皇帝なき帝国の物語   作:天野 推灯

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024 官邸

「戦前にね、共和国と連合王国に行ったことがあるんだよ。

 今なら――平和になった今なら、また行けるものかね。

 もっとも、そんな金はないんだが。」

 ――『群像:帝国暦一九世紀という時代』より。

 

  ***

 

 帝国暦一八一九年五月二十一日、共和国首都リュテシイ。

 リュテシイには、多数の宮殿と凱旋門が軒を連ね、そこに宮殿風様式のアパートメントが継ぎ足されて、独特の景色を作り出している。ある紀行家は、「リュテシイこそは、人類の宮廷である」と書いた。

 

 共和国の公共建築は、その多くが王政時代の遺物である。

 かつて、共和国が〈大王国〉と呼ばれ、大王を戴く専制君主制国家であった時代、歴代の大王と貴族は競って宮殿を造営した。

 古来、この土地は農業が盛んであり、農業力がそのまま国力に直結した時代には、大王国こそは世界に冠たる大国であった。肥沃で多様な気候風土を持つ大地に、東西南北の文明の結節点としての地勢。農業技術は進歩の一途を辿り、それはそのまま、動員兵力の大きさに直結した。分裂著しく、ただ古帝国時代の帝冠にしがみついた帝国とは、地力が桁違いと言えた。

 高度に発達した農業基盤と膨大な動員余力は、歴代の大王の野心を刺激し、度重なる出兵の呼び水となった。大王たちは競って帝国情勢に干渉し、膨大な兵力を帝国西部へと差し向け続けた。そして小競り合いの末に大小様々な権益を獲得し、戦勝のたびに宮殿と凱旋門が造営され、民衆は歓喜に沸いた。

 

 しかし、農業に傾斜した産業構造は、やがて連合王国に端を発した産業革命の波の中で、徐々に限界を迎えることとなる。

 無論、高度な農業技術とはすなわち高度な工作技術を必要とし、それゆえに大王国は他の列強に遅れつつも産業化を達成したが、連合王国の産業化が顕著となり、それが帝国西部諸君侯にも波及すると、大王国の貿易赤字は拡大の一途を辿った。そしてそのことが大王たちの領土的野心を刺激し、国庫を傾ける水準の大規模出兵が繰り返されるに及んで、ついに大王国は文字通り破産した。国庫の破産を憂いた知識階級と、偶然出兵の年と重なった大凶作に怒り狂った民衆が結託し、大王にこれまでの専制の請求書を突きつけたのである。

 多数の政治思想と、多数の政治体制が実験され、多数の流血を伴って、ついに大王国は共和国へと姿を変えた。ある大王は処刑台の露と消え、ある大王妃は水中に没し、ある法律家は共和主義による世界統一を夢見、ある青年将校は帝国に対する対抗皇帝を名乗り、その過程で起こったいくつもの戦乱と革命戦争の中で、ついに共和国はその人口動態を統計図に現れるほど大きく歪めて、今の共和国となった。

 

 特に、帝国との度重なる戦争は共和国から頑健な青年を多数奪い、そのことが、共和国の産業化を一層遅らせ、列強の中でも常に劣位に置かれる現状を作り出した。

 皮肉なことに、歴代の大王と歴代の共和国政府は、いずれも同じことをしていた。歴代の大王は強欲ゆえに帝国西部への干渉を繰り返し、ついに国家を破産させた。歴代の共和国政府は共和主義の輸出や帝国に対する対抗のためにやはり帝国と戦い、ついに人口動態を歪めた。違ったのは、前者は選択的に妥協することができたが、後者はその成立経緯からして、決して帝国と妥協することができなかったことである。

 出兵を決意して民衆を飢えさせたのは強欲な大王だが、その大王が破産せざるを得なかったのは、帝国による無思慮な抵抗のゆえである。それが、素朴な大衆感情であった。

 

  ***

 

 共和国大統領宮殿〈山脈の間〉。

 帝国に対する対抗皇帝を名乗った〈軍人皇帝〉が造営したこの宮殿は、その主が好んだ質実ながら壮麗な建築様式を特徴とする。鍛え抜かれた肉体のように均整の取れた古典様式の外観に、共和国各地から取り寄せられた高級木材をふんだんにあしらって磨き上げた落ち着いた内装。外にはこの土地の力を、内には人々の安らぎを表現したと言われている。

 元々は最後の大王が家族と団欒を過ごすために計画した図面を、軍人皇帝が大幅に改編して、今の姿となったという。軍人皇帝は「廃王は暴君であったが、しかし家族を想う、善き父であった。それゆえに余は、彼の絵図のうち、善き父の望みを是とする。悪徳の中にあっても、共和国精神は息づく。」と書き残している。

 それゆえ、軍人皇帝が帝国に敗れた後にも、この宮殿は共和国精神の精華と呼ばれ、共和国元首の官邸として利用され続けた。最後の大王が家族の居間として設計した部屋は、軍人皇帝の執務室となり、今は会議室へと姿を変えている。

 

「〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉。これを認めろと言うのか、オージュ。

 そもそも、情報源は確かなのかね。」

 常人族の共和国大統領、クレマール・ノ・リエールが、その豊かな髭を揺らしながら、共和国首相、オージュ・バジャン・レマンシュへ問いかけた。卓上には、〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉の共和国語訳版が人数分置かれている。

「クレマール。認める必要はない。ただ、手直しをさせればよいのだ。

 アシュー大佐、報告を。」

 種族的には珍しい禿頭が特徴的な長耳族の共和国首相、クレマールが顔をしかめながら応じる。

 

 会議室に、他の閣僚はいない。いるのは、大統領と首相の側近数名に、首相直属の情報機関、国家情報統合局長〈アシュー大佐〉のみであった。なお、〈アシュー大佐〉とは国家情報統合局長の符丁であり、彼の素性は限られた者しか知らない。

「帝国中央で休眠中であった内部協力者、符丁〈白鷹〉からの情報です。

 〈白鷹〉は元々、対共和国非戦派に属しており、大戦直前には我々に対して活発に情報を託しておりました。開戦後は、戦後処理を見据えて情報活動を休止し、先般の〈評議員たちの蜂起〉まで休眠状態にありましたが――ここにきて、この資料を複数経路で送ってきたのです。」

 アシュー大佐は、周囲を値踏みするような鋭い視線を隠そうともせず、淡々と報告する。

 

「つまり、帝国の高級軍人や高級官僚、ないしは帝国の高位貴族の中に、元々温存してあった情報源ということか。戦時中に帝国側に抱き込まれた可能性は?」

「はい、大統領閣下。そのように考えて頂いて差し支えありません。

 帝国側に抱き込まれた可能性についてですが――いずれにせよ、彼は対共和国非戦派であって、売国奴ではありません。だからこそ、情報源として信頼できるのです。」

 リエール大統領の問いに、アシュー大佐が応じた。

「〈白鷹〉なりに帝国の国益になると思って漏洩するからこそ、情報に価値がある。そう言いたいわけだな?」

「はい、首相閣下。彼が望むのは取引であって、私益ではありません。

 だからこそ――この情報は危険です。」

 続けてレマンシュ首相が問いかけ、アシュー大佐が同様に淡々と応じた。

 

「ホス元帥は何と言ってきている。」

「あの〈御姐様〉なら、『妖魔対策が困難になるような過激な軍縮は絶対に不可』だそうだ。

 全く、政治というものを分かっておらん。」

 リエール大統領とレマンシュ首相が言葉を交わすと、アシュー大佐はふたりの会話を鼻で笑った。

 アシュー大佐は特定の政治家に決して媚態を示さない。アシュー大佐が忠誠を誓うのは、共和国の旗と、その旗の旗竿としての大統領、そして首相に対してである。個人にではない。

 

「それではこの案は、飲み込むしかありませんな。」

 アシュー大佐が冷たい声で言葉を吐き出すと、レマンシュ首相が不機嫌そうな顔を、一層しかめた。

「それを決めるのは我々政治家だ。諸君ら軍人ではない。

 ――だが、妖魔対策に失敗すれば飢えるのは国境の民衆だ。大枠ではこの案を黙認しつつ、どこかに阻止線を張らねばならん。どうだ、クレマール。」

「同感だ、オージュ。大枠はこの際、やむを得ない。重要なのは、これが専制や軍国主義の復活強化に繋がるような動きが起こらないことだ。」

「もうひとつある。この〈対妖魔戦力〉とやらが、あの碌でなしの皇帝の呼び水にならないこと。これは絶対条件だ。

 アシュー大佐。引き続き、〈白鷹〉を通じて情勢監視を。」

「首相閣下。連合王国への通報は行いますか?」

「必要ない。あちらはあちらで、我々の知らぬ伝手をお持ちだろう。

 あんな戦争がなければ、手を組みたくもない連中だ。放っておけ。」

 

 レマンシュ首相はそう吐き捨てると、〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉を持ち上げ、改めて卓上へ放り投げた。

 

  ***

 

 帝国暦一八一九年五月二十一日、連合王国首都カムロドン。

 〈夜霧の都〉モナシュテーリアに対して、〈朝霧の都〉と呼ばれたこの都市は、幾度も大火に見舞われ、その度に様相を大きく変えてきた。

 

 現代のカムロドンの原型は、帝国暦十六世紀のカムロドン大火と、帝国暦十七世紀の産業革命によって形成された。大火による木造建築の禁止は近隣の材木需要を激減させた一方で、後の産業革命による燃料需要の沸騰に対する余力を準備した。そしてまた、大火の再発を防止し、広い防火帯を設けるための区画整理は、産業革命による都市人口の爆発に対する準備として機能した。連合王国の歴史家は、十六世紀のカムロドン大火とその後の復興を〈諸精霊の驚異の魔術〉と呼んだ。

 カムロドン大火後、市内での木造建築が原則として禁止されると、利用が活発になりつつあった焼成煉瓦を用いた建築が盛んとなった。低地諸国連邦王国との交易により大陸から最新の焼成煉瓦製法が持ち込まれ、それに地場の素材に合わせた改良が加えられた結果、赤煉瓦を中心とした独特の景観が形成されていった。

 ある紀行家は、「カムロドン、霧の中の赤い都」と書いている。

 

 連合王国の王権は、分裂著しかった帝国とも、早くから大王による中央集権が確立していた共和国(旧大王国)とも異なる歴史を辿った。

 歴史上、中央集権を試みる偉大な国王は度々現れ、それによって北西諸島の王権は早くから統一されたが、これらの偉大な王統は度々断絶し、その度に王統は傍流へと移った。連合王国の王位継承法は、北西諸島に割拠した複数の王国のそれを折衷した結果、甚だ柔軟であり、それゆえに王統断絶に対しても柔軟に対応し得た一方で、単一の王朝による確固とした王権はついに確立されなかった。

 代わって国論を統一したのが、早くから成立した身分制議会である。連合王国は、神殿の聖職者たちの会合に端を発する高等法院、諸侯の会合に端を発する貴族院、諸都市代表の会合に端を発する庶民院からなる、世界的にも珍しい三院制議会を有する。このうち、高等法院は早くから司法部門へと分化し、立法に対する違憲審査権しか持たない。実質的な立法権を行使するのは貴族院と庶民院であるが、貴族院も近年は民主化の流れに押され、元庶民院議員からなる一代貴族が主導権を握っている。

 

 連合王国の現王朝には、大王国貴族の血と、帝国諸君侯の血に、低地諸国連邦王国諸侯の血が流れている。この大陸の貴族であれば、多くの者が連合王国の王位継承権を有している。帝国の太上皇帝セラレス四世にしても、生母は連合王国の王族であった。

 だからこそ、連合王国は世界に冠たる列強であり、海軍大国であった。世界情勢が直ちに自国の存立に影響し得る国情は、否応なしに、連合王国を世界帝国ならしめた。連合王国は望んで植民地帝国を築いたのではない。連合王国の国情ゆえに、植民地帝国にして世界帝国にならざるを得なかった。大陸の勢力均衡の崩壊とはすなわち連合王国の国家存立の問題であり、植民地分配の問題とはすなわち大陸の勢力均衡の問題である。

 連合王国にとって、世界政策とは国内政策であり、自国の安全保障政策にほかならない。

 その連合王国が、世界中に目と耳を配置しているのは、これも必然であった。

 

  ***

 

 連合王国首相官邸、アッソウ=オウェルク街十三番地、通称〈十三号邸〉。

 低地諸国連邦王国出身の貴族が不動産投資の一環として帝国暦十六世紀に開発したこの一帯は、件の貴族が病没すると王家へ献上され、その地所はそのまま王国政府高官の官舎へと転用された。国会議事堂へもほど近く、元々貴族向けの邸宅街として開発されたことから閉鎖的で警備も容易であった。連合王国政界において〈十三号邸〉といえばそれは連合王国首相官邸、ひいては連合王国首相ないしは連合王国政府そのものを指す。

 当初この一帯を開発した低地諸国連邦王国貴族は、勤勉で禁欲的な教義を奉ずる教派の一員であったから、一帯の官舎や政府庁舎はきわめて禁欲的な煉瓦造である。ある政治家はこの一帯をして「暴利を貪る地上げ屋の、安普請の長屋」と酷評したが、しかし十六世紀の創建以来、いずれの官舎や庁舎も倒壊せず存続していることを考えれば、これは皮肉の域を出ない。――とはいえ、アッソウ=オウェルクなる貴族が、清貧と不動産投資とを内心問題なく両立しえた曲者であったことは、事実であろう。

 そしてまた、この〈十三号邸〉の主が曲者でなかったためしも、ありはしなかった。

 

「蹶起の兆候? 帝国陸軍にかね。」

 常人族の連合王国首相、オスブラン・ハイムリー・アシュカーは、その白みがかった金髪をひと撫ですると、パイプに火をつけた。

「陸軍だけではない。海軍も、もちろん空洞化した航空部隊も、郷土防衛隊も。それぞれに、武装蜂起の兆候がある。いたるところ、兆候だらけだ。

 ただ、最も具体的でマシな計画を立てているのが、陸軍だというだけだよ。」

 同じく常人族の海軍大臣、ウィニスタ・オンナード・ディスペー・サクレモンが、片眼鏡を直しながら応じた。アシュカー首相は、この皮肉屋の海軍大臣をどう遇するべきか悩みながら、この四年間というもの、戦争指導に臨んできた。

 

「敗戦国だ、不満分子も多かろうが――具体的には〈どの〉分子が不満を抱いているのだね。」

「皇子派。つまりは、世界大戦の開戦に最も積極的に関与し、戦争指導でも最も活躍した層だ。

 特に、青年将校の不満が大きい。」

「当然だな。敗戦責任を負わされた上に、真っ先に失業する層だ。」

「失業問題は帝国も、我々も同じということだ。もっとも我々の失業者は、彼らの失業者と違って武装蜂起はせんがね。」

 サクレモン海軍大臣の言葉は、目下最大の課題となる失業問題に苦慮しているアシュカー首相への直球の皮肉であった。

 

「では〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉は、要するに失業対策か。」

「そういうことになる。幸いにして、軍人皇子自身は蹶起への賛意を示していない。だからこそのガス抜きということだ。」

「なるほど、最低限この程度の失業対策を通してやらねば、派閥の統制が取れないと。そういうことか。」

「西部戦線の親玉から、脱走兵狩り担当司令官閣下だ。配下としては不満も大きかろう。

 かといって、玉座に座ったのがミルダネス公では、不満のぶつけようもない。だからこそ、マルクヴォー元帥やシルヴァニス伯への突き上げが強まっている。」

「なるほど、帝国は統治する皇帝の代わりに、君臨のみの摂政を手に入れ、束の間の安定を買ったか。

 私も早いところお飾りの首相になりたいものだよ、ウィニスタ。」

「それは困る。オスブラン、君には勝者の栄光を譲った。だからこそ、君には勝利の後始末も担ってもらわねばならん。」

 戦前から開戦直後、この二人は連合王国自由党を二分する派閥の領袖であり、不倶戴天の政敵であった。戦争初期、戦争指導の拙さを糾弾されたアシュカー首相に代わって、当時閣外にいたサクレモンを首相へ担いだ挙国一致内閣を立ち上げる構想が野党・統一党内に存在したが、サクレモンは海軍大臣としての入閣と引き換えに、アシュカーに恩を売ることを選んでいた。

 

「まったく、勝っても負けても、結局は後始末か……。戦争など、するものではないな、ウィニスタ。」

「問題は、この〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉が戦争の火種になるか、それとも火消しになるかだ、オスブラン。」

 アシュカー首相がパイプの火を消すと、まるでそれを待っていたかのように、今度はサクレモン海軍大臣が葉巻に火をつける。

「共和国がどう感じるかなど知ったことではない。大陸の安定こそは我が国益だ。

 クーデターを起こさせないこと。軍国主義勢力を再起させないこと。もちろん、皇帝の復帰などは論外だ。

 ――そして、妖魔の間引きは永久に続けさせること。各国も自国内の妖魔対策で手一杯だ。帝国の面倒まで見てやる余裕はない。」

 サクレモン海軍大臣がほうっと息を吐くと、紫煙が輪を形作る。

「国際協調による平和。勢力均衡による平和。それで大陸人の血がいくら流れようと、我々の平和をそれで買わねばならん。

 君にはもう少し、その代金を支払い続けてもらうぞ、首相閣下。」

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