皇帝なき帝国の物語   作:天野 推灯

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011 操車場解放作戦

「〈軍隊とは行進する胃袋である〉と、ある名将は言った。まったく、私もそう思う。それがたとえ、叛乱軍であっても。」

 帝国暦一八一九年三月二十二日の日記には、ミルダネスの戦争観が如実に現れている。

 

  ***

 

 帝都バーレンハイムと東部辺境地帯の中心都市、〈帝都の食糧庫〉レギスヘーエンとを結ぶ、帝国東部鉄道。そのちょうど中間地点から、やや帝都に近い沿岸地帯に、〈帝都の勝手口〉ステリノールの街はあった。

 

 帝国北部に横たわる〈洪海〉の東部沿岸は、東へ行くほど粘土質で肥沃な大地が、西へ行くほど砂質で不毛な大地が広がっている。古帝国時代から中世にかけて、粘土質の肥沃な大地はレギスヘーエンを中心に開拓され、砂質で不毛な大地はステリノールを中心に開拓された。したがって、レギスヘーエンが農業開発に特化し、ステリノールがより多角的な産業基盤——農業、漁業、工業——を備えるようになったのは、歴史の必然である。ステリノールと帝都の近さ、交通の要衝としての性格も、産業基盤の多角化に拍車をかけた。

 近代に至るまで、ステリノール周辺は沿岸部に漁村や交易拠点が点在するばかりで、海岸線より奥はほとんど手つかずと言ってよかった。それを変えたのは、工業化による肥料の大量生産と、鉄道および海洋交易による流通網の発達である。世界大戦以前のステリノール周辺は、土壌の不利を膨大な肥料と流通網とで押し返し、レギスヘーエン周辺に次ぐ、一大農業地帯へ変貌していた。

 

 しかし、世界大戦による影響は例外なく、帝国各地を蝕んでいた。世界大戦下の物流・人流の遮断により、命綱であった肥料生産が大幅に制限——材料を同じくする火薬の生産が優先——され、海外からの季節労働者——多くが敵国であった旧神聖王国の者達——が途絶えたことで、ステリノールは往時の輝きをすっかり失っている。

 それでも、ステリノールが東部辺境地帯と帝都とを結ぶ物流・人流の要衝であることに変わりはない。世界大戦が勃発してからも、貴重な食糧と人的資源の輸送を、ここステリノールが辛うじて支えてきた。人手は次々と前線に取られ、燃料も車両も次々と動員されていく中で、帝国全土へ食糧と人的資源とを送り込むべく、帝国国有鉄道公社は文字通り血を滲ませながら、帝国東部鉄道の運行を成立させていた。

 その血の滲むような努力は、必然的に鉄道作業員の酷使と表裏一体である。鉄道作業員たちは、自らの胃袋に決して入ることのない食糧を帝都へと運び続けた。明日は我が身の帝国兵たちを、血液ポンプのように前線へと送り出し続けた。そうした日常が、ステリノールの鉄道作業員たちの精神を日々蝕んでいく。帝政派が多数を占める帝国東部一帯にあって、唯一革命派が占拠し得た拠点がステリノール操車場であったのは、決して偶然ではない。ステリノールは最前線ではなかったが、確かに〈戦場〉であった。

 

  ***

 

 帝国暦一八一九年三月二十二日昼前、帝国国有鉄道公社東部支社、ステリノール操車場。

 ステリノール守備隊の包囲下、煉瓦造りの現場事務所の二階で、作業服姿の鍛冶族の男と常人族の男が途方に暮れていた。

 

「同志場長、いつになったら帝都のお仲間は救援に来るんですかね? 膠着状態で、飯も残り僅かだ。」

「〈帝都〉ではない、バーレンハイムだよ、同志。他の者の前では決して〈帝都〉などと言うな。

 ——バーレンハイムも膠着状態だそうだが、ある程度安定したら、民兵の一部を抽出して救援に来てくれるそうだ。」

 常人族の男の問いに、この操車場の場長を務める鍛冶族の男、ギヤル・ピシャールが応じた。

 ピシャールは国鉄労組ステリノール委員会の委員長にして、〈ステリノール評議会〉の書記局筆頭書記、すなわちステリノールにおける革命派の指導者である。

 

「せめて港湾労働者の連中が同調してくれれば、食糧も何とかなったんでしょうがねえ。」

「彼らの多くは兼業漁師だ、独立自営のな。船という家産を持つ以上、本質的には我々無産市民とは連帯できない。」

「そんなもんですかね。連中だって、戦争のせいで干上がっちまってるのに。」

「漁師には海軍から補償金が出る。雀の涙だが、何とか暮らしていけるさ。機雷封鎖対策、掃海作業の報奨金だってある。本業で儲からなくても、食いつなぐには——。」

 ピシャール場長が言葉を紡ごうとすると、呼び出しベルが鳴った。階下の同志たちからの呼び出しである。

 

「どうした、帝国軍の攻撃か?」

「いえ、逆です。奴ら、包囲を解いて急に引いていったんですよ。今はバーレンハイム方面の出入口を警戒するばっかりで、レギスヘーエン方面には兵がいません。」

「包囲を解いた? なぜだ?」

「見張りの話では、ステリノールの下町の方で派手に煙が上がってるとか。火事のようです。」

「潜伏していた同志が蜂起したか、あるいは放火でもあったか。いずれにしても、守備隊の連中は当面の間、そちらにかかりきりだな。」

 ステリノールの下町には、季節労働者向けの木造家屋が密集している。潜伏していた革命派の蜂起にしても何者かの放火にしても、放置すればステリノール全体が火の海になることは明白であった。

 

「同志場長、これは好機ですよ。レギスヘーエンへ向けて突進しましょう。そうすれば食糧も——。」

「言うな、同志。それは最後の手段だ。我々は民衆を解放するのであって、略奪するのではない。」

「そうは言っても、同志場長。こう腹が減っちゃあ、仕事になりませんよ。ましてや革命なんて。」

「〈常勝元帥〉ミルダネスがレギスヘーエンにいるという話だ。守備隊の連中の妨害電波で上手く聞き取れなかったが、どうも本人らしい。」

「そうなると、さすがに手持ちの戦力だけで食糧を〈徴発〉する訳にはいきませんねえ。」

「とはいえ、包囲が緩んだのは幸いだ。

 最低限の要員を残して、交代で休憩させろ。食糧がない分、せめて休養だけでも摂らねば。

 食事は切り詰めるが、水はよく飲ませておけ。水だけはたんまりあるからな!」

 ピシャール場長の声がけに、場の空気が多少緩む。蜂起から五日間、港湾労働者たちに協力を拒否され操車場に孤立し、守備隊の包囲下にあったピシャールたち革命派にとって、束の間の休息であった。

 

  ***

 

 同日の夕方、ステリノール操車場。

 トーチカ代わりとして引っ張り出してきた旧式機関車の屋根の上で、革命派の見張りの男が双眼鏡を覗いていた。

 

「どうだ、守備隊が戻ってくる気配はあるか?」

「同志場長、影も形もありませんや。下町の火も消えてねえようだし、レギスヘーエン側はしばらく安全ですぜ。」

「だといいのだがな。お前はもう休養を摂ったか?」

「お陰様で、久しぶりにぐっすり昼寝できましたよ。これで飯があれば最高なんですがね。」

「済まないな、苦労をかける。」

「いやあ、同志場長となら、地獄の果てまで付き合いますよ。鉄道魂、見せてやりましょうや。」

 ピシャール場長が巡回すると、ステリノール操車場の蜂起に参加した鉄道作業員は、口を揃えて同じようなことを言った。久しぶりに休めた。腹が減った。だが最後まで付き合う。そんな言葉を聞くと、半包囲下にあるとはいえ、ピシャール場長の表情も緩んだ。

 

 さて次に行こう。そうピシャール場長が思い直したとき、見張りの男が叫んだ。

「——いや待て、場長! 新手だ!」

「帝国軍か?」

「どうも様子が違う。服装もバラバラで、ありゃあまるで——。」

「貸してくれ!」

 ピシャール場長が双眼鏡をひったくると、視界に飛び込んできたのは統制の取れていない群衆だった。

 擦り切れた野良着を着た女。鍬を片手に持った男。杖をついた若者。乳母車を押す老女。種族も、年齢もてんで異なり、共通点といえば、ボロ着を身に纏っていること、多くの者が荷車の類を引いていることだった。

 群衆は、線路に沿って東から、西へ西へと歩いてくる。その足取りは重い。

 

「——難民だ! 休憩に向かった者を呼び戻せ! 守備隊よりも先に救援するぞ!」

 

  ***

 

「諸君! 我々は孤立していない! むしろ、反動共こそが、彼ら農民の海に浮かんだ小島の中で、孤立しているのだ!

 反動帝国軍の野心は、いかに虚飾を弄したところで隠しきれるものではない。いずれ港湾労働者たちも、他の農民や漁民たちも、このことに気づくだろう。

 祖国革命万歳!」

 

 〈難民〉達を救援した後、ステリノール操車場、現場事務所前の演台の上で、ピシャール場長は鉄道作業員たちへ訓示を行った。

 方々で、難民たちが鉄道作業員の差し出した水で喉を潤し、顔を洗っている。中にはこの短い時間ですっかり打ち解けて、談笑する者もあった。

 演台を降りたピシャール場長に、穴居族の男が近づいてくる。この男は、難民の代表者であった。

 

「いやあ、助かりました。まったく感謝のしようもありません。」

「何、助かるのはこちらです。本当によろしいのですか? 貴重な食糧を。」

「連中に渡すくらいなら、捨ててしまおうと思っていたくらいです。それなら、こうして頑張っている人たちに食べてもらった方が、ほれ、農民冥利に尽きるというもんですよ。」

「痛み入ります。これで皆、救われる——。」

 

 ピシャール場長が聞いたところによれば、この統制の取れない群衆は、元は近郊の村の農民たちであったという。

 元帥摂政公ミルダネスの号令で帝国軍が活性化したのは良いが、不届きな帝国軍部隊が村へ押し寄せてきて、食糧を強奪しようとした。それで、逃げてきたのだという。

 この降って湧いた来客により、ステリノール操車場のあちこちで、歓喜の声が上がった。大量の食糧を持って外から新たな仲間がやってきたのだから、無理からぬことである。難民たちの到来は、物質的にも精神的にも、ステリノール操車場の革命派にとって、何よりの救いであった。

 

「帝国軍の連中が押し寄せてきて『食糧を寄越せ』というもんだから。ありったけの食糧を持ち出して、命からがら逃げてきたんですよ。」

「民衆を守るべき軍隊が、なんと愚劣な。

 ——皆さんの中に、怪我人は? 診療所に医薬品もありますので、遠慮なさらず。」

「闇夜に紛れて逃げてきましたので、怪我人というほどの者は。」

「それにしては、右手を庇っておられるようだが。」

「ああ、これですか。そいつはほれ、見ればわかります。」

 難民代表の男が、ピシャール場長に右手を示す。

 袖の中から、使い込まれた木製の義手が顕になった。

 

「これは、差出たことを。」

「なに、場長さん。あんたが暖かい心根の持ち主だってことは、ちゃんと伝わってますとも。」

「——誠に、誠に。痛み入ります。」

 難民代表の男の率直な物言いが、蜂起以来ささくれ立っていたピシャール場長の心根に染み渡る。

 

(農作業で失ったか、戦災で失ったか、あるいは妖魔か——いずれにしても、この国の矛盾が、この男の腕を奪った。

 我々は同志なのだ。祖国に傷つけられ、祖国の傷を癒そうとする——。)

 

  ***

 

「時間だ。始めよう。」

 

 同日の深夜、ステリノール操車場。

 難民の来着以来、ステリノールの火災は止むことなく、むしろその勢いを増しつつあった。

 とうとう、帝都バーレンハイム方面の操車場出入口を半包囲していた守備隊すら下町へと駆り出され、ステリノール操車場は久方ぶりの平穏に包まれている。

 

「予定通り、私と第一支隊は事務所を抑える。転車台と分岐器は第二支隊。外縁の見張りは第三支隊が抑えろ。潜伏している主力部隊への連絡は、第四支隊が手分けしてかかれ。

 ——秩序と正義と調和のもとに。死ぬなよ。」

 

 闇夜に紛れて行動するのには、それなりの訓練が必要である。特に、戦時下で灯火管制が常態化した、郊外の鉄道施設の中であれば、尚のことであろう。

 しかし、彼らはもとより、灯火の存在しない闇夜に親しんだ生涯を送ってきた。月明かりと星明かりこそが彼らの友であり、日常である。東部辺境地帯、それも〈死の領域〉に隣接した僻地で生まれ育った者にとって、ステリノール操車場は収穫祭の広場のように明るかった。

 

(我が甥御よ。今日ばかりは、この腕に感謝するぞ。)

 難民代表の、穴居族の男。ピシャール場長にそう識別されるこの男は、ただの難民ではない。

 彼の名は、ニク・ファムハン。帝国東部辺境地帯、辺境の村に生まれ育った、元家具職人である。

 

「ファムハン准尉。革命派の連中は、本当に?」

「問題ない。酒と、甘味に睡眠薬を仕込んだ。給仕を担当した者、全員に確認もした。

 ——奴らは、外縁の見張りを除いて、全員眠り切っている。恐れるな、若造。」

 ファムハンは、最前線で負傷して郷里へと戻った、傷痍軍人でもあった。右腕の義手は、戦場で失ったそれを補うために、工房を継いだ甥が苦心して作り上げた記念の品である。

 

 操車場のあちこちで、〈難民〉たちが行動を開始する。

 荷車や乳母車に満載された食糧の中に、刃物が、拳銃が、小銃が隠されていた。

 

(ピシャール殿。あなたが我らと同じ辺境の民であったなら。我らと共に御屋形様を仰ぐ同胞であったなら、どんなによかったろう。)

 ファムハンは、ミルダネスの領地の村に生まれ育った。

 率直に言って、ファムハンとその部下たち——ミルダネスの領地の自警団にして〈郷土防衛隊〉——には、帝国への愛着も、皇帝への忠誠も存在しない。あるのはただ、〈御屋形様〉への執着、元帥摂政公ミルダネスへの崇拝のみであった。

 ファムハンから見て、ピシャール場長は一廉の人物である。理想に燃え、不義に怒り、現に立ち上がっている。尊敬こそすれ、軽蔑することはない。ただ、仕える相手が違った。

 

 ファムハンは、操車場事務所の階段を音もなく駆け上り、仮眠を摂るピシャールへと迫った。

「——場長殿、御覚悟!」

 

 刹那、狭い室内に、鮮やかな火花が散った。

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