「誰が想像できようか。己自身が、ある国家の〈歴史〉と呼ばれようなどと。」
帝国暦一八一九年三月二十六日にミルダネスが抱いた感慨は、ミルダネスが認知戦において用いた自己像と、実際の内心における自己像の、著しい乖離を如実に表している。
***
〈評議員たちの蜂起〉の時点で、革命派〈中央評議会〉は、三名の主導者によって率いられていた。
第一に、〈祖国革命指導者〉であるローゼティエン・ブルガネス。書記局筆頭書記を務め、革命派全体を思想的に統括し、あらゆる最終決裁を司る。革命派のプロパガンダ戦術もまた、ブルガネスの専権事項である。
第二に、帝国国有鉄道全国労組の元議長、スターンソン・ウーレン。〈労農運動指導者〉すなわち労働者代表として全国の革命派の庶務を司り、官民労組系・農漁民系の革命派民兵を指揮する。ミルダネスによって陥落したステリノール操車場は、ウーレンが指揮する重要拠点の一つであった。
第三に、〈無断除隊者〉の大佐、ハネス・クルックピーク。〈革命戦士幕僚団指導者〉すなわち軍事顧問として全国の革命派の軍事作戦の作戦立案を担いつつ、〈無断除隊者〉系・元官憲系の革命派民兵を指揮する。
この三頭政治の形態は、旗頭としてのブルガネス、骨格を支えるウーレン、彼らの剣となるクルックピークという、非常に合理的な分業であるように思われる。頭脳、肉体、手足が有機的に絡み合う時、有機体としての組織は極めて強力である。
しかしながら、分業はしばしば、競合と分断を生む。それは、他のありとあらゆる組織と同様に、革命派においても、例外ではなかった。
「——我ら〈バーレンハイム人民法廷〉は、シルヴァニス=マルクヴォー反動政府に屈し、反動政府の首魁たる国賊ミルダネスに対する臆病を露呈したこの裏切者を、革命戦士団から永久に除名し、祖国人民の名において、その思想的敗北にふさわしい処置を与える。祖国革命万歳!」
革命派に占拠された帝都東部郊外の公会堂で、〈労農運動指導者〉ウーレンが、熱狂を帯びつつ告げる。ウーレンの視線の先には、軍服姿に赤い腕章を巻いた士官が立っている。
この士官は、ミルダネスの帝国摂政任命受諾演説を受けて部下と共に投降を図った一群の〈無断除隊者〉士官のひとりである。既に革命派民兵の私刑を受けたのか、軍服のあちらこちらに血が滲み、顔にもいくつか切り傷がある。極刑を宣告され顔面は蒼白だが、その表情には何か覚悟を感じさせるものがあった。
「同志ウーレン。私をはじめ、軍人出身の革命戦士に対する指揮権と処断権は、クルックピーク大佐に一任されているはずだ。この人民裁判は越権行為であり、無効だ。
私を裁くことができるのは、同志大佐か、さもなくば祖国革命指導者、同志ブルガネスだけのはずだ!」
「黙れ、裏切者! 臆病な脱走兵風情が、我々と同じ革命戦士を名乗るなど、そもそも誤りなのだ。
それに、同志大佐も同志ブルガネスも、作戦指揮と革命指導に多忙で貴様ごときに構う暇などない! 彼らに代わって、私がお前たち裏切者を裁くのだ。衛兵、この裏切者を広場に引き出して、その腐った精神と肉体を叩き直してこい!」
士官の反駁に、ウーレンが再び熱を以て応じる。
〈評議員たちの蜂起〉の当初、ウーレンに課された役割は、第一に帝都内の共和派左派への内通工作、第二に帝都郊外で官民労組系・農漁民系の革命派民兵が占拠した重要拠点の確保と帝都における封鎖線の維持であり、そして第三に、封鎖線を破って脱出を試みた帝都市民と、帝国軍・共和派民兵捕虜の逮捕と尋問、人民裁判であった。
当初からウーレンの革命指導は革命派の中でも熱狂的なものがあったが、この数日というもの、その熱は高まる一方であった。
ウーレンは、共和派左派への内通工作の失敗と、古巣である国鉄労組が確保したステリノール操車場の陥落で面目を失った。そしてまた、短期決戦構想の破綻が明らかになるにつれて革命派の軍事情勢が逼迫すると、ウーレンら官民労組系・農漁民系の古参革命派の存在感が相対的に希薄化し、新参者であるクルックピーク大佐ら〈無断除隊者〉系の職業軍人の存在感が高まっていった。
こうした喪失を埋め合わせるように、ウーレンは革命派内部の〈反革命分子〉狩りに熱中した。ウーレンは短期決戦構想の破綻の原因が〈無断除隊者〉系の職業軍人による不手際や弱腰にあると主張し、彼らの中に反革命分子が紛れ込んでいると疑った。これには一応、合理的根拠がある。
元々、〈無断除隊者〉系の職業軍人が革命派に参画した理由は一様ではない。戦前から筋金入りの革命派シンパもいれば、ただ漠然とした不安から革命派に走った者、敗戦と軍縮に伴う失業への不満からただ職を求めてやってきた者もあった。前線での不品行が発覚するのを恐れて逃走した者、薬物への誘惑に抗えず参加した者、甚だしきは戦争犯罪人として処断されるのを嫌った者などもある。他ならぬクルックピーク大佐もまた、戦時中に連合国軍捕虜に対する虐待を行って脱走したのだという噂が絶えなかった。
ミルダネスの摂政任命受諾以来、これら〈無断除隊者〉系職業軍人の集団投降が相次ぐと、ウーレンの反革命分子狩りは苛烈さを増し、熱狂的な配下による私刑と即決裁判による処刑が常態化していった。その一方で、ブルガネスとクルックピーク大佐は、それぞれ〈野戦放送局〉と革命派作戦司令部に籠りきりとなり、ウーレンの独断専行に介入する余地が失われていた。
***
「同志、彼は私の管轄だ。直ちに解放してもらいましょうか。」
控室へ拳銃を取りに行ったウーレンが公会堂から広場へ出て行こうとすると、公会堂の廊下にクルックピーク大佐が待ち構えていた。
「——同志大佐、こんなところで何をしているのだね?」
ウーレンの頬は、すっかり引きつっている。しかし、その瞳に宿った熱は、未だに冷めていない。
「バーレンハイム東部で、敵の動きが活発になっているのでね。幕僚と共に現地指揮ですよ。
ミルダネスの〈御大〉は、ステリノールからバーレンハイムまで、東部鉄道を直進してくる。とすれば、次は東部の貨物駅だ。
それにしても、同志。随分と大勢、私の部下を始末してくれたようで。感謝に堪えませんよ。」
クルックピーク大佐の瞳は、ウーレンとは対照的に冷え切っていた。
「君たち軍人というやつには、やはり上意下達の階級的な構造が染み付いている。だから、ミルダネスなどという存在しない脅威に怯えるのだ。」
「怯え? 怯えているのはあなたでしょう、同志。
——そんなことよりも、聞きたいことがある。同志ブルガネスの警護は? あなたがこんなところで、ピアノ線だの肉叩きだのシャベルだので〈反革命分子〉と遊んでいるんだ、さぞ強固にしてあるんでしょうな?」
クルックピーク大佐の声が、深く暗い冷気を帯びる。ウーレンは伏し目がちになりながら応じた。
「け、警護が多すぎるとかえって同志ブルガネスの位置が敵に露見する恐れがある! だからその……隠密行動に長けた鬼人族の同志たちに後を任せて、私は自分の持ち場に戻ったのだ。」
「鬼人族の同志? 貧民窟でゆすりたかりを生業にしている、あの犯罪者どもに? あんた、正気か?」
「彼らは歴とした同志たちだ! 今回の蜂起が成立したのも、彼らの独特の流通網があったからで……。」
「薬物売買ルートを〈独特の流通網〉とは、思想教育に熱心な方は違いますな?
——まあいい。とりあえず、部下の身柄は私の方で引き受ける。」
クルックピーク大佐が強引にやりとりを打ち切り、踵を返して去っていく。
「臆病者共! いずれ貴様らは歴史に裁かれるぞ!」
こうウーレンが叫ぶと、クルックピーク大佐が静かに立ち止まり、振り返って応じた。
「歴史には、とうに裁かれている。
——今が戦時中でないことに感謝するんだな、軍曹〈閣下〉。
あんたが捕虜として俺の連隊に来ていたら、砲術試験のマトだ。」
ここでウーレンは、クルックピーク大佐にかけられた、戦争犯罪の嫌疑を思い出す。
補給不足への部下の不安を払拭するために行った、連合国軍捕虜への重大な虐待行為——等間隔に整列させた捕虜へ向けて、〈密集陣地における弾丸運動の減衰率測定試験〉と称して大口径の攻城砲を水平射撃した、という話だった。それも、一度や二度ではない。数度にわたって試験を繰り返し、ことが露見しかけると、部隊の敗走にかこつけて証拠を持ち去ったのだという。
刹那、通路の影に潜んでいたウーレンの部下が、クルックピーク大佐に殴りかかろうとする。
クルックピーク大佐は慣れきった動作でホルスターから拳銃を取り出すと、ほとんど視線も合わせずに躊躇なく発砲し、今度こそこの場を去った。
ウーレンは、クルックピーク大佐の背中を見送りながら、自分が握っていたはずの拳銃を、とうに取り落としていたことに気づいた。
***
帝国軍の軍楽・軍歌の類を集約した楽譜集、『帝国軍軍楽譜集成』の中に、〈元帥行進曲〉という楽曲がある。
古典音楽調の楽曲が多数を占める帝国軍の軍楽にあって、この楽曲のみが砂海大陸の民族音楽を模した、独特の音色を持つ。打楽器を例にとれば、帝国の伝統的な打楽器の代わりに、鍋や薬缶、樽などを演奏に用いる。その他の楽器も、帝国の伝統的なそれではなく、砂海大陸の奥地でも入手可能な日用品や、現地の鍛冶族の職人が手掛けた砂海大陸の民俗楽器が用いられる。この曲で用いられる帝国の伝統的な楽器といえば、軍の装備品である信号ラッパに限られる。
こうした特徴ゆえに、帝国軍の式典や民間のラジオ放送において、〈元帥行進曲〉が演奏されることは稀である。楽器からして他の軍楽とは異なる以上、演奏のためには入念な事前準備を必要とするのだから、当然の帰結であった。
その一方で、世界大戦以前の帝国の興隆を知る者にとって、〈元帥行進曲〉は特別な感傷の対象である。
曲名に冠された〈元帥〉とは、多数の植民地戦争に勝利し、砂海大陸における帝国の覇権を確立した英雄、〈常勝元帥〉ティメル・ヴェル・ミルダネスその人にほかならない。
この曲が砂海大陸の民族音楽を模したのは、軍楽隊がその作曲にあたってミルダネスに希望を照会したところ、「現地での功績大である兵士、特に砂海大陸生まれの原住民や植民者出身の兵士に敬意を表したい。兵営で彼らがしばしば演奏した、民俗楽器や日用品を用いた、彼らに馴染みある旋律を希望する」と応じたものを、穴居族の軍楽隊長がそのまま取り入れたからであった。
以後、砂海大陸での戦勝を記念する式典では必ず〈元帥行進曲〉が演奏されたが、大戦の勃発と戦局悪化による各種式典の中止や簡素化によって、長らくこの曲は人々の耳から遠ざかっていた。
しかし、帝国暦一八一九年三月二十六日、夜。
帝都バーレンハイムの至る所で、〈元帥行進曲〉が流れている。
***
「この戦は仕舞いだな、同志軍曹。」
以前よりも綻びや傷が増えた、みすぼらしい野戦服。そこについた煤を払いながら、大尉の階級章をつけた革命派男性民兵が、同様にくたびれた野戦服の裂け目を繕い直している、軍曹の階級章をつけた革命派女性民兵に話しかける。
「また私らの行くところが無くなりますねえ、大尉殿。」
〈同志軍曹〉と呼ばれた革命派民兵は、まるで近所の商店が潰れた話をするかのように肩をすくめて、針仕事を続けていた。
「〈野戦放送局〉をいくつも建てたところで、放送するのが同志ブルガネスただ一人だからな。」
「移動の合間に謀略放送をされては、こちらの宣伝戦も形無しですか。」
ふたりが囲むテーブルの上には、作戦地図と空っぽのカップ、そしてラジオが置かれていた。
ラジオからはあの旋律が、ふたりが若手士官と若手下士官だった頃に、誇りと共に耳にし、口ずさんだ〈元帥行進曲〉の旋律が、ひっきりなしに流れ続けている。
もう暫くすればブルガネスによる定時演説放送が行われるはずであるが、まさにこの時間、帝都外縁に配置された十二の革命派海賊ラジオ局——野戦放送局——は、何等の電波も発していない。
これまでも、ブルガネスの移動や休息のために、一定間隔で革命派の宣伝放送は休止を挟んでいた。しかしその間一度として、摂政政府による妨害が行われたことはない。無論、今回のように同周波数を狙い撃ちにしての摂政政府の宣伝放送が行われたこともなかった。
「〈親父殿〉にいっぱい食わされたかな。」
「やはりそう思われますか、大尉殿。」
ふたりは今、クルックピーク大佐の指揮のもと、〈無断除隊者〉系職業軍人からなる革命派精鋭部隊と共に、帝都バーレンハイム東部の貨物駅付近の防御陣地に陣取っていた。
遠雷のような砲声がひっきりなしに聞こえてくるが、防御陣地に着弾する気配はない。
クルックピーク大佐ら革命派幕僚団はこれを「ミルダネス直卒の主力部隊による準備砲撃を兼ねた威嚇射撃」と見て、貨物駅近辺の防御陣地の強化と、火力のバーレンハイム東部への集中を決断していた。摂政政府がこの貨物駅を必要とする以上は貨物駅近辺には大火力を投射することはできず、そうである以上、防御陣地を適切に配置してミルダネス直卒の主力部隊を誘引すれば、革命派が相対的に火力優位を獲得できるというのが、クルックピーク大佐の読みであった。
しかし、〈大尉殿〉と呼ばれた革命派民兵と、〈同志軍曹〉と呼ばれた革命派民兵は、クルックピーク大佐の読みに懐疑的である。
「軍人皇子はこういう搦め手を好まんし、学者皇女はここまで素直じゃない。馬具職人がどうかは知らんが、初日の演説を聞くに、ここまで上手くはやらんだろう。」
〈大尉殿〉は、今更になって始まった摂政政府の謀略放送に、不穏な気配を感じ取っていた。
「すると、この攻撃は?」
〈同志軍曹〉がそう問いかけると、どこかに重砲でも着弾したのか、ふたりが籠っているトーチカが揺れ、砂埃が舞う。廃材を利用した即席のトーチカは遠くの揺れでも敏感に受け取り、砲撃のたびに砂埃が舞った。
「陽動だな、こりゃあ。
同志大佐は軍人皇子よりは兵站に明るいが、やはり塹壕戦世代だ。兵站に明るいことで、おそらく——。」
そう言いながら、〈大尉殿〉は、卓上のカップを覗き込むと、それが長らく空っぽであったことを思い出し、肩をすくめて、続ける。
「自分が入念に準備するほうだから、相手もそうだと思っている。砂海でやった機動戦の正体を、頭で理解していても、感得しちゃあいない。」
「感得と言われると、私も自信がありませんが。」
「それは同志軍曹、君が下士官で、私が士官だからだよ。
君は動くのが仕事で、私は動かすのが仕事だ。親父殿の考えを理解し、感得してこそ、砂海の戦いを動かせた。」
「それで大尉殿が見るに、砂海での機動戦の要諦とは?」
繕い終えた野戦服に袖を通すと、〈同志軍曹〉は〈大尉殿〉に疑問をぶつけた。
「外から見れば、親父殿の機動戦は即興だ。だが、その即興を実現するために、多大な労力が払われている。」
そう呟くと、〈大尉殿〉は懐中を弄り、残り少なくなったはずの紙巻煙草を探した。
「親父殿の戦争は、いつも我々が前線に立つ前に終わっている。その布石は、ずっと以前から——。」
〈大尉殿〉が〈同志軍曹〉を伴って部隊ごと〈無断除隊〉を試みた時、手元には山程溜め込んだ、軍需品の不味い紙巻煙草が残っていた。
「きっと、親父殿の、ミルダネス家の、そして帝国の歴史とともに。」
今や、〈大尉殿〉の懐中に残っていたのは、出征時に願掛けとして懐に忍ばせた、大昔に〈親父殿〉から下賜された一本の葉巻。それだけだった。