「休戦発効。当領にも前線からの引き揚げ部隊が駐留予定とのこと。肩の荷が降りる。」
帝国暦一八一八年十一月十七日、ミルダネスは日記に率直な安堵の念を綴った。
***
帝座空位宣言により妥協的な暫定統治体制が示されたのと時を同じくして、帝国軍総司令官であるレヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー元帥伯爵は、共和国首都に置かれた連合国軍総司令部に対して電報を打ち、休戦会議の開催を打診していた。
〈帝座空位に伴う休戦会議開催の申し入れの件〉
一八一八年十一月十五日
発:帝国軍総司令官 帝国軍元帥にして伯爵 レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー
宛:連合国軍総司令官 共和国軍元帥 フェルテナ・ホス閣下
帝国暫定評議会の命令により、帝国軍総司令部より、ホス元帥へ。
連邦共和国大統領より、貴官が帝国政府の正式代表を受け入れ、休戦条件を伝える権限を与えられているとの通知を受け、帝国暫定評議会は全権委員を任命した。
全権委員は、貴官との会談場所を無線電信で通知されることを要請する。
彼らは補助人員とともに自動車で指定された場所に向かう。
人道的見地から、帝国代表団の連合軍前線到着が暫定的な停戦をもたらすことができれば、帝国政府は喜ばしく思う。
受信確認を請う。
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「ようやく鏡を見つめる気になったと見える。」
連合国軍総司令官にして共和国軍元帥フェルテナ・ホスは、伝令から休戦会議申し入れの電報を受け取るなり、こうこぼした。
ホスは男所帯の連合国軍総司令部にあって、唯一の女性将官であった。長命種たる長耳族の出身であり、プロパガンダポスターではしばしば長身痩躯の絶世の美女として描かれたが、ホスと対峙した他の将軍たちに言わせれば、ホスが大衆に見せる顔は「猫被り」にすぎない。連合国軍総司令部内では、しばしばホスは「鬼婆」「魔女」「長耳の妖魔」などと呼ばれた。
「私の専用列車を、コルピーヌの森へ回せ。〈お客様〉はそこに。」
ホスの指示を受けた副官が電話の受話器を取ろうとするが、ふと思いとどまって尋ねる。
「〈余所〉のお歴々の耳へは入れないので?」
実質は統合指揮など夢物語であったが、腐っても〈連合国軍〉である。総司令部には共和国のほか、連合王国、都市国家連合、連邦共和国の将軍たちが常駐しており、彼らとの調整と駆け引きの末に、あらゆる軍事的方針が決定されていた。
また、各国の外交官からなる最高戦争評議会も同じ建物に拠点を置いており、連合国軍総司令部はこの評議会の指導下にあった。
「この交渉においては、私が〈連合国〉だ。——とにかく時間が惜しい。受信確認の電報も、至急送ってやれ。」
ホスは以前より、休戦交渉が政治的駆け引きによって遅延することを恐れていた。
戦争という人類にとって最大の摩擦の前では、政治的駆け引きの間にも、将兵の生命は摩耗していく。
そこでホスは、最高戦争評議会から、休戦交渉に関する全権委任を事前に取り付けていた。
帝国軍にとっては泥縄的な休戦交渉であったが、ホスにしてみれば、入念な構想の上での休戦交渉であった。
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〈受信確認〉
一八一八年十一月十五日
発:連合国軍総司令官 共和国軍元帥 フェルテナ・ホス
宛:帝国軍総司令官 帝国軍元帥にして伯爵 レヴェランティユー・ヴェル・マルクヴォー閣下
連合国最高戦争評議会の授権により、ホス元帥より、帝国軍総司令部へ。
帝国全権委員が休戦を求めて会談を望むなら、シメイ街道で共和国軍前哨に出頭されよ。
彼らを受け入れ、会談場所に案内する命令は既に発せられている。
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連合国側から帝国側へ送信された受信確認電報は、帝国側が提示した暫定的停戦案を意図的に無視していた。
また、帝国側の電報に見られる政治的修辞——「休戦会議開催を求める」と述べるにとどめ、休戦そのものを主体的に希望するとは明言しなかった——に対して、「休戦を求めている主体は帝国側であって、連合国側ではない」と端的に明示した。
これはまったく強気の、ほとんど命令書のような色彩を帯びた内容である。
しかし、今や皇帝を欠き、国内情勢が限界を迎えつつある帝国側に、これに抗弁する気力は残されておらず、また、それが許されるような状況でもなかった。
かくして、文武両官からなる帝国全権委員団は、三台の車列で以て前線の荒野を不休で渡り、共和国軍の前哨基地へ出頭。そのまま更に不休で行き先不明の列車へ乗り換えさせられ、景勝地として世界的に知られる、コルピーヌの森の引き込み線へ辿り着いた。
コルピーヌの森は、景勝地だけあって周辺から隔絶されており、鉄道のほかは、ほとんど獣道といって良いくらいの、か細い旧街道が一本通っているのみであった。連合国軍は、この地に軍用列車を配置することで、安全かつ極秘の移動司令部用地に仕立てていたのである。
今回帝国全権委員団がこの地に送られたのも、まさにこの理由、隔絶性、安全性、機密性ゆえであった。
帝国全権委員団と本国との連絡を断ちつつ彼らの身体の安全を保護し、なおかつ、連合国内においても情報漏洩を防止することができる。
まさしく、連合国側にとって、最適の会議用地である。
***
帝国側全権団の到着を確認したホス元帥は、会議場として設定した食堂車を訪れると、彼らに休戦条件を突きつけた。
〈休戦協定(抄・案)〉
○ 署名後六時間以内の交戦の終了。交戦終了後、以下の条件を発効する。
○ 停戦期間は三十日間。
○ 西部戦線における、共和国、都市国家連合、その他両国が予て領有権を主張してきた地域からの全帝国軍部隊の即時撤退。これに伴う、現地施設破壊の禁止。
○ 西部工業地帯における連合国軍の保障占領の準備として、橋頭堡となる指定区域から帝国軍部隊を順次移動。
○ 旧神聖王国、すなわち〈評議会人民国〉を自称する革命勢力と帝国との講和条約に含まれる、旧神聖王国領割譲条項および賠償条項の破棄。これに伴う、東部戦線における、全帝国軍部隊の一八一四年七月時点での国境線内への退去。
○ 全戦線における、妖魔越境の防止。すなわち、〈死の領域〉が存在する辺境地域に対する帝国軍部隊の適切な配置。
○ 陸上における軍需品(大砲、機関銃、航空機、機関車、貨客車両等)の引き渡しと、海上における帝国海軍艦隊の抑留。各海域に展開中の潜水艦の即時降伏。
○ 帝国軍将兵の速やかな動員解除と復員、帝国軍の平時編制への復帰。
[…]
○ 上記条件の実施状況の、連合国側への迅速かつ誠実な報告。
***
帝国にとっては過酷な条件である。
しかし、一刻も早い国内情勢安定を望む帝国にとって、ホス元帥の示した休戦協定案は命令に等しく、その大枠において、これを拒否する余地はなかった。
したがって、帝国全権委員団は、いくつかの条件闘争に終始した。
すなわち、軍需品の引渡し数量や、各地の帝国軍部隊の撤退・移動期間の緩和、撤退における連合国軍部隊の協力要請などである。
また、帝国では停戦後一二〇日を期して憲法制定国民議会選挙を予定していたから、停戦期間の延長もまた重大な問題であり、帝国全権委員団はこの点に最も力を入れて交渉に臨んだ。
議論の結果、最終的には「停戦期間は六十日間、ただし制憲議会選挙と制憲議会の審議継続中は、重大な協定違反のない限り自動延長」という妥協が成立した。
帝国がこれ以上不安定化し万が一にも無政府状態に陥れば、連合国は和平交渉の相手を失う。連合国側がそう考えた結果である。
ましてや、帝国議会が自ら進んで民主的な選挙を実施すると宣言しているのだから、帝国の軍国主義や封建主義への対抗を大義名分として掲げてきた連合国としては、それを後押しするのが主義の上でも妥当であった。
その他の条件闘争においても、ほとんどの条件において帝国側と連合国側との間で数値的な妥協が成立した。
帝国および帝国軍の内情と継戦能力について連合国側が極端に過大評価していたことが帝国全権委員団の示した資料で露わとなり、それに照らすと明らかに過剰な要求が含まれていると判明したためである。
帝国全権代表を務めた穴居族の無任所大臣は「帝国の防諜体制と宣伝戦略が功を奏したことは喜ばしく思うが、過ぎたるは及ばざるが如く、連合国の情勢分析に誤断を招いたこと、誠に忍びなく……。」と、半ば哀願、半ば開き直って、ホス元帥へ条件の緩和を願い出たほどであった。
「これではまるで、幻影と戦っていたようではないか。鏡を見つめるのはこちらかもしれん。」
ホス元帥は、控室で化粧を直しながら、従卒にこのようにこぼしたという。
事実、この大戦のあらゆる局面において、そしてまた、開戦を決意するに至った政治判断において、連合国は徹頭徹尾、帝国を過大評価していた。
帝国はあくまで、その広大な国土に比してあまりにも限られた資源を、彼らにできうる最高の効率で前線へ送り出していたに過ぎない。
そこに宣伝上のいくつかの大きな成功と、作戦上のいくつかの小さな成功が積み重なって、連合国は巨大な幻影との戦いに苛まれることとなった。
言ってみれば、帝国という窮鼠が連合国という猫を噛んだが故に、連合国は、この窮鼠をあくまで窮鼠として適正に評価する術を見失っていた。
このような相互誤解は、限定的な情報収集手段、恣意的な情勢判断、そしてこの時代の国家が国家であるが故に有する基本的な性格——すなわち、主権を守ろうとするが故に、外へは常に虚勢を張り、また常にパラノイアに陥るという行動原理——によって生じた、まったく時代構造的な問題であった。
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休戦協定は一八一八年十一月十七日午前零時に帝国全権委員団とホス元帥により署名され、六時間後の一八一八年十一月十七日午前六時、全戦線で交戦が終了した。
停戦発効の報は新聞、ラジオ、街宣などで告知され、併せて、辺境各地では引き揚げ部隊の受け入れ準備が始まった。
前線に貼り付けられていた多数の将兵がようやく妖魔対策に駆り出されるというのだから、辺境地域は俄かに活気づきつつあった。
憲法制定国民議会選挙の実施も喫緊の課題である。
大戦に伴って動員された膨大な兵力を再編し、再配置し、あるいは復員させるというだけでも、政府機関や地方機関が破裂しかねないことは誰の目にも明らかであった。
そして、これらの兵力はただの作戦地図上の数字ではない。彼らはみな、選挙権と被選挙権を有する。彼らはみな、有権者である。
作戦行動のため絶えず所在の変わる将兵を、一体どこの選挙人名簿に登録するのか。指揮官が立候補してしまった場合、後任はどうするのか。戦乱で電信網や郵便網が機能しない地域や、外国の占領地から撤退しつつある将兵に、どのように選挙情報と投票用紙を届けるのか。いやそもそも、将兵が選挙権を行使する選挙区は現在の所在地か、部隊の本拠地か、あるいは原住所か。
いっそのこと、「行政処理が困難な部隊については、投票機会を与えない」という案もあった。しかしこれでは、あまりに多くの将兵が選挙権を剥奪されることになる。そうなれば必然、制憲議会の正統性にも疑問符がつく。帝国軍の暴発を誘発しかねず、またその口実を与えることにもなりかねない。
結局、政府と帝国軍はその総力を挙げて、軍人の郵便投票の準備を整えることになった。
将兵が選挙権を行使するのは住所登録のある原住所の選挙区とし、選挙情報と投票用紙は通常の軍事郵便とは別枠の特別便で各将兵に届けられる。投票もまた同様の特別便を利用して実施する。内容の改竄を防止するため、この軍事郵便特別便の取り扱いは専任の士官が行い、配送記録は複数の士官および下士官が照合する。さらに主要政党の代表者からなる査察団が抜き打ち査察を行い、不正を防止する。
まさに、未曾有の〈作戦〉であった。ある兵站将校は、日誌にこう記している。
「我が軍は大戦への出師を終えしも、新たに選挙事務と戦闘状態に入れり。帝国の興廃、誓ってこの一戦にあり。」
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「中将宮殿下、軍系立候補者の名簿が大方まとまりましたので、ご確認を。」
帝国西部の産業都市、モナシュテーリア。昼下がり、帝国軍西部戦線司令部の一角。
先に退位した太上皇帝セラレス四世の子、皇子中将宮ヴァイネス・セラリオン・ヴェル・ボレアニスは、長耳族の副官より選挙情勢の報告を受けていた。
「現役将兵の票を考慮しても、親軍派は三分の一が精々といったところか。大物軍人の立候補がないのが痛いな。」
ヴァイネスは、切り揃えられた滑らかな金髪を右手で撫で付けつつ、椅子に深く腰掛けて、ため息をついた。
「高官の多くは、敗戦の折ゆえ自重すると述べるばかりで、派手な動きを取れません。将兵への求心力を考えますと、著名な将軍に立っていただくのが最良なのですが……。」
「ここは、軍事郵便特別便を押し通せただけでも、良しとするしかあるまい。これがなければ、三分の一どころでは済まなかったところだ。敗戦した上に、選挙でも〈全滅〉となれば、目も当てられん。
しかしシルヴァニスめ、臨時政府の権威を笠に着て、どさくさ紛れに査察団などと——。我が将兵が文弱の徒と天幕を共にするとは、怖気がする。」
「とはいえ、査察団なしでは軍内部の不穏な動きを掣肘しきれないのも事実です。
下士官兵や学徒出身将校を中心に、革命気分が蔓延しつつあることを考えますと。」
「それよ。」
ヴァイネスは、先ほどまで髪を撫で付けていた手を、眉間に当てた。
「既に無断除隊——脱走兵も多数出ているというではないか。臆病者どもめ。撤退した後には、妖魔の間引きも控えているというのに。」
「妖魔と戦うよりも、〈闘争〉でもって地位と名声を得ようというのでしょう。革命主義者どもの考えそうなことです。」
「本来は連中にも備えねばならぬところだが、派手に動くと連合国から休戦協定違反と嘴を突っ込まれかねん。念のため、暴動発生時の応急対処計画を各地で立案させよ。」
「マルクヴォー元帥伯爵閣下には?」
「マルクヴォー閣下は休戦協定の延長交渉にかかりきりだ。復員に、選挙のこともある。
各所にあまり負担をかけるわけにもいかん。ひとまずは、各司令部の〈自主的研究〉とするほかあるまい。
——ああ、負担といえば。そうだな。」
ヴァイネスは窓の外に目をやった。
「現役を退いた有為の指揮官に、いつでも声をかけられるようにしておけ。とにかく、どこも人が足らんのだ。」
ヴァイネスの視線の先には、消え去りそうなほどまばらに排煙を上げている、モナシュテーリアの工場群があった。