先日も同じようなやり取りをしたというのにまだ当てこすりをしてくるとは、やはり相当御冠のようだ。
上品な所作が、心なしか崩れているようにも見える。
すると、さっきまで飯にがっついていた伊吹が、呆れを前面に押し出すかのように、大仰に手を上に上げた。
「あたしが言うのもなんだけど、ちょっとは情ってものはないわけ? あんたたち、仮にも二年間クラスメイトだったわけでしょ?」
「そう言われてもな。残念ながら、オレはこういう人間だ」
「……それは元々の性格?」
櫛田がやや前のめりになって問いかけてくる。
いつもの温和な装いとも、苛烈な本性とも違う、何かを見定めているかのような冷静さ。
何が彼女の琴線に触れたのだろうか。そんな面白い話でもないだろうに。
『綾小路清隆』という人間のパーソナルな部分は、驚くほどにつまらないものであると自覚している。
「そうだ。単にオレが元々共感性に欠ける人間だったというだけの話で、別に何か仕返しがしたかったとか、憂さ晴らしが目的だったとか、そういうわけではない」
――そう、入学当初からオレは何も変わっていない。いや、むしろ変わらないからこそ、今困っているわけなのだが。
確かにDクラスという環境に思うところはあった。堀北には振り回され、櫛田には脅され、厄介ごとも数えきれないほど降りかかってくる。はっきり言って面倒極まりない。『不良品』という茶柱の評価は、至極妥当なものであると同意できるだろう。
だが、それだけの話。
オレの人間性は、入学前から確立していた。それが少し『蚊に刺された』程度のことで変わるはずがない。
オレは、そこまで脆弱ではない。
「あんた、イカれてるんじゃない?」
「今更気付いたのか、伊吹。オレはDクラス配属だぞ」
もっとも『不良品』なのはオレも例外ではない。
振り返ってみれば入学当初の振る舞いは、それはもう杜撰だったな。
上辺だけ『普通の男子生徒』を演じようと、内面がまともな人間ではないのだから、違和感が拭えなくて当然だろう。櫛田にも散々気持ち悪いと罵倒された。
今思い返すと失笑が漏れ出てしまう。
「そういうことね。あなたがなぜDクラス配属なのか疑問だったけど、今はっきりしたわ。あなた、高円寺くんと同じクチだったわけね」
「あいつと同類扱いはやめてくれ……」
堀北は呆れかえったような顔をしながらも、その口調には親しみが込められているようだ。
彼女にはオレが裏で散々暗躍していたことを知られている。オレの性格に問題があること自体、とうに知っていたのだろう。
それに入学当初、彼女の振る舞いは酷いものだったわけだしな。あまり人の性格に文句は付けられないと、以前言っていたか。
呑気に食事を進める堀北たちとは対照的に、櫛田は黙り込んでしまっていた。
箸は箸置きに揃えられたまま、完全に思考に没頭している。
何を考えている、とは聞かなかった。聞いたところで、彼女がすんなり答えるとも思えない。
ただ、その沈黙の質は、今まで目にしてきた櫛田の両面とも、明らかに種類が違って見えた。
――さすがに不気味だな。
彼女に声をかけようとした瞬間――
ガチャン
伊吹の茶碗が音を立てる。
不意に平皿に接触してしまったのだろうか。
彼女は、茶碗を堀北へと真っ直ぐ突き出した。
「おかわり」
「……」
張りつめつつあった気分が一気に弛緩する。
どこか肩肘張っていた自分が、馬鹿らしくなってきた。
(すっかり餌付けされやがって……)
まあいい。どうせ、いつか忘れる日常の一ページ。
倦怠感が漏れ出ている、堀北の立ち上がる仕草を横目にオレは生姜焼きを頬張った。
――やはり、美味い。
◇
あれから三人で、少し取り留めのない話をしてから解散となった。
四人でないのは、櫛田だけは食事が済むなり、「少し後輩と約束があるから」とだけ口にしてどこかへ行ってしまったからだ。
見え透いた嘘。こんな時間に呼びつける後輩など普通いないだろう。だが、追及を許さないかのような雰囲気が印象的だった。
オレはそのまま自室へと戻る。
整頓された堀北の部屋より、もっと殺風景な部屋。
幼少期の記憶と重なる白い壁紙が、否応なく思考に没頭させる。
オレの人間性。
彼女たちには「共感性に欠ける」と言い表したが、それだけにとどまらない。
他者への関心がない。良心がない。――おおよそ人間が備えるべきものの多くを、オレは持ち合わせていない。
これから克服しなければならない欠点。それらを一つ一つ認識する必要があった。
脳を働かせながら、洗い物を片づけていく。
スポンジでコップを拭き上げる単純作業。
――それすらも、オレが初めて経験したのは入学してからだったな。
少し、二年前のことを思い出した。
オレは入学当初、自分の本性を隠して一般生徒の皮を被って過ごそうとしていた。それは平穏な日々を求めていたからではなく、単に『普通』と『自由』を学習するためにすぎない。
今こうしているのは、堀北学の薫陶を受けたことをきっかけに、色々と『やりたいこと』ができたから。そして、ひよりとの日常がオレに新しい道を与えてくれたから。
そう考えると、彼らには随分と影響を受けたようだ。
高育に入学してから、オレは今までの人生とは比べものにならないほど多くの人間と関わってきた。
そのうち、オレに影響を与えたのはごく限られたほんの一部。
あまりに閉じ切った自我に、コミュ障かよと一人自嘲が漏れる。
パキッ。
しまった。考えごとに現を抜かしていたせいで、ついうっかり力を入れすぎてしまった。
気づけば、マグカップの持ち手が欠けて脱落してしまっている。
(これは、もう捨てるしかないな)
それは、軽井沢から貰った品。
確か、コーヒーをよく飲んでいたオレを見て選んでくれたのだったか……。
少し記憶の正確さに自信がない。
(まあ、少しもったいないが仕方ない)
濯いでから水気をきり、新聞紙で包む。無地に猫のワンポイントが入ったそれは、紙面上の雑多な情報に塗りつぶされてしまった。
一般的にいう『思い出の品』
だが、オレには何の感慨もない。
使えなくなってしまえば、捨てるしかないのだから仕方ないだろう。
――そういえば結局、櫛田はあの時何を考えていたんだろうな。
ふと過ったことを、深く探ろうとはしなかった。
オレは、そんな疑問ごとポリ袋の中に入れ、口を閉じてから暗い、シンクの下の引き出しに仕舞った。
学力 D+(40)
身体能力 B(70)
機転思考力 D(32)
社会貢献性 D+(40)
総合 C(46)
原作ヒロイン……のような気配を当初見せていたが、今はそういうわけでもなさそう……? 現在は堀北鈴音のライバル兼友人枠に収まっている。
石崎やアルベルトほど積極的に他クラスへの干渉を行っていたわけではないが、一年無人島試験でのスパイ役に起用されたり、軽井沢の一件に噛んでいたり、何かと重用されていた様子。
その性格から周囲と軋轢を生んでおり、クラス内投票では危険水準にあった。ひよりとの関係性や、落ち込んだ堀北を不器用ながら立ち直らせようと動くなど、根は悪い奴ではない……のかもしれない。
本作では苦労人ポジション。綾小路の使い走りにされたり、一之瀬から探りを入れられたり、結果関わりたくもない綾小路の恋愛模様に関与させられている。
腹いせに森下が流していた綾小路の奇行の噂について、櫛田と面白半分に拡散していた。堀北は苦言を呈したものの、あまりにしょうもないかつ無害な内容だったため、無理やり止めることはしなかった模様。好きな噂はレッサーパンダを犬だと思っていた、というもの。これに関しては半ば事実。