「街宣車、というのだろうか。終戦で徴発解除されたトラックで、走り回る手合。
私はああいった連中を好かん。騒々しくて、たいていの場合は秩序がない。
だが、最も恐ろしいのは。秩序だっている連中だ。
たいていの街宣車は無秩序を振り回すが、秩序を振り回す連中は、背後に誰がいるか、知れたものじゃない。」
——『群像:帝国暦一九世紀という時代』より。
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帝国暦一八一九年六月十四日、午後七時。帝都バーレンハイム、国防合同庁舎。
本来、帝国中央官庁における退庁時刻は、午後六時と定められている。主要な窓口の開庁時間が午後四時三十分までであるから、その一時間半後ということになる。
ここ数年、この退庁時刻が守られたためしなど、ほとんどありはしなかった。戦時下の官僚に休息などなかったし、ましてや敗戦後の官僚に、そのような贅沢が許されるはずもない。あったのは、ただ辛うじて生命を維持しうるだけの〈調整〉時間、すなわち、最高効率で睡眠、食事、入浴をこなせる程度の隙間だけである。この隙間にしても、後ろから、つまり、入浴、食事、睡眠の順に削られていくのが常であった。
そうは言っても、〈評議員たちの蜂起〉が鎮圧されて以来、中央官庁の過酷な労働習慣も往時の苛烈さはなりを潜めて、入浴、食事、睡眠を〈あまり〉削らずに済むようになってきている。前線からの復員によって徐々に人手に余裕も出て、残業を交代で分担できるようになってきている。
今や、午後七時ともなれば、各官庁の執務室は空室とはいかないまでも、満席率は半分から三分の一程度に落ち着くものである。週に一、二回も徹夜をすれば、後は他の者が代わってくれる。平時並みとはいかないまでも、平時の繁忙期に自然災害がやってきた、という程度の業務量に落ち着きつつあった。
ところが、この日の国防省軍務局軍務課執務室は、ほとんど満席に近い。帝国暦一八一八年三月の帝国軍春季大攻勢の時と同様か、もしかするとそれ以上に、席は埋まっている。
軍務課長の海軍大佐は、前日までの連合国向け資料作成業務を終えて繁忙期を越えたことから、この日は定時退庁している。課長代理の陸軍中佐も同様である。この日、定時退庁する上官を尻目にこの部屋に残ったのは、少佐以下の中堅将校、それも少壮の青年将校たちであった。
その筆頭が、ステッファス・ファロー少佐である。
ファロー少佐は、士官学校を上の中程度の席次で卒業したのち、陸軍で砲兵畑を歩んできた。士官学校入学前は文学部で哲学を学ぼうと志したほどで、生来算術は得意ではなかった。その一方で物事を大雑把に把握することには長け、緻密な計算こそ不得手でも、咄嗟に大掴みの計算をさせて、ファローの右に出る者はいなかった。それゆえ、教官の勧めで不得手な弾道計算を本分とする砲兵畑へ進んだのであった。
砲術士官としてのファローは、現場の職人気質の先任下士官らに言わせれば「人の良い木偶の坊」であった。算術は不得手で、他人の顔色をうかがうところがある。それでいて、下士官には可愛がられ、兵には頼りにされる不思議な魅力を備えていた。
ファローは、彼の言うところの〈砲術の職人〉である先任下士官らの説明を、完全には理解することができない。しかし何故か、大雑把にはこれを理解して、そこから下士官の領分を超えた決心を行うことができた。そしてまた、個々の兵士の事情を完全には理解することができなくても、やはり彼らの大まかな傾向を把握して、部隊の運営統治に必要な配慮を欠かさなかった。
また士官学校同期の間でも、ファローは常に一目置かれる存在であった。
士官学校の席次は優良だが、それだけで一目置かれるほどのものではない。当人は俊英というよりむしろ愚直な気質で、士官学校の選良とは一線を画する。むしろその愚直さこそが、ファローをして、同期の星たらしめた。
ファローは決して、嘘をつかない。ファローの物言いは常に実直であり、その言動は真心から来ている。そうは言っても、堅物というのでもない。士官学校では教官らに隠れて賭博に興じ、散々に散財して両親に勘当を言い渡されかけたことさえあった。しかしその賭博にしても、賭博につきものであるハッタリ、こけおどしの類がうまくできず、それゆえに負けが込んだというのだから、生来のお人好しであった。
だからこそ、ファロー少佐は、俊英集う軍務課にあって、その職階上の席次に反して、中心人物である。
他の課員が新たな情報をもたらすと、そのたびにファロー少佐は喜び、怒り、悲しむ。そうしてファロー少佐の心が動くたび、周囲の同僚たちもまた一喜一憂する。そうした関係が、軍務課には成立していた。
ファロー少佐が中心となって起案した〈対妖魔戦力整備拡充要綱〉。そして、それが外交圧力によって破綻すると見込んで急遽立案した〈国防義勇軍整備要綱〉。その成否を占う会議が、摂政府で行われている。
「中将宮殿下が摂政府へ向かわれてから、三時間は経った。いずれにしてもこれが死命の分かれ目だ。」
ファロー少佐が重い口を開く。
六月のバーレンハイムは初夏の様相を呈している。自然と、面々の額に汗が伝った。
「ファロー。結局のところ、中将宮殿下は決起されるのか、されないのか。」
ファローの同期、少佐の階級章を付けた海軍士官が尋ねる。
「首席副官殿は、中将宮殿下も我々と同じ思いだとおっしゃった。それを信じるのみだ。」
ファローがきっぱりと述べると、それきり、場を沈黙が支配した。
刻々と時間が過ぎ、時々課員が飛び込んできては、会議の中間報告をして戻っていく。その度に彼らは一喜一憂したが、激しい感情の動きは、彼らの心身からゆとりを奪っていた。
しかし、不意のことである。
「諸君、何を意気消沈しておる! 我々の戦いはこれからだぞ!」
室内に、低く声楽的な響きを持った、女性の声が響いた。
「ルデンヘイム閣下! 閣下は砂海大陸の復員視察旅行のはずでは!?」
課員一同は咄嗟に立ち上がって敬礼するが、答礼もそこそこに、ルデンヘイムと呼ばれた鍛冶族の女性将官が、これを制した。見れば彼女は、赤い癖毛を丹念にまとめて、帝国陸軍航空隊制式の将校用飛行服に身を包んでいる。
「このルデンヘイム、危急の時にあって視察旅行ごときにいつまでも汲々とするほど安穏としてはおらん!」
彼女の名は、エウェリカ・ルデンヘイム。帝国陸軍大将にして、帝国陸軍航空本部長であった。
元来、帝国軍における皇子派とは、皇子中将宮ヴァイネスが直接勧誘した軍人たちの集まりではない。皇族たるヴァイネスが自身の派閥拡大のために自由に振る舞う余地は、それほど大きくなかった。
〈皇子派〉と称されるものの正体。それは、無数の高級軍人たち、あるいは無数の官憲や軍需関係者たちによる小派閥の集合体である。古今東西の多くの政治勢力がそうであるように、皇子派とは言うものの、これらの小派閥の直接の主は、ヴァイネスではない。純粋な〈ヴァイネス派〉と呼べるのは、ヴァイネスの直接の側近や、個人的な友人関係・協力関係にある者たちに限られる。
それでも、世界大戦までの政治過程において、そして開戦劈頭の快進撃に至る統帥において、ヴァイネスは非凡な才能を示した。ヴァイネスの才幹こそは、これら無数の小派閥の求心力として働き、これら無数の小派閥を統御する原動力となった。
「諸君、私は帰ってきた! 共に成そうではないか、新国家建設を!」
ルデンヘイム大将の自信に満ちあふれた笑顔に、課員一同が笑顔を取り戻す。
エウェリカ・ルデンヘイム、陸軍大将にして帝国陸軍航空本部長。
〈空飛ぶ催眠術師〉と綽名された彼女こそは、青年将校を中心とした皇子派内の小派閥のひとつ〈ルデンヘイム派〉の領袖であった。
***
「高級軍人を、民間防衛機構の中心に据えてはなりません。
おそらく、そこが連合国の譲れぬ一線です。」
帝国暦一八一九年六月十四日、午後七時。帝都バーレンハイム、摂政仮宮殿、会議室。
ルデンヘイム大将が国防合同庁舎へ登場したその頃、摂政副官、ペルペトゥ・エリカール・ヴェル・ピアルムス少佐の言葉に、その場の一同が顔をしかめていた。
「だが、民間防衛機構を維持整備する最大の目的は、帝国軍の戦力温存にある。
帝国軍の戦力を温存できなければ、国防も、そして妖魔対策も覚束なくなる。
己が総監なり長官なりになるというのは論外だが、その中心は軍人でなくては、統制がとれない。」
皇子中将宮ヴァイネスの反論に、多くの出席者が内心同意する。
いかに妖魔対策を名目とした軽武装の民間防衛機構と言っても、武装組織には違いない。
官僚的修辞を取り払ってしまえば、帝国軍が計画していたのは、実質的に準軍事組織にほかならない。
そのような暴力装置が、軍人という専門家の統制を逃れて自立することに対して、恐怖と不安を抱かない者は軍人とは言えない。
それが、会議の出席者たちの共通認識であった。
「中将宮殿下、お言葉はいちいち尤も。統制は必要です。
しかしながら、直接の統制である必要はありません。
間接的に、それでいて強力に統制すること。それが肝要です。」
ピアルムス少佐は淡々と応じる。
「間接的な統制? 帝国軍の力という裏付けなしに、武装した集団の統制など取れるものか!」
ヴァイネスの嘲弄に対しても、ピアルムス少佐は態度を変えない。
「誰もが認める〈仮構の偶像〉。それを、新たな民間防衛機構の中心に据えます。
高級軍人ではない、そうですね……従軍経験のある、愛国的文民。
篤志家、作家、記者、芸術家。そうした類いの人物を、民間防衛機構の象徴として据えるのです。」
「帝国軍や帝国政府の意向に逆らわないが、連合国に警戒されない人物、ということか。」
「その通りです、中将宮殿下。」
「だが、それでも懸念が残る。
統制は取れたとしよう。だが、それでも巨大な民間防衛機構を連合国が許容するか?」
「おそらく許容しないでしょう。許容するとしたら、国際共同事業としての統制強化——実質的には連合国の傀儡にする、というくらいしか。」
「それでは意味がないではないか!」
ヴァイネスが声を荒げる。会議の場も騒然となり、ピアルムス少佐への敵意が場を支配しかける。
「待たれよ、皇子殿下。——副官、続けよ。」
しかし、ミルダネスが重い口を開くと、場は静寂を取り戻す。
「——元帥摂政公のお望みとあらば。」
ヴァイネスも折れて、ピアルムス少佐に対して視線で続きを促す。
「連合国の最大の懸念は郷土防衛隊です。そこを逆手に取ります。」
「郷土防衛隊を?」
「はい。連合国が郷土防衛隊を辛うじて許容しているのは、それが〈郷土〉を防衛する、地域に根ざした組織だからこそです。
ですから表向き、民間防衛機構は各地に分散させ、各市町村長、そして知事に監察させます。」
「知事? そのような文官に監察させたところで——。」
「だからこそ、〈仮構の偶像〉が必要になる。そう言いたいのだな、摂政副官。」
ヴァイネスとピアルムス少佐の押し問答に、帝国軍総司令官、レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー元帥が割って入る。
「その通りです、マルクヴォー閣下。
文官が司るのは監察です。実際の指揮は、民間防衛機構の代表者が取ることになる。
それら代表者が、率先して推戴したくなるような〈偶像〉を仕立てるのです。我々の手で。」
「——軍縮で宙に浮く国防予算を、そこに回すつもりか。」
「はい、中将宮殿下。機密費を総動員して、その〈偶像〉を支援します。」
「各地の民間防衛機構の訓練は?」
「その程度であれば、帝国軍が関与しても連合国は口を挟むことはないでしょう。
妖魔対策を実効的にするための軍事顧問派遣という体裁であれば、名分は立ちます。
装備や人員のための補助金も、間接・直接を問わずに全方位から出します。」
「各地に分散した民間防衛機構を、帝国軍が間接的に支援し、表向きは文官が監察する。
文官が監察するということは、各地の市町村会や県会の関与を受けるということでもある。
民主的な民間防衛機構、という名分が立つということか。」
「それらの分散した民間防衛機構を、〈仮構の偶像〉がひとつに纏め、その〈仮構の偶像〉は愛国心から帝国軍と帝国政府に従う。
いくら〈国際共同事業〉として連合国が個別の民間防衛機構と協力体制を構築しても、結局、大枠では我々の意向が通ることになります。」
「そしていざ戦争となれば、民間防衛機構は帝国軍へ編入され、妖魔の〈間引き〉で実戦経験を積んだ経験豊富な将兵を獲得することができる。」
暫しの間、会議室を沈黙が支配した。
「——決まり、ですな。」
「ああ、決まりだ。」
マルクヴォー元帥が口を開き、ミルダネスが頷いて見せる。
「副官。今の案を素案として、摂政府と共に原案を取りまとめよ。外務省とも折衝を重ね、連合国との協力体制の〈一線〉を見極めよ。
マルクヴォー元帥。国防省に補正予算の編成準備を命じ、帝国軍総司令部においては、民間防衛機構の整備を前提とした兵力の配置計画を検討させよ。各省大臣と各統帥部長にあっても、同様に調整を重ねよ。」
ミルダネスが席を立って宣言すると、会議の出席者はいずれも起立して、ミルダネスへ敬礼した。