「あの頃はね、アタシも、軍隊にしか居場所がなかったから。
銃を置くなんて、考えたこともなかった。」
――『群像:帝国暦一九世紀という時代』より。
***
帝国暦一八一九年五月二十日、帝都バーレンハイム、砂海通り。
貴族、高級軍人、官僚、学者、財界人などの私邸が軒を連ねる一角に、ピアルムス家の帝都別邸はあった。
この邸の主、〈抗命参謀〉こと帝国陸軍第一三二師団作戦参謀、ペルペトゥ・エリカール・ヴェル・ピアルムス大尉は、目下謹慎中である。
「だからさ、ペルペトゥ。君からも父上に口添えして欲しいんだよ。」
「できない相談だな、ケーレン。私は今、〈抗命参謀〉どころか〈謹慎参謀〉だ。
お前こそ、自分から動くべきだ。」
邸の書斎にて、テーブルを挟んで向き合うふたりの男。
一方は〈抗命参謀〉ピアルムス大尉であり、その向かいで呑気に構えているのは、帝国陸軍中尉、ケーレン・ロバル・サロリム・ティメル・ヴェル・ミルダネス。すなわち、元帥摂政公ミルダネスの一人息子である。
「士官学校の同期から聞いたぞ。〈評議員たちの蜂起〉の間中、何をしていたか――。」
「それは言いっこなしだよ、ペルペトゥ。お逃げくださいって、別室のみんなが言ったんだ。」
ケーレンは、まことに異例なことに、その軍歴において実戦部隊への配属を一度も経験しないまま終戦を迎えた。それどころか、参謀将校としての経験も、軍官僚としての経験もまるで積まないまま、国防省大臣官房儀典栄典課別室に所属する課員として、今日を迎えている。
この儀典栄典課とは、勲章、儀仗、式典、外国要人接遇などを扱う部門であり、特に別室は、王侯貴族に対する儀仗・式典・接遇の調査を担当する。ケーレンは士官学校卒業以来、ここで有職故実の調査と史料編纂を任されてきた。
本来、儀典栄典課別室とは、盛りを過ぎた高位貴族出身の軍人や高位貴族庶流出身の軍人を処遇するための名誉職であり、士官学校を卒業して即ここに配属されるのは、実に異例の措置である。現に、ケーレンの上司にあたる室長は、さる高位貴族の御落胤と噂の老准将であった。
「僕だって心苦しいんだよ。一緒に帝都を出た同僚は革命派に捕まって、今も行方知れずだし……。」
「当然だ。帝都の出入口はいずれも封鎖されて、革命派の警戒も厳重だった。
むしろ、お前がこうして生き延びているのが奇跡だよ。」
ケーレンの呑気な言い分に、ピアルムス大尉が深いため息をつく。
ケーレンには、幼少期から不思議と、こういう幸運なところがあった。それが当人の将来と幸福のためになっているかは措くとしても、何故か人生の節目において、その瀬戸際で踏みとどまる。
「思えば、士官学校の受験の時にも――。」
「あれは危なかったねえ。補欠だなんて、本当にツイていたよ。」
ケーレンはピアルムス大尉と同期であったが、ピアルムス大尉が首席合格であったのに対して、ケーレンは当初は不合格、次いで欠員が出たために補欠合格となっていた。
無論のこと、この補欠合格にミルダネスは一切関与していない。何らかの圧力が合格者にかかった形跡もない。単に、幸運であること。それは、ケーレンという呑気な若者の数少ない才能であった。
ピアルムス大尉の見るところ、このケーレンという男はミルダネスとは似ても似つかない。多忙なミルダネスに代わって、亡き母に溺愛されつつ育ったためか、どこか呑気なところがある。しかしながら、生まれ持っての幸運と、温和で鷹揚な人格、そして甘えたところがありながら貪欲でないところが、ケーレンをして、愛される愚者ならしめている。これは、ピアルムス大尉にも、そしてミルダネスにもない才能であった。
「いずれにしても、伯父上から財産分与も受けているのだろう。無理をして軍に踏みとどまる必要もないのではないか?」
「食べていくには困らないけれどさ、親戚の目もあるし、流石に申し訳が立たないじゃない?
だからせめて、摂政府に勤務したいんだよ。別室ではなくて。」
「摂政府は宮中からの横滑りだろう。摂政官房長のフォルトゥ・ノ・アジリエは難物だぞ。」
「アジリエ? 共和国風だね。」
「共和国が共和政に移行する前、近世期に、信仰に狂った〈大王〉が異端者を迫害していた時代の亡命貴族の末裔だよ。
太上皇帝陛下――セラレス四世陛下の側近で、文官だが、元皇孫教導官のひとり。つまり、伯父上の元同僚だな。」
「うわっ、それは困るなあ……父上がふたりいるみたいじゃないか。」
「そういうわけだから、中央での出世は諦めることだな。
私も、謹慎となった以上はどうなるか分かったものではないが――。」
そう言うと、ピアルムス大尉はソファから立ち上がり、窓際へ向かう。
帝都バーレンハイムは五月になると日照時間が増え、晴れやかな天気が続く。しかし、この日は生憎の曇り空であった。
ピアルムス大尉は謹慎中の身であり、別命あるまで帝都バーレンハイムの自宅で待機するよう命じられている。
先にピアルムス大尉が共和国東部、エスドナで行った〈戦力増強剤〉の爆破処理は共和国軍休戦査察団の反発を買った。無論、薬物汚染の共和国への波及は共和国とて望んでおらず、従ってこれは大事にはならなかったが、それでも念のためと、先手を打つ形で帝国軍西部戦線司令部はピアルムス大尉に謹慎処分を下したのである。
いずれにしても、ピアルムス大尉は西部戦線の有名人になりつつあり、一刻も早く後方へ移して、ほとぼりを冷ます必要があった。ピアルムス大尉は帝国暦一八一八年三月の帝国軍春季大攻勢の立役者であり、〈抗命参謀〉であり、そこに爆破処理事件が加われば、一介の大尉といっても、否応なしに有名人になる。それが元帥摂政公ミルダネスの義甥にあたり、しかも古貴族ピアルムス家の当主となれば、帝国軍としてはこれ以上世間の関心を惹く事態を避けたかった。
「あ、そういえばさ。」
ケーレンが思い出したように、ピアルムス大尉に呼びかける。
「父上から、手紙、預かっていたのを忘れてた。」
ケーレンが、懐から封書を取り出す。そこには確かにミルダネス家の封蝋が押されていた。
「――それを早く言え!」
ピアルムス大尉はケーレンから封書をひったくり、机上のペーパーナイフを手に取って、几帳面に封筒を開ける。
「父上、何だって?」
ケーレンは封書の中身を気にしているようであるが、覗き込むような真似はしない。呑気であるが育ちが良い。ピアルムス大尉には、この男のそういうところが憎めなかった。
「――お召しだ。午後から摂政府へ行く。それから、国防省だ。」
***
帝国暦一八一九年五月二十日、帝都バーレンハイム、摂政仮宮殿。
皇太子宮殿として造営されたこの宮殿は、現在、元帥摂政公ミルダネスを主人として、彼の施政を補佐する摂政府の庁舎兼官舎となっていた。
ミルダネスは当初、自身の帝都別邸を官舎とすることを望んだものの、皇太女博士宮ヴィクタリースが是非にと皇太子宮殿を差し出したことで、このような運用となった。もとより、ヴィクタリースはこの宮殿を好まず、帝国学士院会館を居所としていたから、ミルダネスと摂政府がここを拠点とすることに、何ら不都合は生じなかった。強いて不都合を挙げるならば、皇子中将宮ヴァイネスの貴賎結婚による廃太子以来、皇太子宮殿が長らく空き家同然であったことで、掃除に手間がかかったという程度のことである。
「元帥摂政公閣下、ピアルムス大尉がおいでに。」
「通してよい。」
摂政官房長、フォルトゥ・ノ・アジリエが扉越しに声をかけると、ミルダネスは声を張り上げて応じた。
「失礼いたします。ペルペトゥ・エリカール・ヴェル・ピアルムス大尉、元帥摂政公閣下のお召しにより参上いたしました。」
アジリエに先導されながら、ピアルムス大尉がミルダネスの執務室へ入り、敬礼する。ミルダネスも立ち上がり答礼すると、ピアルムスにソファへ腰掛けるよう勧めた。
「さて、何から話したものか。――貴官は謹慎中であると聞いたが、壮健か。」
「お恥ずかしいことながら、謹慎中なれども、私の脳髄は回転を止めてくれぬようです。」
ピアルムス大尉が苦笑し、ミルダネスもつられて口角を上げる。
「それを聞いて安堵しておる。幼少のみぎりから貴官を見てきたが、年々冴え渡っているようで何よりだ。
ケーレンにも見習ってほしいものだが。」
「ケーレンのことはともかく。
畏れながら閣下。私をお召しになったのは、世間話のためではありますまい。」
その言葉を待っていたかのように、アジリエが砂海大陸産の茶を卓上へ置く。こうしてアジリエが執務室へ持ってきたということは、つまりこの茶は、毒味が済んでいるということになる。
ミルダネスがカップを持ち上げつつ、口を開く。
「ああ、摂政という立場は何かと不便なものだ。茶には毒味が入るし、義甥と世間話をする暇もない。
――郷土防衛隊のことだ。貴官に腹案はないか。」
ずずっ、という鈍い音がピアルムス大尉の口から発せられ、室内に響いた。帝国において、喫茶時に口から音を立てることはあまり好ましい習慣とはされない。ましてやふたりは古貴族であるから、平素は音を立てることなどない。これは明らかな動揺の兆候である。
「閣下。郷土防衛隊に迂闊に手をつければ、再び国を割ります。」
「わかっておる。あれは本来、応急処置であった。
私が〈評議員たちの蜂起〉鎮圧と共に辞職しておれば、自ずから郷土防衛隊も解散させることができたが――。」
「各派が閣下の留任を望み、現に摂政政府が存続している今、性急な解散は郷土防衛隊が納得しない。上の者が納得しても、下の者の熱は消えない。」
「然様。あの蜂起からこちら、各地の〈死の領域〉を回り、地方の郷土防衛隊を訪ねて回ったが、私の想像した以上に熱気が強い。あれを冷まさねばならぬ。」
「仮に冷ましたとして、です。その空白に何かを注入してやる必要がある。仮構の偶像を。」
「偶像か。貴官はやはり、鋭い。」
ミルダネスは深いため息をつくと、アジリエに目くばせして、ひとつの書類を持参させた。
「読みたまえ。国防省の素案だ。」
***
〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉
※元帥摂政公の裁可と帝国暫定評議会議長の連署あるまで、素案にして法的効力なし。
帝国暦一八一九年五月一九日
【方針】
今後における妖魔対策と民間防衛の責務の重大性とに鑑み、この際、対妖魔戦力を画期的に整備拡充し、以て国内治安の完璧を期し、国際信義の浮揚を達する。
【要領】
一、民間防衛機構の整備。国防省の監督下に、治安補助機構として、次に掲げる各号の対妖魔戦力を整備する。
(イ)郷土防衛隊を改組し、民間防衛機構として整備する。差し当り、概ね現在の二倍に増加し、主として妖魔対策第一線の充実強化に充てる。
(ロ)前号の中から、当面の治安維持に関して機動的活動を強化する為、主要地域に応急警備隊を設置する。
二、既存兵力の再配置。従前、前線から引き揚げた帝国軍部隊を以て対妖魔戦力としたるところ、これを再配置し、国防力の強化および訓練に充てる。これによって生じた余力を前項の民間防衛機構の人的・物的根拠とする。民間防衛機構の幹部充実のため、帝国軍各方面より有能の士を登用し得るよう、採用制度を制定する。
三、待遇の改善。優秀なる民間防衛機構員を確保するため、その待遇の改善向上を図る。
四、教養制度の拡充整備。民間防衛機構員の質的向上を図るため、中央地方を通じて教養施設を整備拡充し研究施設の併設をも考慮する。将来対妖魔戦力の中堅たるべき優秀民間防衛員養成のため、年少志望者に対する長期教育制度を確立する。
五、監察制度の整備と実施。民間防衛機構に於ける綱紀の振粛を期して、監察機構を整備し強力適実な監察を実施する。監察機構の長には、有力にして徳望ある人物を以て充てる。
六、防衛設備資材の整備。対妖魔防衛機能強化のため、通信施設装備等を整備拡充する。
七、妖魔対策費の国庫負担割合の引き上げ。妖魔対策目的の国家的重大性増大に伴い、妖魔対策費の国庫負担割合の引き上げにつき考慮する。
帝国暫定評議会における防衛および妖魔対策担当評議員(国防大臣代行)
帝国軍総司令官 帝国軍元帥にして伯爵 レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー
(国防大臣印章)
***
「これは……随分と。随分と、強硬策ですな。マルクヴォー閣下らしくない。」
「中堅士官に押し切られたようなものだ。」
「それでわざわざ、ミルダネス閣下とシルヴァニス伯の連署がなければ法的効力を発しない、と。」
「私も隠居したとはいえ軍人だ。戦力温存の必要はわかる。妖魔対策と国防、そして治安を両立しつつ、連合国からの軍縮要求を満足させるには、こうした絡め手しかない。」
ミルダネスがすっかり冷めた茶を口へ運ぶ。この種の認識は、同時期の帝国軍人に共通のものだった。
「この〈民間防衛機構〉と兵力の再配置。要するに主要都市の郷土防衛隊を〈死の領域〉へ遠ざけ、逆に〈死の領域〉に張り付いた主力部隊を主要都市へ戻そう、ということでしょう。」
「で、あろうな。そして『概ね現在の二倍に増加』という量的規定は。」
「軍縮で退役するか、予備役へ編入される軍人の受け皿。〈応急警備隊〉はその中でも精鋭部隊の受け皿ですね。装備の行き先まで確保してある。重武装でない装備は片っ端から〈民間防衛機構〉に吸収させるわけだ。
――この素案、シルヴァニス伯は何と?」
「外交上は危険含みだが、治安上、経済上は歓迎という話だ。」
「この種の失業者が街に溢れれば、治安は崩壊し、経済も混乱する、ということですか。当然でしょうな。」
失業帰還兵とは、つまり戦闘と殺人の技能を備えた社会の不安定化分子である。
無論、社会が無傷であればこうした人々を包摂し、無事に社会へ復帰させることもできた。時間が彼らから戦闘と殺人の技能を忘れさせ、平和が彼らから不満を奪い、彼らは帝国社会の一員へと戻ることができた。
しかし、帝国は敗戦国である。それも内戦を終えたばかりで、社会のどこにも、全くもって余裕がない。本来、帰還兵を包摂すべき社会そのものが傷ついている。社会自身が傷を抱えながら、傷ついた人々をも癒さねばならない――ここに、古今の戦後処理の難しさがあった。
「それで、〈伯父上〉。私に何をお望みに?」
ピアルムス大尉が不敵に微笑み、それを合図にするかのように、ミルダネスが立ち上がる。
「重石を。国防省に対する。
――ペルペトゥ。ペルペトゥ・エリカール・ヴェル・ピアルムス。我が義甥よ。
憲法制定国民議会により授権されたる帝国摂政の官制行為として、卿の謹慎を解き、卿を摂政副官に任ずる。併せて、卿を少佐へ進級させる。余が意を体せよ。」
ミルダネスの低い声が執務室に響くと、ピアルムス少佐は、立ち上がって見事な敬礼を見せた。