皇帝なき帝国の物語   作:天野 推灯

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013 包囲円環

「全て思い通りにいくためしなど、そうあるものではない。人生も、家族も、そして国家も。」

 帝国暦一八一九年三月二十四日、ミルダネスは日記にこう記した。急造装甲列車〈大公号〉の車上で飲み物でも零したのか、このページには薄い染みが残っている。

 

  ***

 

 帝国暦一八一九年三月二十三日深夜から翌二十四日にかけて、帝都バーレンハイム、革命派〈野戦放送局〉。

 〈評議員たちの蜂起〉が起こってから、既に一週間が過ぎようとしていた。

 

(午前、〇時。ちょうど、一週間——。)

 定時のラジオ放送を終え、放送装置の電源を切るなり、ブルガネスは強い目眩を感じた。

 

(しかし、我々はまだ負けていない。私も、祖国革命の同志たちも。)

 断続的な仮眠の合間に、長時間のラジオ演説を行う日々。食事も移動しながら、粗食で済ませる。

 短期決戦を予定していた革命派には、多少の武器弾薬はあっても、食糧の備蓄はさほどない。包囲されている側の旧市街の住民よりはゆとりがあるという程度で、物流が停止した今、誰もが食事を切り詰めていた。

 

「我々は、〈歴史〉を包囲している。だが、同時に——。」

 ブルガネスは紙巻煙草に火をつけ、周囲に人のいないことを確かめてから、つぶやく。

「〈歴史〉が、我が祖国の〈歴史〉そのものが、押し寄せてくる。」

 

  ***

 

 革命派のイデオロギーは、その無数の分派を含めれば、実に多岐に渡る。政治的平等を重視するか、経済的平等を重視するか。平等実現のための手段としてどの程度の暴力を許容するか、そもそも職業革命家が革命を人為的に発生させることを是とするか。実に様々な思想潮流があり、それぞれが時に切磋琢磨し、あるいは時に流血の中で雌雄を決しながら、革命派の思想は紡がれてきた。

 しかし、たった一つ。これら無数の思想潮流が、唯一合意できることがあった。現在この大陸で流布する革命思想の中核にある、人間理性への極めて強固な信頼、強烈な設計主義である。すなわち、人間がその持ち得る理性を〈正しく〉用いれば、この混沌とした世界に確かな〈秩序と正義と調和〉をもたらすことができる、という確信。この確信が革命派を駆り立て、また〈革命派〉という一つの大きな流れの中に結びつけている。

 

 そうであればこそ、帝国における革命派は、共和派と袂を分かった。共和派は、種族を問わぬ連帯を掲げ、何よりも生活者の安寧と実感を重んじる。それは革命派に言わせれば〈民生委員の平和〉であり、卑俗な生活改良運動の連続、妥協と堕落の連鎖に過ぎない。かつて急進共和派と呼ばれた帝国における革命派は、それを許容できなかった。

 戦前、まだ急進共和派の領袖であった頃、ブルガネスの口癖だった言葉がある。

「我らは、我らの手で時計の針を進める。いくら目を瞑ろうと、逸らそうと、日は昇るのだ。」

 ブルガネスは、多くの学術論文や共和派系の新聞・雑誌記事に、時には文脈を無視してでも、このような文句を付け加えた。

 歴史上のあらゆる出来事と、これから起こる出来事は、全て論理的必然である。そうである以上、その大いなる論理的必然に耳を傾け、それに従えば、もはや従来の共和派のような〈民生委員の平和〉に浸っている余裕はない。今こそ、新しい歴史を設計せねばならない。それが、ブルガネスの主張であった。

 

 徹底的な設計主義。ここに、革命思想家としてのブルガネスの真骨頂があり、そしてまた、革命運動家としてのブルガネスの蹉跌があった。

 

 ブルガネスは〈無断除隊者〉を革命派に取り込み、彼らを用いて帝国政府の統治機構を薬物汚染の坩堝とした。そうすることで革命派は、実戦経験を持つ貴重な戦力、薬物売買による豊富な資金、それによって得られる武器や物資、それら全てに裏打ちされた勢力拡大のための機会と時間を得ることができた。

 しかしブルガネスは、皇子中将宮ヴァイネスが秘密裏に各前線・軍管区司令部へ指令した——表向きは〈奨励〉した——、暴動発生時の〈応急対処計画〉の存在を予見できなかった。一八一八年十一月十日から十一日にかけての〈帝都暴動〉、すなわち皇帝セラレス四世を退位と亡命へと追い込んだあの暴動が成功裡に終わったゆえに、帝国軍が次なる暴動においても容易に瓦解すると誤断したのである。ブルガネスの思考によれば、次のようになる。

「帝国軍は、自らの構造的矛盾、つまり合理的戦争遂行の要請と封建的国家体制という矛盾に引き裂かれ、自壊した。この自壊は不可逆であり、皇帝退位を導いた〈バーレンハイム蜂起〉の勝利は必然である。」

 

 またブルガネスは、政府転覆を宣言するラジオ放送において、共和派領袖、セラルフリック・ボアライトの後塵を拝した。ボアライトのラジオ演説は、一八一九年三月十七日午前〇時の革命派一斉蜂起の三十分後に行われている。対するブルガネスのラジオ演説は、そこからさらに一時間、革命派一斉蜂起の一時間半後に行われた。これは決して、革命派の無能ゆえの〈放送の遅れ〉ではない。ブルガネスの計画によれば、次のようになる。

「バーレンハイムの人民が、事態を察知するのに三十分。察知してから事態を把握するのに、さらに三十分。そして彼ら人民が、自らの内なる声に耳を傾け、感情の整理をつけるのに、最後の三十分。」

 

 そしてこれは、革命派に限ったことではないが、戦中戦後の帝国において〈隠遁者〉という名の遊兵と化していた大物、ミルダネスの存在を完全に忘却していたことが、ブルガネスの、そして革命派の蹉跌の最後の一撃となった。

 そもそも、革命派の計画によれば、帝国における革命派以外の政治的行動主体——皇族、大貴族、高級軍人、財界人、官僚——は、憲法制定国民議会の喧騒の最中いずれも主要都市中心部にあって、革命派はこれを完全に包囲するか、逃走しようとするところを捕縛して処刑する算段であった。そこには、国家総力戦の戦時下、そして祖国敗戦の危機にあって、いずれの主要都市にも身を置かずに、辺境の所領で庭仕事と引継ぎに精を出す大貴族にして高級軍人なるものの存在は、いささかも予定されていなかった。

 もっとも、〈過去の人〉であったミルダネスの存在については、敗戦にあたって、帝国暫定評議会議長フェラルセン・ヴェル・シルヴァニス伯爵と、皇太女博士宮ヴィクタリースのみが明確に、そして皇子中将宮ヴァイネスのみが漠然と〈思い出す〉ことができたに過ぎない。そのような意味では、この点において革命派は不運であった。

 

 そしていまひとつ。ブルガネスが予期しなかったことがあった。ボアライトの変貌である。

 

  ***

 

 戦前、まだブルガネスが急進共和派にあって合法活動に踏みとどまっていた頃。

 ブルガネスはまだ共和派内では期待の若手であり、周囲とは多少の齟齬はあっても、決して決定的に孤立していなかった、そのような時代があった。

 その頃に書かれた、一片の記録がある。

 

〈帝都警視庁保安部保安一課一係(反帝権思想担当)報告資料 〈自由共和の鐘〉紙記者とバーレンハイム馬具職人組合関係者の接触について〉

 報告者注:草稿、課長の確認を乞う。確認の上問題なければ、内務省警保局保安課長へ回覧されたい。

 

【経緯】

 以前、共和派内通者より密告のあった、急進共和派の若手によるバーレンハイム馬具職人組合への接触について、続報があったため報告する。

 この急進共和派の若手とは、共和派系新聞社〈自由共和の鐘〉紙の記者、ローゼティエン・ブルガネス(穴居族平民)である。ブルガネスは近時、複数の論考を同紙に掲載しているが、いずれも反帝権的・反帝室的傾向が見られるもので、本庁としてもこの動向を注視しているところである。然るところ、ブルガネスの筆致は苛烈でありながら慎重さを兼ね備え、不敬罪その他の罪状による検挙は、今のところ困難であった。

 今回、内通者よりもたらされた情報が正しければ、当該接触は、ブルガネスがバーレンハイム馬具職人組合と連携することで、武装蜂起のための装備調達と人員獲得を目指していることの傍証となりえる。そこで、保安一課長の指示のもと、係員三名による持ち回りで、ブルガネスの動向を徹底的に追跡した。

[…]

 

【結論】

 ブルガネスは、明らかにバーレンハイム馬具職人組合委員長、セラルフリック・ボアライト(長耳族平民)と頻繁に接触している。しかしながら、その接触の目的は、馬具職人組合との協力体制の構築でも、ましてや装備調達でも人員獲得でもない。

 監視の限り、ブルガネスとボアライトが共に訪れた場所は、雑貨店二箇所、食料品店三箇所、家具店二箇所、洋服店二箇所、飲食店・居酒屋三箇所、それに時計店一箇所である。いずれも、思想的背景のある経営者のものではない。また、監視期間の中盤からボアライトがブルガネス宅で起居するようになり、自宅を引き払った点から、結論は明らかである。

 これら二名は、ブルガネス主導のもとで、ボアライトがそれに応じる形で、単に個人的に、親密な関係を持ったに過ぎない。

[…]

 バーレンハイム馬具職人組合において、ボアライトが武装蜂起のための陰謀を推進するような支配力を獲得し、あるいは維持しているという兆候は一切ない。近隣住民への聞き取り調査の限りでも、ボアライトは温和だが気弱な、いかにも長耳族らしい痩せぎすの男であり、武装蜂起のための陰謀に協力する人物ではありえないし、その能力も備えていない。

 小職の結論としては、今回の監視活動は虚偽密告による空振りである。係長として、部下の長期休暇申請に対する許可を上申する。係員は、いずれも〈ままごと〉の監視に疲れている。

 (私信:疲れているのは私もです、課長。)

[…]

 

 決裁者注:本草稿は差し戻し。このような些事について、本省へ回覧する必要を認めない。ただし、係員の心身の疲労を考慮して、長期休暇申請は許可。当面の代替要員は小職の責任において手配する。

 (私信:申請すれば、部下と共に休暇を許可する。君も、細君と洪海クルーズにでも出かけてはどうかね?)

 

  ***

 

 ブルガネスの目眩と時を同じくして、帝国暦一八一九年三月二十三日深夜から翌二十四日にかけて、帝都バーレンハイム、帝国学士院会館会議室。

 

 皇太女博士宮ヴィクタリースの召集を受けて、再び皇女派、皇子派、共和派、そして中立派の領袖たちが一堂に会した。

 

「つまり、時計なのです。全ては、戦前からわかっていたはずでした。

 そうですね、ボアライト会長。」

 ヴィクタリースは、卓上に地図を置くと、帝都の中心——今や住む者のない宮殿——から、コンパスで正円を描いてみせた。そして一から十二まで、円周に沿って数字を書き記していく。

 

「——ローゼティエン。」

 例によって薄汚れた背広の肩を揺らしながら、ボアライトがつぶやいた。

 そこに、平素の快活さは見られない。

 

「何のことだ、話が全く見えない。共和派特有の暗号か何かか、これは。」

 ヴァイネスが訝しむが、それを合図にしたかのように、ボアライトが正気に戻って説明しようとする。

「ヴァイネス将軍。これが、革命派のラジオ放送の放送品質の乱れの正体ですよ。

 ローゼティエン——ブルガネスは、昔から〈時計〉にこだわっていました。ある意味では……。」

「実に穴居族らしい。時計職人も多かったですな、確か。」

 シルヴァニスが口を挟む。ボアライトはシルヴァニスと視線を合わせると、肩をすくめて、いつもの調子に戻った。

「シルヴァニス議長の仰る通り。昔本人の口から聞いた話ですが、ブルガネスの父親は時計職人です。

 そして、ブルガネスはそれに準えて、バーレンハイム郊外に、円周状に海賊ラジオ局をいくつも置いた。」

 

「博士宮殿下のご助言に従って、帝都守備隊と共和派民兵とで手分けして無線三角測量を試みました。

 発信源はやや微弱ながら、周期的に移動している。全部で十二箇所が観測できました。」

 帝国軍総司令官、レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー元帥伯爵が続けた。

「そうか! だから、放送品質が乱れるということか!

 移動する発信源に、微弱な電波。場所と時間帯によって、放送品質がまるで変わってくる——。」

 ヴァイネスは卓上のペンを取ると、ヴィクタリースの描いた正円に、小さな円を十二個、素手で描き足した。いずれの円も、帝都全域を覆うほどの大きさではなく、どこか覆いきれないところがある。

 

「これだけの数の海賊ラジオ局だ。設備を揃えるだけで一苦労な筈。数や隠匿性を優先しては出力も不足するし、余計に放送品質は不安定になる。

 ——だが、最初の放送は? あれはひどく品質が安定していたし、おそらく帝都全域へ、そして中継局を経由して他の主要都市にも届いたはずだ。隠匿性という事情はあるにしても、納得がいかぬ。」

 ヴァイネスはペンを卓上へ置くと、ヴィクタリースへ疑問をぶつける。

「兄殿下、革命派にとって、これは短期決戦の筈でした。それを、兄殿下の〈応急対処計画〉と、ボアライト会長の英断、そしてわたくしたち全員の決断が、覆したのです。」

 ヴィクタリースの物言いに、ヴァイネスとボアライトが、互いの目を見合わせる。

 

「決め手は、ミルダネス閣下の御出馬。そうですな、博士宮殿下。」

 マルクヴォーが水を向けると、ヴィクタリースは静かな笑みを浮かべた。

「ミルダネス閣下を摂政として推戴したことで、革命派は大いに動揺したことでしょう。今も、各地で〈無断除隊者〉たちの投降が相次いでいると聞きます。」

「予期せぬ長期戦と、身内の動揺。それに対処するための対処療法が、この〈包囲円環〉というわけですか。では、このあまりに整然とした配置は——。」

「急場しのぎであるがゆえに、指導者であるブルガネス女史の思想が、直に反映されてしまったのでしょう。

 時計のごとく中心を包囲し、時計の針のごとく、時代を前進させようとする思いが。」

 

「この十二箇所の海賊ラジオ局のいずれかにブルガネスがいるのなら、そこを叩けば形勢は一挙に逆転する。」

 ヴァイネスが卓上の地図に肘をつき、眉間を抑えながら言う。

「しかし、そう単純にいきますかな。他の指導者が立つということも——。」

 シルヴァニスが続けると、ボアライトがシルヴァニスの肩を叩いた。

「シルヴァニス議長、そこは私が請け合いましょう。

 袂を分かったとはいえ、私はかつての同志です。誰よりも彼女——彼らのことは、わかっていますとも。」

 

「ローゼティエン・ブルガネスともあろう女が、自分の他の誰かに〈我が家〉の主導権を渡すなど、あるものですか!」

 ボアライトの笑い声が、会議室に響きわたった。

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