「何と芸のない、何と代わり映えのしない戦いか!」
帝国暦一八一九年三月二十三日、ミルダネスは日記上でこう自嘲した。
***
帝国暦一八一九年三月二十三日早朝、帝国国有鉄道公社東部支社、ステリノール操車場。
元帥摂政公ミルダネスが座乗する急造装甲列車〈大公号〉は、無事にステリノール操車場へ入場した。
操車場内のプラットホームには帝国軍と郷土防衛隊の一団が整列し、彼らの最高指揮者たるミルダネスの到着を出迎える。
列車が停車し、帝国軍東部軍管区司令官ヴェイルワード中将に先導されて、ミルダネスが姿を見せた。
「元帥摂政公、ティメル・ヴェル・ミルダネス閣下に敬礼!」
敬礼する者の中には何人かの怪我人はいるが、彼らの人数はレギスヘーエンを出た時と変わっていない。死者の無いことを報告に聞いてはいたものの、ミルダネスがそのことを実感するためには、こうして現場を視察することが必要だった。
「ミルダネス閣下! 郷土防衛隊一同、御屋形様の御為、ステリノール操車場を無傷で確保いたしました!」
薄汚れた私服姿の男が、ミルダネスに声をかける。ミルダネスの領地で自警団を取りまとめていた、元家具職人の穴居族の男。ニク・ファムハン准尉である。
「ファムハン、お前には苦労をかけた。
——敵味方にただのひとりも死者を出さず、見事捕縛してみせた手際には、目を見張るものがある。」
ミルダネスは、率直な賛辞を口にした。
「いいえ、御屋形様! 〈死の領域〉での狩猟に比べれば、こんなものは朝飯前というものですよ!」
ファムハン准尉が声を上げて笑う。その声色には、確かな満足があった。
「しかし、怪我をした者も多かろう。体勢を整えつつ、交代で休むように気を配ることだ。」
ミルダネスは、ファムハンの頭に巻かれた包帯に目を遣った。包帯には、血が滲んでいるように見える。
「ああ、これでございますか。革命派にも骨がある奴がおりましてね、睡眠薬でフラフラだというのに、咄嗟にツルハシで抵抗してきたのですよ!」
「ほう、お前に手傷を負わせるとは、大したものだ。その者は、今はどこに?」
「この操車場の革命派の代表だったようで、今は事務所に閉じ込めてあります。
今朝がた、あの者が目を覚まして投降を宣言したら、他の作業員もすっかり抵抗をやめましたよ。」
「——会おう、その者に。」
***
帝国国有鉄道公社東部支社、ステリノール操車場、現場事務所。場長室の一角。
国鉄労組ステリノール委員会委員長、〈ステリノール評議会〉の書記局筆頭書記、ギヤル・ピシャールは、その屈強な身体を器用に折り畳んで、手足を縛られたまま床に座り込んでいた。
ファムハン准尉からは「せめて椅子に」と言われていたが、ピシャールはそれを「他の同志と区別をつけられるべきではない」と固辞して、自らこの待遇を選んでいた。
バーレンハイムの同志たちの期待に添えなかったこと、そして何より、眼前の現実を冷徹に見通せなかった——難民の突然の来着という〈奇跡〉に安易に飛びついた——ことが、彼を苛んでいる。
(おそらく、ミルダネスは私を広場で公開処刑するだろう。それが、反逆者に対する帝国軍人の正攻法というものだ。そうなれば、むしろ好都合——。)
自責の念に駆られながらも、だからこそ、ピシャールは自身の生命の価値を冷徹に計算する。
操車場を守りきれなかった以上、自身の生命に革命的な価値があるとすれば、それは死そのものに宿る。
「場長殿、よろしいか。」
ノックの音と共に、室外から聞き慣れぬ声がする。
否、確かに聞いたことはある。しかし、誰の声だったか、判然としない。
少なくとも、他の同志や、ファムハンの声ではない。
「虜囚の身だ、勝手にしろ。だが、何も答えんぞ。」
ピシャールは投げやりに応えた。
いずれにせよ処刑されるのなら、他の同志の助命に必要な証言だけして、後は黙秘を貫くつもりだった。
「では、失礼する。——なるほど、そなたがファムハンに手傷を負わせたのか。」
巨躯の老人が、音もなく場長室へと入ってきた。老人の背後にはファムハンが控えている。
ピシャールは、この老人を知っている。面識はない。だが、確かに国定教科書で肖像を見たことがある。
「〈常勝元帥〉ミルダネス……!」
元帥摂政公を自称する反動政府の首魁。ピシャールにとって最大の敵が、目の前に現れた。
「私のところに何をしに来た! 処刑命令書に署名でもしたか?」
虚勢である。
処刑も、拷問も、恐ろしくはないはずだった。しかし、この齢七十を過ぎた老人が、今はたまらなく恐ろしい。ピシャールも腕っ節に自信のある方ではあるが、ミルダネスの全身から漂う気迫と、その巨躯に直面すると、この老人は素手で自分を殴り殺してしまうのではないかという錯覚に陥る。
「〈摂政行為第一号〉。武装蜂起を企て、憲法制定国民議会のもとにある合法的な国家機関に対して暴力を行使する者は……反逆者とみなす。」
ミルダネスは、自らの発した〈摂政行為〉を諳んじた。
「反逆者は死刑。それが帝国軍のやり方だな?」
「——しかし、直ちに武器を放棄し、当局に投降する者には。……その名誉と、公正な裁判を。」
ミルダネスはさらに続けて、〈摂政行為〉が定めた〈反逆者への処遇〉、その後段をピシャールへ告げた。
「そなたは我々に対する投降を宣言した。
投降を宣言した以上、そなたには名誉と公正な裁判が保障される。他ならぬ、私の名のもとに。」
「詭弁だ、そんなものは! 帝政派の連中が許すものか!」
「誰が何と言おうと、そなたと、そなたの部下の名誉は、この私が守り抜こう。
そなたらはこの操車場を占拠したが、無法を働いてはおらぬ。そなたらの行使した暴力など、過激な労働争議の域を出るものではない。」
ピシャールの抗弁を、ミルダネスは毅然として否定した。
その眼光は鋭く、有無を言わさぬものがあった。
「ステリノール市街の火災は? あれを、無法というのだろう。」
「そなたが指示したのか?」
「私は指示していない。だが、市街地に潜伏していた同志か、あるいはバーレンハイムからの増援が火を放ったに違いない。
私は、ここステリノールのあらゆる革命運動に責任を負っている。その責任から逃げるわけにはいかない。——だが、部下は関係ない。私を吊るして、それで仕舞いにしてほしい。」
ピシャールは瞑目して、ミルダネスに頭を垂れた。
どうやらミルダネスは本気であるらしい。その点、ピシャールはミルダネスという男を認める気にはなった。なればこそ、部下の生命と名誉を守ることこそが、当面の至上命題であるとピシャールは考えた。
「——なるほど、そなたには誤解があるようだな。」
ミルダネスは浅くため息をつくと、ゆったりと言葉を紡ぎながら、今回の作戦の次第をピシャールへ告げた。
***
ミルダネスが急造装甲列車〈大公号〉の車窓から見て取ったのは、帝国東部という土地の前時代性、そして未開発性である。
ミルダネスが適応することのできなかった近代戦。それは、主にインフラの発達した帝国西部における、大国と大国の劇的な衝突であった。列強同士が鉄量と鉄量を、人口と人口をぶつけ合い、空を、海を、大地を巨大な機械と人間の波が埋め尽くし、それを背後に存在する膨大なインフラと生産設備が支える。この時代の帝国軍人に求められたのは、国家の総力を戦場へ動員し、それらを陸海空において有機的に統合して、戦場での勝利につなげる素養であり、三次元的な戦場を把握し掌握する能力であった。
既に前時代の遺物と化していたミルダネスには、そのような素養も能力もない。ミルダネスが戦ったのは、砂海大陸の点と線の戦場であり、植民地の鉄路と入植地を巡る争奪戦であった。
しかし、帝国東部という土地、そして主要都市を巡る内戦という状況は、ミルダネスから見て、インフラが未開発な砂海大陸と、植民地の点と線の戦場の相似形であるように感じられた。そうである以上、〈評議員たちの蜂起〉は、〈若者の戦争〉、すなわち世界大戦の続章ではない。ミルダネスにとって、これは〈老兵の戦争〉、すなわち植民地戦争の再演である。
いずれにせよ、ミルダネスの動員できる兵力には限界があった。
正規軍の本格投入は、制度上は可能である。ミルダネスは、いつでも正規軍に主要都市への突進を指令することができる。そうすれば、この内戦は瞬時に解決するだろう。
しかしながら、〈死の領域〉という物理的制約が、正規軍の本格投入を阻んだ。世界大戦期全体を通じて、長年にわたって放置された〈死の領域〉。それが、前線部隊の配置転換によってようやく安定を見つつある。今、〈死の領域〉から正規軍を引き剥がせば、再び妖魔が氾濫し、農村は荒廃し、次なる革命か、あるいは飢餓の引き金となる。また、休戦協定は〈妖魔越境の防止〉の義務を明確に定めている。ただでさえ、〈摂政行為〉が布告した軍の即時動員は、連合国の警戒を招く。正規軍を大規模に抽出してしまえば、内乱鎮圧後、連合国の大規模な介入——最悪の場合、戦争の再開——を招くだろう。
だからこそミルダネスは、正規軍から一部の精鋭部隊のみを抽出し、残余を郷土防衛隊、すなわち在郷軍人や自警団からなる義勇兵によって補填する選択をした。突破力は正規軍の精鋭部隊が、制圧力は郷土防衛隊が担うことで、点と線の確保を可能とする腹積もりであった。
そして、ステリノール操車場の確保で問題となったのは、この正規軍の突破力が、ステリノール操車場においてはまったく無効化されるという制約である。操車場を無傷で確保しなくては、帝都バーレンハイムへと進軍することはできない。仮に進軍できても、今度は帝都への食糧供給が滞り、早晩、帝都は飢餓の都と化すことになる。したがって、大規模な火力を使用することはできない。
かといって、ピシャールら革命派の構築した防御陣地は、極めて堅固である。機関車を利用した即席トーチカは、すなわち鉄の塊であり、火力によらない突破を困難にする。
そこでミルダネスは発想を転換し、正面突破という選択肢を放棄することにした。
まず、正規軍の精鋭部隊ではなく郷土防衛隊を主力とした、ゲリラ戦術を採用する。相手が操車場という地形の効果を最大限に利用している以上、正面戦力による突破は愚策である。
次いで、革命派の油断を誘い、冷静な判断能力を奪う必要がある。革命派は〈自らの職場〉を守るという一点において、非常に強固な結束と意志力を保持している。これを動揺させなければならない。
そこでミルダネスは、ステリノール守備隊へ向けて、一つの指令を発した。
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〈ステリノール操車場確保の件〉
帝国暦一八一九年三月二十一日
発:帝国軍東部軍管区司令官 オサル・ヴェル・ヴェイルワード 中将にして男爵
宛:帝国軍ステリノール守備隊衛戍司令官 ヘンゼル=ジオルグン・ボワザール中佐
我らが元帥摂政公、ティメル・ヴェル・ミルダネスの指令に基づき、ステリノール操車場(以下、ス号操車場)確保のため、以下の通り指令する。
一、ステリノール守備隊のうち、市街地を警備する部隊(以下、市街地部隊)は、ステリノール旧市街地に位置する外国人季節労働者向けの住宅街(以下、本件住宅街)へ展開し、残余の住民を退避させよ。
二、一を完了させた後、市街地部隊は本件住宅街にあって他の市街地との接点にあたる家屋の一切を破却し、防火帯を設けよ。家屋破却の具体的手順と防火帯の規模・態様については貴官の判断に委ねる。
三、二を完了させた後、市街地部隊は本件住宅街の家屋へ調達可能な可燃物を可能な限り大量に設置し、これに着火せよ。可燃物の構成と数量、設置方法の詳細、着火の具体的手順については貴官の判断に委ねる。なお、これによって生じた火災については、防火帯を越境するものを除き、作戦終了までの間、消火活動を禁ずる。火災が防火帯を越境せぬよう、市街地部隊は警戒を厳にせよ。
四、三を完了させた後、ステリノール守備隊のうち、ス号操車場にあってレギスヘーエン方面を警備する部隊(以下、レ号部隊)は、ス号操車場から観測不能な位置へ後退せよ。後退の判断は、三によって生じた火炎をレ号部隊が目視にて確認した際に行うものとする。後退位置については貴官の判断に委ねる。
五、四までの完了を確認し次第、本官麾下にある任務部隊が、レギスヘーエン方面より、ス号操車場へ浸透する。任務部隊は、摂政行為第一号により組織された郷土防衛隊を中核とする。任務の性質上、任務部隊は識別のための一切の装備(制服・徽章・階級章)を帯びておらず、難民に偽装し、私服で行動する。誤認による攻撃のないよう、全部隊へ事前の周知を徹底せよ。
六、日没を期して、ステリノール守備隊のうち、ス号操車場にあってバーレンハイム方面を警備する部隊(以下、バ号部隊)は、ス号操車場から観測不能な位置へ後退せよ。後退位置については貴官の判断に委ねる。なお、これと同時に、本官麾下にある正規軍部隊が、レ号部隊・バ号部隊の援護のために展開する。当作戦中、これらの正規軍部隊はレ号部隊・バ号部隊に合流し、その指揮権は貴官に委ねる。
七、任務部隊は、ス号操車場内部を独力で制圧した後、レ号部隊・バ号部隊と協働してス号操車場外縁部へ展開する叛乱軍部隊を挟撃し、これを制圧する。レ号部隊・バ号部隊は、任務部隊からの伝令を待って行動を開始せよ。
八、上記の一切の指令は、敵味方の死傷者を最小化しつつ、ス号操車場を無傷で確保する目的で発せられている。これらの目的を逸脱する一切の行為を、厳に禁ずる。本作戦において、捕虜への暴行・虐待は、元帥摂政公に対する反逆罪に問われ、極刑に処される場合がある。この点を全部隊へ遺漏なく周知せよ。
九、その他詳細は別途指令するが、八を逸脱しない範囲において、細部の判断を貴官に委ねる。帝都救援の鍵は、誓って貴官が握るものである。ステリノール守備隊と貴官の部隊郷土への知識と愛着とが、遺憾なく発揮されることを期待する。
***
「つまり、あの火災は守備隊——あなたの自作自演で、被害もまるで出ていないと?」
ミルダネスから事の次第を聞かされたピシャールは、そう述べると、口も閉じずに瞬きを繰り返した。
「四年間放置されていた廃屋の焼却を、被害と呼ぶかどうかによるとは思うがね。」
対するミルダネスは軽く肩をすくめると、久方ぶりの長話に、今度は深く息を吐いた。
「そのような次第であるから、そなたには火災の件を含めて、吊るされるような理由はない。
火災の件を問うなら、吊るされるのは私の方ということになろう。」
「しかし、私が革命派を率いて操車場を占拠したのは、紛れもない事実だ。」
「そなたの部下にも、いろいろと話を聞いた。戦時下の苦役と困窮。国鉄公社の労働強化。ありふれた話と言ってしまえばそれまでだが、そなたらは戦時下の物流を、文字通り裸一貫で支えたのだ。それが報われぬとなれば、そなたらが立つのも無理からぬこと。」
「だからといって——。」
「ならば、ピシャール場長殿。私からこう願おう。食糧と給金は十分に支払う。どうかこの操車場で、人々の食と、安寧を保つための手伝いをしてくれまいか。それをもって、そなたらの贖罪とはなるまいか。」
ミルダネスの低く張りのある声が、場長室の狭い室内に木霊する。
ピシャールは深く息を吸って瞑目し、熱気を帯びた息を吐きながら、カッと目を見開いた。
「要求がふたつ。まず、人手が足りない。戦時中の人手不足が、私たちの苦しみの始まりだ。」
「人手なら、郷土防衛隊からいくらか抽出できよう。私を奉じて集まった在郷軍人や義勇兵たちだ。野良仕事で鍛えた者も多い。きっと役に立つだろう。」
「次に、寝床だ。国鉄公社の宿舎は、そこらの兵舎よりもよほど環境が悪い。」
「ちょうど、旧市街地には広大な空き地ができた。そこを宛がおう。急造の兵舎建築になるとは思うが、守備隊に仮設住居を建てさせる。住居の専門家を呼ばねばなるまいが——いずれ、より人間的な暮らしができる住居を作らねばならんな。」
二つ返事である。
これほど〈物分かりのよい〉貴族がいるというのは、ピシャールの想像の埒外であった。
「それならば、私はあなたに従おう。——私は帝国に従うのではない。あなたに従うのだ。」
ピシャールの言葉にミルダネスは苦笑しつつ、ピシャールの縄を切るようファムハンに命じた。