皇帝なき帝国の物語   作:天野 推灯

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014 帝都地下水道

「勝利のために手段を選ばぬ者は、しばしば軽蔑される。しかし、手段を選んで敗北した者は、常に軽蔑される。」

 帝国暦一八一九年三月二十五日、ミルダネスは日記にこう記した。欄外には「九時、待ち合わせ」とある。

 

  ***

 

 今や〈帝都〉と呼ばれるバーレンハイム。しかし、古帝国においては、帝国の首府は現在の都市国家連合、すなわちこの大陸の南方に突き出た半島のほぼ中央部にあった。古代のバーレンハイムは、古帝国北方における常人族と諸種族の衝突の最中にあって、その最前線たるレギスヘーエンの後方基地として整備された歴史を持つ。バーレンハイムが〈帝都〉となるのは、北方の諸勢力を支持母体としたボレアニス朝の初代皇帝が登極する、中世初期のことである。

 したがって、バーレンハイムそのものの歴史は古代に遡るが、元来が帝国の首府として設計された都市ではないだけに、その公共インフラの整備は極めて場当たり的であった。古帝国の盛衰、常人族と諸種族の衝突の態様、古帝国の北方政策の変動、そしてボレアニス朝による遷都と、その後のボレアニス朝の趨勢。帝都バーレンハイムの公共インフラの有り様は、そのまま時代の変遷と、時の権力者あるいは市民の様々な思惑の交錯の表現型にほかならない。

 

 その最たる例が、帝都の地下インフラ、分けても地下水道の形態である。

 古帝国は各地に都市を建設するにあたり、水道の整備を最優先とした。「水こそは、人間を生かす最も原初的な魔術である」という主旨の格言が、古代の様々な偉人に帰せられて語られるのは、決して偶然ではない。格言の主が特定できないのは、こうした認識が古帝国のあらゆる統治者、学者、技術者に通底する認識だったからにほかならない。

 バーレンハイムもまた、例外ではない。古帝国の行政文書には、バーレンハイムの整備にあたって真っ先に起工されたのが、地下水道掘削のために動員された兵士たちのための兵舎であった、とある。この行政文書は、都市国家連合から中世の写本が複数発見され、バーレンハイムの地下水道において原本と思われる古代の碑文が発掘されたことから、概ね事実であるとみなしてよい。

 

 しかしながら、古代から中世にかけての地下水道の完全な地図は、現在に至るまで発見されていない。これには複数の原因が考えられるが、講学上は、繰り返される戦乱の中で散逸したとする説と、機密保持のために秘匿ないし破棄されたとする説があり、現在では双方の折衷説が通説である。

 現在までに判明していることは、三つある。

 第一に、地下水道は上水道と下水道に厳格に分かれ、これらの水流は決して交わることがない、ということ。

 第二に、地下水道は古代のもの、中世のもの、近代のものに分かれ、深度も概ねこの順序であるが、古代から中世のものは境界が曖昧であり、有機的に連なっていること。

 そして第三に、古代から中世にかけて整備された地下水道には、社会的に排斥された人々がときおり逃げ込み——彼らはしばしば、ここを拠点に独自の生活を営んだ、ということ。

 

  ***

 

 さて、近代において、帝国の諸種族の身体的差異は、古代や中世のそれと比較すれば、相対的な差異にすぎない。有史以来、多くの地域、多くの場面で、諸種族の血統的交流——混血が生じてきた。その当然の帰結として、諸種族の身体的差異は、時代と共に縮小の一途を辿った。

 例えば、長耳族、鍛冶族、穴居族は〈長命種族〉と呼ばれるが、その平均寿命の差異は、常人族を基準として、精々十年から三十年の上振れの範囲に収まる。それでも彼らが長命種族と呼ばれるのは、第一にその健康寿命の長さ、第二にその外見年齢の若さに起因する。長命種族は常人族よりも多少長生きだが、常人族よりも長期間に渡って健康を維持し、若々しい外見を示す。

 

 しかし、何事にも例外はある。

 長きに渡って他種族から敬遠され、疎外されてきた種族がある。彼らはその歴史を通じて、ほとんど他種族と混血せず、その身体的特徴を色濃く留めてきた。

 他の諸種族は、彼らを嫌悪と恐怖の含意のもとで、このように称する。

 ——〈鬼人族〉。

 

 他の種族が、その特徴——大陸の多数派であり、支配種族として他の種族を比較する基準点となる〈常人〉、優美な長い耳を有する〈長耳〉、鍛冶に秀で屈強な身体を持つ〈鍛冶〉、牧歌的で穴蔵のような住居を好む〈穴居〉——をその名称に冠するのに対して、〈鬼人〉とは明確な蔑称である。

 〈鬼人〉と言っても、角が生えているのではない。大柄なわけでもない。生物史的・遺伝学的研究によれば、鬼人族は鍛冶族と長耳族の中間形態であると考えられている。人類が砂海大陸に発生し、移動と移住を繰り返す過程で、鍛冶族が長耳族へ分化し、長耳族が常人族へ分化し、常人族が穴居族に分化した。鬼人族はこれらのうち、鍛冶族が長耳族へ分化する過程で生じた。

 短躯で筋肉質である一方で、長耳族的な尖った耳を有する。相貌は幼形成熟(ネオテニー)と位置づけられ、他の種族の幼児のような特徴——低い頭身、大きな目、平坦な顔、少ない体毛——が際立っている。初めて鬼人族を目にした他の種族の者は、しばしば彼らを長耳族の子供か、鍛冶族の子供と誤認するほどである。

 この〈極度に筋肉の発達した幼児〉のような外見が、他種族による鬼人族排斥の、主たる要因を形成している。

 分類不能な者への、漠然とした生理的嫌悪。他種族はしばしば詭弁を弄して鬼人族排斥を正当化しようと試みたが、結局のところ、すべてはここに帰着する。

 

 帝国全土で、あるいは大陸全土において、謂れなく排斥された鬼人族たちの居住地は、湿地・高原・砂漠・凍土・暗所などの極地に集中した。他種族の好まない地形を居住地として選ぶことが、排斥された彼らの生存戦略であった。

 しかしそのことが、鬼人族への偏見を一層助長した。

 鬼人族への一般的偏見として「赤い肌、緑の肌」というものがあるが、極地環境での目の錯覚——色順応——によって、そのように見えるに過ぎない。実際の鬼人族の肌の色は、他種族の肌の色の範疇から外れることはない。同じ凍土に鬼人族と常人族をふたり並べれば、雪中の光の乱反射によって、ふたりは同じ肌色に見えることだろう。

 

 そして、都市における鬼人族は、都市の極地、すなわち貧民窟と地下空間をその主たる居住地とした。

 帝都バーレンハイムにおいて、貧民窟を縄張りとした鬼人族の集団は犯罪組織を形成した。貧民窟においても強固に存在する鬼人族排斥の流れに抗うには、暴力によって臨むほか道がなかった。

 そして地下空間を縄張りとした鬼人族の集団は、地上において廃品回収業をおもな生業としつつ、独特で閉鎖的な民俗集団を形成した。排斥を逃れ、暴力を拒んだ彼らは、帝都に存在する巨大な地下空間、すなわち帝都地下水道に、安息を見出した。

 

  ***

 

「最近、地下で廃品がやたらと増えたり、消えたりするところがある。〈頭上者〉達が騒ぎ出してから、すぐのことだ。」

 古い型の軍帽を被った鬼人族の女、ヴェラの声が地下水道に木霊する。背丈は常人族の成人男性の腰ほどの位置で、何度も繕い直したであろう古着は、その筋肉質の肉体に引っ張られている。概して鬼人族は男女の外見上の区別が曖昧であるが、地下水道系の鬼人族女性は、その細い頭髪を細かく編み込んでいるため、辛うじて女性であるとわかった。

 

「妙だな。革命騒ぎの最中に、廃品が活発に動くというのは。——それは、地図でいうとどのあたりだ?」

 ヴェラの数歩後ろに続いて歩く長耳族の男、コンスタンサル・ヴェル・ダイスホルド中佐は、鬼人族特有の甲高い声に眉をひそめつつ、地図を示してヴェラに尋ねた。

 

「〈頭上〉の地図で言うと、どれも工業用地だ。でも、戦争が始まってから、物資不足で止まった場所ばかり。」

 ヴェラが、ダイスホルド中佐の地図を指差す。民生用衣料工業団地、住宅用資材工場地域、化学肥料プラント、民生用皮革加工場、製菓商工組合団地——ヴェラが指差した工業用地はいずれも、国家総力戦のための資源集中、そして海上封鎖による輸入途絶によって操業を停止したか、あるいは廃業の憂き目にあって廃墟同然となった、帝都郊外の空白地帯であった。

 

「——ちょうど、十二。これは、ヴィクタリース殿下の予想通り。」

「ダイスホルドの前に電波測量に来た軍人連中や、共和派の人達が言ってた。『ここは電波が良すぎる』って。」

「待て、電波が通るのか? 地下だぞ、ここは。」

「通気孔や採光孔はそこかしこにある。廃品置き場も採光孔のところ。でも、普通は〈頭上〉からの電波はちゃんとは通らない。基地局が遠いから。私たちは普段、地上のアンテナから線を引いて、ラジオを聴いてる。だから、不思議がってた。共和派の人達が、そこで待ってる。」

 ヴェラとダイスホルドが応酬していると、視界の向こうに、地下水道には似つかわしくないほど明るい一帯が出現した。

 

「——ここが、採光孔。オトウィン、待たせた。」

 ヴェラの声に、ダイスホルドは頭上に目をやった。長大な石造の立坑の壁面に、階段が螺旋状に付随している。立坑の周囲には深い溝が穿たれており、ここで雨水を下水道へ流しているらしかった。明るく作業に適していながら、それでいて水浸しにならない。確かに、廃品置き場には最適の立地であった。

 

「君がヴァイネス将軍の副官殿だね。オトウィン・ヴェルマーだ。」

 逆光でやや見えづらかったが、階段の踊り場には、豊かな髪と髭をしっかりと撫で付け、鋭い眼光を隠そうともしない、背広姿の男が立っていた。豊かな髭から鍛冶族であることは明らかだが、鍛冶族にしては妙に痩身で、背も高い。

 背後には彼の同志と見られる共和派の民兵が控えている。

 

「皇子中将宮ヴァイネス殿下の首席副官、コンスタンサル・ヴェル・ダイスホルド中佐です。

 ——ヴェルマー議員、まさか共和派が鬼人族と繋がっているとは思いもよりませんでした。」

「意外かね? 我ら共和派の誇りは〈種族を問わぬ連帯〉だ。もちろん、鬼人族も。」

 ヴェルマーは共和派における有力政治家のひとりで、屑鉄業界・スクラップ業界に顔が利く有力議員である。職人や労働者が多数を占める共和派にあって、数少ない資本家出身の議員でもあった。

 国家総力戦に伴う物資不足は、屑鉄とスクラップを宝の山に変えた。それゆえ、屑鉄やスクラップに精通したヴェルマーは世界大戦を通じて、共和派の中でも随一の資金力と人脈を誇るようになった。今や、その資金力は共和派領袖であるボアライトをも凌ぐとさえ言われる。しかし、ボアライトにブルガネスとの過去という一面があるように、ヴェルマーにもまた、ある一面があった。

 

「ダイスホルド中佐。軍が敵味方に非公式協力者を持っているように、我々もまた、地下水道系鬼人族とは緩やかな協力関係にある。特に私の場合は、扱う商品が商品なものでね。」

 屑鉄やスクラップは、市中で発生する金属製品の廃棄物からなる市中スクラップが流通の中心であり、製鋼工場の生産過程で生じる端材などの自家発生スクラップは製鋼工場で再利用されるため、ほとんど流通しない。そのため、屑鉄やスクラップを市中からいかに回収するか、すなわちいかに廃品回収業者と伝手を作るかが、屑鉄やスクラップを扱う上で重要になってくる。

 ヴェルマーは、廃品回収を生業とする地下水道系鬼人族との伝手を通じて、自身の事業を拡大してきた。

 

「〈払いはする 俺は約束を守る お前たちと違って。俺たちの約束は お前たちの法より古い〉。」

 ヴェラが口ずさんだのは、鬼人族の古い民謡だった。

「私たち鬼人族は、オトウィンが誠実に取引する限り、オトウィンに便宜を図る。共和派が私たちに心を砕く限り、共和派に力を貸す。今回、ほかの〈頭上者〉達に力を貸すのは、特別だ。革命派は、〈頭上者〉の中でも、一等悪い。奴らは、貧民窟の連中と組んだ。力に溺れた、〈頭上者〉かぶれと。それが許せない。奴らは躊躇なく力を振るう。奴らは契約を守らない。」

 ヴェラの声には、地上で犯罪組織を形成した同族たち、貧民窟系鬼人族に対する、明確な侮蔑の色があった。

 

「——このような次第でね、ダイスホルド中佐。今回、双方の封鎖線を突破してバーレンハイム郊外を偵察するのに、ヴェラをはじめとする鬼人族の力を借りた。鬼人族の案内と監視のもとで、少数の兵力なら動かしても良いという言質も、長老から頂いた。」

「地図の作成は、禁止。それが条件なのを忘れないで。」

 ヴェルマーの言葉に、ヴェラが口を挟む。

 

「それは安心していい、ヴェラ殿。私も記憶力は良いほうだが——どこをどう歩いてきたのか、さっぱりだ。ここは〈死の領域〉の密林より遥に複雑だ。あなたがたの他に、ここを攻略できる者などおるまい。」

 ダイスホルド中佐は、貴族称号を持つ少数派の上流長耳族らしく、鬼人族への偏見を根強く抱いていた。しかし、複雑極まる地下水道を縦横無尽に移動するヴェラを目の当たりにして、その偏見を些か改めつつある。この鬼人族の女性は、少なくとも皇子中将宮首席副官よりも優れた記憶力と空間把握力を持っている。

 

「それで、ヴェルマー議員。偵察結果は?」

「——当たりだ。」

 肩をすくめて笑うと、ヴェルマーはパイプに火をつけて言った。

 

「私にも見覚えのない構造物が、ぎっしりだ。

 よりにもよって、私の廃工場——先日買い取った建物の上にね?」

 

  ***

 

〈帝都郷土防衛隊作戦指令 第二十一号〉

帝国暦一八一九年三月二十五日

発:帝国軍総司令官 帝国軍元帥にして伯爵 レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー

宛:

 帝都郷土防衛隊臨時司令官 憲法制定国民議会議員 セラルフリック・ボアライト殿

 同 臨時司令官代理 憲法制定国民議会議員 オトウィン・ヴェルマー殿

 

 我らが元帥摂政公、ティメル・ヴェル・ミルダネスの指令に基づき、帝都バーレンハイム解放のため、以下の通り指令する。

 

 一、帝都郷土防衛隊は、次に掲げる各号の主体により構成される。帝都郷土防衛隊臨時司令官は従前より(イ)を指揮するところ、以後(ロ)および(ハ)についても、帝都解放まで当面の間、その指揮を帝都郷土防衛隊臨時司令官に委ねる。これに伴い、(ロ)および(ハ)はヴァイネス・セラリオン・ヴェル・ボレアニス皇子中将宮の指揮下を離れる。

  (イ)共和派義勇兵

  (ロ)在郷軍人

  (ハ)その他の義勇兵

 

 二、帝都郷土防衛隊は、一(ハ)〈その他の義勇兵〉として、地下水道に現に居住し、〈いと高貴なる鬼人族の長の目録〉に登録されたる鬼人族(以下、地下水道系鬼人族)からなる義勇兵を、これに編入する。地下水道系鬼人族義勇兵の作戦行動については、帝都郷土防衛隊臨時司令官代理がこれを仲介し監督する。

 

 三、帝都郷土防衛隊は、帝都外縁部環状道路(旧バーレンハイム市壁跡)西部沿線に位置する革命派〈海賊ラジオ局〉一箇所(別表第九号、概ね帝都外縁部九時方向。以下、九号ラジオ局)周辺の敵性勢力を掃討し、安全を確保せよ。なお、作戦地域への移動に際して、地下水道系鬼人族義勇兵の誘導と監督のもと、帝都地下水道を移動する。移動に際しては、帝都郷土防衛隊臨時司令官代理の指令と訓示を遵守し、地下水道系鬼人族義勇兵の監督に従って行動せよ。

 

 四、三を完了させた後、帝都郷土防衛隊は、近辺の観測不能な位置に潜伏し、九号ラジオ局を包囲せよ。

 

 五、四を完了させた後、帝都郷土防衛隊は、革命派指導者ブルガネスの来着とミルダネス元帥摂政公直卒の帝国軍任務部隊の来援を待って、九号ラジオ局周辺を完全に封鎖せよ。

 

 六、五を完了させた後、帝都郷土防衛隊は、帝国軍任務部隊と協働して、九号ラジオ局を制圧し、ブルガネスを逮捕せよ。

 

 七、上記の一切の指令は、ブルガネスを無傷で逮捕する目的で発せられている。これらの目的を逸脱する一切の行為を、厳に禁ずる。捕虜への暴行・虐待は、元帥摂政公に対する反逆罪に問われ、極刑に処される場合がある。この点を全部隊へ遺漏なく周知せよ。

 

 八、その他詳細は別途指令するが、七を逸脱しない範囲において、細部の判断を貴下らに委ねる。帝都郷土防衛隊の奮戦に期待する。

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